第16話





「……で? 俺の事情も考える事なく、急いで出発してきたと?」


 エイロス国の馬車に揺られて二週間。再びリンドウとバラと共にシスボイリー大国の土を踏んだ妹姫に、第二王子は額に青筋を浮かべつつ唇をへの字に曲げていた。


「兄上さま! お久しぶりですわ!」

「久しぶりじゃねーよこの能天気女! 俺が忙しいのわかってんだろうがよ!?」


 ライネリカが満面の笑みで抱きつくと、彼は小さな額を片手で押しやって引き剥がす。それでもめげずに腕にしがみつけば、第二王子はげんなりと天を振り仰いだ。

 王族か疑うほど口は悪いが、れっきとしたエイロス国第二王子だ。シガリア鉱物に興味があり、各国を飛び回ってその特殊な力や技術を文献に修めている。灰褐色の目にかかるほどの長髪を、無造作に後ろへ漉き流して結び、いつも眉間に皺を寄せたその見た目こそ学者らしくないが、幾つも学術書を納めている著名人でもある。

 彼が忙しいのは日々の手紙で知っていた。それでも今回ばかりは、口が悪く態度も大きい彼の、妹姫には甘い兄貴分である一面を、利用させてもらったのである。


「兄上さまが来てくれて、わたくしとっても心強いですわ」

「人を盾にすんじゃねーよ……」

 

 後方では第二王子付きの側近たちが、兄妹の様子を微笑ましげに眺めている。彼らにとって、この光景は日常茶飯事だ。第二王子が内心、まんざらでなく妹を可愛がっているのも、もちろん周知の事実である。

 気が済んで腕から離れたライネリカは、ようやくゆっくりと彼を見上げた。

 僅かに雰囲気が変わった彼女に、第二王子は開きかけた口を閉じて、目を眇める。


「……で、あそこにお前の婚約者殿がいるってか」


 声を潜めつつ、視線が上向いた。

 ライネリカが振り返ると、遠く、美しい宮殿が見える。彼女は顎を引いて頷き、再度、第二王子に目を向けた。


「兄上さまのご迷惑はかけませんわ。ただ、わたくしを宮殿に入れて頂きたいんですの」

「婚約者殿に取り次いでもらった方が、早いんじゃねぇの?」

「わたくし、今から直談判に参りますの。これは乙女の戦場ですのよ。敵を頼るなど、や、ですわ」


 否を強調する言い方に、彼は胡乱げに口を閉ざすも、渋々頷く。

 婚約者が白馬であった事実に、どれほどライネリカが動揺したか。家族宛に帰国の馬車の中で書かれた、目を見張るほどの長文の手紙で、第二王子含め彼らは嫌というほど分かっていた。

 

「わかったわかった。それじゃあ、第三皇子殿下に取り継ぎを願うから、ついて来い」

「第三皇子殿下に?」

 

 疑問符を浮かべる彼女に、彼はこれまたげんなりと肩をすくめる。


「第三皇子殿下が、お前に首ったけなのを知らねーの?」

「え? でも、妃さまもお子様もいらっしゃいますわよね?」

「おーおー、怖い女。妻子持ちを誑かすなんて、とんだ悪女だな」

「?」


 本当に理解が追いつかず、怒りも焦りも出来ずに困惑を顕わにしていると、彼は数秒沈黙した後、片手で髪を掻き乱して息を小さく舌打ちした。


「なんとか反応しろよ、俺が悪かったけど……、ま、なんだ、実際、お前の申し出は俺にとっても有り難い」


 第二王子は常々、大国の技術力を間近で観察し、今後の研究に役立てたいと思っていたという。しかし属国という立場上、なかなか機会を得られない。エイロス国の鉱山をちらつかせて交渉してみても、思わしい成果は出ていなかったらしい。

 そこで交渉の鍵となるのが、ライネリカだ。

 エイロス国の交渉の窓口は第十二皇子だが、その補佐的な位置に回っているのが、第三皇子ジャダル。いつも遠巻きにライネリカの様子を窺っている事など、傍目から見ればバレバレなのだという。

 ライネリカは顔も朧げな男に、少し気味悪く思いながら片手を頬に当てた。


「そ、そうなんですの……、兄上さまのお役に立てるなら、まぁ……」

「じゃあ、決まりだな。先触れは送っている。正門に行くぞ」


 歩き出した彼を追いかけつつ、従者二人へ肩越しに振り返る。

 微かに頷く彼らの瞳は、宮殿のある方角を見つめていた。



 大国シスボイリーの宮殿は、とにかく広大である。

 様々な部署があることに加え、正妃側妃同士の余計ないざこざが起きないよう、居住スペースを分散させていると聞いたことがあった。エイロス国はこぢんまりとした城なので、ライネリカは歩くだけでその広さに圧倒されてしまう。

 前回は心細く、周辺を気にできる余裕もなかったが、今回は第二王子がいる。大国の兵士に導かれて歩きながら、彼女はその後ろから、回廊を彩る庭園に目を輝かせていた。

 それにしても、大国の第三皇子がライネリカを気に入っているとは、全く知らなかった。

 確か、第一、第二皇子はすでに他界しており、第三皇子の母親が現在の正妃のはずだ。国王に多大な寵愛を受けている第十二皇子がいなければ、順当に王位継承権を引き継いでいた人物だろう。気に入られているのはもしや、ライネリカが第十二皇子を嫌っている事を、知っているからなのだろうか。

 彼女がぼんやり考えながら歩みを進めていれば、回廊を抜けた先にある扉をくぐる。そして鼓膜を叩いた甲高い音に、意識を引き戻したライネリカは目を見開いた。

 


 


 

 


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