②山の向こうへ
それは登山、というよりも山越えと呼ぶべき道だった。
「ココちゃんへいき~、ついてきてる~?」
「はぁはぁはぁ、は、はい~。なんとか~」
モンターニャの町は山上にあるわけではなく、高い山脈を越えた先に広がっているらしい。海に面していることからも分かる通り、むしろ、標高としては低地にある。
そこに至るためには、山脈を縫うように続く尾根道を踏破しなくてはならない。
登ったと思ったら直後に同じだけのくだり道があり、まっすぐ前に進めず、ほとんど折り返すように曲がりくねった道もある。
なかなか目標に近づいている実感が湧かず、気持ちが砕かれそうな道だった。
まだこの国が王国として一つに統一される前は、山脈が外敵を防ぐ天然の要害の役目を果たしていたらしい。
イハナ隊の面々にとってすら決して楽な道のりではないようだ。
ココハを守りつつ、互いに励まし合いながら少しずつ進んでいく。
こんな道で騎鳥に乗ると、上下の揺れが激しすぎてかえって疲れ、危険でもあるらしい。
ただでさえ険しい道を、荷を背に進んでいるのに、人が乗ろうとすれば気難しい騎鳥に振り落とされる可能性すらあるという。
遥か眼前にかすんで見える、崖下の海を見下ろしながら、ココハはぞっと背筋を震わせた。
「ん~、悪くないペース。この分なら日が暮れる前に着けるから、焦らず行くわよ」
イハナはすっかり頭を切り替えたらしい。
難路を進みながら、堂々たる声で隊員達に指示を飛ばし、ココハへの気遣いも忘れない。
ココハもイハナたちを信頼しているからこそ、弱音も吐かず彼らについてこれていた。
もし、いま一人旅でくだんの町を訪れようとしていたなら、とっくに心折れていたことだろう。
「さあ、気合い入れてくよ、せーの!」
時には狭い曲がり道で騎鳥の引く馬車を皆で押し、時には手を取り合って岩場を越えて、山脈を縫いイハナ隊は町を目指す。
行けぬ地なし、と言われる彼らの本領発揮だった。
ココハもお客さん気分は捨て、皆と協力して山路を踏み越えてゆく。
「よしっ、ここらでちょっと休憩!」
少し傾斜のゆるやかになったあたりで、イハナは宣言した。
縦隊を守ったまま、一同はその場に腰を下ろす。
「ふぅ~」
木の根に腰を下ろすと、ココハは大きく息をついた。
さすがに息が弾み、全身汗だくだった。
もう少し休憩に入るのが遅くなっていたら、イハナ隊のみなに付いていけなくなっていたかもしれない。
きっと、イハナもそんなココハの様子に気づいたのだろう。
「よくがんばってるね、ココハちゃん」
マドレーがやってきて、ココハに声をかけた。
「騎鳥の上でがちがちになって降りれなかったのと同じ子とは思えないわ」
「ちょっ、マドレーさん。あの時のことは言いっこなしですよ!」
息も整いきらないまま、ココハは抗議の声をあげた。
マドレーは笑ってそれを流し、水筒を差し出す。
「ほら、砂糖たっぷりのお茶だよ。高地じゃ頭がぼーっとするからね。甘いもん口にするのが一番さ」
「ありがとうございます」
受け取ってゆっくり飲む。
普段なら甘すぎるくらいな量の砂糖が、疲れた頭と全身に染みわたっていくみたいだった。
マドレーは他の隊員たちにも声をかけ、ビスケットなどを手渡したりしていた。
大柄な身体で山岳の尾根道はキツいだろうと思うけど、疲れている様子は微塵も見せない。
「よしっ、わたしもがんばらないと」
息が整うと、険しいながらもすがすがしい周囲の光景を眺めるだけの余裕もできた。
標高自体はそこまで高くなく、緑葉樹が生い茂っている。
強い日差しの日中でも木陰の道はかなり涼しかった。
どこかから、山脈のあいだを流れる川のせせらぎの音が聞こえてくる。
鳴きかわす鳥や虫の声も、大都市サラマンドラでは聞けないにぎやかなものだった。
休憩はほんの少しの間で終わった。
あまり長く休んでは身体が冷えるし、かえって動けなくなる。
目的地に着くまでは、ふんばるしかなかった。
