第9話





 ライネリカは頭を抱えそうになるのだけは堪えたものの、大声で姉を呼んだ。


「ラジーお姉さまっ!? 流石にこれはまずいですわよ!?」

「あらあら、あたくしの愛しいネリカ。ごきげんよう。今日も一段と可憐で美しくってよ」


 突如現れた姉のラジレイシアは、口調は優しく朗らかでも、射殺さんばかりの双眸で変わらずフィーガスを見つめている。完全に敵意ある眼差しだ。早馬で事前に知らせていたので、相手がライネリカの婚約者であることを、分かっているにも関わらずである。

 白馬は蹄を鳴らしながら、僅かに後退した。


「……君は“爪”? 凄まじいな、本当に殺されるかと思った」

「今は隣国の公爵家に嫁いでおります、元ベルジャミン王家第一王女、ラジレイシアと申しますわ。以後、お見知り置きくださいませね、海神と蛇美姫の息子であるフィーガスフィーガス・オージオテラサス・プリンフェステビュー弟王閣下」


 かなり悪意ある言い方に、ライネリカは胃痛と頭痛の二重苦に陥りそうで、思わずリンドウの腹に顔を埋めた。不敬も不敬すぎて、胃の内容物を戻しそうである。ラジレイシアはもう王族では無いので、尚更だ。

 三又槍の柄から降り立った姉は、自身の身長以上ある得物を消さずに、片手で軽々と持ち直した。そしてライネリカやバラの前に立ち、フィーガスの視線から妹を隠す。

 ラジレイシアの様子に、彼は穏やかな双眸を瞬かせた。


「ふぅん? ……君はこちらの言葉が分かるのか」

「まぁ……弟王閣下。白々しくて、あたくし、うっかり手が滑ってしまいそうですわ。そういう閣下こそ、異国の言葉がお上手でしてよ」

「ら、ラジー様っ」


 フィーガスによい感情を抱いていないとはいえ、流石のリンドウもまずいと思ったのか、小さくラジレイシアへ呼びかける。彼女は肩越しに顔面蒼白のライネリカの様子を確認した後、息を吐き出して数拍置いた後、三又槍を掻き消した。

 そして体ごと改めて振り返り、顔を輝かせてライネリカに抱きつく。


「まぁまぁ、あたくしのネリカ! お姉さまが来たからには、もう安心ですわよ!」

「おねぇさまが猪突猛進で、何も安心できませんわぁ……」


 骨が軋むのでは無いかと思うほど強く抱きしめられ、ライネリカは今度は別の意味で悲鳴を上げた。

 背格好が同じなのに、姉の馬鹿力はどこからくるのだろうか。いくら特別だからといっても、三又槍だって、大の男が両手で扱わないと振り回せないほどの重さがある。それを片手で軽く使用する、姉の腕力たるや。

 早馬で連絡は来ていたものの、まさかラジレイシアがこれほど早く帰国するとは思わなかった。

 しばらく頬擦りされるまま遠い目をしていたライネリカは、フィーガスが黙しているのに気がつき、慌てて姉を引き剥がした。


「かっ、閣下、申し訳ございませんわ、姉はその、天真爛漫を絵に描いたような人で、けっして、けっして悪気はございませんのよッ」

「君たちは双子か?」


 弁明する彼女の言葉を遮り、フィーガスの声音に興味とは別の色が灯る。すぐに答えようとするライネリカを、ラジレイシアが片手で制した。


「いいえ。……あたくしは十八でございますわ」


 ヒュ、と喉がなった。相対するフィーガスではなく、姉の腕の中にいるライネリカのだ。もはや紙のように顔色を無くした妹に、姉は涼しい顔で目を細める。

 馬鹿正直になんてことを。フィーガスはライネリカの、何らかの事情を知っている相手なのだ。その応対はあまりにまずい。ラジレイシアは、


「お姉さま!?」

「良いのですわ、あたくしのネリカ。あたくしを“爪”と知るのなら、ネリカの事情を知っているという事ですもの。虚偽を並べようと無意味ですわ」


 判を押したように彼女と同じ顔の少女に、フィーガスが呆気に取られて言葉を失っていた。揺れ動いた瞳が姉妹双方を捉えた後、みるみる気配が怒気を強めていき、ガツン、と蹄がバルコニーの床を叩く。


「それが本当なら、って事か?」


 心底嫌悪し吐き捨てる声は、低く淀んでいた。ライネリカは彼のその反応で、本当にライネリカ自身の事を知っているのだと確信し、唇を噛んで俯く。

 国母の事を知っているのなら、当然の反応だろう。

 

 ラジレイシアはゆるく首を振って、俯いた妹の短髪を優しく撫でる。


「そうですわね。ですが全ては、祖国の安寧を受け継げなかったあたくしのせいですの」


 エイロス国は古き時代から、豊かさを約束された国だ。その代償として、国母から生まれた姫には、明確な役割がある。だがラジレイシアが生まれた時、彼女はその役割を引き継げなかった。

 出来損ないの子供では、祖国の安寧は護れない。国王はラジレイシアを愛しているが、親子愛のみで国の一大事は免れないのだ。

 だからもう一度、国母に縋るしかなかった。そうして生まれたライネリカは、きちんと役割を持って誕生したのである。


「だからあたくしは“爪”を襲名したのですわ。愛するネリカに全てを背負わせて、あたくしが一人、のうのうと生きて老いるつもりはありませんもの」


 誰よりも、何よりも妹姫を慈しむ姉の言葉に、ライネリカは顔を上げた。ラジレイシアは美しく微笑んで、もう一度細腕に最愛を抱き締める。リンドウとバラが互いに顔を見合わせた後、姉妹姫の肩に、それぞれそっと手を添えた。

 いっそ痛ましいほどの結束に、白馬は何も言わないまま翼を震わせ、双眸を細める。ライネリカは暖かな抱擁の内側から、自身の婚約者を見つめ眉尻を下げた。


「……フィーガス弟王閣下。わたくしを分かっていらっしゃるのなら、婚姻も婚約も、神の国への輿入れも、無意味な事を理解していらっしゃるのでしょう? わたくしはいずれ己の全てを伴って、──死ぬ身なのですから」



 


 

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