私が免許を取った理由

染谷市太郎

私が免許自動車を取った理由

 急ブレーキがかけられ、自動車はガクンと止まった。

「あっぶないなー」

 自動車の前を歩行者が通り過ぎる。

「信号、赤でしたよ。父さん」

 私はなるべく感情を出さず、平たんに指摘した。

「わかってるよ」

 軽く返しながらも、機嫌の悪さが隠せていない声音に、私はふいと外に目を向ける。

 ぽつぽつと雨粒が窓ガラスを濡らしていた。

 地面は塗れていつもより黒くなっている。スリップなどして大きな事故になることがなく、よかった。

 ガラスに反射した父は不機嫌そうに携帯を触ろうとする。

「警察に捕まりますよ」

「うるさいな。お前はまだ運転できないんだから文句を言うな」

 最近の父は更年期なのか、どうも受け答えが幼い。

 信号が青になった。父は強くアクセルを踏む。私はされるがまま座席に押し付けられた。

 もしものために、父のハンドルに注目する。事故でも起こることになれば、人のいない方向にハンドルを切るために。


 父の荒い運転で、到着した場所は自動車教習所だ。

 ようやく生きた心地がする。雨でも自転車か、バスを利用して来ればよかった。

 それにしても、父は意地の悪いことを言う。私が免許を取れるぎりぎりの年齢だということは……もしかしたらわかっていないかもしれない。思い出せば、以前の誕生日も忘れられていた。

 今運転できるものならやってみたいものだ。


「アクセル踏みすぎ!!」

 講師に勢いよくブレーキをかけられる。

 教習所の教えはスパルタだ。それこそ右も左もわからない生徒に浴びせるべきは怒声ではない、と私は思う。このような教え方ではみなぽっきりと心が折れるのではないか。それとも心の弱い人間に自動車を運転させないことが目的なのだろうか。

 私は短く、はい、とだけ答えた。そして、次はこの講師を選ばないようにしよう。そう、心に決めた。


 帰りになっても雨は降っていた。

 私はバスを利用し帰宅した。


 私が自動車教習所に通う理由は、自動車免許を取るためだ。

 田舎に住んでいれば、取らなければ生きていけない。

 日常においてもだが、特に非常時はその必要性をひしひしと感じる。


 夜中、警報で私は起きた。

 無意識に浅く寝ていたのか、それとも神経を逆なでる警報のおかげか、いやにはっきりと目が覚めた私は、リュックサックを背負ってすぐに祖父母の元へ向かう。

 祖父母はすでに、上着をひっかけ外に出れる準備をしていた。

 朝からの台風による風雨で鳴らされた洪水警報に、祖父母はすぐに非難の姿勢に入っていた。貴重品など荷物を確認する。

 両親はいつになっても起きてくる気配はない。

 足の悪い祖父を、祖母に任せ、私は両親の様子を見に行った。

 寝室で、父はパソコンを見ていた。この様子であれば警報も気づいているはず経ったが。

「父さん」

 呼びかけで、ようやく父は私のことに気づいたのかヘッドホンを外す。

「警報が鳴っていますよ。非難しましょう」

 私は母も起こそうとする。母は部屋の照明を避けるように布団を深くかぶっていた。

「大丈夫でしょ?」

「?」

「パソコンで川の様子見れるけどさ、大丈夫そうだし」


 何をおっしゃるのだ、この方は。


 私はいらだちを胸にしまい、祖父母の元へ帰った。

 これ以上のやり取りをする気にはなれなかった。

 パソコンに映った動画を見て、いったいどのように安全性を確認するのだろうか。そもそもその動画が、現時点の、家の近くにある川である確証はどこから来るのだろうか。

 根拠のない安心感で、家族を危険な目に合わせるつもりのようだ。

 この家に、自動車を動かせる人間は父しかいない。その父があのようでは、足の悪い祖父を連れて避難できるとは考えられない。

 父は私たちの安全など思考の端にもないのだ。

 軽蔑した。あれを父と呼ぶには能わない。


 私はその夜、祖父母のそばで一夜を過ごした。

 幸い、川が溢れることはなかった。




「とても上手になっていますね!」

 教習所の講師は手を叩いて誉める。もう授業を取るかと思った厳しい講師だ。

 しかし自身でもわかるほど、運転技術の向上に今ではその鬼のような表情も鳴りを潜めている。

「はい。自分の命は自分で守らなければならないので」

 私は自動車免許をとって、自動車を運転できるようにならなければならない。

 私の意気込み、講師は教えがいがあると腕を鳴らす。

 そのかいあってか、私はスムーズに免許を取得することができた。


 これで煩わしいことはなくなる。


 免許センターから帰ってきた日、私を迎えたのは乱雑に荷物が乗せられた軽トラックだった。

「おう、帰ったのか」

 申し訳程度にロープで絞められた、DIY用の木材が危険を知らせていた。

「父さん。この積み方は」

「なんだ、また文句か?経験もないのに文句ばっかり言うんじゃない」

 私はそれ以上口を開くことはなかった。

 あれには何を言ってもしょうがない。


 さて、次はどのような免許を取ればいいのやら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が免許を取った理由 染谷市太郎 @someyaititarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