第14話 後宮の支配者
ぞろぞろと多くの女官を引きつれ、
私と
龍宮妃が二人、さらには淑妃がいるために、すれ違う女官たちはみな道をあけて礼を取る。下女に至っては膝をついて深々と頭を下げてしまうため、私はひどく居心地が悪く感じていた。
実家にいた頃は気楽に話してくれる家人としか接していなかったから未だにこんな扱いは慣れない。だからできるだけ引きこもって外を歩かないようにしていたのに。
女官たちはまだしも、下女たちはその立場上視線すら合わせてくれないので、よりいっそう居心地が悪い。そんな高貴な姫みたいな扱い、と思ってしまうが、そういえば自分はもう龍宮妃なので当然なのだった。慣れなければいけないと思うと憂鬱に感じる。
さて、と気を取り直して顔を上げる。前を歩く淑妃の背は真っ直ぐ伸びてぶれがない。その堂々とした姿に感嘆しつつ、私は隣を行く蔡姫に視線を移す。
彼女は私よりもずっと落ち着いていて穏やかな微笑みを浮かべており、まるでこの場にいるのが当たり前のように振る舞っていた。
こういうところをみると、私より一回り近く年下であるのに、蔡姫のほうがずっと大人に見える。そして改めて、やはり後宮妃はそんな龍宮妃よりも高く、格が違うのだ、とも。
そもそも『後宮』の茶会に呼ばれることがまず稀だというのに、淑妃の話では、その主催は皇后様で、上級妃全員が揃い踏みときた。
さすがに昨日の今日である。たたみかけられた心労で私は胃痛を起こしそうだった。
(やっぱり断るべきだったかしら)
いまさら後悔しても遅いのだが、どうしてもそう思ってしまう。
しかし後宮とは、格上の相手からの招待を簡単に断れるほど安楽な場所でない。それに一度引き受けた以上、いまさら逃げることも許されない。
上級妃たちがどんな態度で私たちを迎えるのか、考えるだけで気が重いが、これも務めだと心身に言い聞かせるしかないだろう。
(それに、いい機会だと思わないと、ね)
そっと手首を握ってみる。先ほどの痛みはもうないが、その周りにはまだ熱が残っているような感覚があった。
この傷痕についても、彼女たちに訊ねなければならない。皇太子の言が真実であれば、少なくとも上級四妃は、これについて知っているはず。
だからといって教えてくれるかはわからないが、それでも可能性に賭けなければ一歩も進みはしない。
「さあ、着いたわよ」
淑妃の声にはっとして顔を上げれば、いつの間にか目的地に辿りついてしまったらしい。
そこは、皇后の住まう御殿のすぐそばにある、広々とした庭園であった。
手入れの行き届いている庭木や花々が陽光を受けてきらきら輝いていて、見惚れてしまうほど美しい景観が広がっている。その中央に置かれた亭には、すでに何人かの妃らしき人物と側付き女官たちの姿が見えた。
ざっと眺めて、亭で談笑している妃らしき姿は四人。蒼衣、白衣、黒衣、そして黄衣――視線を向けた直後に、その黄衣の女性が立ち上がり、嫋やかに手を伸ばす。
「まあ、
その女性は、私と蔡姫の姿を認めるなり、ぱあっと顔を明るくした。
彼女は私より少しだけ低い身長で、ほっそりと華奢な体格だった。鮮やかな翡翠色の髪は長く伸ばされ、緩く結わえただけで背中に下ろしている。肌は抜けるように白く、瞳は明るい橙色で、目元も口許も優しげな印象を受けるけれど、それゆえに儚さも感じた。
そんな彼女が、あの
「蔡姫も、法姫も、突然のお誘いでしたのに応じてくださって嬉しいわ。さあどうぞ、こちらにお座りになって」
促されるまま、私たちは彼女に従って席に着く。卓の上には茶器や菓子が用意され、女官たちによってお茶が注がれていく。
笑顔の淑妃と皇后様とは違い、残りの三人はじいっと値踏みするような目で私たちを見ていた。
蒼衣は
白衣は
黒衣は
皇后様と淑妃を含め、それぞれ様相は異なるがみな美女である。
私は机の下でそっと蔡姫と手を握り合い、にこやかに挨拶をする。
「恐れながらまずはご挨拶を――龍宮第二席、
「同じく、龍宮第四席、
続けて私も名乗り頭を下げる。
皇后様は小鈴を転がすような可愛らしい声で笑い、その細々とした両手を広げた。
「二人とも、ご挨拶ありがとう。さあ、堅苦しいことは抜きにして、楽にしましょう」
皇后様はにっこりと微笑み、私たちに向かって語りかける。
彼女は、まるで春風のような人だった。
柔らかな口調でゆったりと話す声は耳に心地よく、聞く者を安心させる力がある。彼女の纏う雰囲気につられてか、周囲の空気まで和らいでいくようだった。
そんな皇后様に見惚れかけながらも、私はちらりと他の妃たちに視線を向ける。
彼女たちはまだ私たちのことを警戒しているのか、あるいはただ単に愛想がないのか、無言のまま私たちを見つめている。淑妃だけは相変わらず気の強い笑顔のままで、皇后様にも臆さず話しかけていた。
さて、どう話を切り出したものかしら。
そう逡巡していた私が口を開く前に、白衣の徳妃が言った。
「あんたが法藍晶、ってことは法丞助の娘さん? へえ、あんな冷淡親父の娘とは思えないくらい、ちゃんとしてる子じゃん」
一見した印象とは全く違う砕けた口調に、私と蔡姫は思わず面食らってしまった。
徳妃といえば、私の入内の儀のときは、言葉を慎んでひとり物静かに食事をとっていたような覚えがある。女官たちにいくつか囁いている程度で笑うこともせず、一切自分の席から動かない、そんな様子だったような。
