10ー2 刺客 2

 十八か所と言われた神火宗の拠点。

 それを同時に攻めて潰す作戦は、すぐに実行されることとなった。

 鎮波姫も当然、その作戦に参加し、拠点のうちの一つを担当することとなる。

「まさか金象殿と馬を並べることになるとは思いませんでした」

「私も、鎮波姫様と共に戦列に並べるなど、無上の喜びでございます」

 鎮波姫が参加したのは、陽浪州の隣にある州の、奥まった土地にある拠点である。

 州の南北に延びる山脈、その麓に広がっている森の中に隠れ潜んでいるというその拠点は、なるほど禁止された宗教の隠れ家にふさわしい立地であった。

 現在、鎮波姫たちはそこへ向かう森の中を進んでいる。

 金象と鎮波姫のみが馬に騎乗して移動しており、他は徒歩である。

 馬での行動は目立ちやすいため、奇襲には不向きではあるものの、二人は将であり、主な仕事は指揮と後詰めである。

 メインである襲撃は後ろについて来ている歩兵に任せ、彼らを指揮しつつ、討ち漏らした人間を騎馬で追いつめて掃討する、というのが金象の立てた作戦だった。

「夜も深くなってきましたな。森の中では明かりが届きにくい」

 金象が見上げた空。

 木々が生い茂った森の中では、暗い夜空を見ることも出来ず、月明りは全く落ちてくることもない。

 ゆえに、一行が進むこの道も、相当暗い。

 誰も明かりをつけていないのである。

「かといって、神火宗に奇襲を仕掛ける私たちはおいそれと明かりをつけるわけにもいかない……ですよね」

「その通り。ですから、姫様もお気をつけて」

「ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。これでも夜目は利くんです。……それよりも気になることがあります」

 金象の心配をありがたく受け取りつつ、鎮波姫は後ろを振り返る。

 先頭を進む二人に追従する奇襲隊は、二十名ほどにしか満たない。

「これだけの手勢で、神火宗の拠点を攻め落とせるのでしょうか?」

「心配ありませんよ。これだけ奥まった場所に潜んでいる拠点です。そこに隠れられる人数も限られるでしょう」

 一行が進んでいる道も、道と呼べるぎりぎりのレベルであった。

 馬で歩くのにも二騎が並ぶことも出来ない。

 これだけアクセスの悪い場所であれば、奥に住んでいる人間の痕跡は辿りやすくなる。

「情報から推定している神火宗の人間は十名ほどです。こちらの手勢が二十名ほどでは若干不安はありますが、勝てない作戦ではないでしょう。奇襲を仕掛けるのにも大勢では難しいですからね」

