Ⅲ 神話と情勢の思惑
第14話
◇ ◇ ◇
ライネリカは王家が所蔵する伝承記を閲覧するため、図書室へ訪れていた。
彼女は古びた書物を机に広げ、神話語で書かれたそれを、翻訳用の本と照らし合わせながら紐解いていく。
フィーガスが知っている情報を開示されるまで、エイロス国の伝承について、正しく理解できていると思っていた。
国母は国の豊かさの象徴として必要だが、命は永遠ではない。ライネリカは次の国母として生まれ、全てを伴って死ぬことで、新しい国母へ代替わりする。
生まれてきてからずっとそう教わり、王家としてもそう理解していた。
それなのに、婚約者であるフィーガスが、何も知らない女だと軽蔑したのだ。
あれから五日ほど経ったが、彼は一度もエイロス国を訪れていない。問いただせない有耶無耶が気持ち悪く、同時に、ひどい焦燥感が胸を苛んだ。
ラジレイシアは、エイロス国の長期滞在許可を勝ち取ってくると言って、一度隣国の公爵家へ戻った。
公爵夫人としてやらねばならないことが、山のようにあるはずなのだが、彼女の行動理由の原点にライネリカの存在がある。それを向こうの家族が面白いと思うわけもなく、案の定、新たな家族とは上手くいっていない。
そもそも隣国がシガリア鉱物の貿易援助を求め、結ばれた政略結婚だ。
何かと理由をつけて面倒ごとばかり押し付けてくる、義父や義母を跳ね除け、うだつの上がらない夫の尻を物理的に蹴飛ばし、持ち前の力強さで毎日を過ごしているらしい。
姉は精神的にも肉体的にも強いが、超人ではない。無理をしないと良いのだがと、切に願う。
「姫様、暗くありませんか? もう少し灯りを調整しますか?」
リンドウが加工した鉱石の入ったランタンを覗き込み、ライネリカに問うた。申し出をありがたく許可すると、彼は満面の笑みを浮かべて、鉱石を追加し室内を淡い光で満たす。
ライネリカの横では、バラが黙々と伝承記の翻訳に努めていた。
二人はライネリカが信頼を寄せる家臣で、赤子の時から彼女に仕えてくれている。二人とも若く見られがちだが、四十手前だと聞いている。本人たちが広言しないので、城内でもあまり知られていないが、仲睦まじい夫婦だった。
横にも縦にも大きな体を小さくしつつ、リンドウもバラの手元を覗いたものの、少し活字を視線で追いかけてから眉を下げる。
「……すみません、こういったことは、お役に立てず……」
「大丈夫ですわリンドウ。貴方がここでわたくしたちを護ってくれるだけで、安心ですもの」
簡単な読み書き程度の学力はあるが、彼はあまりこういった作業が得意ではない。対するバラは高い識字能力があり、多数の言語を読み解けた。元々、平民の中でも才女で有名だった彼女を王妃が気に入り、宮使えの道を開いたらしい。そこに夫であるリンドウが着いてきたようだった。
しかしバラは、能力と引き換えにするかのごとく、声を出せない。幼い頃の事故で声帯を傷つけてしまったためだと、バラ本人が筆談で教えてくれた。
「でも、リンドウにもバラにも、申し訳ないですわ。いつもわたくしのお守りばかり」
自覚があるためやや自重気味に呟けば、鋭い目つきを少し和らげた侍女長は首を振る。
二人はライネリカと運命を共にする『騎士』だ。
次の国母が生まれた後、国母たるに相応しい存在となるよう、忠誠を誓う六人が『騎士』を襲名する。それは国母と血の契約を結び、彼女が最期の時、共に命を捧げる存在だった。
血の契約を結んだ者は、体のどこかに契約印が現れ、特殊な武器を使えるようになる。バラは槍、リンドウは片手剣など、形状は様々だ。
そして異形の力を使える事に付随し、神の国の言語を理解できるようになる。
ライネリカは書物を見つめ、微かに表情を歪めた。
エイロス国の伝承は、ある一人の男が、一人の女を愛したことから始まる。
まだこの場所に国などない、ただの平坦な大地だった時代。その地方を収める領主の男は、ある日、怪我をして動けなくなった女を救った。
女は見目麗しく慈愛に溢れ、男は女に恋をする。女も甲斐甲斐しく世話をしてくれる男に惚れ、二人は仲睦まじい夫婦となった。
そんなある日、領地に嵐が襲った。草木は薙ぎ倒され家屋は倒壊し、通常の嵐とは明らかに質が違っていた。
男が領民を守るため、嵐の中を駆けずり回っていた最中、雲の向こうに大きな異形が潜んでいる様子を目撃する。異形は嵐を起こし、豊かな大地を我が物にしようと現れたのだった。
異形相手に恐れ慄いた領主は、しかし領民の為に責務を投げ出すわけにはいかない。知恵を絞り、男を慕う六人の騎士と共に異形へ立ち向かった。そして激しい戦いの末、異形を撃退することになる。
しかし絶命間近であった異形は、最後のあがきとして、男の妻に襲い掛かった。男は力を振り絞り、妻と、妻を守ろうとした騎士たちを庇い、一人、命を落としてしまう。
女は男の亡骸を抱きしめ、声を上げて泣き叫んだ。六人の騎士もまた、同じく悲鳴のように泣き続けた。
それはまるで一つの存在が咆哮を上げるような、慟哭だったという。
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