ココハも改めて気合いを入れ直し、がんばってみなに付いていった。
◇◆◇
そして、イハナが言った通り、日が西に傾いたものの、まだ沈む前に――、
彼らはとうとうモンターニャの町に辿り着いた。
「おお~」
眼前に広がる光景に感嘆の声をあげたのは、ココハだけではなかった。
それは別天地とも表現したくなるような景色だった。
山脈の道を抜けた途端、視界が一気に開けた。
山々に囲まれた大地と、街並み。そして青い海。
それらが一望の元に見渡せた。
モンターニャの町は、海から山裾にかけて縦に大きく広がっていた。
町の建物は白塗りで、西日を受けて優しい橙色を作り出している。
段々になっている斜面には、ヤシの木がたくさん植えられていて、目にも涼しげだ。
海も陽の光を照り返し、宝石のように照り輝いている。
画家が「楽園」を題材にして絵を描いても、カンヴァスに到底収まりきらない光景が、目の前には広がっていた。
日の光すら他で見るより美しく見える。
後でエステバンがココハに語ったところによると、それは決してココハの錯覚ではないらしい。
山向こうにある町一帯は、一年を通して降雨量が少なく、いつでも晴れ渡って日の光も輝いているらしい。
それでいて、山脈を渡る風は存外涼やかで、平野部の町に比べて体感温度は低いそうだ。
陸から来ようと思ったら険しい山道を越えなければならないこの地に、なぜ歴史上様々な民族がやってきては町を発展させたか、よく分かる。
一度この光景に魅せられたなら、どんな艱難辛苦を経ても辿り着きたいと思うことだろう。
「や~、苦労してきたカイがあるってもんすね」
若い隊員フィトがしみじみと言う。
「感慨にふけるのはまだ早いわよ。日が暮れるまでに、早いとこ町の中に入って、宿取りましょ」
イハナの言葉に、隊員一同声を上げてうなずき返した。
町の門に至るまでにはもう少し歩かねばならないが、まばゆい光景を前に、みなの足取りは自然と軽くなっていた。
「へい、イハナ達じゃないか!? よく来てくれたな、アミーゴ!」
門まで着くと、さっそくウワサに聞いていた陽気な声に出迎えられる。
その呼びかけでさえ、歌っているような抑揚があった。
「久しぶり~、カルロ。元気してた?」
答えるイハナも、もちろん陽気さなら負けてない。
町に着くまでの苦労なんてまったくなかったように笑いかけ、いつものように門番の男に抱きついていた。
カルロというその人物は、身体的にはこれと言った特徴のない中年の男だが、深く刻まれた笑いじわが印象的だった。
「当り前さ。よく言うだろう、モンターニャが歌わなくなったら世界が滅ぶ、ってな」
「それを聞いて何より! みんなのために色々仕入れてきたわよ~」
そんな会話を交わしながら、イハナたちはつつがなく手続きを終えた。
細かなことにこだわらないこの町の手続きは、よそよりずっと早く終わるそうだ。
そもそも、海側はともかく、山を越えて町へやってくる者たちの頻度もあまり高くないのだろう。
ラスカラスの町の時と違って、騎鳥も馬車もそのまま町の中に入れて大丈夫だった。
門から少し離れた広場で、イハナは隊員全員に指示をくだしていく。
「おっし、まずは何を置いても宿の確保ね。さっきカルロから聞いた感じ、あたしらの他に大規模な団体はいまあんまいないみたいだから、だいじょうぶだと思うけど。で、明日からはいつもの分担で。あたしはココちゃんと一緒に町を回るからよろしく~」
「よろしくお願いします、イハナさん!」
もうココハもそれについて、一々異を唱えなくなっていた。
が、話がまとまりかけた時、一行に呼びかける声があった。
「相変わらず賑やかね、イハナ。ちょっといいかしら」
その声を聞いた瞬間、イハナはぎくりと肩をこわばらせた。
その目は泳ぎ、明らかに動揺している様子だった。
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