「そうですね……」

 確かに大勢で動いて敵に気付かれては意味がない。これは奇襲なのだから。

 しかし気がかりなのは倭州から連れてきた鎮波姫の手勢がほとんどいないことである。これでは彼女の守りが――

「姫様、少しよろしいか」

 馬に乗らず、徒歩で随伴ずいはんしていた白臣が鎮波姫の傍に寄る。

「白臣……?」

「妙な気配です。森の中が静かすぎます。永常には警戒に行かせましたが、この作戦は早急に中止にしたほうがよろしいかと」

「どういうことです? それほど危険ですか?」

「わかりません。ですが、わからないことがおかしい」

 白臣は武人として戦場に立って久しい。

 その白臣が戦場を見通すことが出来ず、全体的に不鮮明なのは珍しいことであった。

 行軍中でもある程度の気配は掴めるはずだ。ぼんやりとでも、雰囲気というものが感じられるのが普通であった。

 だが、それが一切わからない。

 そこが妙に気にかかる。

「とにかく、ここから離脱するべきです。ここはワシの事を信じてくだされ」

「し、しかし、金象殿の作戦が……」

「作戦よりも御身の方が――ッ!? 御免ッ!」

 ふいに、白臣が馬上の鎮波姫へ飛びついた。

「きゃっ!」

 と短い悲鳴が森の中へ響くや否や、それを撃ち落とすように風切り音が涼しく鳴る。

 白臣の肩口をかすり、今の今まで鎮波姫がいた場所を通り過ぎたのは、鋭利な矢であった。

「何事!?」

「敵襲ッ!」

 一気に辺りが騒然となり、奇襲部隊の隊列がバラバラに散っていく。

「敵は近くにいるぞ!」

「散会しろ! 的にされるぞ!!」

「待て! 各個撃破される! 隊列を乱すな!!」

 狭い道、見通しの悪い森の中、奇襲をかけるつもりが奇襲をかけられた状況。

 最低限の装備しか用意していなかった金象の部隊は、敵の奇襲に対して浮足立ってしまう。

 金象という将を戴いていながら、各々が勝手に判断し、行動に移してしまう。

 統率の取れなくなった部隊はいずれ瓦解し、戦力とも呼べなくなったところで殲滅されてしまうだろう。

 そんな中、白臣と共に地面を転がった鎮波姫は、冷静に状況を把握した。

「白臣!」

「わかっております」

 多くを語らず、鎮波姫の意思を汲んだ白臣は、すぐに立ち上がり鎮波姫の腕を引っ張って起き上がらせる。

 二人ですぐに動ける状態になったところで、白臣は森の闇を見据える。

「永常!」

「こちらです!」

 白臣が暗闇に呼びかけると、永常の声が返ってくる。

 白臣に言われて周りの警戒に当たっていた永常が、先に退路を確保していたのだ。

 鎮波姫の手を引いて、白臣は永常の声の方へと駆けだした。

「な、何が起こったんですか!?」

「おそらくは神火宗が先手を打ったのでしょう。奇襲を仕掛けるつもりが、こちらが待ち伏せされていたのです!」

「我々の作戦が筒抜けであったと!?」

「そうとしか考えられますまい!」

 走りながら、二人で状況の再確認をする。

 鎮波姫を狙って放たれた矢は、間違いなく敵意と殺意。

 この倭州で鎮波姫を狙うとなれば、余所者である神火宗の人間しか考えられない。

「待ち伏せされたとなれば、神火宗は私たちの作戦を事前に知っていたことになります! そんなことがあるわけ……」

「間者の可能性もありましょう! しかし、今はそれよりも」

「姫様、親父殿、こちらです!」

 しばらく森の中を走ると、永常の姿が見えてきた。

 暗闇の森の中では、視界はあまりよくない。夜目が利くといった鎮波姫ではあったが、それでもはっきり顔立ちまで視認できるのは数メートル範囲内であろう。

「永常、首尾は!?」

「土地勘がない故、手間取りましたが、敵の包囲に穴は見つけました」

「包囲されているのか……敵も用意周到ということか」

「親父殿は姫様と先に! 私は殿を務めます」

「馬鹿を言うな、姫様と先に行くのはお前だ!」

 白臣は永常の背中を叩き、鎮波姫を預ける。

 この窮地にあって安全な場所などありはしないが、それでも殿というのはかなり危険なポジションである。

 ここでそのリスクを背負うのは、老人と呼ばれる年齢に片足を突っ込んでいる白臣だ、ということなのだろう。

「永常、何があっても姫様を守るのだ。お前が命を落とそうとも、御身に傷一つ負わせてはならん!」

「わかっております!」

「では行け。姫様の背中はワシが引き受けよう」

 もう一度、今度は優しく永常の背中を叩いた白臣。

 その顔には優しい父親の面影があり、それを見て永常も鎮波姫も悟る。

 白臣はここを死地と定めたのだ、と。

 だが、それに対して二人は何も言わない。

 なぜならばそれが武人としての矜持なのだから。そこに難癖をつけるのは野暮を通り越して、失礼極まりないというのが、倭州の習わしである。

 男が死地を定めたのであれば、それを黙って見送るのが残された者のマナーであり、もし万が一にも生を拾う事が出来た時、お互いに生きて再会できた時に無上の喜びを分かち合うだけでいいのだ。

「さぁ姫様、お早く!」

「……はい!」

 迷いはある。

 白臣との付き合いも相当長い。

 鎮波姫の喉元まで、『生きてここから逃げ延びて』と無理難題が出かかる。

 だがそれは白臣の覚悟に水を差す所業、倭州人としてあり得ない行動である。

 鎮波姫は言葉を何とか飲み込み、先を行く永常の背中を追いかけ始めた。

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