③師匠登場

 イハナはたてつけの悪くなったドアみたいな動きで、ぎぎぎと声のした方を振り向いた。


「し、師匠……」


 普段の彼女を知る者には、信じられないくらい震えた声でつぶやく。


「ししょう!?」


 ココハが思わず驚きの声をあげた。

 改めて声の主を見やる。


 初老の女性だった。

 髪は見事な白髪だったが、足腰はしっかりしていて、身なりもきちんと整っている。

 物腰は柔らかに見えるが、どこか威厳というか、逆らいがたいオーラみたいなものを感じる人だった。

 ココハにとっては、魔導学院のベテラン教師を彷彿させる雰囲気の持ち主だ。


 師匠、と呼ばれた女性はイハナをまっすぐ見つめていた。


「な、なんでここに師匠が……」

「小さな町です。賑やかなあなた達がやってくれば、私の耳にも届きますよ」

「わ、わざわざ出迎えていただかなくても……」

「今日の教室はちょうど昼終わったばかりですから。それとも、私に出向かれては何か不都合なことでも?」

「いえいえいえいえ、メッソウもない! ご足労ありがとうございます!」


 女性の声音は淡々と落ち着いたものだったが、対するイハナは借りてきた猫みたいに委縮しまくっていた。

 なんとはなく、はたで見ている他のイハナ隊の者たちやココハも、居住まいを正してしまう。


「お、お元気そうで何よりです、ガブリエラ師匠」

「ええ。おかげさまで変わりなく過ごしています。貴女は精進していますか?」

「え、え~っと、まあ、それなりに……。ぼちぼちと……」

「そうですか」


 にこりともせず、さりとて不機嫌そうでもなく、淡々とガブリエラと呼ばれた女性はイハナと言葉を交わしていた。


「では、さっそく、弾いていただけますか?」

「はっ? 弾くって……ご冗談でしょう、ガブリエラ師匠?」

「何が冗談なのですか?」


 逆に聞き返されて、イハナはぐっと言葉を詰まらせた。


「で、でも師匠。ここ街中ですし……」


 ガブリエラは、そっとため息をついた。

 ため息すら、どこか気品を感じる所作だった。


「この町に、路上で演奏するのをとがめる者など一人もいませんよ」

「け、けど隊員のみなもいるし……」

「人に聞かせて初めてそれは音楽となるのです。でなければ、決して上達しないと思いなさい」

「は、はい……」


 イハナの身体がどんどん小っちゃくなっていくような錯覚を抱く。

 五年間の学士時代、怒られるばかりの毎日だったココハは、自分まで胃が痛くなるような気がしていた。

 けど、イハナにもこんな面もあるのか、となんとなく親近感を覚えてもいた。


 そして、会話の内容から”ガブリエラ師匠”というのが、どういう人物なのかココハにも察しがつきはじめていた。

 なぜ、今日までイハナがため息ばかりついていたのかも……。


「じゃ、じゃあ、誰かあたしの……」

「隊長、どうぞ」


 言いかけたイハナに、フィトが何かを差し出した。

 いつの間に荷物から出したのか、それはイハナのギターだった。


「うぅ、こんな時に限ってめちゃくちゃ手際いいし……」

「ふだんから手際いいっすよ、俺」


 いまのイハナは、フィトの軽口に言い返す余裕すらないみたいだった。

 びっくりするくらいのろのろとした手つきで、ギターを受け取る。


「えっと、何を弾きましょう、師匠?」

「なんでも。あなたの得意な曲でかまいません」


 ガブリエラの口調はどこまでも淡々としていた。


「は、はい。では……」


 イハナは師の視線から逃れようとするかのように顔をうつむけ、ギターを構える。

 けど、そこからはさすがだった。

 一瞬で気持ちが切り替わるものなのか、ひとたび演奏を始めたイハナは、息をのむほどの集中力を見せた。

 

 夕暮れの広場に、甘く切ないメロディが響く。

 ココハは聞いたことのない曲だったが、なんとなく郷愁を誘われるような、不思議な懐かしさを覚える旋律だった。

 思わぬ形だったが、またイハナの演奏を聞けたことを嬉しく感じる。

 日が西に傾いたこの時間と、町の雰囲気にその音色はよく似合っていた。

 

