10ー3 刺客 3

 事態はまさしく窮地であった。

 夜の暗闇にまぎれて、剣戟けんげきの音が聞こえてくる。

 男たちの怒声が暗闇の森の中に響き、事が乱戦へと変わっているのがわかった。

 おそらく、金象の一行は劣勢であろう。

 待ち伏せをされた側が、ほとんど包囲されているのである。

 情報戦の上でも優位を取った敵側は、もしかしたらこちらの人数も把握しており、二十人を大きく上回る人数を用意しているかもしれない。

 だが、ここからでは戦場の様子は判然としない。

 そして状況を確認するよりも、今は離脱する事を優先しなければ。

「はぁ……はぁ、白臣、ついてきていますか!?」

「はい、ここに!」

 鎮波姫が声をかけると、すぐ後ろから白臣の声が返ってくる。

 先を行く永常の背中もしっかり見えている。

 敵の包囲は狭まりつつあるが、永常が見つけたらしい穴を突けば、三人は包囲から脱出できるかもしれない。

 このままなら、三人そろって窮地を脱することが出来る……。

 そう思った時であった。

「姫様、止まって!」

「なっ……!?」

 急に走るのをやめた永常の声。

 それに反応し、鎮波姫も急停止する。

 同時に、目の前にいたはずの永常の姿が一瞬で消え失せた。

 鎮波姫の目が辛うじて捉えたのは、身を固める永常と、瞬いた火花。

 推測するに、永常の目の前に敵が現れ、その突然の襲撃に対して防御しか出来なかった永常が、敵の攻撃によって吹き飛ばされたのだろう。

「永常ッ!?」

「ほぅ、良い防具をしてやがる」

 代わりに鎮波姫の前に立っていたのは、彼女の身長を大きく超える体躯を持った大男であった。

 その手には、今しがた振り抜かれた大太刀が握られている。

「しかも身のこなしも悪くないと来た。流石に列島の姫様お付きとなれば、それぐらいしてくれねぇとな!」

 大男の持つ大太刀に血はついていない。だが、横薙ぎに振りぬかれた太刀によって永常は大きく吹き飛ばされていた。

 目の前の男は明らかに敵。それを認識して鎮波姫も鉾を構える。

「だ、誰です!?」

「くくっ、この状況で誰何すいかとは。余裕って事かね、姫様? 俺が誰であろうと関係あるまいよ、何せこれからアンタは死ぬんだ」

「名乗りもしないとは、倭州男児にあるまじき振る舞いッ!」

 これから立ち合う相手に名乗りを挙げるのは、倭州の武人としては当然の礼儀であった。

 それを拒否するのは後ろ暗い事情があるのか、それとも単に礼儀をわきまえない人間か。

「姫様、お下がりください!」

「白臣! ですが……ッ!」

 すぐに鎮波姫の前に白臣が躍り出て、彼女を背後に隠す。

 同時に白臣は大男の顔を見て、眉間にしわを寄せた。

「その顔、見覚えがあるぞ……。大太刀をふるう大男、戦場にて出会えば生き残る術なしと謳われた巨躯きょくの狂人……塩東えんどう甚八じんぱちッ!」

「おや、爺さんは俺のことを知っているのか? くくく、有名人も難儀だなぁ」

「塩東、甚八……! 私も聞き覚えがあります」

 戦続きの倭州において、その名を聞いたことのない武人は一人としていないであろう、とまで言われる、伝説の傭兵。その名前が塩東甚八である。

 あらゆる戦場に現れ、鬼神のごとき働きで戦場を荒らしまわり、その手に持つ大太刀でもって敵を蹂躙じゅうりんせしめる姿は、ただただひたすらに怪物の如くあり、ついたあだ名が『鬼甚八おにじんぱち』。

