第23話





「皆は、どうして黙っているんですの!? 大事な自分の国が、こんな扱いを受けて! どうして誰も何も言わないんですの!?」


 ライネリカの激情が、空気を震わせ周囲へ響き渡る。しかし皆、神妙な顔で彼女を見返すだけだ。

 訳が分からなかった。エイロスを祖国とする彼らも、ライネリカと共に運命を共にする存在である。幼い頃からそうやって、手を取り合って来たのではなかったのか。

 なぜ、で、皆の心が揺れるのか。ライネリカは本当に理解が出来なかった。


「君が国民を心配しているのなら、問題ない。エイロスの民は、このシスボイリーに移動させれば済む話だ」


 フィーガスの説明に、ライネリカは一瞬、言われた意味を把握できず呆けた顔を向ける。


「言っただろう、大国を侵略するつもりだと。その為にリュグザには手を回してもらっている。僕らの家族騒動に、他人は関係ないからな。この大国に移住させて安全を確保すれば、君の憂いもないだろう」

「……つまり、……つまり、初めから、大国に我が国を取り込むつもりで……」


 呆然と呟いた言葉に、彼は目を眇めて苦く笑った。


「取り込む? エイロス国など要らないさ。滅ぼすと言っているだろう。異形の力を借りないと豊かにもなれず、たった一人の女の子の死を、国中が願っている頭のイカれた国など、僕は支配下にも置きたくない」


 その言い方はまるで、心から嫌悪し吐き捨てるようなものだ。

 フィーガスは苛立たしげに銀の前髪を後ろに撫で付け、溜め息を吐き出す。


「君の愛国心や自己犠牲精神は、君の立場から見れば美しいだろう。だが、よく考えてくれレディ・ライネリカ。あの国は、君が命を張るほど価値ある国なのか?」

「っ、いくら異国の王と言えど、無礼ですわ! エイロスはわたくしの祖国、愛すべき故郷です、それをまるで価値がないように言わないで下さいませ!」

「価値なんてないだろう。僕の養母を使って、君のような命を犠牲にする事が前提に、世界の地位を確立している国だぞ。それならまだ武力統制を進めるシスボイリーの方がマシだ」

「あなたの怒りは理解します、ですが、っですが、その怒りを、わたくしの国へ押し付けないでくださいませ!!」


 ライネリカの瞳から、涙が溢れて頬を濡らす。激しい怒りが内側を苛んで、正気と思考回路を結ぶ線が焼き切れてしまいそうだ。

 フィーガスのエイロス国に対する怒りは、本当に理解だけなら出来るのだ。養母が人間に囲われ、搾取され、飼い殺されていると知れば、激しい憎悪と嫌悪を向けるのは当然だろう。心情として理解できるが、ライネリカにはライネリカの、王族として、国母を支える存在として、生まれた時からの使命と立場がある。

 立ち上がって肩を震わせ、唇を噛んで涙する婚約者に、フィーガスは反論をせず押し黙った。視線を交差させ数秒、彼は頷いて目尻を緩ませる。


「……君の、王女としての矜持は分かった。つまり、君にとって国の為に死ぬことこそが、エイロス国には必要であり、未来永劫、ずっとそうやって繁栄するべきだと言うんだな?」

「っ、無論ですわ!」


 “未来永劫”という単語に怯みつつ、ライネリカは顎を引いて頷く。フィーガスは再度大きく頷いて、片手で部屋を差し示した。


「そうか、なら今この場にいる君の『騎士』に、今後も意思変わりなく国の為に死ねと言うがいい」


 しん、と室内は静まる。室外の音すら聞こえないほど、呼吸すら許されないほど。

 ライネリカは瞠目して、錆びた車輪のようにぎこちなく室内を見渡す。皆がライネリカを見ていた。その瞳はどれも侮蔑や嫌悪などなく、彼女の意思決定を静かに待っている。

 主君の命を遂行する覚悟を決めた、誇り高い『騎士』の瞳だった。

 ひくりと喉が震えた。吸い込んだはずの息は上手く肺に溜め込めず、すぐに熱を伴って逃げてしまう。何か言わなければと思うのに、出るのはか細い嗚咽だけで、彼女は首を左右に振った。

 エイロス国の繁栄に命を捧げるのは、ライネリカと、彼女が自ら選び契約した六人の『騎士』。

 死ぬことが美徳だ。死ぬことが正義だ。生まれた時からそう教わってきた。

 死ぬことが愛情だ、死ぬことが責務だ、死ぬことが、死ぬことが、死ぬことが。

 

 

「どうした、ライネリカ第二王女。君の選択はそういうことだ。声高らかに宣言しろ、国の為に死ねと」


 畳み掛ける男の声に、ライネリカは両手で顔を覆う。首を振って激しく拒絶し、押し殺そうともがいた声は溢れて、彼女は美しい顔を歪ませた。


「何故言えない? どうして言葉を詰まらせる? 君の崇高な信念なのだろう? 声に出してみろ、皆の目を見て、自分の言葉で、国の為に死ねと言ってみろ!」


 責め立てる声は、次第に怒りを帯びてライネリカを糾弾する。何度も首を振った。何度も、何度も、喉が引き攣れて声を失って、国の為だと宣言しなくてはいけないのに、言うべき言葉は泥のように崩れて消えていく。

 ライネリカにとって『騎士』は特別だ。生まれた時から、傍で自分を護ってくれている。『血の契約』は『騎士』が一方的に望んで結ばれるものではない。ライネリカが心の一部を明け渡す、そうしても良いと信頼した相手に贈る“祝福”なのだ。

 彼らは共に笑って、叱咤して、励まして、ライネリカという存在を、無条件で愛してくれる。


「やめて、やだ、いやだ、どうして、どうしてよ、っ、どうして今更、そんなこと言うの、っ、っどうして今更、間違ってるなんて、言うの!? そんなの、っ、っ、…………そんなの、知ってるよぉ……ッ!」


 ラジレイシアとキリノスが思わず立ち上がった。泣きじゃくる末姫を二人で抱き寄せ、暖かな体温で包む。

 ライネリカは余りの苦しみに絶叫して、愛する二人にしがみついた。


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