11 逆転の策

11 逆転の策


「こっちに跡がある!」

「遠くへは行っていないはずだ! 探せ!」

 森の暗闇の中で、男たちの怒声が響き渡る。

 バタバタと複数の足音も聞こえてきて、周りに大量の人間がいるのが目を閉じていてもわかった。

「姫様、大丈夫ですか?」

「ええ、平気です。……潮の香がしてきましたね」

「海が近いのかもしれません。だいぶ南に誘導されてしまいました」

 追手から逃れるように移動してきた鎮波姫と永常。

 敵は二人の逃げ道をふさぐように展開し、移動先を誘導してくる。

 こちらの不利になる方、不利になる方へと誘導された結果、森の中をどんどん南へと進まされていたようである。

 倭州南西部にある州にて、南北に伸びる山脈の麓に広がっている森の中を逃げている現状、南へ移動させられれば海へと追い込まれていることになる。

 望むべくは東へ、森を出て人里に近い方向へ逃げることが出来れば、まだ状況は改善できたかもしれないが、それももう難しい状況だ。

「私たちを追っている……ということは、金象殿たちはどうなったのでしょう?」

「上手く逃げてくれればいいんですが……」

 待ち伏せを受けた金象の奇襲隊。そこからいち早く逃げる形で出てきてしまった鎮波姫たちには、金象がどうなったのかを知る由もない。

 だが、足音や声を聞く限り、こちらの追手にかなりの人手を割いているようにも感じられる。

 となれば、待ち伏せを受けた奇襲隊はすでに壊滅していることも考えられる。

「姫様、今は他人の心配より、ご自分の心配をなさってください」

「そう……ですね」

 心配なのは金象だけではない。

 鎮波姫を逃がすために殿を務めた白臣も、今は安否が不明である。

 しかし、それでも今は自分の身を一番に考えなければいけない。そうしなければ命を賭して退路を開いてくれた白臣にも申し訳が立たない。

「ですが永常、これからどうします? 何か逃げられる策はあるのでしょうか?」

「そうですね……」

 鎮波姫も永常も、そこで黙ってしまう。

 二人とも、冴えた名案などありはしないのだ。

 そもそも土地勘のないこの場所で、逃げ延びて安全な場所があるのかどうかすらわからないのである。

 行くあてのない逃亡に、明るい未来などない。

そして、悪い状況というのは重なるものだ。

「いたぞ! こっちだ!」

 近く通りかかった追手が、二人の姿を発見したのだ。

 すぐに笛が吹かれ、他の追手にも合図が送られる。

 グズグズしていればすぐに包囲されてしまうだろう。

「や、ヤバい! 姫様!」

「は、はい!」

 見つけた追手との距離はかなり空いている。

 そして、不用意に近づいてくることもしない。良い猟犬である。

 確実に獲物をしとめるために、圧倒的に優勢な状況になるまで相手を追い詰めるつもりなのだろう。

 二人と距離を取りつつ、絶対に見逃さないように注視してくる。

 また、それ以外の方向からも足音と怒声が聞こえてきて、二人の進行方向を的確に塞いでくる。

「姫様、とにかく、こちらへ!」

「はい……ッ!」

 絶体絶命。そう思った。

 二人はじわじわと誘導され、森の南へ、南へと移動させられていく。

「森が切れます……ッ!」

 前をうかがう永常が、苦々しげにつぶやく。

 森の中ならばまだ身を隠す場所がある。

 だが、森の外へ出てしまえば……

「これは……」

 そこは切り立った崖であった。

 ザザァ、と音を立てて波音が聞こえるということは、崖下は海なのだろう。

 最早、逃げ場はどこにもない。

「ようやく追い詰めたぞ、てこずらせやがって」

「観念しな、大人しくしていれば、苦しまずに殺してやる」

「あなたたち……」

 こちらを追いつめてきたのは、間違いなく倭州の人間であった。

 彼らを見て鎮波姫は奥歯をかむ。

「あなたたち倭州の人間が、どうして私を襲うのですか。やはり、神火宗になびいてしまったのですか?」

