第15話





 三日三晩泣き続けた女に、変化が訪れる。彼女の体は淡く輝き意識は薄れ、男ともども自らを包んだ光は天高く昇った。

 女は自らが女神であることを思い出す。自分に夫を救う力があることを、思い出すのだ。

 女神は六人の騎士に、男を救うため自らと共に、天つ国に旅立ってほしいと頭を下げる。多くの領民に慕われた男は、ここに必要だ。私には夫を救う手立てがある。しかし天啓を捻じ曲げる力は、一人では行使できない、と。

 騎士たちは一切の迷いなく了承し、その命は男を救う為に捧げた。

 男は息を吹き返した。そして見惚れるほど美しい女神を、妻の名前を呼んで抱きしめる。

 その暖かな抱擁に女神は心から喜び、しかしすぐさま訪れる別離に涙した。女の体は六人の騎士と共に、色とりどりの鉱物へ変化する。

 女は伝えた。

 自分と騎士は居なくなっても、ずっと男を見守っている。男が治めるこの地が、未来永劫、豊かに繁栄するように。ずっとずっと、この地そのものとなって、見守っている。自分はもう天つ国へ旅立つが、女神の子孫が、いつまでもずっと男を支えていくだろう。

 女神は騎士と共に消え、大地となった。残ったのは男と、最愛の妻が残した我が子だけだった。

 男は妻であり、女神の言葉をしかと受け止め、生き延びた限りある時間を、領民が豊かに暮らせるよう尽力するのであった。

 それがこの国、エイロス国建国までの始まりである。


 ライネリカは両手を胸の前で組み、祈りに似た仕草で目蓋を伏せた。

 自らの命を投げ打って家族を守った男と、愛した男の命を繋ぐために大地となった女の志を、国母は受け継いでいる。彼女はそう信じて疑わなかった。ライネリカは建国の伝承がとても好きで、幼い頃から何度も読み親しんできた。

 もちろん彼女自身、この伝承記の全てが本当だとは思っていない。後世に残すべく、初代エイロス国王を多少美化する目的があったことは、否めないだろう。

 しかし女神が国母として、この地に根付いていることは事実だ。

 ラジレイシアとライネリカの容姿は、その象徴である。数は多くないが、文献に残る歴代の国母たちの肖像画は、どれも判で押したように同じ顔をしているのだ。

 目蓋を押し上げてランタンを見つめる彼女を、リンドウとバラが心配そうに見つめていた。

 

「……わたくし、ここ数日で、めいいっぱい矜持を傷つけられましたわ」


 彼女は眉間に皺を寄せ、唇を戦慄かせる。

 あの白馬が婚約者となってから、ライネリカの周辺は嵐だ。向こうは一方的にライネリカの事実を知っていて、けれどライネリカが知る事実とは相違がある。それをあの白馬は咎めたのだ。勝手に憤られ、勝手に落胆されても、ライネリカには何が何だが分からない。

 書物を読み漁っても、出てくるのは知っている事実だけだ。王家も、彼女の傍にいる『騎士』も、その事実を受け入れ、己が全うする責務だと信じてきた。

 彼の養母が自分達の言う国母だなど、知らない。

 フィーガスが己の前に現れてから、自分の心は哀しいほど掻き乱される。

 彼女は死する姫だが、それでも傷つく矜持があるのだ。

 ライネリカは吊り目がちの双眸を吊り上げ、リンドウとバラに向き直った。


「フィーガス弟王閣下に謁見に参りますわよ」

「……姫様、でも、それは、大国に乗り込むということでは……」

「そうですわ! だってわたくし、悔しいですの! わたくしは生まれた時から、わたくしと付き合っているのに、出会って数日の殿方が、わたくしの事をわたくし以上に分かっているなんて! 問いただしてやらないと気がすみませんわ!」


 意気込むライネリカに、従者二人は互いに顔を見合わせる。

 

「せ、せめて、ラジー様が戻られるまで……」

「お姉さまが来たら、比喩ではなく話になりませんわ!」


 半ば悲鳴にも聞こえる声で首を左右に振った妹姫に、まぁ確かに、と納得しかけたリンドウは、しかし慌てて顔を青くした。

 ライネリカの怒りは察するに余りあるが、かといって姫が単身、大国に自ら乗り込んでいく事はできない。先触れを出したとしてもだ。どんな不敬罪で難癖つけられるか分からない。

 リンドウが伝えれば、彼女は眉を寄せたまま動きを止める。最もな主張だが、かといってこのままフィーガスが来るのを待っていても、ライネリカの怒りは収まらない。

 何か妙案はないかと三人で悩んでいると、ふと、バラが顔を上げた。彼女は羽ペンにインクをつけ、紙切れに流麗な文字で主張を綴る。

 エイロス国を出て、シガリア鉱物に加工技術を学びに行っている、第二王子に連絡をとってみては、というものだった。

 第二王子と共に赴けば、確かに不自然ではないだろう。大国で落ち合うという連絡をすれば、彼ならやってきてくれるかもしれない。


「名案ですわ! 早速、に頼りましょう」


 ライネリカはバラから羊皮紙を受け取り、自らの状況をかいつまんでしたため、くるくると丸めて留め紐を巻く。そして作業台の隅に置いてある器具に、書簡を置いた。

 ランタンに似た形状のそれに鉱物を取り付ければ、書簡を置いた台座に灯が灯り、羊皮紙は緩やかに形を変え、透明に輝く馬の形になる。駒鳥大のその馬は器具の中から飛び出すと、リンドウが開けた窓から飛び出していった。

 

 

 

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