第26話




 ◆ ◆ ◆


「これでいいわ」


 客間に連れて行きた白馬に、特注の馬具を着せたアスターは、軽く胴を叩きながら目を細めた。

 フィーガスに身に付けさせた馬具は、彼がこちらの国で行動する時の補助となるよう、リュグザが加工技術者に依頼し、数年かけて製作したものである。美しい紫色の加工鉱物が連なる、思わずうっとりとしてしまいそうな織物が縫われた、大変高価な代物だ。これに使われている鉱物は貴重種で、滅多に市場に出回らない為、国家予算の半分ほど支払ったと聞いている。

 組み紐が彩るその様は、翼の生えた白馬によく映えた。鉱物によって体調が楽になったのか、彼は首を振っていななき、ゆっくりと四つ足を折り曲げ絨毯の上に体躯を伏せる。


「ありがとう」

「いいのよ。……リンドウ、バラ。あなたたちもこちらへ、座りなさい。お茶を用意するわ」


 可愛らしいデザインの丸テーブルを片手で示し、着席を促したアスターに、リンドウがバラへ視線を向ける。俯き加減でぼんやりとしている妻の手を取り、彼は先導して歩きつつ、アスターの厚意に甘えて席に座った。

 フィーガスが利用している客殿は、本殿から廊下を渡り、少し離れた場所にある。隣に給仕室が併設されていて、わざわざ遠出しなくとも、紅茶の用意くらいはできるようになっていた。

 普通の客人であれば、使用人が数人在中し、身の回りの世話が出来る様になっているのだが、フィーガスの付き人はリュグザとキリノス、そしてアスターが行っている。理由は言わずもがな、リュグザがあえて人払いをする必要もなく、誰も神の国の住人に近寄らないのだ。

 なので同じく、奇異の目を向けるばかりで誰も世話をしたがらない皇太子妃には、この客殿は密会で利用するのに、非常に都合が良いのである。

 三人分の紅茶を入れて戻ってきたアスターは、項垂れる二人を一瞥しつつ、暖かなカップを目の前に置く。


「……団長、……あの、お聞きしても、いいですか」


 泣きそうな声で己を呼ぶ部下に、少し指を震わせつつ、顔を向けた。

 視線の先には予想通り、瞳に涙を溜めたリンドウが、湯気のたつカップを見つめている。アスターが一応、型式に則ってフィーガスに伺えば、気にするな、と彼は顔を振った。


「姫様を守る『騎士』って、どういう存在なんでしょう? 運命共同体だって、国王陛下から言われたことがあります。それって、結局、どういう事なんでしょうか?」


 巨体を椅子の上で縮こまらせ、青い顔で彼は言う。

 リンドウとバラは、ライネリカと最初に『血の契約』を交わした従者だ。

 幼い姫が指先を少し切り、皮膚に浮かんだ血で、互いの額に紋様を描いて契約した瞬間は、今も鮮やかに思い出せる。あの瞬間、心臓から押し出される血液が全て沸騰し、細部に亘るまで作り替えられたような高揚感は、死ぬまで忘れることはないだろう。

 だが、言ってしまえばそれだけなのだ。もちろん、特別な武器が空中へ出現したり、それを扱う為に身体能力が飛躍的に向上したり、そういった違いはある。しかし、日常生活で何かが変わったかといえば、特別な変化はない。

 フィーガスが同席しているからか、いくらか言葉を選びつつ説明するリンドウに、アスターは指先を唇に当て、ゆっくりと向かいの席に腰を落ち着かせた。

 

「……そうね。確かに普通に生きていたら、何が一番変化したのか、気がつかないわ。……あたしが、主さまに命を救って頂いたのは、知っているでしょ?」 

「は、はい」


 突然の話題転換に、面食らいつつリンドウが頷く。アスターは優雅な動作でカップを手に取り、静かに口をつけた。


「あたしが主さまと契約したのは、その時だった」


 アスターが近衛騎士団に入団した頃だ。その頃はまだ、ライネリカやラジレイシアには、アルヴィアと本名で呼ばれていた。

 幼い二人を連れて、騎士団の数名とシガリア鉱山の麓を散策している時、野蛮な連中に襲われたのだ。

 あれは恐らく、他国の連中だったのだろう。惑星の半数を掌握しているとすら言われる大国だが、全ての国が大国に対し忠誠があるわけではない。反旗を翻そうと、エイロスの姫を捉えて交渉材料にするつもりだった。

 エイロス国の近衛騎士団は、少数精鋭の猛者ばかり。もちろん連中は即座に捉えられた。だが不幸なことにそのうちの一人が、自害の為にシガリア鉱物の加工武器を所持していて、死なば諸共と自爆された挙げ句、アスターは巻き込まれたのだ。

 下半身は木っ端微塵だった。衝撃波と熱を感じ、ぶつりと記憶が途切れているので、即死だったろう。しかし大声で名前を呼ばれて目が覚めると、アスターの肢体には擦り傷すらなかったのだ。

 驚いて身を起こすと、泣きじゃくり、ひきつけすら起こしそうなライネリカが居て。見渡した薄暗い室内から、目覚めたのが死体安置所であることは、容易に推察できた。

 アスターはその時、確かに生き返ったのだ。


「夢だと思ったわ。でも、あたしの体には、主さまの“祝福”が確かにあって。……あたしは、あたしの為に血を捧げて下さった、可憐で美しい小さな女神に、生かしていただけたのだと、そう思ったの」


 そうしてアスターがライネリカに陶酔するようになり、身体能力の向上も相まって頭角を現した彼女は、近衛騎士団長を拝命した。

 第一王子付きとなり、様々な任務や状況に直面するようになって、彼女はようやく自分の身体が、どのような変化を遂げたのか理解していく。

 アスターはカップを静かにソーサーに戻し、リンドウを見た。緊張を帯びる夫に、白い顔色のバラも顔を上げる。


「主さまの“祝福”を授かったあたしたちは、死なないの。心臓を貫かれようが、頭が吹き飛ぼうが、毒薬を飲まされようが、……絶対に死なないのよ」

 

 

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