第13話





 場の雰囲気にそぐわぬ美女の登場に、側近たちが狼狽える。

 リュグザにしなだれる女は、蠱惑的な薄紅色の瞳を和らげ、男たちを見渡した。


「やぁだ怖い顔。難しいお話? 立ち話じゃなくて、部屋に来たらいいのに。あたしがもてなしてあげる」

「アスタロイズ」


 リュグザが名前を呼んで嗜めれば、アスタロイズは鈴を転がすような声で笑う。彼女はリュグザの母親同様、大国随一と言わしめる高級娼館より召し上げられた、リュグザの妻だ。

 指先で髪を弄りながら、気のない返事で肩をすくめた彼女は、男たちから興味を無くして夫を見上げる。


「ねぇリュグザさま、国王さまのお相手は終わったんでしょ? 早く戻ってきてくれなくちゃつまんない」

「ええ、分かっていますよ。参りましょう」

「っおい、待て──」


 話を切り上げようとするリュグザに、ジャダルが額に青筋を浮かべて手を伸ばす。しかしその手が触れる前に、アスタロイズがさりげなく前に出て、自らの胸に触れさせた。


「あん、第三皇子殿下ったら、えっち。こんな公衆の面前が好きだなんて。いいわよ? あたしが慰めてあげよっか」

「……ッ!!」


 一気に鳥肌が立った顔を引き攣らせ、ジャダルは女からの不躾な視線を振り払う。激しい嫌悪を浮かべた表情は、次いで目を見開き青白く戦慄くと、短く側近に声をかけて歩き出した。

 去り際の一瞥もくれることなく離れていく一行に、アスタロイズは口づけを投げてから、再びリュグザの腕に抱きつく。

 緊張を帯びた表情で第三皇子勢力を見送ったキリノスが、脱力して首を左右に振った。


「ビビるからやめてくださいよ、心臓がいくつあっても足りねぇって……」

「やだキリノスさまってば、心配性なんだからぁ」


 ころころ笑う妻に、リュグザは義兄が歩いて行った方向を見つめてから、改めて向き直る。そして白く柔らかな頬を片手で包むと、ふっくらとした唇に軽く口付けた。


「……そうですよ、アスタロイズ。お前は俺の妻なのだから、夫の前で他の男を誘惑するのはやめなさい」

「リュグザさまが、全然戻ってきてくれないからよ? 寂しくしないでって言ったじゃない」


 彼女も細腕をリュグザの首に絡ませ、鼻先を擦り合わせてキスを強請る。人目を憚らない二人に、キリノスが遠い目をしながら、そっと視線を逸らした。

 互いに触れ合って、数時間ぶりの逢瀬を楽しみ視線を交じり合わせた後。リュグザが目を眇めて口端を吊り上げる。


「……殺意ある目で相手を見るのはやめなさい。……お前のそれは、素人ではないのだから」


 優しげな声音で囁かれた言葉に、アスタロイズは目を丸くした。そして紅の引いた唇で弧を描く。明るい笑みに見えて、宝石のように無機質な瞳は一切の微笑みを讃えることなく、真っ直ぐにリュグザを見つめ返した。

 それはゾクリとするような、狂気的な顔だった。


「どうして? に卑しい目を向ける男でしょ? 殺してあげないだけ慈悲深いわ」


 彼女はそう言って、拗ねた様相で唇を尖らせると、夫から離れて両手を後ろに組む。左右に揺れながら顔を逸らし、心底残念だと言わんばかりに溜め息を吐き出して見せた。


「リュグザさまの、そういう保守的なトコ、つまんなぁい。主さまを汚そうとする人間なんて、ぜーんぶあたしが殺してあげるのに」


 流れるようなピンクブロンドの向こうで、美しい横顔が微かな剣を帯びる。優雅に眼前へ差し出した片手の平には、無数の細い針が現れて浮き、うっすらと赤黒い光を放った。

 彼女の心情を理解しているリュグザは、しかし好き勝手言わせる訳にもいかず、両腕を組んで片足に体重を乗せた。


「俺には立場があるんです。もちろん、お前にも。誰も聞いていないとは言え、不容易な発言は慎むように」


 確かに彼女へ依頼すれば、目の上の瘤など造作もなく始末できるだろう。だが、最終手段と仮定しても、今はまだその時期ではない。父王に飲ませている薬同様、下手に動けば真っ先に疑われるのはリュグザなのだ。多少遠回りしても、まずは外堀を埋めていった方が賢明なのである。

 アスタロイズは針を消し、仕方ないと言わんばかりに、盛大な溜め息をついた。


「…………はぁい。……あっ、そうだった! フィーガスさまが視察から戻ったの。なんかすごく気が立ってて、あたしじゃ相手しきれなくて」


 両手を頬に当てて落胆する彼女に、おや、とリュグザは片眉を上げる。好意的な男相手の術を心得ている彼女が、困惑を顕わにするのも珍しい。それほどあの弟王が荒れて帰還したのだろうか。婚姻前から日参は避けろと進言してきたが、早速ライネリカと対立してきたのかもしれない。

 僅かに苦笑しつつキリノスに視線を向ければ、ここは大丈夫だと頷くのが見えた。


「そうでしたか、では参りましょう。キリノス、頼みます」

「へいへい。王様が起きたら、すぐに戻りますんで」


 へら、と笑って二人を見送る側近は、ふとアスタロイズに目を向ける。柔らかな視線を受けた彼女は、一瞬動きを止めた後、背筋を正して表情を引き締めた。


「……殿下を頼んますね」


 双眸と同じく優しい声音に、彼女は片足を引いてドレスを持ち上げ膝を折る。それはアスタロイズを娼婦だと罵る成金淑女も卒倒するような、極めて美しい所作であった。


 



 




 

 

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