第10話





 エイロス国は、の恩恵によって豊かさを約束されている。

 しかし国母の命も永遠ではなく、代替わりの時期がやってくるのだ。

 国母が代替わりを行う時代、国の中央にある湖の水が赤黒く濁る。それを合図として国王は儀式を行い、次の国母が誕生する。

 ラジレイシアが生まれる前年も、湖は赤黒く姿を変えた。エイロス国王は国母交代の時期と心得、儀式を遂行したものの、顔立ちこそ伝承通りであったが、ラジレイシアは肝心の力を授からなかった。

 可愛らしい姫が生まれた事に関しては、王は大層喜んだ。しかし力がなければ国は護れない。そこで再度儀式を行い、次の姫の誕生を待った。国母に負担をかける事になるのは重々承知で、国を守る為だと納得しての決断だった。

 そして生まれたのが、ライネリカである。

 星空の幻想的な瞳に、これまでの国母やラジレイシアと同じ顔。小柄な身長に、首元以上には伸びない髪。伝承通りに生まれた彼女を、ベルジャミン王家は第二王女として大切に育ててきた。

 国母は、彼女の手足なれと襲名した数人の従者と共に、祖国の為と息絶える為に生まれてくる。


「もちろん、どこで死のうが問題はないのですが、わたくしはせめて、生まれ育った場所で役割を迎えたいと思っておりますの。……閣下には、理解し難い話かとは、存じますわ」

「……」

「ですから、……できれば、それまでに、輿入れの話は無かった事にしてほしいと思っておりますわ」


 伝承で次の国母となる女は、死に場所がどこであろうと、必ず祖国へ帰還するようになっているという。

 それを分かっているベルジャミン王家は、第二王女に対して出来た婚約者を、その存在自体はそれほど大きく悲観していない。今の時代、王女は政治的な駒にならざるを得ないからだ。ライネリカが先の長くない特別な存在でも、いつまでも王室に囲っていては、王家の威信や体裁にかかわる。遅かれ早かれ誰かと婚約するのは運命だった。

 ただ、いくら死する姫であっても、愛娘は愛娘である。彼女が望むような幸せを過ごしてほしい、そう願う親心はあった。だからライネリカが白馬と婚約していた事についてショックを受けるし、共に現状を悩んでくれる。

 ライネリカ自身も、どうせ嫁ぐなら白馬に乗った王子様のところへ行きたい、そんな乙女としての願望もあった。

 命を絶って国母となることは、大変な誉だ。彼女は自らの存在を理解し、その役割を義務として捉えている。加えて、愛する国の平穏を守れる自負もあった。

 それでも叶うなら、家族に見守られて、息絶えたい。

 恍惚とも、慈愛とも取れる笑みを浮かべるライネリカに、フィーガスは少し力を抜いて、翼をゆっくりと上下に動かした。


「……なるほど、君の意向は分かった。だが、……どうやら、僕と君の間には、大きな齟齬があるらしい」


 リンドウとバラが、姫二人を庇うよう僅かに前へ出る。不審げに表情を歪めた二人に、白馬は小さく首を振った。


「レディ・レイネリカ。君のように献身的な存在は、ともすれば美談の対象だろう。国民からすれば隠れた英雄かもな。だが僕はそう思わない」

「閣下、わたくしは、そんなつもりでは」

「いや、僕がまったくなんの関係もない部外者だったら、君の奇妙奇天烈な美談も、美談として受け入れるかもしれないが、あいにく僕ら兄弟はそういうわけにもいかない」


 カツン、と。蹄を鳴らして、優美な仕草で白馬は歩き出す。雲に少し隠れた太陽光でも反射するような白が、風の動きに併せてざわめいた。纏う空気が澄んで、辺りの温度を下げていく。

 怒りだと、そう思った。

 目の前にいる人智を超えた存在は、寄せ集まり一つとなる自分達の非ではない。姿を瞳が映すだけで萎縮し平伏するような、否、しなければならないと強迫観念に駆られるような、威圧感が空気を重く押しつぶした。

 バラとリンドウが戸惑って膝をつき、ラジレイシアが冷や汗を浮かべて、腕の中にいるライネリカを庇う仕草をする。

 内臓が冷えるように、吐息が白く烟った。


「……君たちが国母と蔑む彼女は、僕ら兄弟の養母だ」


 目を見開いたライネリカの口元に、フィーガスは緩やかな仕草で己の口元を寄せる。


「僕らの敬愛する養母の名は、シガリア。……君は国母は代替わりすると言ったな。本当にそうなら、あの鉱山脈はとっくの昔に朽ち果てているはずだ」


 自らの知らない情報に、ライネリカ達は混乱して互いに顔を見合わせた。フィーガスが何を言っているのか、理解が出来ない。王家の伝承では、国母が代替わりすることで鉱山脈は守られる、そう伝わっている。それが朽ち果てるとは、どういうことなのだろう。

 ライネリカは吐息を震わせ、白馬を見上げた。


「ど……どういう、ことですの? わたくしは、次の国母になるために、生まれてきたのでは……?」

「……せっかく兄様が命懸けで、シガリアへの道筋を切り開いてくれたのに……、一番大事な当事者は何も知らないんだな。いやきっと、わざと残さなかったんだろう」


 それはあまりにも冷淡な、落胆すら感じる声音だった。

 息をのんだ彼女から興味を無くしたように、白馬は顔を背けて踵を返す。翼を広げて飛び立とうとする彼の背に、ライネリカは姉を押し退けて手を伸ばした。


「お待ちください、フィーガス閣下! 何を知っているんですの、教えてくださいませ!」


 風を纏い浮き上がった彼は、徐々に距離を離しながら、ライネリカを見下ろす。風が邪魔をしてよく顔は見えない。それでも、優しげであった双眸に何の色も浮かんでいないような気がして、彼女は姉に縋って震え上がった。

 ただ、ただ、目の前にいる存在が恐ろしい。何も分からないことを、理解していないことを責めるような瞳が、何よりも恐ろしくて、──哀しかった。

 フィーガスは何か言葉を残すことなく、再び顔を背ける。引き止めようと口を開くも、ラジレイシアが強く抱きしめて、妹の声を肩口で塞いだ。

 軽やかな足取りで、白馬は天を駆けていく。その姿が見えなくなっても、ライネリカは呆然と姉の肩に顔を埋め、抱きついていた。





 

 


 


 

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