 ――やっぱり上手だなぁ。

 と、ココハは素直に思っていたのだが……。


「…………」


 曲が終わった後も、ガブリエラは何も言わなかった。

 表情一つ変えず、イハナの方を見てすらいない。


「し、師匠……?」


 イハナがおそるおそる呼びかける。

 ガブリエラはイハナには何も言わず、隊員たちの方を向いた。

 やはりその表情は動かないままだ。


「エステバンさん、でしたね。この町には何日ほどお泊りに?」

「はっきりと決めているわけではありませんが、三日以上は確実かと……」


 問いの意図を聞くこともなく、エステバンは即座に返した。


「そのあいだ、あなた方の隊長をお借りしても?」


 静かだが、どこか有無を言わせない響きがあった。


「いやいや、困りますって師匠!」

「問題ありません」

「エステバあぁーン!」


 騒ぐイハナを無視して、ガブリエラは深々とエステバンに向けて頭を下げた。


「三日でどこまでモノになるか分かりませんが、やれるだけのことはやりましょう。いいですね、イハナ」

「え、えっとそれって、師匠の家に泊まりこむとかそういう……」

「分かっているようで安心です」

「ひいぃ~」


 ガブリエラはもう一度、一同に向けて深々と礼をした。


「では、お騒がせいたしました。これでわたくしたちは失礼いたします」

「たちって……。ちょっと、待って師匠。ししょう~!!」


 すたすたと歩き始めたガブリエラに、イハナが追いすがる。

 まるで見えない紐で引っ張られている飼い犬のようだった。


「まさか、よそで私の弟子だと言ったりしていないでしょうね」

「言ってません言ってません。言えるわけないじゃないですか!?」

「あなたにギターを教えてしまった私にも責任があります。せめて弟子と名乗れる程度には磨いてさしあげましょう」

「それはありがたいですけど……。ありがたいですけど~!」


 風に乗って、師弟のそんな会話が聞こえてくる。

 ココハがぽかーんと口を開けて見ているあいだに、ガブリエラに連れられたイハナの姿は広場の向こうに消えてしまった。


「ぷはあ。なんか俺たちまで息するの忘れてたぜ」

「ですねぇ。なんか教室で他の子が怒られてて、気まずい雰囲気になったりしたのを思い出しました」

「見たかよ、隊長のあの顔。ヤバかったな」

「ヘタに好奇心でギターなんて習っちまったもんだからなぁ」

「けど、ガブリエラさんも隊長のこと認めてるから、あんな厳しくできるんだろうなぁ」


 二人がいなくなった後。

 口々にざわつき始める隊員たちとココハ。


「さて、隊長が不在となったので、この町での組み合わせはいつもと少し変更する必要がある」

「エステバンさん、冷静過ぎてちょっと怖いです……」


 何事もなかったように言う副隊長のエステバン。

 ココハのぼそりと漏らしたつぶやきに、うんうんと他の隊員たちも首を振って同意していた。


「一番重要なのは、ココハさんの町歩きに誰が同伴するかだが……」

「一番どうでもいいことです! エステバンさん、マジメな顔してそれボケですか? ツッコミ待ちですか?」


 今度のココハの言葉には同意はなかった。

 他の隊員たちも「いや、大事大事」「隊長がいないとなるとなぁ」「どうしよう、隊長ほどうまく案内できる自信ないしなあ」とエステバン同様、真剣な顔でささやきあっている。


「いや、皆さん、隊商のお仕事……」


 ココハのツッコミに取り合う者は誰もいない。


「じゃあよ、副隊長さん。今回はオレがココハちゃんと一緒に楽しく町歩きするってのはどうだ?」

「あんた一人じゃココハちゃんが心配だよ。あたしも一緒に行っていいかい、副隊長さん?」


 そう名乗り出たのは、マリドとマドレーの夫婦だった。


「ふむ。二人が一緒なら安心だな。よし、任せよう。よろしく頼むぞ、マリド、マドレー」


 まるで難しい商取引の決定を下すみたいに、エステバンは重々しく命じた。

 夫婦の返事が唱和する。


「い、いいんですか、お二人とも。お仕事の方は?」

「へ~きへ~き。残りの連中がうまいことやってくれるさ」


 マリドはてのひらをぱたぱたと振り、気安く請け負う。


「ま、なんにせよ明日からだね。あたしは早く宿に入って水浴びしたいよ。ココハちゃんも今日は疲れたろうから、ゆっくりやすみな」

「あ、はい。よろしくお願いします。マリドさん、マドレーさん!」


 イハナがいなくなってしまったのは予想外だったが、これは他の隊員ともっと仲良くなれるチャンスかもしれない。

 ココハは二人に向けて、元気よくお辞儀した。

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ココハ魔導学士のかえりみち 倉名まさ @masa_kurana

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