第4話 夜の学校②

薄暗くなった夜の学校は昼間の賑わいを思い出すかのように淀んでいる。

 今は七月の中旬辺り。ある物が上陸して毎度のように各地に甚大な被害を齎す自然災害。


「なるほど……台風が来ていたのか」

 

 トウィッターのトレンドを確認すると『#台風進路』や『#台風大丈夫?』、『#休校』のタグで溢れ返っていた。

 思い出してみれば数日前からニュース番組でも報道されていた気もするが、ここまで綺麗さっぱり忘れていたと思うと怖くもなってくる。

 教室に戻って置いて帰るつもりだった体操服とジャージ一式を手に抱えて結衣の元へ戻る。

 優も何となく自分の無事と心にもない心配を呟いてみてからポケットに仕舞う。その際にメッセージが一件入っていたが、気が付かないふりをして電源を落とした。

 

 「とりあえず着替えは置いとくよ。タオルはシャワー室に常備してある物を使ってくれ」

 

 扉の脇に体操服とジャージ一式を置いて立ち去ろうとしたが、結衣に声をかけられて足を止めた。


 「そのまま渡してくれませんか?」


 無防備を晒そうとする結衣は曇ったガラス扉を少しだけ開いて手を伸ばす。

 ガラス越しでもタオルを巻いた豊満な身体のラインが浮かび上がっているが、全く気にする様子もない。

 気にしていないのではなく、気が回っていない、どこか抜けているのだと優も何となく分かるようになってきた。

 放っておけばそう遠くないうちに食われてしまうかもしれないが優にとってはどうでもいいことだ。


 だって雛屋結衣は赤の他人。


 元を正せば優が世話をする必要性は皆無。

 一般的な道徳心、『物が壊れたら悲しい』だとか『困っている人が居たら助ける』だとかは持ち合わせている。

 そして今回はもう結衣を助けた。だったらもう関わる必要もないだろう。

 もし食われて嬲られようと関係ない。自分の身を自分で護っていけない奴は潰れていくだけだ。


「そこまでの世話をしてやる義理はない。僕もシャワーを浴びたいから後は好きにすればいいよ」

「尼乃くん……?」

「じゃあな。着替えは来週くらいにロッカーに入れといてくれればいいから」


 優は返答を聞く前にその場を去り、もう一つのシャワー室がある少し離れた別棟に向かった。


 少し古くなったお湯の蛇口を捻り、温かさを手で加減しながら真水の蛇口を捻る。

 調度良い温かさと水量になってから頭から被った。

 

 これ以上、気にかける必要はない。

 今、この学校には自分だけが取り残されているという新しい事実を錯覚させればいつも通りで居られる。

 そうやって新しく芽生えてきた邪魔な感情や期待の芽を摘み取っていく。ほんの一瞬の緩みが期待という種を蒔かせてしまった。

 僕がこれから歩く道は茨道でも凸凹道でもない。木や草が今後一生、生えることのない砂漠道。独りで生きていくならそれくらいが性に合っている。

 そもそもの話。この学校の聖女様がこんな根暗なぼっちと関わりたいと思う訳がないんだ。あれは僕を陥れる為の罠だったに違いない。違いないんだ。


「はははっ……ほんとに僕は馬鹿だな」


 壁のザラついたタイルは触るとひんやり冷たい。

 優は額を壁にくっつける。


「少しはこれで冷静になれ……」


 濡れた髪から垂れ落ちた水滴はやがて目の中に入って頬を伝う。訳が分からなくなった感情を落ち着かせるのに本当に少しだけ、五分だけ時間を要した。



 :')



「よし、もう大丈夫」


 小言を呟きながら頬を軽く叩く。

 長く伸ばした前髪を乾かしながら額の古傷を撫でるように触る。

 

 人にはそれぞれの過去がある。記憶の全てが人を動かす原動力になるとは限らない。未来への希望や忘れたくない憧憬や果たすべき復讐。

 数えあげればキリがないが、その全てが自分という人格を形成してきた軌跡なのだ。

 だから無かったことになんてならない。忘れて消し去ってしまうことも叶わない。


 そうやって色々なことが尼乃優という捻くれた人間を形作っていった。

 そうやって色々なことが雛屋結衣というある意味で八方美人の人間を形作っていった。


 この古傷はまだ小さかった頃、まだ純粋で自分と他人に期待をしていた時に叔母さんから付けられたものだ。

 ドライヤーの電源を落として元あった場所へ仕舞う。先刻まで着ていたカッターシャツに腕を通して着替え終わって出ようとした瞬間、稲光がシャワー室の窓を二つに割く。


 近くに落ちたような地鳴らしが響くと同時に廊下の方から小さな悲鳴が聞こえてきた。

 ドアノブに手をかけて外を見てみれば見覚えのある、最近よく会う彼女が耳を両手で塞いで独り蹲っていた。


「どうしたんだ?そんな今にも泣き出しそうな――」


 結衣は話も聞かずに優に抱きつく。

 温かく柔らかな物がお腹の辺りでダイレクトに感じる。

 優はまた理解ができず、その場で固まってしまったが今回は結衣の行動の意思が伝わった。


「もしかして雷が怖いのか?」


 結衣が優の背中まで回した手と受け止めている身体は酷く震えていた。稲光が外で見える度に肩がビクンと反応する。

 本当に今にも泣き出してしまいそうな結衣の姿から聖女様なんて異名は聞こえてこない。彼女もまた同じ人間であり、決して完璧な存在ではないのだと初めて思えた。

 優はまた結衣に気を許していた。当の本人は全く気が付かないうちに優しさだけで結衣に手を差し伸べていた。

 それはまるで昼休みの結衣のように。


「そうか……怖かったよな。でも、もう大丈夫。今日は僕が傍に居るから安心していいよ」


 騙されているのかもしれない。

 そんな捻くれた感情は自然と浮かんでこなかった。

 ただ、目の前で震えている女の子に何もしてあげないことこそが自分を許せなくなりそうだったのだ。

 もう二度とは会うことは叶わない母親からの願い。


 『優しい子になってね。そして世界で一番幸せになってね……』


 世界一幸せになれるかは分からない。今のままでは一歩も踏み出せそうにない。

 だが、今はそれでいいんだ。捻くれたままでも優しさだけは育てていける。


「ありがとう……尼乃くんが居てくれて本当に良かった……」


 薄暗い学校の廊下を二人は歩き出す。

 優の心も少しずつ成長していく。凍ったままの感情が少しずつ溶け出して、少しだけ遅い春を呼ぶ。

 雨と風が強さを増すばかり。夜は少しずつ深くなる。


―――――――――――――――――――――

 かいむです。

 更新が遅れてしまい申し訳ございません🙇‍♀️

 今後は頑張るぞいو( ˙꒳˙ )٩

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