第3話 皇太子と花の園
豪奢で華やかな宴がはじまった。
広間にずらりと並ぶ豪華な料理の数々。色とりどりの花びらが撒かれ、音楽が奏でられる。
贅をつくした煌びやかな空間で、私と
私たちを囲むように座るのは龍宮に仕える女官たちだ。その誰もが私に期待するような眼差しを送ってくる。
こうして入内のときばかりは二人で顔を合わせた食事ができる。それがしきたりらしく、ほかの龍宮妃たちは少し離れた席で食事をとっていた。
私は居心地の悪さを感じながらも、努めて笑顔を保った。
「…………」
「…………」
無言のまま、私と彼の目が合った。
私は軽く会釈をして微笑んでみせる。
しかし夫はそんな私にため息をついて肩をすくめた。
「媚び売ったって無駄だからやめなよ」
「……え?」
「そんなことしなくたって、あんたみたいな年増を相手にしたりしないからさ」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は私を睨みつけた。
「……ま、せいぜい僕に嫌われないよう頑張れば? どうせあんたには何もできないんだろうけど」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、彼は興味を失ったかのように視線を外して食事に戻った。
……今、なんて言ったのかしら。
唖然としながら、私は目の前の男を見る。
何を言われたか理解するまで少し時間がかかった。
私はようやく言葉の意味を理解すると、かっと頭に血が上るのを感じた。
しかしぐっと抑え、深く息を吸う。
――この私が、この程度のことで取り乱すわけないでしょう。
私はぐっと拳を握って怒りを抑え込む。
こんな男に構っている暇はないのだ。ただでさえ後宮という世界で生きることに苦心することになるのだから、誰に何を言われたって凪いだ心でいなければ。
女官たちを横目で見ると、先ほどとうってかわって落胆の色を滲ませている。
……もしかして彼、ぜんぶの龍宮妃にこんな態度を取っているのかしら。
だとすれば彼女たちの様子も頷ける。誰が彼の心を射止めるのか、妃が入内するたびに彼女たちも戦々恐々としているのだろう。
しかし、いくらなんでもこれはひどいのではないか。
仮にも皇太子が妃に対して取る態度ではないと思う。
私はふむと手を当てて考える。
なにが彼をこうさせているのかはわからない。私との出会いが最悪だったからなのだろうと思っていたが、妃全員にこんな態度を取るのであれば話は違うだろう。
浮かんできた疑問点を数えながらじっと彼の顔を見つめる。
整った顔立ちをしている。瞳は皇后と同じ橙色だ。まだ少年らしい幼さが残っていて、けれど大人になりかけているところをみると齢は十八、九といったところか。
この年頃の男の子なら、もう少し女性に愛想があってもいいくらいだが。
そんなことを考えながら見ていると、視線に気付いた彼が不快さを滲ませながらまたこちらを睨む。
「なに。気持ち悪い視線寄こさないでよ」
「いえ、別に……ただ、あまり女性を邪険にするものではないと思いますわ。将来の帝としての振る舞いを考えてみてはいかかでしょう。わたくしに対してでなくて構いませんから」
私はやんわりと微笑んで言ってみた。
すると彼は眉をひそめたが、言い返してくることはなかった。
私はその反応に内心首を傾げつつ、続ける。
なんにせよ、このままではいけない気がする。私が嫌われることはまあ前提としても、いずれこの国を背負って立つ者としての自覚は持っていただかなくては。
私はちらりと周囲に目をやった。
女官たちは私たちの様子を固唾を飲んで見守っている。
――……よし。
私はひとつ気合いを入れると、彼に話しかけることにした。
「あの、皇太子様」
「……」
彼は返事をしなかったものの、私の方を向いたので話を聞いてくれる気はあるようだ。
私はできるだけ優しく聞こえるように意識して声をかける。
「お聞きしたいことがあるのですけど、よろしいでしょうか?」
「……なに?」
不機嫌そうな声で、それでもちゃんと答えてくれるあたり律儀な子なのかもしれない。
私は笑顔のまま問いかけた。
「あなたにとって、ご自身の妻とはどういう者が理想なのでしょう」