「その通りさ。神火宗の与えてくれる魔術の力で、俺たちは倭州に新たな時代を築く!」

「泰をはじめとする東部に肩入れする姫なんか、もういらないんだ!」

「東部に肩入れ……? 何のことです?」

 追手の言葉に、理解できない文脈が出てきた。

 鎮波姫は東部へ肩入れなどしていない。なんなら倭州の争いにはほとんど介入していないぐらいだ。

 だが、追手たちは確信をもって言葉を続ける。

「とぼけるなよ! 倭州の歴史を紐解けば、倭州統一に王手をかけたのは東部の州ばかり! そして姫の住む列島は倭州の東の海にある! アンタたち歴代の姫が東部に肩入れをして、倭州を統一させようとしているんだろう!」

「誤解です! 私たちはどこへも助力などしていない! 訂正してください!」

「ならば証拠を見せろ! 俺たちが虐げられた歴史が、姫の影響でないことを証明して見せろよ!」

 取りつく島もなかった。

 それだけ西部や南部の州は苦しい戦況を続けていたということか。

 確かに、これまでの歴史で大きな勢力となったのは東部の州ばかり。

 その州が統一の一歩手前で内部分裂などによって戦力が分散されたり、金象のような策をもって勢いをくじかれたり、結果として統一には至っていないものの、泰ほどの勢力となる州はこれまでにも東部で何度か生まれていたのだ。

 その背景には、東部や北部は安定した気候や肥沃ひよくな大地という、国力の地盤が整っているというのが大きい。決して歴代の姫が肩入れをしていたなどという事実はない。

 だが、彼らはそれを信じないだろう。

 おそらくは神火宗の入れ知恵でもあるのだろうが、これまでの歴史の積み重ねが思考を固定してしまっているのだ。

 その長い苦渋の歴史が、姫という存在への憎悪に変わってしまったのだろう。

 そして、今の鎮波姫に、東部の隆盛が姫の影響でないという証明は出来ない。

 いや、どれだけ説明しても悪魔の証明になるばかりだろう。

 ないものの証明とは、それだけ難しい。

「くっ……どうすれば……」

「お困りのようですな」

 鎮波姫が唇を噛んでいると、聞き覚えのある声が森の奥の方から聞こえてきた。

 馬の足音とともに現れたその影は、月明りに照らされて、鎮波姫の目にしっかりと映る。

「あ、あなたは……」

「どうですか、追いつめられた気分は? 我々の積み重ねた苦しみの一端でも、味わってもらえましたかな?」

「金象……殿ッ!?」

 そこに現れたのは未だ馬上で健在の金象であった。

 よく見れば、彼の背後には彼の手勢が全く無傷で追従してきていた。

「待ち伏せを受けたのでは……!?」

「あれも計略の一つですよ。いくら東部贔屓の姫とは言え、未だに南西部での人気はあります。その姫を殺めたとなれば、強い批判を受けますからね」

「……神火宗、もしくは賊の奇襲によって私が死亡したように偽装すれば、あなたの汚名は隠せますか……ッ!?」

「その通り、聡いお方だ」

 金象の筋書きとしては、神火宗討伐に向かった鎮波姫は、謎の部隊の奇襲を受け死亡、金象達は命からがら逃げ延びた。

 実際は賊などではなく、神火宗を含めた金象の手勢が待ち伏せを行い、鎮波姫を暗殺して倭州のパワーバランスを塗り替えようという魂胆だ。

 そして何も知らない民衆には、これからは死んでしまった姫に頼らず、神火宗の力でもって倭州を盛り上げていこう、と、そのあたりだろう。

 つまり、彼は最初から鎮波姫を裏切っていたのである。

 それに憤った永常が犬歯をむいて吠える。

「金象……このれ者め! 姫様に弓引こうなどと、恥を知れ!」

「何とでも言うと良い。我々はもう決めたのだ。お前たち古き姫を捨て、新たなる姫と共に新たなる倭州を作り上げるのだとな!」

 新たな姫と聞いて、鎮波姫は先ほど聞いた名前を思い出す。

「新たなる姫……蓮姫とやらですか!?」

「おや、誰かが口を滑らせましたか……。その通り、神火宗の力を持った彼女の助力があれば、我々が倭州を統一するのも容易い。近いうちに、倭州は我々の手によって初めての統一を見るのです!」

