12ー1 魔の手の及ぶ先 1

12 魔の手の及ぶ先


 コクン、と喉を鳴らし、鎮波姫がお茶を飲む。

 話に一段落ついて、喉を潤したかったのだろう。

 それを見ながら、アラドはふむと唸った。

「倭州でそんなことが起きていたのか」

「聞いた話だが、倭州では姫に対する信仰が強かったらしい。それを廃し、新たに神火宗へ鞍替えするとなると……相当な出来事なんだろうな」

 アラドの言葉を聞いて、フィムも顎を抑えて考え込むように呟いた。

 倭州における姫信仰は相当長い歴史を持っている。

 それはアスラティカでアガールスが国としての形を取るより以前、もしかしたら神代の頃からの信仰だったかもしれない。

 そんな長い信仰をかなぐり捨てて、神火宗という新たな宗教へ乗り換えるのは、ちょっとやそっとの出来事ではないだろう。

 長い間、代を重ねて教え込まれてきた習わしを、今からすぐに変えろ、と言われても普通は『はいそうですか』と切り替えられるものではない。

 例えば、今から急にご飯は地べたに置いて食べるもの、砂とともに食せばなお良し、との教えが常識である宗教を信仰しろ、と言われても、我々には容易く受け入れられるものではない。

 もう少しマイルドな例を挙げれば、肉食は禁止、という教えの宗教を国教として定められたとしたなら、反発が強いことも容易に想像できるだろう。

 それが宗教侵略の難しいところではあるのだが、神火宗はそれを上手くやってのけたようだ。

「それだけに、その宗旨替えを行わせた重要人物らしき『蓮姫』とやらが気になるな。鎮波姫さんは、ご存じなのですか?」

「いいえ、名前は確かに倭州の者のようですが、そんな女傑がいたとしたならすぐに耳に入ってもおかしくないはず……」

「ミーナさんは? 蓮姫はどうやら神火宗の人間のようですが」

「私も知りません。倭州の方となると、神火宗では高い地位には就きにくいと思いますし、私のところにまで名前が通る事は少ないかと」

 倭州とアスラティカが交流をし始めたのは数年前からである。

 そこで初めて神火宗の存在が伝わり、そして今ようやく倭州への宗教侵略が始まった。

 となれば、新たに神火宗へ入信した人間が、権僧のような高い地位に就くことは考えにくい。

 ミーナのようなペーペーにまで名前が通る有名人になる事はないだろう。

 倭州への宗教侵略を、自分の存在を隠しながら遂行する手練れならばなおさらだ。

「これから俺たちは神槍領域にも寄るんだろ? だったら、その時に聞いてみようぜ」

「アラドの目的は、帝に謁見することだろう。神槍領域は寄り道になる」

「でも、ミーナ修士とルクスくんはそっちへ送り届けるんだろ? その時にちょこっと質問するぐらいの時間はあるさ」

「……私の目が届かないと思って、あまり無茶な事はするなよ」

 フィムにしても蓮姫のことが気になるのは同じだ。情報が手に入るのならばそれに越したことはない。

 それよりも、だ。

「気になるのは、鎮波姫さんが持っている鉾の事です」

「戴冠の鉾の事ですか?」

「それには強い術式が付与されているように見えます。それに、先ほどの話でもあなたは祝詞……神火宗の魔術における呪文のようなものを唱えていましたね」

 それは先ほど、鎮波姫の話の終盤で語られた部分である。

 鎮波姫は海へ落ちる前に祝詞を上げ、それにこたえる形で海は変異した。

 元々、魔術師であるフィムは戴冠の鉾に術式が付与されているのは見抜いていた。

 そこに話が加われば、戴冠の鉾がなにがしかの魔術触媒になっているのではないか、という推察が立つ。

「倭州には神火宗の使う魔術のような技術はなかったと聞きました。それでもあなたが持つ鉾には魔術に似た術式が付与されている。これはどういうことですか?」

「私にもよくわかりません。これは姫に代々受け継がれる魔海公との契約の証と言われていますから、その発祥は数千年も昔のことになります」

 数千年も前からある品物にしては、全く劣化が見られない。

 鎮波姫の持つ鉾はその穂先も柄も石突に至るまで、全く新品のようにピカピカだ。

