第11話






 ◆ ◆ ◆


 差し出した薬を飲み込んだシスボイリー王を、リュグザは感慨もない目で見つめていた。

 他国の侵略に余念がなく、家臣の前では威厳を保っていても、人間は老いという魔物には勝てない。小国エイロスから採取した鉱物と、各国の様々な医者を呼び寄せ作らせた特効薬は良く効いているが、それでも十分ではないようだった。


「すまないな、愛する息子よ」

「いいえ、何をおっしゃいますか父上。貴方にはまだ健全でいて貰わなくては」


 目を眇めて笑う第十二皇子は、ベッド脇のサイドボードにコップを戻した後、父王の背を支えて敷布の上に横たえる。特効薬はシガリア鉱物を使用している都合上、病原体を弱体化させる為に人体へ負荷をかける。飲んだ後は強烈な眠気が襲ってくるので、数時間、死んだように眠らなければならなかった。

 この薬を服用する時、彼が傍に置くのはリュグザだけだ。側近や侍女のみならず、正妃や側妃、他の子息女たちもけっして自室へ入室を許可しない。王はそれだけ、第一継承者である第十二皇子に信頼を寄せていた。

 これはリュグザにとって、大変都合の良い事だった。

 リュグザは王位欲しさに、父を誑かすつもりは一切ない。むしろ大国の王位などどうでもよかった。しかし自身の目的の為、少なくとも目の上の瘤を排除するまでは、父王には健全でいてもらわなければならない。

 老いという魔物に蝕まれても、彼の存在はそれだけで抑止力なのだ。

 だからリュグザは、父を排しようとするあらゆる存在から、彼を護らねばならない。こうして信頼を取り付ける結果を得られたのは、本当に幸運な事であった。

 目蓋を閉じて深く呼吸する姿を見下ろしていれば、父王が静かに口を開く。


「……リュグザよ、神の国の王との交渉は任せているが、エイロスに余計な刺激を与えて、戦争になど発展させぬようにな」


 耳に届いた言葉は、リュグザが主体となってエイロス国との交渉を開始した時から、タコができるほど聞かされていることだ。

 リュグザが成人を迎えてから、かの小国との交渉についてほぼ全権を任されている。それはエイロス国を属国として従えた功績が、未成年時の彼が手に入れた名誉であるからだ。

 世界の宝物庫と称えられる小国を属国化できた事は、シスボイリー国王にとっても喜ばしく、第十二皇子に第一王位継承権があるのもそのおかげであった。

 しかし属国化出来たからといって、様々な交渉において優位に立てるかと言えば、そうとも限らない。

 シスボイリー国は武力で領地を広め、属国を得てきた大国である。順当に考えるならあんな小国、簡単に制圧できてしまうほどの力がある。

 しかし、武力をちらつかせて脅す事はあっても、実際に武力行使まで至らないのは、シガリア鉱物がエイロス土着の民しか採掘出来ないせいであった。

 シガリア鉱山は、鉱山としてはあまりに熱く険しい環境にある。岩肌もそびえ立つように鋭く、鉱山口へ辿り着くまでの道のりは木々も深い。地の利はエイロス国民にあり、万が一鉱山に取り残されでもしたら、他国の人間が下山出来る可能性は限りなく低かった。

 それに万が一、シガリア鉱山に傷が付いたら、大切な鉱物など元も子もないのだ。貴重種ほど脆い事を理解しているのに、わざわざリスクを冒すほど大国も馬鹿ではない。

 父王は、神の国との交渉にエイロス国を利用する事で、リスクをとるような羽目にならないかと危惧しているのだ。

 リュグザは腹まで下がっていた掛布を引き上げ、片手を己の胸に押し当てた。


「わかっておりますとも、父上。このリュグザにお任せください。必ずや、父上のお役に立って見せましょう」


 恭しく一礼して顔を上げれば、すでに父王は眠りに落ちていた。リュグザは小さく鼻で笑い、濡れたコップと薬一式を乗せたトレーを持ち、出入り口の扉へ歩みを進める。僅かに開いて体を滑り込ませれば、控えていた側近が目を瞬かせた。


「おっ、お疲れさんでーす。王様、今日もぐっすりっスか」

「ええ、よく眠っている。誰も来ませんでしたか、キリノス」


 後ろ手に扉を閉めれば、側近のキリノスは、垂れ目を柔和に細めて、片手を左右に振る。


「誰も。天下のリュグザ殿下を害そうだなんて、そーんな不届き者はいませんって」


 ヘラヘラと笑って嘯く彼に、眉を顰めつつ肩をすくめた。信頼も信用もおいている側近だが、適当加減がたまに傷である。

 リュグザは扉を見つめ、切長の双眸を細めると、再度キリノスに視線を戻した。


「では、いつも通りに。父上が目覚めるまで誰も通さないよう」

「うぃッス。……薬の副作用だから仕方がないとはいえ、王様も難儀っスね。武官でもない俺が見張りってのも、普通は有り得ないっしょ」


 同情気味にも聞こえる声で、彼は両手を頭の後ろで組んだ。

 キリノスの心配は最もである。彼は側近という立場であっても、リュグザが関わる行政を支える文官であって、武芸を嗜む騎士や兵士ではない。多少、剣技を嗜むとは聞いているが、力量は雲泥の差だ。

 それでも、城内に敵が多い立場であるリュグザは、彼を見張り役として起用せざるを得ない。


「……それは言わないで欲しいですね、キリノス。なにぶん、城内は余計な敵が多い。父上を任せるのは、貴方くらいしか適任がいないんですよ」

「リュグザ様の母上様などは? ダメっスか?」

「ダメですね、彼女は生憎、


 二重の意味が伝わったのか、キリノスは表情を歪めた後、目蓋にかかる灰褐色の髪を後ろにすき流した。


「はーぁ、なるほど、謹んでお受け致しまーす」

「……頼みますよ」


 片手を振って離れようと一歩踏み出した時、前方から足音が聞こえて動きを止める。複数人の足音を響かせるそれに、背後で側近が心底嫌そうな声を小声で上げた。

 リュグザは踏み出した片足を戻し、キリノスを背後に庇いながらにこやかに笑みを浮かべる。


「……これはこれは、ジャダル義兄上」


 目前に立ち止まった金髪の男は、僅かに背の高いリュグザを睨んで、奥歯を噛み締めた。




 


 


 


 

  

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