 数年前に姿を消してからは、誰も噂すら聞かなくなり、どこかでひっそりと死んでしまったのだろうと言われていたのだが……。

「本物なのですか!?」

「おうとも。俺が巷で噂の鬼甚八。身元を証す事ぁ出来ねぇが、その身をもって俺の太刀を味わえば、嫌というほど理解するだろうよ」

「どうしてあなたのような無双の武人がこんなところに……神火宗に寝返ったのですか!?」

「神火宗ぅ? くははは! そうさな、そういえばアンタたちは、神火宗を潰すためにここまで来たんだったな!」

 あざ笑うかのような甚八の態度に、鎮波姫は眉をひそめる。

「……なにが、おかしいのですか!?」

「いやなに、全く見当違いなことを言われたもんで……だが、冥途で嘘八百を広められてもかなわねぇ。そこだけは否定しておかなきゃな」

 甚八は笑顔を浮かべながら、大太刀を構えなおす。

 重たそうな得物を軽々と振るい、重心を落として、目の前に立つ白臣を見据える姿は、夜の暗闇にまぎれているのも相まって、本当に化け物と相対しているようですらあった。

 鬼甚八とは、過言とも言い切れない。

 そんな甚八は構えながらも言葉を続ける。

「俺が仕えているのは神火宗じゃねぇ。もっとスゲェ人さ」

「すごい人……?」

「アンタも覚えておきな。アンタがいなくなった後、倭州を統べる新たな姫、傾城の蓮姫はすひめの名前をな!」

「蓮姫……?」

 全く聞いたことのない名前であった。

 超有名人の甚八から聞かされるには、余りにネームバリューがなさすぎる。

 だが、その甚八が自信満々に宣言したからには、きっと何かがあると思わざるを得ない。

「姫様!」

「……っ!」

 白臣に突き飛ばされ、鎮波姫はその場から少し距離を取る形となった。

 次の瞬間には、ガチン、と重たい音がして火花が散る。

 火花によって照らされたその場所には、巨大な太刀を手甲で受け止めている白臣の姿があった。

「ほぅ、爺さんの割には、さっきの若造よりもやる」

「見くびるなよ、鬼甚八! 老骨ながら元は列島の守士筆頭! まだまだ貴様なんぞに遅れはとらん!」

 一撃で吹き飛ばされた永常とは違い、白臣は甚八の大太刀を受け止めたまま、その場をじっと動かなかった。

 何故なら、彼の背中には鎮波姫を背負っているのだ。

 白臣まで吹き飛ばされては、最早鎮波姫を守る人間はいなくなってしまう。

 姫を守る役目を負った人間として、それだけは避けねばならない事態なのだ。

「永常ッ!」

「……うっ……」

「立て、永常! 貴様の使命を忘れたのか!」

「親父殿……! だ、大丈夫です!」

 甚八の一太刀でもって吹き飛ばされた永常。

 その腕には白臣と同じような手甲がつけられている。

 あれで防御が出来たことで、永常も身体を両断されずに済んだのだろう。

 多少失神していたようだが、白臣に叱咤されて意識を取り戻したようだ。

 すぐに白臣に並んで甚八と事を構えようとするが、しかし白臣に睨みつけられる。

「勘違いするな、永常! 使命を忘れるな、と言うたはずだ!」

「お、親父殿、しかし……」

「くどいぞ! 命を賭しても姫様を守るのが守士! 貴様はその筆頭を継ぐ者として、ふさわしい行動を取れ!」

「……ッ! ご無事でッ!」

 歯を食いしばり、父とともに強敵と相対する事を諦め、永常は鎮波姫の手を取る。

「姫様、こちらへ!」

「永常……ですが、白臣が……ッ!」

「何も言わないでください。この場は離脱します!」

 これ以上言葉を重ねていては情がわく。

 この場に残りたい未練が足をつかむ。

 そんな想いを全て振り払うため、永常は言葉を紡がず、その場を一刻も早く離脱し始める。

「おっと、そう簡単に逃がすと――」

「貴様の相手はワシだ!」

 永常の行く手をふさごうとする甚八だったが、それよりも早く、白臣が回り込む。

 永常を庇うように立ちふさがる老体に、しかし甚八は足を止める。

「爺さん……只者じゃないな」

「言っただろう、ワシも守士筆頭であった人間。姫様の御身は命を賭して守る」

「へぇ、列島に引きこもって戦場にもあまり出てこない腰抜けかと思っていたが、なかなかどうして守士というやつらも骨があるようだ」

 白臣の動きを見て、彼を強引に突破しつつ鎮波姫を追いかけるのは難しいと判断したらしい甚八。

 静かに大太刀を構えなおし、白臣を見据える。

「困った。俺の仕事は姫様を殺すことだったんだが……厄介な側近がいたもんだぜ」

「守士を甘く見た貴様の落ち度だ。あの世で後悔するが良い!」

「俺を殺すつもりか? 面白ぇ。やってみろよ、くたばり損ないが! 鬼甚八の名は伊達じゃないって事を刻みつけてやろう!」

「抜かせ、ワシとてそう易々と死にはせんぞ! 馳側白臣、推して参るッ!!」

 白臣と甚八、二人の殺し合いが、乱戦の喧騒へと紛れていく。

 殺気を帯びた騒ぎを背に、鎮波姫と永常は森の闇の中へと消えていった。

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