「……は?」
彼は呆気に取られた顔をした。
私はその様子を観察しながら、答えを待つ。
「なんだよ急に」
「今後の参考までに聞かせていただけないかと思いまして」
「今後って……」
彼は困ったように口をつぐんだ。
私はにっこり笑って、黙って返答を待つ。
しばしこちらを観察して意図を探ろうとする様子を見せる。そしてたっぷり数分考えたのち、彼は口を開いた。
「……僕が結婚したいと思う相手なんて、一人しかいない」
「あら」
私は驚いたふりをしてみせる。
しかし彼はそんな私の表情など意にも介さず続けた。
「あんたなんかとは比べものにならないくらい美しくて聡明な人だ」
「まあ」
「だからあんたのこと妻だなんて思わない。無駄なことしなくていいよ」
「そうですか」
私は笑顔のまま相槌を打つ。
彼はふんと鼻を鳴らして、再び食事に戻った。
――なるほどね。
私は内心で呟く。
やはり彼は私に対してではなく、他の妃たちに対しても同じ態度をとっている。そしてそれは、既に心に決めた相手がいるからに他ならないわけだ。
それなら話は早い。私はこの男に媚びを売る必要もなく、ただ自分の保身と生存を考えるだけでいいのだから。
私はすっきりした気分になって、夫である皇太子を眺めた。
それにしても、いったいどんな女性が彼の心を射止めたのかしら。こんな態度をとるひとが、想い人にはどんな甘い様子をみせるのだろう。
持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がってくる。これは泥沼親子関係もあり得るかもしれない。父親の妻である後宮妃に惚れているとか、この年の子ならそういうのありそうだし。
私はそんなことを考えながら、目の前の男をじっと見つめる。
さっきまで感じていた嫌悪感はいつの間にか消え失せ、ただ純粋な興味だけが胸を満たしていった。
そうなれば目の前の料理もこの上なく美味に感じる。私は女官たちも驚くほど上機嫌になりながら食事を口に運んだ。
下手をすればそのまま鼻歌を歌ってしまいそうだ。さすがに行儀が悪いのでやめておいたけれど。
「……なに見てんだよ」
ふと視線を感じて顔を上げると、皇太子がまたも私を睨んでいた。
「いえ、べつに。ただ、あなたのことをもっと知っておきたいと思っただけですわ」
「はぁ?」
「だって、わたくしの夫となる御方でしょう? 恋愛感情など必要がないにしても、ともに人前に出る可能性がある以上、合わせなければならないところは多くございます。わたくし、貴方様の恋を応援いたしますよ。そのお飾りとして生きる覚悟もございます」
私は笑顔を浮かべたまま言う。
すると彼は、なぜか少し怯んだような顔をしたあと、視線を落としながらぼそりと呟いた。
「……そんなこと、言わないでよ」
「はい?」
「僕は、そんなふうに思ってるんじゃなくて――……」
消え入りそうな言葉じり。しかし私はそれを拾うことができなくて、ただ首を傾げる。
「……なんでも、ない」
彼はそれだけ言って、また黙々と食事を摂り始めた。
私はしばらくその横顔を見つめていたが、やがて諦めて自分も食事を再開した。
結局、彼がなにを言いたかったのかはわからなかった。でもなにか私に思うことがあるのはたしかなようだ。
私はそのことに気付いていながら、あえて追求しなかった。どうでもいいのだ。
そもそも、この男が私に対してどういう気持ちを抱こうが関係ない。私はこのひとの人形なのだから。
――……ああ、でも。
ひとつだけ、気になることはある。
――この人の好きな人って、私の母より美しいのかしら。
少し遠くに見える父の背を眺めながら、私は肉切れを口に入れた。
◆
それからしばらくの間、私と皇太子が顔を合わせることはなかった。
私はといえば、他の龍宮妃とも関わることがないくらいに順風満帆で静かな生活を送ることができている。
あの日の出来事はなんだったのかと思うくらいに平和だ。気を張るのは朝礼くらいで、それ以外はとにかくゆっくりできていた。
龍宮妃であるためか現主上の妃である後宮妃嬪たちは私のことをこれといって敵対視していない。まあそれは私が朝礼以外ほとんど自室で過ごしているから、ということもある。
