第20話




 即座に緊張を帯びた従者二人が、アスターの許可を求めるよう、視線を送る。彼女は頷いてから、バラにライネリカの傍まで下がるように言い、自ら扉の向こうにいる人物を向かい出た。


「はぁい、どちらさま……」

「ちぃーっス、、お迎えに上がりました」


 声を潜めつつも間伸びした声に、アスターが慌てて招き入れて扉を閉め、軽く膝を折る。


「キリノスさま」

「うわ、ほんとに来てた。おーい、ライネリカ、だぞ〜」


 硬直していたライネリカは、あまりにも聞き覚えのある声に飛び上がり、目を丸くしてソファーを立つ。

 そこには白いフードで顔半分を隠しつつも、にこやかな笑顔で片手を振るが居た。


「兄上さま!?」

「はい、回収〜」


 もはや条件反射で抱きついたライネリカを、キリノスが抱きしめてその場を一回転する。ライネリカが家族に抱きつくのは、第一王子を除き日常的だ。従者は誰もそれを咎めず、微笑ましい視線を送る。

 背の高いキリノスの腕にすっぽり収まった末姫は、驚愕に目を開いたまま顔を上げた。


「ど、どうして、ここに? 諸外国を漫遊中と伺ってましたのに。それに“キリノス”とは? どういう事ですの?」

「漫遊中さ、表向きはね。あー、久しぶりのネリカ、ちょーかわいい。さすが俺の癒やし。ちょっと事情あってさ、ここでは“キリノスお兄さま”って呼んで」


 ひとしきり抱きしめて、溺愛している妹を久方ぶりに堪能した彼は、ようやくライネリカから腕を放す。そしてフードを被り直し、片手を胸に当て、外行きの顔で目尻を下げた。


「シスボイリー国第十二皇子補佐官、キリノスと申します。遠路遥々、ようこそおいでくださいました」


 恭しく礼をする仕草が、どことなくリュグザを思い起こし、ライネリカは困惑を引っ込めて顎を引く。その様子に笑みを深めた彼は、まっすぐに彼女を見つめた。


「第十二皇子と、オージオテラサス弟王閣下。……そしてがお待ちっスよ」



 キリノスとアスターに先導されてやってきた応接室は、地獄絵図であった。

 1人掛けの椅子に座り、にやにやとした表情のリュグザと、隣は人型の状態で憮然とした態度のフィーガス。足の低いテーブルの向こうにある、三人がけソファーの中央に座っているのは、険しい表情のラジレイシアだ。

 彼女は真っ白な顔色の妹を目に留めると、般若の顔で立ち上がる。先ほどのジャダルの厳しい面など、鼻で笑ってしまうほどの恐ろしさだった。


「まぁネリカ! あたくしを待たずに、こんな場所にくるなんて! 何を考えていますの!?」

「お、おおお、お姉さま、っ」


 ひえ、と小さな悲鳴を上げて、しかし誰にも縋れず、汗ばむ両手でドレスを握りしめる。

 まさかラジレイシアが先に乗り込んでいるとは、露ほども思わなかったのだ。

 彼女は人一倍ライネリカ至上主義だが、人一倍ライネリカのに厳しかった。深い愛情の裏返しは承知しているし、今回は特に心配をかけたであろうと思うので、反論もできない。


「長期外泊の準備を整えていたら、ラバル兄上さまから早馬が飛んできた時の、あたくしの心境といったら! どうしてお姉さまを待てなかったんですの!? ラヒューレ兄上さまが鉱石の事になると、なのはあなたも知っているでしょう! あの鹿があなたを気遣って城内を回ってくださるわけないじゃないですの! あのの事ですもの、大方この宮殿に入り込むのに良いように使われるに決まっておりますわ! ああっあたくしの可愛いネリカ、お姉さまが来たからにはもう安心ですわよ!」

「うわ、ラジーの兄上に対する評価ヒド」


 骨が軋むのではないかと言うほど抱きしめられ、ライネリカはカエルが潰れたような悲鳴を上げた。後方でキリノスが遠い目で呟くと、バラが軽く咳払いをする。侍女長による言外の叱責にハッとしたラジレイシアは、ライネリカを伴って振り返った。


「まぁ、お見苦しいところを。失礼あそばせ」

「構いませんよ、姉妹仲良きことは良い事です。……しかし、いつまでもそこに主君を立たせている訳にはいかないでしょう。さぁ、ライネリカ第二王女殿下。貴殿はこちらだ」


 立ち上がったリュグザに倣い、フィーガスも立ち上がった。思わず視線を向けると、彼は僅かにたじろいで、何故かリュグザの顔を伺う。ゆっくりと頷く彼に小さく息を吐いて、緊張した面持ちでライネリカに歩み寄った。

 ラジレイシアが身を引くと、彼は片手を差し出す。

 威圧的な第三皇子と違うからなのか、不信感や恐怖は湧いてこない。婚約者であるこの手は、取って然るべき片手である。ライネリカがそっと小さな手を重ねると、彼は上体を屈めて唇を寄せた。


「……この間は、一方的に、悪かった」

「……、……そう、ですわよ、……わたくし、直談判に、こんな場所まで……」


 もっと強く怒りを露わにしようと思っていたのに、目の前にすると、急に何も言葉が出てこない。それが何故か恥ずかしくて、悔しくて、けれども双眸が交わったまま釘付けになった。

 白目のない黒い瞳に吸い寄せられるように、踏み出したライネリカをフィーガスが誘う。そして招かれたのは、部屋の上座、本来ならこの地で最も権力のあるリュグザが座るべき場所だった。

 流石に飛びかけた意識を手繰り寄せたライネリカは、真っ青な顔でフィーガスを見る。


「ちょ、えっ、お待ちください、閣下! どうしてですの!? わたくし、なぜこちらに」

「何もおかしい事などないでしょう?」


 心底愉快げに喉の奥で笑うリュグザの隣に、アスターが寄り添う。その向かい側にキリノスが座り、ラジレイシアを呼び寄せた。扉が近い下座の方向には、バラとリンドウが立ち、ライネリカに向かってそっと頭を下げる。


「ここに揃うは、貴殿を護り、貴殿と運命を共にする『騎士』なのですから。お分かりでしょう、──


 


 

 



 

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