第8話





 白馬の婚約者は次の日も、その次の日も、ライネリカの様子を窺いに来た。

 初めは流石に慌てふためいたものの、三日目ともなれば多少慣れるもので、──いや、慣れてたまるものかと、ライネリカは冷や汗をかきながら、今日も神の国の王を出迎える。

 彼はいつも、午後の日が高い時間に彼女の部屋を訪れる。正門から手順を踏まず、空から一直線にだ。同じ時間に訪問してくれるのは百歩譲って有り難いが、流石に毎日だと辟易してしまう。

 しかし親密になろうというフィーガスの考えは、嘘ではないようだった。

 同盟同士、相手を知らないのは気味が悪い。不敬にならない程度でライネリカが質問すれば、彼は快く答えてくれた。

 一番疑問に思ったのは“閣下”という敬称だ。

 世間一般の認識では、国王に“閣下”という敬称は使用しない。例えば大国では、王族直下の騎士や軍部司令官など、下位の者に使用することはあるが“国王閣下”とは言わなかった。

 細かい疑問だがと前置きして問えば、フィーガスは少し思案した後、自分は弟王という立場を煩わしく思っているのだと、そう口にした。


「僕には敬愛する兄様あにさまがいる。兄王として別の領地を治めているが、僕は彼の下で、臣下として働きたい。本当はな」

「出来ないのですか?」

「母が許さない。だからせめてもの抵抗に、僕は自分を閣下と呼ばせるんだ。兄様がいるのに陛下だなんて、恐れ多いだろ。僕には特攻隊長くらいがちょうどいい」


 言葉尻から、両親の確執が伺えた。フィーガスが王弟ではなく、弟王という立場なのも、それを助長しているように思う。

 案の定、彼の両親間はお世辞にも親密とは言えないらしい。父は兄王を、母は弟王をそれぞれ支援し、愛する対象の我が子の方が優れていると、あからさまに誇示しあっているのだそうだ。

 そのぶん兄弟の仲は良く、互いに助け合っているという。

 神の国も異国と言えど同じようなものかと、ライネリカは勝手な親近感が湧いた。姿形は違っても、思考回路は似ているということか。同盟相手としてあまりに価値観が違ったらどうしようと心配したが、少なくともフィーガスは大丈夫そうである。

 彼女が一人安堵している様子を尻目に、バルコニーの中央に陣取ったテーブルに座る人型の彼は、頬杖をついたまま意地悪く笑った。


「言っとくが、君が考えているほど、僕らの両親はお優しくないぞ」

「あ、あら?」

「父は兄様を利用して母の首を落とそうとするし、母は僕を利用して父の正妃を殺そうとするし、争いが絶えない」


 物騒な中に、更に頭痛がするような単語が聞こえた気がする。ライネリカは曖昧に笑って、この話題に関する探求はやめることにした。ただでさえ白馬と婚約させられたのだ、これ以上、余計な案件はごめん被りたい。

 

「わたくしとの同盟について、兄王陛下はなんとおっしゃってますの?」


 兄弟間が良いのなら、情報共有していてもおかしくない。ライネリカの問いにフィーガスは肩をすくめてみせた。


「実は、大国侵略に君の存在を利用する事に関しては、兄様は反対している」

「え……、そ、そうなんですの?」


 てっきり兄弟とも同じ思考かと思っていたのだが、どうやら兄王の考えは違うらしい。

 彼が言うに、大国シスボイリーとオージオテラサス兄弟王の思惑はそれとして、兄王はライネリカを、将来的に正式な弟王の妃として、神の国に迎え入れたい意向があるそうだ。なので未来の伴侶に対して不躾な行いはするなと、現状を報告したフィーガスは遠回しに牽制されたらしい。

 ライネリカが困惑したままでいれば、フィーガスは僅かに表情を和らげた。


「君を得たいとする考えに嘘は無い。君は華奢で可憐だし、そういう意味でも好みだとは思っている」

「はぁ……」

「だが前にも言った通り、今の状態では君を利用させてもらうのが、一番効率がいいんだ」


 それはそうだ、とライネリカも同意見である。

 顔も知らない兄王が尊重してくれるのは有り難いが、フィーガスの考えはまともだ。自国を守るために、多少の駆け引きや卑怯はツキモノである。

 それにライネリカ自身、異国への輿入れが引き伸ばされる現状に、とても安堵しているのは事実だ。加えて、同盟関係の持ちつ持たれつを維持しつつ、彼らの気が済んだら婚約も自然消滅してほしいと願っている。

 フィーガスは確かに優しいかもしれないが、本性は間違いなく白馬なのだ。


「……閣下、同盟関係が解消されたら、そのまま婚約もなかった事にはなりませんの?」

「それでも構わないが、つまり力ずくてさらってほしいと」

「ぶ、物騒ですわ! そうではなくて、だって、わたくし、その、……正直に申し上げれば、婚約も婚姻も異国に嫁ぐことも、意味が無いんですもの」


 ライネリカの主張に、フィーガスが瞠目する。そして何事か言葉にしようとした刹那、彼は頭上に視線を向けながら、腕を振り上げて上体を捻った。

 残像が消えきる前に、三又の槍が、彼の座っていた椅子を貫通する。悲鳴を上げたライネリカを、部屋とバルコニーを繋ぐ掃き出し窓の前で控えていた、バラとリンドウが支えた。

 突然の事態に驚き、突風を纏って翼の生えた白馬に戻ったフィーガスは、槍と共に落ちてきた少女を目に留める。そしてその表情を見つめ、小さく息をのんだ。


「……お……、お姉さま……」


 リンドウにすがっていたライネリカが、奇襲まがいで現れた人物に、ポツリと呟く。

 彼女は、──ライネリカと同じ顔の少女は、パープルブラウンの長髪をきっちりと結い上げて、編み込んだ髪型を乱しもせず、槍の柄に乗ったまま嫌悪の眼差しで白馬を見下ろしていた。

 



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