彼女たちからしてみれば、噂の『珠玉の姫君』の娘もその程度か、というところなのだろう。
私が部屋にいる限り、わざわざこちらへ来ることもないようだ。
たまに他妃の女官が贈り物のお茶を持って来てくれるのだが、それも必要最低限の会話のみで、こちらが用がなければすぐに退出していく。嫌みの一つを言うこともなく、本当に最低限の対応だ。
そしてそれは皇太子も同じようだった。
彼はあれ以来一度も私の元を訪れていない。食事の時間に姿を見せることもなければ、夜伽を命じられることなど皆無。
彼も特に私のことは気にせず、自分の生活を送っているようだ。……まあ、もともと仲良くする必要はないのだから当然といえば当然である。
楽なことこの上ないので文句ひとつもない。
「……でも、今日はいつもとちょっと違う、と」
今日は龍宮第二席、
彼女たちと会うのは入内の儀があった日の夕刻以来だ。
あのときはお互いろくに挨拶をする暇もなかったから、実質これが初対面と言っていいかもしれない。
私は女官たちに支度を整えてもらったのち、少し緊張しながら後宮の離れ庭園へと足を踏み入れた。
そこにはすでに十人ほどの
「ごきげんよう」
私はなるべく愛想よく見えるように微笑んで、輪の中にいるひとりの女性に声をかけた。
すると彼女は驚いた様子で振り向き、それからぱっと花が咲くような笑顔を見せる。
「あら、初めましての御方ね。もしかして、あなたが――」
「『珠玉の姫君』!」
その声にわっとその場にいた妃嬪たちが色めき立つ。
私は突然のことにぎょっとして一歩退いてしまった。しかし彼女たちは臆するどころか興味津々、といった眼差しでずずいっとこちらへ近寄ってくる。
「ああ、なんてお美しいのでしょう! 入内の儀では遠くからしかお目にかかれなくて……けれど近くで見たらいっそう麗しいご様子ですわ!」
「お話したかったんですのよ、わたくし。ずっと憧れておりましたの」
「お会いできて光栄ですわ」
自分より幾分も若い少女姫たちに口ぐちにそう言われ、私はたじろぐ。
どうしよう。こんな反応、予想していなかった。
てっきり後宮らしく先手必勝とばかりに攻撃されると思っていたのに。
「あの、えっと……」
「まあまあ、そんなところに突っ立っていられては話しにくいでしょう。皆様、とりあえず席につかれてはいかがかしら?」
戸惑っている私を見かねてか、隣にいた子が助け船を出してくれた。その言葉に従って、私はようやく空いていた椅子に腰かける。
彼女はにっこりと嫋やかな微笑みをうかべてそっと茶菓子をすすめる。
「まずはどうぞ。お茶とお菓子で落ち着いてくださいませ」
「ありがとうございます……」
私は素直に礼を言って、お茶をいただいた。
彼女も茶をひと口飲んでから口を開く。
「改めましてご挨拶いたします。わたくしは龍宮第五席、
私は彼女の名を聞いて、ああ、と思い出す。
李家は我が法家ともつながりの深い一族だ。なんでも父の従姉が彼女の母であるそう。一足先に龍宮入りしているからなにかあれば彼女を頼るといい、と入内の折に父が言っていた。
私はそのことを思い出しながら、ふわりと微笑む。
「こちらこそよろしくお願い致します。まさかこの場で李姫さまにご挨拶できるとは思いませんでした。……ところで、私のことはどのように伝わっているのでしょう? あまりに噂が広まっているようで、驚いてしまったのですが」
私が問うと彼女はくすりと笑って扇をゆるりと振る。
「それはもう、たくさん聞かれましてよ。かの『珠玉の姫君』の娘さまですもの。そのうえ、一晩で皇太子さまの
「……はい?」
私は思わず目が飛び出そうになった。
なんだそれは。一夜で皇太子の寵愛を受けた?
なにそれ、どういうこと?
どういうことなのか問いただそうとしたとき、彼女はすっと目を細めてこちらを見る。
「でも、わたくしにはわかりますわ。貴方様は皇太子殿下を導くためにここにやってきた本物の
「……えっと、」
「わたくしたちは同志なのですわ」
「…………はい⁉」
私はますます混乱して叫んだ。
同志ってなんのことだ。龍女のことは知っているが、なぜ建国伝説のそれが私のことになるんだ。どうして私が皇太子に一晩で愛されたことになっているんだ!?
