第四章 煉獄

十五、

暗い。


燭台の灯が一つ消えた。


 クロードが身じろぎ、フェリシスは闇の狭間から視線を上げた。どれくらい時間が経っているのか、この密室からは伺い知ることができない。乱れた衣服を整えて、クロードは立ち上がる。眼帯を拾い結び直すと、再び沈黙を纏った火薬売りの顔になる。フェリシスもサッシュを整え、錆びた鉄の味が残る唇を舐めて、クロードに従って立つ。機械仕掛けの身体を軋ませるように通路に出ていこうとするのを、フェリシスはランプを掴み後を追った。


「配備は」

「廃兵院が供出できるもので、マスケット三万丁、大砲が二十基ほどです」

「状態の確認を?」

「しました。良くはありません。旧式で手入れもされていない」


 慣れない者が使うと危険です。パリ市民委員会で、銃器取り扱いの訓練を組織する予定ですが、一両日中にはどうともなりません。混乱に乗じて盗み出されたものも多いと見られます。フェリシスは答えながら、クロードの腕を取った。凶暴な視線がこちらを掠める。


「武器だけでは働きませんでしょう。そんなものだとお考え下さい」


 軽く引き寄せるように歩調を合わせる。フェリシスはランプを掲げているが、クロードの歩みは暗がりでも淀みない。と、鈍く光を散らす黒の睫毛が、一点を仰いだ。フェリシスもつられて低い天井から奥の通路に流れる空気に目をやり、耳をそば立てる。


「早いな」


 クロードは僅かに眉を顰めて言う。誰かの呼ぶ声が幽霊のように、クリプトの壁を伝って微かに響いてくる。クロードは歩調を速め、迷いなくフェリシスの降りてきた階段に辿り着いた。暗闇に焚火を翳して板戸を開け、覗き込んでいる顔はブレーズだ。こだまは歌うような高音であったから、ブレーズのものとはとても思えないが、こちらが二人階段を登ってくる様子を確認して、肩を竦める。


「邪魔してすまねえな」


 若干揶揄を含んだ穿った視線を送られるが、クロードはまったくの仏頂面で問う。


「どうしたの」

「フランス衛兵隊の一部が離反した」

「目論み通りで何よりだ、という状況ではなさそうだね」

「強硬派に押し切られて、国王軍が動くかもしれん」


 フランス衛兵隊の下士官たちは、全国から徴募された第三身分出身の者たちだ。スイス人連隊とドイツ騎兵隊とともに国王軍を形成するが、もとよりパリ市民に対する同情が強い。市街の警備に携わっており、金銭や融通のやり取りもある癒着関係と言ってもいい。プロフェッショナルである彼らがこちらの戦線に加わるならば力強いが、貴族を司令とする国王軍の大部分に、パリへ踏み込む契機を与えるだろうことが予測された。クロードは唇に指を当てて考える。


「……そちらはラファイエットに任せておけばいい」


 うへえ、とブレーズが天を仰ぐ。親父とあいつじゃ毒蛇と蟒蛇(ウワバミ)だぜ、怖え、怖え。取り敢えずヴィペールの連中にゃ、逆らわないよう言っとく。これ以上内輪揉めしてらんねえからな。表のがらんとした常闇から、ミミがやってくるのが見えた。


「村が出立を知らせる早馬を寄越してきたけど」

「タイミングが悪いな。包囲が厳しくなるぞ」


 ミミとブレーズは目配せし合う。些かいたたまれずフェリシスは咳払いした。


「村が、ディオンたちもパリへ向かっているのですか」

「お前には関係ない。契約分の火薬を引き取って持ち場に帰れ」


 クロードの忌々しげな言葉尻に、ミミはどこか仕方ないわねえ、といった溜息を吐く。ブレーズとミミに対しては、クロードも威勢を張り切れないらしい。


「夜明けまでにはミシェルたちが来て、ここの火薬を運んでくれることになってるから。どこへかは指示して頂戴」

「すみません、俺が手配すべきなのですが。有り難うございます」

「阿呆。お前はもうこちら側の駒なんだから、勝手に動くなってんだよ」


 ブレーズに頭を小突かれる。目下のところパリの騒乱は、アンブロワーズとクロードが制御できる限りなのだろう。自分もそこに組み込まれた一人に過ぎないのである。それでいい。自分は己れを売ったのだ。だが、明日は分からない。進軍の砲声が聞こえる。パリの人々はバスティーユを目指す。田畑の向こうから、怒号の波が押し寄せる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

火約 田辺すみ @stanabe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