Ⅳ 生死の上にあるもの

第21話





 ライネリカは鳥肌を立てながら、キリノスに飛びついた。


「いやぁ──ッ! あなたにその言い方をされるのは、嫌だと申し上げましたでしょう!?」

「そうは申されましても。事実でしょう?」

「無根ですわ!!」

「俺と貴殿の間柄ではないですか」

「幼いわたくしの純情を弄んだペテン師にどんな間柄もありませんわッ」


 ライネリカがリュグザを毛嫌いしているのは、立場や婚約者騒動の発端だというばかりではない。

 彼女にとって彼が、幼い頃に夢を見ていた白馬の王子様であるからだ。

 リュグザが貴族社会で成人と認められるまで、彼は度々エイロス国をお忍びで訪れていたのだ。幼いライネリカの秘密の遊び相手である。とはいえライネリカは数年前まで、彼がライネリカの婚約者を勝手に決めた、大国の皇子であることを知らなかったのだが。

 数年前に事実を知った時は、彼女は荒れに荒れた。属国の姫を良いように誑かした男への、淡い思い出など笑止千万である。

 膝に乗ったまま喚く妹姫に苦笑しつつ、キリノスは両腕を回して抱え直すと、彼女を元の席へ戻す。隣へ座っているフィーガスに添え、自身も何事もなかったようにラジレイシアの隣へ戻った。

 オロオロと視線を彷徨わせるライネリカに、足を組んだリュグザは、さて、と話を切り出した。


「やや強引に事を進めさせて頂いたのは、申し訳ないですが、こうして集まれたのは幸運な事です。特にラジレイシア嬢は、よく出てきてくれた」

「お褒めに預かり光栄にございますわ、殿下。あたくしの可愛いネリカの為ですもの」


 片手を胸に当てて得意げな顔をする姉に、ライネリカは目を瞬かせる。


「そういえば……、お姉さまは、長期滞在の許可は出たんですの?」


 ラジレイシアの住む公爵家は、エイロス国より大国に近いが、それでも二、三日で行き来できる距離ではない。彼女は移動手段として、飛ばした三又槍に跨がるといった、絵物語の魔法使いも卒倒するような移動手段を取得しているが。

 彼女は少し視線を逸らして、大丈夫だと頷く。


「ええ、大丈夫ですことよ、あたくしのネリカ。引き継ぎの書類は置いてきましたし、どのみち全ての準備が済んだら、離縁する必要が出てきましたの」

「えっ」

「え、マジ? ラジー、本気で離縁するんスか?」


 キリノスと揃って声を上げたライネリカに、彼女は涼しい顔で再度頷いた。

 あまりに唐突な事態に、互いに顔を見合わせる。離縁など、そんなあっけらかんと実行できる事ではない。それに相手の公爵家はベルジャミン王家から、シガリア鉱物の優先的な貿易利用権利を受け取っているのだ。いくら夫婦間の仲が良くないとはいえ、はいそうですかと彼女を手放せるわけがない。

 たとえ彼女が、ライネリカと運命を共にするとしてもだ。

 訴えれば、ラジレイシアは首を振る。


「ラバル兄上さまから早馬を頂いた時、リュグザ殿下からもお手紙を頂戴いたしましたの。……ネリカを救うには、エイロスを滅ぼす必要があるのだと」


 リュグザに視線を向けラジレイシアは、相手の真意を探るように目を細めた。

 息を呑んで言葉を失ったライネリカや、従者二人とは対照的に、キリノスやアスターは静かに第十二皇子を伺っている。

 視線を受けた彼は笑みを深めてから、フィーガスを一瞥した。俯き気味に黙っていたフィーガスは、一つ瞬いてライネリカに顔を向ける。

 

「……レディ・ライネリカ。僕は、君を欲していると言ったな」

「……、……はい」

「僕は、僕ら兄弟のために、君を死なせるわけにはいかない。君にはシガリアを殺すための、囮になってもらわなくてはならないからだ」

「………………え?」


 意味が分からず、空気が抜けるような声が、口から溢れた。

 囮になる以前に、シガリアを殺すとは、どう言う事なのだろう。彼女はもう、繁殖器官を除いて死んでいるではないか。

 ライネリカの動揺や疑問が分かったのか、フィーガスが小さく首を振る。


「シガリアは休眠状態に近い。完全に死んでいるわけではない。……彼女のこと、教えよう。君たちの国には、僕らと違うこの世界には、彼女のことは一切残されていないようだから」


 瞳の奥に、悲しげな色が灯った。表情は殆ど変わっていないのに、まるで泣いているようにも見えた。

 ライネリカが戸惑いつつ頷くと、彼は口を開いては、迷って閉じるを繰り返す。青ざめた顔色は恐らく、身体の不調だけではないだろう。

 しばし沈黙が全員を包んだ後、フィーガスは意を決して口を開く。


「シガリアは、僕らの国でもかなり特殊な種族だ。彼女の種族は、不思議な光を放つ鉱石に背中を覆われていてな。その鉱石は極めて万能で、僕らの国では重宝される。そしてその種族は、永遠の命を持つと言われ、自らの体内で餌を作り、その栄養分を吸い取って老いた体を修復する」

「…………」

「そもそも餌は体外に出るものではなく、体内の器官で生成され、血液に乗って身体中を巡り、消費されるものだった」


 フィーガスが何を伝えたく説明しているのか、ライネリカにはよく分からない。

 真っ直ぐに、フィーガスの瞳が婚約者を見つめる。ライネリカは無表情に近しい顔で、婚約者の相貌を見返した。


「レディ・ライネリカ。君は死んで国母に生まれ変わるんじゃない。……国母が生き永らえる餌となって、死ぬんだ」



 

 

 



 

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