あまりに突拍子もない話に頭のなかが爆発しそうになる。しかし李姫はさらに畳みかけてきた。
「この国を変えるのはわたくしたち龍宮妃。皇太子殿下のためにも、わたくしは貴方様とともに歩みを進めたく思っております」
「ちょ、ちょっと待って! いきなり何を言っているのかわからないんだけど……」
「ええ、ええ。わかっておりますわ。これはわたくしたちだけが知っていること。後宮の妃嬪たちには秘密にしておかねばなりません。ですからどうか、これからはわたくしたち龍宮妃とのみお話を」
「だから、何の話をしているんですか⁉」
私は必死で叫ぶ。
しかし彼女はそんな私の叫びなど聞こえていないかのように、にこにこと笑ったままだ。
「大丈夫、わたくしたちならできますわ」
「わたくしたちが力を合わせればきっと――!」
「ああ、本当に楽しみ!」
「これでようやく、この国の未来が拓ける!」
「さあ、まずは手始めに皇后陛下をお救いしなければ!」
ちゅんちゅんと小鳥たちがさえずり合うような可愛らしいお声で、しかしとんでもない言葉を吐きながら、彼女たちは無邪気に微笑んでいた。
「……えーっと……」
私は困ってしまった。
目の前にいるのは、おそらく十代も半ばの少女たち。
年の頃も、着ているものも、身につけている装飾品も、すべてが私より美しくて育ちの良い娘たちのはずだ。
なのに、どうしてだろう。
私を囲んでいるのはまるで悪巧みをする魔女たちのように見えるのは。
「あの、申し訳ないのですけど、おっしゃっている意味がよく……」
「まあ! ご謙遜を!」
「ええ、ええ。もちろんわかっております。もうすぐほかの龍宮夫人もいらっしゃいますから、揃ってからお話いたしましょうね」
「そうそう。皆様にもきちんと説明いたしますわ」
「皇太子殿下のことはもちろんですけれど、この国のことも。そのために、私たちがいるのですもの」
「わたくしたち、頑張りますわ!」
「…………」
私は笑顔のまま固まってしまった。
なにこれ。なにこれ。なにこれ。
先日とは全く違う意味で、私の知らない世界がここにある。
ここは一体どこなのだ。本当に後宮なのか?
私の知っている後宮はもっとこう、戦いと陰謀渦巻く場所だったはず。
なのに、ここには私を歓迎する言葉ばかりがあふれている。
しかもなぜか、悪意が全く感じられないのだ。むしろ好意のようなものばかりが向けられている。
なにが起きている。だれか説明してほしい。
目が回っている私の願いを天が聞き届けたかのように、そこへ鶴の一声がかけられた。
「まあ――皆さま、お集まりいただいて感謝いたします」
ころりと鈴が鳴るような美しい声。この声は聞き覚えがある。
今日、この茶会を開くと申し出た当人が現れたのだ。
「――はじめまして、法姫。わたくしのお茶会に来ていただいて、心より感謝申し上げます」
龍宮第二席、
彼女はじつに優雅な礼をして、私のほうへ顔を上げた。
「……あ、ああ。どうも、ありがとうございます」
私はなんとか挨拶を返す。
すると彼女はふわりと微笑んで言った。
「あなたが、皇太子さまの愛しい方。わたくし、ぜひお話がしたくて、この日を心待ちにしておりました」
飴色の髪に黒曜の瞳を持つ美しい娘。齢は十五、といったところだろうが、その洗練された立ち居振る舞いからは一切の子どもっぽさを感じられない。その美しさは李姫のような可憐さとはまた違った、どこか凛とした気品であった。
「ええっと……」
「あら、まだ混乱していらっしゃるの?」
「いや、そういうわけではないのですけれど」
「ふふ。よろしいのですよ。まだ入内からそれほど時間も経っておりませんもの。わからないことがあればなんでもきいてくださいませ」
「はぁ……」
私は生返事しかできなかった。
なんだこの展開は。
どうしてこんなにも好意的な目で見つめられるのか。
私のことについて知られているのは、せいぜいが法丞助と『珠玉の姫君』の娘ということくらいのはずだ。後宮には知人どころか顔見知りの相手もいなかったし、皇太子と会ったのだってついこの間、ほんのわずかな時間だけだ。
「あの、」
私は意を決して口を開いた。
「つかぬことをうかがいたいのですけど」
「はい、なんでしょう」
「ここは後宮、ですよね。どうしてみな、こんなにわたくしによくしてくださるのですか?」
ここではみんなライバルのはずなのに。
私は不思議でならなかった。
しかし、蔡姫はその問いにぱちくりと瞬いてから、くすくすと笑った。
「まあまあ、おかしなことを言うのですね」
