第6話 手繋ぎ

 帰り道。

 部活を終え、くたびれた体で帰路につく。


「ハルさん、お疲れ様っした!」


「おー、またなー」


 春先で陽が沈むのが遅くなったとは言え、さすがにこの時間になるとだいぶ暗い。

 夕陽も沈みかけているし、空にはちらほら星も見える。


 教科書とトレーニングウェアが入った鞄を持ってゆっくり歩く。

 春先の緩やかな風が練習で火照った体を冷ませてくれる。

 俺はこの季節が割と好きだ。


 歩いていると、中学の前を通りかかった際、目の前に見覚えのある後姿を見つけた。

 一瞬気のせいかと思ったが、間違いない。


「水樹!」


 俺が呼びかけると、目の前の人物は振り返る。

 やっぱ水樹か。


「ハルにぃ」


「今帰りか。ずいぶん遅いんだな」


「教室で友達と話しこんじゃった」


「へぇ、友達出来たのか」


 すると水樹は嬉しそうにVサインをした。

 こうしてみると普通の女の子だな。

 ふだん小生意気とは言え、多少心配していたのでほっと胸を撫でおろす。


「どんな子なんだ?」


「私とウマが合うんだー」


「お前と? じゃあよっぽど寛大な奴だな」


「どういう意味!?」


「冗談だよ」


 するとなぜか水樹は意地悪っぽい笑みを浮かべた。


「ふふぅん? ハルにぃも余裕ぶってられるのは今のうちだよぉ? ハルにぃの自尊心、そのうちバッキバキになっちゃうかもねぇ」


「あ? 何だよそれ」


「さーねぇ? あー、楽しみだなぁ。ハルにぃがますますザコザコのヨワヨワになるの。その時は私に甘えて良いよー。頭なでなでしてあげるね」


「バカ言え」


 何だか不穏な気配がする発言だ。

 まぁ、今は深く考えるべきではないだろう。


 すると、不意に水樹の手が俺の手にぶつかった。

 一度だけじゃない。

 さっきから何度も、水樹の手が俺の手にぶつかってくる。


 俺はかなり身長が高く、一八〇センチ以上はある。

 一方で水樹はかなり小さい。

 恐らくは一五〇センチ程度。

 普通に考えたら、手がぶつかるはずもないのだが。


「何やってんだよ、水樹。さっきから人の手をバシバシ叩きやがって」


「別に叩いてないよー? 私が手振りながら歩いてたら、そこにハルにぃの手があるだけじゃん」


 そこで水樹は、いつものいたずら小僧のような笑みを浮かべた。


「あっ? もしかしてハルにぃ、水樹ちゃんと手ぇ繋ぎたいのぉ? 暗闇で人がいないからって、相変わらずエロエロなんだぁ」


「バカ言え。ガキじゃねーんだし、手なんか繋ぐかよ」


「あー……そうなんだぁ」


 あからさまに水樹の声のトーンが落ちる。

 そんな顔されたらこっちが悪いみたいじゃねぇか。


「あぁ、もうわかったよ!」


 馬鹿にされるのを承知で水樹の手を掴むと「ひゃっ」と小さく声が上がる。

 握った水樹の手は、思った以上に冷たかった。


「ほ、ほらぁ。やっぱりハルにぃ繋ぎたかったんだぁ?」


「お前が寂しそうな声出すからだろ」


「別に出してないもーん」


「こいつ……」


 文句を言おうかと思ったが、不毛な争いになる気がして言葉を飲み込む。


「……お前、手ぇ冷たいのな」


「ハルにぃの手は、温かいね。昔と違ってゴツゴツしてる」


「そう言や昔も、こうやって手ぇ繋いだっけ」


「あの時もハルにぃ、私と手繋ぎたがってたよねー?」


「小学生の頃だけどな。繋がないとお前が泣くからだろ」


「な、泣いてなんかない!」


「まさか高三になってまで手ぇ繋ぐことになるなんてな」


 幼い時の延長みたいなもんか。

 なんだかんだ言って、まだまだあの時から変わってないんだな。



 そう思ってると、不意に水樹が「ねぇ、ハルにぃ」と声を出す。



「ちょっとさ、別の繋ぎ方しようよ」


「あっ? 別の繋ぎ方?」


 意味が分からない。

 すると水樹は、俺の指の間に自分の指を差し込んできた。

 お互いの指が絡み合う。

 この繋ぎ方は……。


「お前これ、恋人繋ぎじゃねーか!」


「あっ、照れてるんだやっぱりぃ? 意識しちゃうよねぇ?」


「マセたことすんなっつってんだよ」


「でもそんなこと言ってハルにぃ、手汗ベタベタだよ? きもーい」


「どう見てもお前だろそれ……」


 この年代になるとそう言うのが気になるのか、水樹はギュッと手を握ってくる。

 最初はただの幼少時代の延長だと思っていた俺も、指の隙間に差し込む感覚に徐々にむず痒さを覚えた。


 黙って歩くと、何故か水樹も言葉を発さなくなった。

 気まずいような、そうでないような、微妙な空気が流れる。


 チラリと水樹を見ると、水樹は耳まで真っ赤にしたまま地面を見ていた。

 こいつ、散々人のことからかった割には、自分で照れてやがる。

 予期せぬ女の子らしい反応に、俺まで恥ずかしくなってきた。


 新しい学校はどうだとか、勉強はしてんのかとか。

 ごまかすように、他愛もない話を投げかける。


 何だか妙に心臓が高鳴った。

 鼓動音が水樹に聞かれちまいそうだ。


 ……何で意識してんだ俺は。

 こいつは俺の、妹分だぞ。


 やがてようやく水樹の家が見えてくる。

 家の前まで来ると、ちょうど尚弥が出てくるところだった。

 そこで水樹はパッと手を放す。


「えへへ、もうおーしまい。ガッカリしちゃった?」


「してねーよ」


 いつものテンションで来てくれて、何だか安堵の笑みが浮かぶ。

 そんな俺たちの微妙な空気にも気づかず、「良かった水樹。遅いから心配してたんだよ」と尚弥が近づいてきた。


「迎えに行こうかと思ってたんだ」


「お兄ちゃんは心配性すぎ! じゃあねぇ、よわよわハルにぃ」


「お前、その形容詞いちいちつけるのどうにかしろ」


 家の中に水樹が入るのを見届ける。

 何だか肩が凝ったなと思っていると、何故か尚弥だけ俺の前に立っていた。


「どうした、尚弥」


「何だか、変わんないなと思って。ハルにぃは」


「そうかぁ?」


「水樹、前の学校ではハルにぃと離れたのが寂しかったのか、ふさぎ込んじゃった時期があったんだよね。それが今じゃ、嘘みたいに元気だから」


「全然見えなかったけどな……」


 むしろその逆にすら思えた。

 あんな活発な奴がふさぎ込んでいる姿は、ちょっと想像がつかない。


「ハルにぃは良い意味で、昔と全然変わってない。僕らの頼れる兄さんだ。だから多分、水樹はハルにぃに甘えてるんだと思う」


「あれ、甘えてたのか……」


 思わず苦笑する。

 でも、そうか。

 あいつもあいつなりに、色々あったんだな。


「大丈夫だ、尚弥。今は俺がすぐそばにいるんだからよ。お前らに何かあったら、いつでも俺が助けてやるよ」


「……そうだね。ありがとう、ハルにぃ」


 尚弥は静かに笑った。

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