第25話
彼はライネリカが生まれてからずっと、彼女が生きる道を探していた。
国母が代替わりするという事態が、どういうものか。最終的に食べられるのだということは、ラインギルには伏せてある。健康優良児のライネリカを間近で見ていると、本当に将来犠牲になるのかと疑問すら湧くだろう。
それでも彼は少年時から、ライネリカは死ぬべきではないと主張していた。
ラインギルの正義は、エイロス国内ではごく少数派だ。孤立していると言ってもいい。表立って様々な事を画策できない為、リュグザの行動を裏から支持し、手を組んで動いてもらっていた。
正直なところ第一王子である彼が、なぜ初めからライネリカを生かそうとする意志が強いのか、疑問に思う時もある。しかし末姫を助けたいと願う志は、紛れもない本物だった。
「エイロス国内の事は、ラインギル殿下の主導に任せましょう。彼はおっとりしていますが、公務の腕は安心できますからね」
「そうっスね。なんで兄上だけ始めからマトモだったのか、分かんねーっスけど。俺なんて数年ほど国を離れてみて初めて、あの国が異常だって理解したんスけどねぇ」
キリノスが片手の指先で頬を掻きつつ、視線を上向かせる。
ラジレイシア同様、留学でエイロス国を暫く離れていた彼も、それまで持っていた、祖国を守らねばならない、という使命感は薄れていた。どちらかと言えば、今は猜疑心の方が大きいほどである。
「……やはり、国を離れると、愛国心が薄れるのかしら……?」
「愛国心が薄れるのではなく、シガリアの体液が体から抜け出るのでしょう」
シガリアから離れた彼らは、環境が変わり、少しずつ身体組織が戻りつつあるのだろう。ラジレイシアは少し事情が違うが、キリノスはエイロス国生まれであり、ライネリカと『血の契約』を交わしている以上、細部まで人間と同じだとは言えない。だが、少なくとも脳から送られるシガリアを護れという信号は、薄れているはずだ。
指先で宙をなぞりつつ話すリュグザに、ラジレイシアはあからさまに不快な顔をした。
「女性相手には、本当の話だとしても、もっと柔らかな表現にするべきですわよ、殿下。そうだから、あたくしのネリカに嫌われるんですわ」
「おや、手厳しい。これでも一時期は、将来を約束した仲なんですが」
「まぁ酷い人。知ってますわよ、可愛い手に頬を張られたのでございましょう?」
揶揄するラジレイシアにリュグザは笑って、柔らかな髪を指先で後にすき流す。彼女も少し表情を和らげた後、ふと片手を己の頬に当てた。
「……あたくし、少々、気になっておりまして。よろしいでしょうか」
「もちろん。どうされました?」
「殿下は、どのようなお立場なのでございましょう?」
一見、妙な言いまわしである。キリノスが片眉を上げて視線を向けるも、徐々に理解が追いつき、今度はリュグザを一瞥した。彼は薄く浮かべた笑みをそのまま、ソファーの肘置きに片肘をのせ、頬杖をつく。
「殿下が、ライネリカを害そうとする気がないのは、幼い頃から分かっておりましたわ。今日のお話で殊更に。ですが、殿下がエイロスに近づいて来たのは、始めからフィーガス弟王閣下と手を組んでの事……なのでございましょうか?」
エイロス国をシスボイリーの属国にした功績は、リュグザが成人を迎える前。ライネリカが生まれるよりも前だ。彼の行動から察すれば、フィーガスとの婚姻を取り付けたのも、シガリアを殺しライネリカを助ける為である。
幼い頃からリュグザは、神の国に執着していたと聞く。それもこの無垢な王女を助ける為だとしたら、彼はいつから動いているのだろうか。フィーガスと利害が一致し結託したのだとすれば、それはいつからなのだろうか。
ラジレイシアは、目の前の男が分からない。
ライネリカの“祝福”を受けた相手だ。もちろん信用も信頼もしている。それでもリュグザは、あまりに全ての事柄に対し、初めから精通しすぎていた。
ライネリカがどういう存在なのかも、フィーガスが何を目的としているのかも、エイロスがどうなるべきなのかも、その為に大国シスボイリーで、自らがどのような地位にいなくてはならないのかも。
生まれた時から、自らの使命を知っている。──否、その使命の為に、生まれてきたような。
真っ向からラジレイシアの視線を受け、リュグザは沈黙を返す。そして僅かに肩の力を抜き、ラジレイシアを金の瞳に映した。
その眼差しには慈愛があり、しかしラジレイシアを通して誰かを見ているような、そんな顔だった。
「……俺はシスボイリー国王が第十二皇子、リュグザ・アイネ・シスボイリーです。そして貴殿の妹姫に仕える『騎士』の一人。それ以上にお答えできる立場もなければ、それ以下の存在でもない」
ラジレイシアを見つめたまま空気を震わせた声は、いつもの飄々とした雰囲気から一変し、厳かな気配を帯びる。自然とラジレイシアの背筋が伸びた。
彼はそれ以上の言葉を発する事なく、ラジレイシアを見据える。その瞳もまた、柔らかな愛情を灯していた。
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