第八節 いざ、本番へ


九月十八日の審査日は、台風の影響で雨だった。早朝、審査会場となる秩父市弓道場へと向かう。降りしきるなか山道をカーナビナの力を借りて進み、早めに目的地へと着く。臨時駐車場に止めた車内で、軽音楽を聴きながらリラックスしようとする自分がいた。

ぼそっと漏らす。

「しかし、参ったな。天気予報じゃ、今日は一日中雨のようだ。今迄、雨の中での審査など受けたことがない。如何したものか…」と移ろいつつ、時間が過ぎるのを待った。

窓越しに外を見まわす。

この駐車場に止めているのは、俺だけではない。次から次へと入れ代わり立ち代わり、忙しく車が出入りする。勿論、俺の車のように長く止めている者もいた。

そう言えば、と反芻する。

「弓道場の敷地内に乗り入れ駐車場に止めようとした時、係員が来て「ここではなく別の駐車場に移動し、そこで待つように」と告げられ、さらに審査段位を聞かれ「三段です」と答えると、「それでは、午前十一時十二分の審査開始三十分前になってから、こちらに来るように」と指示された。

ここでは駄目なのかと少々むかつくが、ここは審査を受ける身ゆえ、ぐっと抑えて指示に従うことにした。致し方なく、指定された別の駐車場へと向かった。駄々広い駐車場の奥に車を止める。

「仕方ねえ、ここで時間を潰すか。それにしても、受付時間までたっぷりあるな」ぶつぶつ漏らすが、ふと気づく。「朝飯が早かったんで、小腹が空いてきたな。来がけにコンビに寄って買った握り飯でも食うか」と、おにぎりを取り出し二個ほど頬張った。煖房を効かせた車中であり、握り飯が少々冷たかったが苦にならなかった。

「さあ、これで腹ごしらえが出来たと言うもんだ」とペットボトルのお茶を飲み、時計を見ると午前八時を指していた。「まだ、時間があるな。この雨ぷりじゃ、外にも出られねえや。座ったままじっとしていると、股関節辺りが痛くなるよ」もぞもぞと足を動かすが、不自由さは解消しないままである。

運転席のリクライニングを後ろに倒し、身体を仰向けにして手足を伸ばしてみたり、また座席を戻したりしながら時間の経つのを待つ。

「それにしても、時間の経つのが遅いな…」独り言がつい愚痴になる。それでも時は刻々と過ぎて行く。暫らく経って時計を見ると午前九時近くになっていた。

「やっとだぜ、そろそろ審査弓道場の方へ行くか」

独り言を漏らし、聞いていた軽音楽を止め「そう言えば、三十分前に弓道場駐車場への乗り入れはオーケーと言っていたよな」と思い出す。

座席に座り直し姿勢を正すと、少々緊張感が生まれて来た。背筋を伸ばし車のスタートキーを廻すと、ゆっくりと動き出した。

すると吉田は、すでに審査場にいるような気分となり、「さあ、審査だ。頑張るしきゃないな」心内で告げ、じっと前を見て運転する。

弓道場の駐車場に車を止め、降りしきる雨の中を傘もささずに審査会場の受付場所へと歩いて行き、壁に貼られた受験射場を確認すると、第一射場欄に名前が載っていた。

「俺は、第一射場か」と呟き、『埼玉地方審査会の受審者健康管理チェックシート』記入済を受付係へ提出してから、弓に弦を張って待つ。

周りを見渡すと、そこには緊張する面々があった。

それを覗い、つと漏らす。「俺も、少々緊張してきたぜ。普段はあまり緊張しないんだが…」緊張気味にいる吉田の側に、同じ三段を受ける木田が寄って来た。「如何も、いかんです。緊張するとトイレが近くなって」と周りを見渡すが、その場にはなかった。

吉田が告げる。

「トイレなら、審査会場にあるよ。行ったら」

すると木田が、「ええっ、審査会場内ですか?」と躊躇する。すると「そうだよ。たしか、あそこにあった」と吉田が告げ「直ぐに行った方がいい」と勧める。躊躇う木田が「それじゃ行ってきます。審査の時に漏らしちゃ、やべえし様にならねえから」と言いつつ、審査会場内のトイレへと向かった。直に戻り、すっきりした顔で審査に臨んでいた。

その後、「俺も行っとくか。まだ審査時間まで時間があるし、審査も少々遅れ気味だしな。今のうちに済ましとこ」と呟きながら、すごすごとトイレへと行った。三十分ほど指定審査時間までずれ込み、いよいよ同じグループの五人の名前が呼ばれる。

当然、俺もその中に入っている。係員の氏名確認後、揃って誘導され射場の審査会場へと向かった。

射順は二番射手である。

前グループの三番射手の弦音を合図に、平然と五人が整列して場内へと歩み、本座で止まる。揖をし一斉に射位へと進む。そして足踏み後大前射手に続き甲矢を矢番えして、弓手で弓と乙矢を平行に持ち、妻手を腰に据え正面に顔を戻して待つ。大前が妻手で乙矢を抜くのを待って、乙矢を抜き取りそのまま腰に据える。大前の弦調べ矢調べを待ち次いで己の弦調べ矢調べの胴造りを行ない、大前が射ち弦音で俺の番が来る。取懸けの手の内を決め、的に顔を向け物見の弓構えを行なっていると、今迄鍛錬してきた一連の動作が、押し寄せる波のごとく脳裏に蘇って来た。

緊張する中で妙に落ち着く自分がいるのを感じつつ、じっと的に視線を走らせ打起しをして、胸を開く引分けを行ない大三から会へと進む。

そして頂点に達した時、弓から己が命を纏う甲矢が離れ、勢いよく的へ向かって飛んで行きパン!と弦音とともに的を射抜く音がした。と同時に弓が「くるっ」と弓返りする。

飛び行く様を的に向けた眼が凝視していた。勿論、残心を維持してだ。両腕を水平に伸ばした後、わずか五秒か六秒である。それが、永遠の引分けと言われほど長く感じた。的を捉える甲矢を視線が追っていた。

そして、弓を持つ弓手と乙矢を持つ妻手を、ゆっくりと両腰に収め顔を正面に戻して、射位から本座へとバック歩行で後退して行った。そこで、弓手の弓の握りと妻手の乙矢を持ち直し、腰へと据える。

そして、落ちの射手が打ち終えたのを横目で窺いつつ、残心から両腕を腰に戻すのと同時に、吉田は両肩を張った姿勢で、本座から射位へと戻って行った。

二矢目の乙矢を射るためである。

乙矢を射ち終え、審査員席の前を通り審査会場の出口へと摺り足で向かい、付近で審査員席へ身体を反転させ振り返り揖をし、戻して審査場を出た。

振り返れば、気負う気持ちもなく無心で射ていたと思う。実際は如何かと反芻しても、正確には覚えていない。

「やっと、終わったか…」充足感が湧いてくる。

コロナ禍でもあり手早く弓から弦を外し、弓を弓袋に収め、弦を弦巻に巻き収納袋に入れ、リュックに仕舞って早々と会場を出た。

審査結果は後日発表となる。

どうなるかは、それを待たねば分からないが、帰路に就く際の空模様は相変わらず雨が降り続いていたし、当然帰りもカーナビの世話になった。


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的に向かい、放て 高山長治 @masa5555

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