「おかしい……でしょうか」
「ええ。この場にいる者は皆、皇太子殿下の妃になるためにここにいるのです。それはみなが皇太子殿下のために動き、皇太子殿下の望む未来をつくろうとしているということ。わたくしたちが敵対する理由なんてありません。わたくしたちは同じ志を持った仲間ですもの」
「……」
私は思わず黙ってしまった。
そんな私に、彼女は優しく語りかける。
「それに、貴女がいらしてからというもの、皇太子殿下はお変わりになられたんですよ。以前は夜遊びばかりなさっておられましたのに、最近は朝儀のあとに必ず後宮へお顔を見せてくださるようになり、王宮でも公務が終わるとすぐにお帰りになるようになりましたの」
「え、」
「それだけではありませんわ。お食事の量も増え、お休みもきちんと取られるようになって、以前よりずっと健康的な生活を送っておられます。きっと、貴女のことがよほどお好きなのでしょうね」
「……」
私はぽかんとするしかなかった。
私の知らないところでそんな変化が起きているらしい。本当に、彼女が言っていることが本当なら、なのだが。
あまりにもその話は私の知っていることと
「ですから、わたくしたち嬉しいんです。やっと殿下のお心を射止めてくださった方が現れたんですもの。あんなに刺だらけで、痛みと苦しみを抱えてばかりだったお方が、やっと心を許せる方ができて……」
そう言って彼女は目を伏せた。その表情は慈愛に満ちた聖母のように見え、私の胸を締め付ける。
彼女はいったい、どんな想いを胸に秘めているのだろうか。
私と彼女の立場は同じはずなのに、私には決して見えない景色が見えている気がする。
彼女たちになんと言えばいいのだろう。その間違いを訂正することが本当に正しいのか、と。
「――さあ、法姫さま。もうすぐ皆さまがお揃いになられます。お茶会をはじめましょう」
ぱんっ、と手を叩いて蔡姫は侍女へ指示を出す。てきぱきと進められていく茶会の準備を前に、私はただ黙っていることしかできなかった。
そうして席に着いた五夫人と中級妃たち。主催の蔡姫、先ほど挨拶をした李姫、そして最後に訪れたもっとも年若い第三席たる
「――それで、法姫さまはいま、どのように過ごされているの?」
まずは他愛のない世間話からはじまる。
私はとりあえず、当たり障りなく答えた。
「とくに特別ななにかをしているわけではありません。お父様の言いつけを守って、書物を読んだり刺繍をしたり、ありきたりなことですよ」
「あら、そうなのですね。あまりお部屋から出ていらっしゃらないと聞きましたから、不思議でしたの」
「まだこの生活にも慣れないものですから……」
「わかりますわ。私も入内したばかりのころはとにかく心細くって」
その会話を聞いていた他の妃たちも口々に話し出す。
私にはわからないような内容のものばかりで、相槌を打つことしかできない。
しかし、それでも彼女たちは楽しげに話を続けた。その空間はまるで初めて顔を合わせたとは思えないほど和気あいあいとしたもので、あまりに不思議で拍子抜けしてしまう。
――これが、後宮?
私が予想していたものとはまったく違う光景だった。
もっとギスギスしていて、陰湿で、醜い世界だと思っていたのに。ここには、私の想像とは大きくかけ離れた美しい女たちの姿があった。
――いや、そもそも。
私はふと、ある疑問を口にする。
「……わたくしが皇太子殿下に
「それはもちろん、皇太子殿下が貴女のことを愛しく想われている、と」
「……それは、どういう意味です?」
「そのままの意味ですわ。皇太子殿下は貴女のことだけを特別視しておられるのです。まるで、恋人を想うように」
「はぁ……」
不思議な言い回しだ。私は特別視された覚えはないし、閨に招かれたこともなければ、部屋に訪ねられたこともない。
それなのに皇太子が私を愛していて、常に気にかけているというような口ぶりだ。どうしてそうなったのだろう。まさか彼がそんなことを言っているとも思えないのだが。
「……太子様が、そう仰っているのですか?」
「ふふ。直接言葉で仰らなくてもわかりますわ。貴女が龍宮に訪れた日から、すべて変わったのですもの」
蔡姫はくすくすと笑う。
なにか含むところがありそうだが、それは私の思い過ごしだろうか。
そんなふうに考えていると、やがて話題は別の方向へと流れていった。
第三話、了。
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