しかし目前にいる彼女はどうだろう。もっとも敬意を払わなければならない皇后様の前でありながら、徳妃はそんなことを歯牙にもかけていない様子で大口を開けからからと笑い、興味津々に身を乗り出してくる。その表情には先ほどまでの険しさはなく、人懐こい笑みを浮かべてさえいた。
そんな徳妃の言葉に反応したのは驚いて硬直している私たちではなく淑妃のほうだ。
「ちょっとぉ、失礼よ。いくらなんでもあの法丞助を侮辱するのはよろしくないわ」
「ああ、わるい悪い。侮辱っていうつもりじゃないさ。アタシ、あの人のことあんまり得意じゃなくて。娘が龍宮に入ったってきいたときは、どんな子が来るのか心配だったんだよ」
徳妃はばつが悪そうに苦笑いして、ひらひらと手を振る。
どうやら彼女はかなり……よく言えば、素直で率直な人らしい。もしかしたらこういう部分が表に出ないように、公の場ではできるだけ口を開かないようにしているのかもしれない。
淑妃も口では注意しながら、さほど気にしていない様子。同じように黒衣の賢妃も、蒼衣の貴妃も、私たちのことをまじまじと見つめてくるだけで、徳妃に異を唱えることはない。
これが彼女たちの、後宮の日常なのだろうか。後宮は龍宮以上に上下関係に厳しいはずだが、目の前の彼女たちは仲が悪いというよりも、気の置けない友人同士のように思える。
想像していたものとは違う。この感覚は二度目だ。やはり彼女たちも龍宮で長く過ごしてきた仲なのだろう。たしかにこんなに砕けた様子であれば、外から見れば互いに礼儀を尽くさない礼儀を尽くさないという険悪さにとられてもおかしくないのかもしれない。
己の考えの至らなさになんだか恥ずかしくなって目を逸らすと、皇后様がくすくすと笑うのが聞こえた。その控えめな笑い声は微笑ましいものを見ているときのそれで、私はますます居たたまれない気持ちになった。
「ええと……お気になさらず。父が誤解されやすいことはよく存じておりますし、今に始まったことではございませんから」
「まあ、法姫ったら大人ねえ。徳妃とは大違いじゃないの」
淑妃は感心したように言って、肘で徳妃をつついている。そんな様子も仲の良い友人同士そのものだ。そんな様子に私は眉を下げて曖昧に笑っておく。
私はこんなふうに他人に注目されることが苦手である。舞や詩歌の披露だけならまだしも、もともとは実家で家人くらいしか接する相手がいなかったような引きこもりの女。皇后様のお茶会に招かれたことは嬉しく思うけれど、やはりこの後宮らしい華やかさと交流の雰囲気は肌に合わないものがあるのだ。
そんな私をよそに、皇后様を中心にして、四妃は会話に花を咲かせ始めた。先ほどとは打って変わっておおらかな雰囲気に包まれ、私と蔡姫はふと顔を見合わせる。
「……噂にきいていたほど、仲が悪いというわけではないようですね」
「ええ、私もそう思っていました。もっとその、後宮らしい、のかと」
私たちは小声で囁き合い、複雑な気分を味わう。
後宮は、現在の龍宮とは違い、本当に熾烈な戦いを極めているときいていた。むしろ龍宮の私たちがみなそろって仲良くしているというのが彼女たちからすれば珍しい光景に見えるくらいの状態だろうと。
私が龍宮に参ずる前からその噂は市井にも広がっていた。体調を崩しやすい皇后様の座を四妃が狙っているとか、なかなか表に出てこないために皇后様は実はもう亡くなっているのではないか、なんていう根も葉もないものまで出回っていたものだ。
それが蓋を開けてみればこの様子。皇后様だけでなく、他の四妃もそれはそれはお気楽にお茶会を楽しんでいるようだった。
少し呆けてしまった私たちを見て、ふと皇后様が目を細める。
「緊張してしまうのも無理はないわ。けれど、わたしたちはお話がしたいだけなの。この先の、未来の皇后になるひとがどんな方か、知りたいのよ」
皇后様は穏やかな声でそう言って微笑んだ。その言葉の意味を理解したとき、私の胸はどくんと高鳴る。
彼女はにっこりと笑っているけれど、私は思わず息を飲んだ。まったく攻撃的ではないのに、やはりどこかに圧倒的な大きさを感じる。それは私がこれまでに出会ったことのない類の威厳。
その様子は、やはり息子である完燦殿下に似ている。穏やかそうに振る舞っても根は冷めているような、そんな気配だ。けれどそれ以上に、見も知らぬ誰かを包み込むような慈愛を感じるのだ。
「そんなわけだからさあ、あんたらも皇后様にいろいろ話してあげて。きっと皇后様も喜ぶと思うぜ?」
徳妃はとくに気にしてもいないようで、そう言いながら豪快に笑ってみせる。
その様子は他の三妃も同じだ。彼女たちは皇后様のこういった様子に慣れているらしい。
「え、ええと」
「ふふ。急に話題を振られても難しいわよね。それじゃあ――」
戸惑って口籠る私をよそに、皇后様は楽しげに笑みを深める。そして明るい橙色の瞳で私をじっと見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「わたしの息子について、あなたたちはどう思うかしら?」
第十四話、了。
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