「その蓮姫とは何者なのです!? あなた方が信用するに足る人物なのですか!?」

「少なくとも、あなたよりは」

 薄ら笑みを浮かべる金象。最早、鎮波姫の言葉は彼に届くことはないだろう。

 その蓮姫とやらに心酔しているようで、彼女以外の言葉は聞く耳を持とうとしない。

 これが名手と言われた太守の姿か。

「永常……よく聞いてください」

「姫様?」

 鎮波姫は永常に近寄り、彼にだけ聞こえる声で耳打ちする。

「私が合図をしたら、後ろの崖に飛び込んでください。後は私が何とかします」

「姫様、まさかあの力を使うつもりですか!? 無理です! 征流殿の儀式陣もなしに……」

「そうしなければ、我々に活路はありません。やるしかないのです」

「……わかりました。私の命も姫様に預けます。……ふがいない私を許してください」

「何を言います。あなたがいればこそ、我々の討つべき敵の正体もわかったのです」

 永常とともにいなければ、きっとここまでやって来られなかった。

 そうしなければ金象という裏切者も、『蓮姫』という存在も知ることは出来なかっただろう。

 永常も確かに役に立っているのである。

「私とともに生き延びなさい。そして、倭州の敵となる蓮姫を討つのです」

「……御意のままに」

 永常の頷きを見て、鎮波姫は背負っていた鉾を構える。

 それを見て金象は片腕を上げた。

「抵抗はおやめなさい。見苦しく死ぬより、美しく散る方が潔いと思いますがね」

 鎮波姫への無礼な物言いには、やはり永常が噛みつく。

「ほざくな下郎が! 貴様などに姫様に指一本触れさせはせん!」

「くく、出来損ないの守士が……。よかろう、お前から先に殺してやる」

 金象の言葉を聞いて、鎮波姫たちを取り囲んでいた兵たちが一斉に武器を構える。

 彼が挙げた手を下ろせば、一斉に襲い掛かってくるだろう。

 数十人はいるであろう敵を前に、きっと永常は無力だ。一瞬で殺されてしまう。

 ならば、それよりも早く。

魔海公まかいこうとの契約を、今ここに示せ。大いなる流れを征する戴冠の鉾よ、我らを彼岸へ渡らせたまえ」

 鎮波姫の祝詞が響き渡ると、やおら、戴冠の鉾が輝き始める。

 まばゆい光を発し始めた鉾を見て、すかさず金象がその腕を振り下ろした。

「殺せ! 守士も姫も、串刺しにしてしまえ!」

「「「「おおおお!!」」」」

 兵士たちが一斉に駆け出し、その武器の切っ先を永常に向けてくる。

 このままでは本当に串刺しになってしまうだろう。

 だが、それよりも早く――!

「永常!」

「はいッ!!」

 鎮波姫の合図を受け、永常と二人で崖へと身を躍らせる。

 不安になる浮遊感。眼下には白く猛る海の荒波がある。

 アレに飲み込まれてしまえば、武装している鎮波姫も永常も、きっと水面に浮かび上がることはかなわないだろう。

「姫様……ッ!」

「大丈夫です、鉾よッ!」

 鎮波姫が鉾を掲げると、その輝きがさらに増す。

 光が水面を照らし始めると、荒波はさらに暴力的にうねり猛る。

 渦潮のように円を描き始めた海面。二人はその中心へと飲み込まれていった。

「自ら死を選んだか……」

 崖の上でそれを見ていた金象は、鉾の光が海中へ消えたのを見ると、

「死体を探せ。時間はいくらかけても良い」

 手下に短く命令を出し、そのまま夜の闇へと消えていった。

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