第7話 二人だけの世界
地下十階は、柱ばかりの広い空間だった。
「あそこです」
エルフの青年が指差した壁にはポッカリと外への口が開いている。
二人は周りを飛ぶ精霊たちと共に迷宮を出た。
すぐに狭い砂浜があった。
振り返ると、海岸ギリギリに自分たちが出て来た古い石壁の塔が建っている。
「これは砦の中と外への通路なのね」
魔術師の女性が言う通り、森の奥にあった砦から、この海岸に出る十階の塔は元はただの通路だった。
迷宮のように見えるが、それは所々に倉庫や休憩室があったせいだ。
元々は、この海岸のほうが入り口だったのである。
「ええ、戦争時はここに海はありませんでしたから」
上にある砦内の建物がこの塔の出口になっていた。
二百年の間に魔獣が棲みつき、簡単に往来出来なくなってしまっている。
「今は秘密の抜け道として使われています」
主に、この青年が迷い人たちを逃すための。
エルフの青年は魔術師の女性に多少の荷物を渡す。
「これは差し上げます」
「えっと、はい」
青年は茂みに分け入り、しばらくして一艘の小舟を曳いてきた。
細長い舟は、せいぜい二人か三人が乗れる程度の大きさ。
波打ち際まで行くと青年は振り返って女性を手招きした。
「そろそろ渦が消える時間です。 間に合って良かった」
青年がニコリと微笑んで、女性に手を差し出す。
女性は思わず青年の手を取り、恐る恐る舟に乗る。
こんな小さな舟は初めてだ。
「大丈夫。 動かすのは精霊たちですから」
転覆の心配は不要らしい。
女性は苦笑した。
「向こう岸に見える森の中に獣人族の村があります。
そこに連絡済みなので、岸に着いて、しばらく待っていれば迎えが来てくれるでしょう」
小さな舟は岸を離れた。
二人は舟の中程に向かい合って座っている。
「あのー、私、まだ他国へ行くとは言ってないんだけど」
魔術師の女性の言葉にエルフの青年は笑顔でとぼける。
「そうでしたっけ」
彼は、どうやら女性を元の国に返したくなかったようだ。
また敵の餌にされるくらいなら逃げて欲しいと、勝手に決めてしまった。
「兵士の一人くらい行方不明にしておけば良いでしょう?」
そんな青年の言葉に女性は顔を顰める。
森で捕まった兵士たちが軍に戻ってどんな報告をするか分からない。
「脱走兵にされると家族に迷惑が掛かるわ」
「あー」
青年は家族というものがよく分からない。
「落ち着いたら手紙でも出せば良いと思いますよ」
顔を背けて、そう言った。
舟は緩々と静かな波の間を流れるように進んで行く。
舟体を黄色の精霊が守り、青い精霊が波を操って舟を動かしていた。
赤い精霊と緑の精霊が協力して、暖かい風で二人を包んでいる。
やがて対岸の桟橋に着くと、エルフの青年は荷物を抱えた魔術師の女性を舟から降ろす。
「ああ、迎えが来たみたいですね」
森から何かが近寄って来る気配がした。
「では、お元気で」
青年を乗せた舟が岸を離れる。
女性に背を向けたまま、青年は軽く手を振っただけで振り返りはしない。
「ま、待って!」
女性は気付くと大声を上げていた。
しかし、青年は前を向いたままだった。
「待てって言ってるでしょー!」
ザブンッと水音がして、さすがにエルフの青年は振り返る。
見事な泳ぎで魔術師の女性が追って来た。
まだ岸からそう離れてはいないので、すぐに彼女の手が舟に届く。
「な、なにやってるんですか!。 渦が戻り始めてるんですよ」
青年が叫ぶ。
波がざわつき始めていた。
精霊たちが手を貸し、女性が舟に乗り込む。
「やっぱり、どう考えても違うわ。 私のことをあなたが勝手に決めないで!」
女性は精霊たちに身体を乾かしてもらいながら、青年に詰め寄る。
多少舟が揺れても精霊たちが守っているので問題は無い。
これからの自分の行き先をどうするのか。
「私、決めたわ」
魔術師の女性の顔が近い。 ゴクリとエルフの青年が息を呑んだ。
「私にとって、今一番、安全な場所。 それは『あなた』の傍だわ」
女性は何故かスッキリとした表情である。
「えっ、俺?」
女性は頷く。
「魔獣から守ってくれて、エルフや他の兵士たちからも身を隠せる。
しかも美味しい食事付き。
私からすれば結構良い物件だと思うのよね」
「ぶ、ぶっけん……」
貸家ではないのだが、と青年は呟いた。
舟は元の砂浜に戻って来た。