 それも人ならざる者の力によるものなのだろうか。

 アスラティカでも神の残したとされるいくつかの品々は、数千年の時を経ても全く劣化を見せていない。

 それを考えれば、戴冠の鉾も神具に近いものなのかもしれない。

 何せ、海に影響する程の魔術を操れるのだから。

「神火宗の魔術でも、海に影響して流れを操るなんて芸当は、相当高い難易度とされています。鎮波姫さんはそれが出来るのですか?」

「出来る……と簡単には言えません」

 そう言いながら、鎮波姫は鉾を撫でる。

「この鉾に付与されているらしい術式、そして本来ならば征流殿に刻まれた陣の上で、精神を集中させた状態で祝詞をあげることにより、姫としての力を行使できます」

「万全の状態なら、海を操れる、と?」

「それは可能です。それこそが魔海公と姫との契約なのですから」

 歴代の姫は海を操る力を持っていた。それがゆえに倭州の人間から信仰を得ていたのである。

 その強い力は姫だけに与えられたものであり、鉾は他の人間にその力を使わせないのだという。

 こうなってくると興味がわくのは、姫との契約相手だ。

「その……魔海公というのは?」

「アスラティカの方は魔海公をご存じないのですか? 海の魔物を統べる王のことです」

「海の魔物の……王? そんな存在と、姫は契約していたんですか?」

「ええ、魔物とは言っても、魔海公は話のわかる方です。魔物と呼ぶのもおこがましいぐらいに」

 アスラティカの人間にとって魔物とは大陸の北部、ラスマルスクのさらに北にあるという暗黒郷に潜む凶悪な獣のことであり、またつい先日はアガールスにて発生し甚大な被害を及ぼした忌むべき存在である。

 さらに言えば、海にすむ魔物などと言えば、長い間、アスラティカにとっては海洋進出を阻んでいた憎き敵とも言えよう。

 それの王である魔海公を『話のわかる方』と言われてもすぐに信用できるものではない。

 だが、鎮波姫や倭州の人間とは価値観が違う。彼らが魔物のことをどう思っているのかはわからない。またそれの矯正をするのは難しいだろうし、そうする必要もない。

 まずは話を進めるべきだ。

「鎮波姫さんはその魔海公と会ったことが?」

「何度かあります。しかし、滅多に人の前には姿を現さないようです」

「その魔海公とやらに魔術の心得があるのでしょうか……」

「鉾に魔術がかけられているのなら、そうなのかもしれません」

 魔物が魔術を操る、となると相当厄介な話である。

 神火宗の文献にも一応、魔術を扱う魔物の事は書かれてある。だが、それはアガールスに現れた怪鳥などよりも遥か上のランクに位置づけられる高位の魔物だ。暗黒郷ですらそうそうお目にかかれない、と記されている。

 また、怪鳥レベルの魔物でも瘴気を多く身の内に蓄えた個体ならば、特殊能力を有する場合もある。あれは魔術に似たものであると考えれば、あらゆる魔物は魔術の素養があると言っても良いのかもしれない。

 魔術師とは人間の中でも特に優れた魔術適性を持った者が持つ、強力な個性だ。

 それを魔物が全て持ち合わせるとなると、再びアガールスの瘴気事件のような出来事が起こった場合、その脅威度を見直さなければなるまい。

 そして魔海公という存在。

 それが自由に魔術を操る程度の格を持ち合わせているのであれば、人類にとってはとてつもない脅威であると言えよう。

 暗黒郷で引きこもっている神獣ドゥハンと同じく、不用意に触れない方が良い存在なのかもしれない。

「その魔海公とやらも気になりますが……それよりもお話の続きを聞かせてもらいましょう」

「鎮波姫たちはその鉾の魔術と姫自身の魔術で、海をなんやかんやして……トゥーハット領まで来たのか?」

「いいえ、魔術によって海に影響はしましたが、おそらく術は完璧な状態で発動しなかったのでしょう。私たちが流れ着いたのはルヤーピヤーシャでした」


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