第27話
思いもよらない言葉に、二人とも呆気に取られてアスターを見つめ返した。
「まぁ、あたしも最初以外、そこまで顕著な死に方はしていないけど。……でも、死んだと思う瞬間は、特にこの大国に来てから度々あるのよ」
ラインギル第一王子の命令により、リュグザの手引きで宮殿に入ったはいい。だがここは、神の国の住人よりも歪な、魔物の巣窟だ。
現国王が政治の手駒として、様々な女と関係を持ち、様々な子供が生まれたおかげで、宮殿内はある意味、世界の縮図になっている。表面上の親愛などあるわけもなく、陰謀や共謀、策略、根回し、疑心、略奪など、日常茶飯事もいいところだ。
アスタロイズという名でリュグザを補佐しながら、皇太子妃として振る舞っている中で、彼女は度々、死に直面した。毒薬を飲まされ内臓を焼かれ、血を吐いたとしても、この心臓は止まることが無い。
「驚いたけれど、便利でもあるわ。だって死なないから、いくらでも煩いデキモノを炙り出せるもの」
「だ、団長、そ、それは、……」
「……冗談よ。そこまで無茶な行動はしていない」
アスターの言い分に若干引いているリンドウは、しかし僅かに沈黙した後、自身の体を見下ろす。死なない体であると、考えた事も無かった。
「……恐らくシガリアの心臓が、ライネリカであるからだろうな。彼女はシガリアの餌だ。君たちに部位の名称を与えるのは、七人で一つの大きな餌であることを、示しているのだと思う」
それまで黙って聞いていたフィーガスが、口を挟んだ。
「リュグザから契約の内容は聞いている。ライネリカと契約した時、彼女から役割を拝命するんだろう? 例えばリュグザは“灯”だ」
従者二人は顔を見合わせ、慎重に頷く。
自分達が襲名と理解しているあの呼び名は、契約の際にライネリカが授けるものだ。どんな意味があるのか聞いたことはあるが、彼女自身も上手く理解できていないらしい。契約を結んだ際に、自然と頭に浮かぶのだと言っていた。
『牙』『胆』『爪』『髭』『脳』そして『灯』の六つ。リュグザを除いた『騎士』はそれぞれ、身体に関わる名を与えられている。
「人間は心臓が死ねば、どんなに屈強なヤツでも死ぬだろう? だが腕や足が少し傷ついても、適切に処置すれば、心臓が動いている限り死なない」
説明されている状況が上手く自分達に当てはめられず、リンドウが疑問符を浮かべながら、アスターに顔を向けた。彼女は一呼吸置いてから、つまり、とフィーガスから引き継ぐ。
「あたしたちは主さまが生きている限り、死ぬことはないみたいなの。そしてまた、逆も然り」
「君たちはライネリカが死んだ時に、問答無用で死ぬんだろう。それが運命共同体ってことだ」
ようやく与えられた結論に、リンドウもバラも同時に息を呑んだ。脳の容量を超えた得体の知れない話に、リンドウは魚のように口を開閉させる。普段は表情の変化が乏しいバラも、鋭い吊り目を大きく見開いた。
暫く無言でいた二人のうち、最初に我に返ったのはバラだ。彼女は紫に変色した唇を震わせ、思わず何かを伝えようとして、吐息だけが空気に抜ける。苛立たしげに首を振る侍女長に、アスターは己の両手を差し出した。
淑女にしては少し筋張った手に、バラは人差し指を柔らかく押しつける。懸命に綴られる彼女の言葉を、意志を、アスターは皮膚越しに読み取っていく。
“わたし は ヒメサマ の ために しぬこと を おそれること は ありません”
「……ええ、あたしもよ、バラ。あたしの命は、主さまのもの。あの方が死ねと言えば、喜んで命を差し出すわ」
“はい ですが それは ヒメサマ が いきていて くださるから です”
「……そうね」
“いま の はなし を ヒメサマ に つたえます そうすれば きっと ヒメサマ は わたしたち と ともに いきて くださる はず”
「ええ、そう。そうよ、バラ。あたしたちは、主さまと共に死ねるから、『騎士』になったわけじゃない……!」
ぽとり、と。テーブルに水滴が落ちた。
文字を追いかけ、言葉尻を震わせ息巻いたアスターは、ハッとして顔を上げる。身を乗り出し、興味深げに様子を窺っていたフィーガスも、驚いてバラを見た。
彼女は目を見開いたまま、ぽたり、ぽたりと、透明な雫で頬を濡らす。
「…………ぅ……ぇ……」
微かな、声帯を震わせる音が、唇から溢れた。指が震えて、文字がぶれる。
事故で負傷した声帯を使う行為は、激しい苦痛を伴うはずだ。アスターが止めようと腕を伸ばすも、彼女は首を振る。
痛みも苦しさも、確かに喉を傷つけた。けれどもバラの心臓は、それ以上の喜びを訴え、その鼓動を急かしている。
「…………あ……ぉ、こ……は……たぅぁる、ん、ぇすか」
子音が上手く発音出来ないまま、それでもバラは呟く。
生まれた時からずっと、ライネリカを見守ってきた。死ぬことが名誉だと信じる彼女に同調し、彼女が犠牲になることを、脳内が勝手に素晴らしいことだと思い込み、無理矢理納得しようとする自分を恥じてきた。
国の方針が間違えていると、事あるごとに理性は訴える。それでも頭が拒絶する。彼女の志を尊重し、共に死ぬことが精一杯の愛情だった。
だが、違ったのだ。
守っていいのだ。
これからも、この先も。
バラとリンドウにとって誰よりも特別な、あの少女を。
それは次第に確かな音となって、アスターやフィーガスの耳に届く。柔らかな群青の瞳から溢れる涙は、雨のように、彼女を。
「……っ……っ、あ、の、子は、たす、か、るの、ですか……!」
歪な呼吸音を混じらせながら、バラはリンドウに縋り付いて泣き声を上げた。涙声で妻を呼び、太い腕の中に閉じ込めたリンドウも、バラの額に頬を寄せて咽び泣く。
唇を引き結び、目元を赤く腫らしながら何度も頷くアスターの側で、フィーガスは呼吸も忘れて、抱き合う夫婦を見つめていた。
その目には、ライネリカを案じるバラと、自らの養母の姿が重なって見えていた。
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