対岸に向かった時より速かったのは、渦が迫っていたからなのか。
それとも、本当は彼女を他国へ渡したくなかった青年の気持ちを精霊たちが察したからなのか。
相変わらず自分の気持ちは精霊たちには筒抜けだと青年は一人で苦笑した。
すぐ傍に迷宮の塔への入り口がある。
舟を降り、魔術師の女性はエルフの青年の腕を掴んで歩き出す。
「行きましょう、あなたの家に」
「は?、一緒に住む気なのか」
青年は唖然として立ち止まる。
「当たり前でしょ。
そうね。 一生、とは言わないけど責任はとってもらおうかしら」
六階の隠し部屋を思い出し、青年の顔がボッと赤くなった。
「だって、あの部屋は『子作り用』なんでしょう?」
シラッと女性が痛いところを突く。
「あー」
青年は子供が出来た可能性があると気付き、片手で顔を隠した。
「少し待ってて下さい」
青年は舟を片付けながら、何やら精霊たちと話し始めた。
戻って来たエルフの青年は、魔術師の女性の前に片膝をつく。
「分かりました、責任は取ります。
人族の一生などエルフ族からすれば一瞬のようなものですから。
精霊たちにも許可はとりました」
「それは良かったわ」
女性は精霊たちにも微笑む。
「こんな俺でもあなたが必要だというなら、傍にいましょう」
女性が途中で嫌だと言い出したら、その時はその時だ。
女性は青年を立たせ、真っ直ぐに目を見る。
「好きとか、愛してるとか、そんなことはまだ分からないけど。
私はあなたの傍が今までで一番、心地良かったわ」
出会ってから、まだほんの短い時間。
それでも、今まで感じたことのなかった安心感があった。
「俺はあなたに出会って……ずっと、ドキドキしてハラハラして、苦しかった」
青年は顔を歪ませながら女性を抱き締める。
「だけど、離したくない」
ウフフと女性が笑う。
「それじゃ、とりあえず帰りましょう。 私たちの家に」
二人は手を繋ぎ、精霊たちに守られながら塔に戻る。
途中、六階の部屋で休憩したのは仕方ないことだった。
『聖域』の洞に戻り、二人は守護者であるトレントの王に一緒に暮らす許可を求めた。
盛大に葉を揺らし、トレントたちは二人を祝福してくれる。
「あら、これは?」
いつの間にか、魔術師の女性の指にトレントの魔力を帯びた木の指輪が嵌っている。
エルフの青年はトレント王の意思を感じた。
「おそらく守護者からの贈り物ですね。 それがあればトレントに襲われることはなくなると思いますよ」
「まあ!、ありがとうございます」
女性は巨大な木に向かって正式な礼をとる。
「それで、住む場所なんですが」
自分の上司であるトレント王から許可が出たようなので、青年は本格的に今後の生活のことを考えなければならない。
木の洞は二人で住むには狭いのだ。
「実は砦の跡地に一軒だけ修復されている家があるんです」
背丈まで生い茂る雑草に隠されてはいるが、戦前の暮らしぶりを知る資料として残されているそうだ。
「そこに住んだらどうかなって」
青年は子供が産まれることも視野に考えていた。
砦の中、迷宮の入り口である崩れかけた建物の近くにそれはあった。
「あら、思ったよりきれいだわ」
魔獣結界付きの柵で囲まれた小さな家は、修繕した跡はあるが雨漏りもなく周りには畑もある。
「うん。 生活していた状態そのものを保存しているから」
家具や設備、食器にいたるまで、すべてが昔のまま残っている。
「嬉しいわ。 本当に新婚家庭みたい」
魔術師の女性の笑顔にエルフの青年は、長い年月の間にコツコツと修理しておいて良かったと安堵した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
三年後、王都にある魔術師の女性の実家に手紙が届いた。
エルフの森に出兵し、消息不明になっていた娘からである。
「まあ、あの子ったら」
母親は涙を流して笑い、父親は顔を厳しくする。
兄妹たちは驚いて何度も読み返した。
「エルフと結婚して子供まで産まれたって?!」
元・国軍の魔術師団副長だった女性がエルフの夫と我が子を連れ、秘密裏に王都の家族と再会したのは、それからしばらく後のことである。
〜 終 〜
誰も知らなくてもいい恋の話 4 さつき けい @satuki_kei
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