第5話 夜の学校③

窓ガラスを雨が叩きつける音と風の走り去る残響だけが優の耳に届く。

 繋いだ手から結衣の脈拍が細かく伝わってきて共鳴するように自分の鼓動が早くなるのが分かる。

 結衣の手を引いて保健室へと先導する優は自分の手汗を気にしながら無言で歩いた。緊張をしているのではなく流行などに疎い優は話題を持ち合わせていなかったのだ。


「尼乃くんは……怖いものないんですか?」


 何の脈絡もなく不意に切り出された質問に優は意外に冷静に受け答えをした。


「あるよ……。まあ、トラウマかな」

「虎と馬が怖いんですか?」


 真面目な表情でポンコツな返しをする結衣を鼻で笑いながら否定する。

 全くもって受け狙いでないのは声のトーンと険しい表情で判別をつけられた。


「違う違う、そうじゃない。嫌な思い出がフラッシュバックすることくらいあるだろ?」

「ああ――それは……トラウマですね」

「だからそう言ってるよね!?」


 二人の心からの笑い声は廊下の端まで伝わって雨の音の中に溶けていく。別棟から別棟へと渡り、本校舎まではお世辞でも短い距離だとは言えないが、優にとっては一瞬のように感じる。楽しい時間はあっという間に消え伏せてしまう。そんな当たり前を今日だけは憎いと思えた。

 集合玄関の前を通り過ぎて、保健室が目前のところで優は足を止める。

 今更ながらに優はあることに気付いてしまった。


「あ、保健室って最後は鍵を締めるんだっけ?」

「はい、養護教諭の高橋先生がいつも戸締まりをして帰られますけど……?」

「追加で質問だけど、もちろん職員室も戸締まりされてるよな?」

「当たり前です。学校は個人情報の塊みたいな物ですから戸締まりは厳重なはずです」

「だよな……。じゃあ保健室には入れな――」


 入れないよな。と言いかけた優の声は結衣の一言によって遮られる。

 優が手を引くようにして少しだけ斜め後ろを歩いていた結衣は、優の一歩前に出てから悪戯が成功した子供のように目を細め、口角を上げた。


「入れますよ?」

「え……?」

「私、高橋先生のスペアの場所知ってますよ?」


いつもの聖女様の風格はどこにも見当たらない。

 ただ目の前には一人の小悪魔がいる。

 昼間は聖女様の仮面を被って皆の信頼を得ているが、本当の彼女はそんな清廉な者ではない。


「高橋先生が『辛いことがあればいつでも来ていいのよ』って教えて下さったんです」


 保健室向かいの柱に掛かった掲示板の裏に手を入れると一つの鍵を取り出した。


「マジか……。それ俺に場所教えて良かったのか?」

「ああ!そうでした……。でも、尼乃くんなら悪用したりしませんよね?」


 やってしまったことをなかったことにはできないからと開き直る結衣の姿に頭を抱えながらもまた口元が緩む。


「まあ……どうだろうな?一つ言えるのは薬物乱用はダメ、ゼッタイだな」

「しっかりしてますね。昼間とは大違いです」

「ほっとけ、今が深夜テンションなだけだ」

「まだ八時過ぎですよ?」

「そういう意味じゃないから」


 普段からしっかりとしているが、どこか抜けている一面を目の当たりにして親近感を覚える。

 完璧な人間は存在しない。どこかに欠点、コンプレックス、悩みがあって苦しみながら生きている。

 昔読んだ本の冒頭にあった言葉だが、今ならその意味が分かる。

 彼女もまた一人の人間なのだと改めて思う。


「真っ暗な夜の保健室ってなんだか怖いね……」


 保健室の扉を解錠して中に入った結衣は小さく呟く。


「そうだな……学校の怪談でもするか?」

「もぉ――意地悪言わないで下さい」

「ごめんごめん、とりあえず電気付けよっか。そしたら怖くなくなるだろ?」


 結衣に軽い平謝りをして窓の外から漏れ出す微細な光を頼りに照明のスイッチを探した。

 保健室にはあまり入らない優はスイッチの場所を覚えておらず、文字通りに暗中模索する。


「もうちょっと下の方にあると思いますよ」


 結衣のスイッチの場所を助言する声が耳元で聞こえて優はまた即座に振り向く。暗さに大方慣れてきた目は結衣の輪郭をようやく捉えた。結衣は一歩歩けば身体が当たってしまうくらいに近くに居る。


「ち、近いから」

「すみません、前が見えなかったもので……」

「すぐそこにソファがあっただろ?座って待って」


 優はそう進言したが、結衣からは返事はなく服の端を掴んで黙っている。

 暗いのが思っていた以上に怖いのだろうと考えて再びスイッチの場所を探そうとしたが、すぐに手が止まってしまった。


「い、今は……尼乃くんから離れたくないです」


 脈拍がまた早くなるのを感じたが、煩悩を振り払うかの如く、頭を左右にブンブンと振る。

 結衣にその気はないと頭で分かっていながら考えてしまう有り得ない可能性に惑わされていると稲光の閃光が窓から入ってきた。その瞬間にスイッチの場所を確認した優は急いで電源を入れようと手を伸ばしたが、不意に後ろから背中に飛び付いてきた結衣によってバランスを崩す。

バランスを崩した瞬間に優は咄嗟を目を閉じた。

 

「痛い……。後ろから何のつもり……だ?」


 倒れたまま目を開けると照明に明かりが灯っている。重みを感じて下を向くと優の胸に顔をうずめた結衣が服を軽く掴んで小さく震えていた。

 ジャージ一枚越しに伝わる温かさと柔らかさが理性を刺激したが、雷を怖がったのだと冷静に判断を下した脳がすぐに揺れる感情を鎮める。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 そう小さく呟いているが優に宛ての物ではないのだとすぐに分かった。どうすればいいのか分からなかったがこのまま動かない訳にも行かない。


「もう怖くないから安心してくれ。大丈夫だから……大丈夫だから」


 結衣の頭を軽く撫でながら落ち着かせようと試みる。普段から手入れを欠かしていないからか髪は見た目通りの滑らかな触り心地だった。

 数分程で結衣の様子も落ち着いたようで顔を上げる。シャツは少しだけ濡れていたが、結衣の表情は強がっているのだと簡単に分かる下手くそな笑顔を浮かべていた。


「ありがとうございます。怪我とかありませんでしたか?」

「そうだな、慰謝料一千億円もらおうかな?

「一千億円……ですか?うぅ――ちょっとずつ頑張ります」

「いや、真に受けないでいいから!」


 そしてまた二人で笑い合った。

 結衣にどんな過去があったのかは分からないが、何かを今も抱え込んでいるのはすぐに分かった。しかし結衣の力になろうとは考えることはできなかった。

 

 自分自身の過去とも向き合えない。そんな自分が他人の過去と向き合う為の手助けなど絶対にできないのだと。

 自分自身が一番よく理解しているからだ。


 ――――――――――――――――――――

 かいむぅです。

 更新が遅れました。すいません(;_;)


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捻くれ者の自称モブAは聖女様に出逢う。 廻夢 @kaimu_kaku

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