余話2-3 守り刀 3

『ルクス、止まれ』

「……ん?」

 魔王に呼び止められ、ルクスは市場の真ん中で足を止める。

「おい、どうした少年」

「あ、いえ……」

 後ろからついて来ていた永常が訝って声をかけたが、ルクスは露店の方に目を向けていた。

 彼が見ていたのは露天商が売っていた、小さな金属片。

 それを見て、ワッソンが顔をしかめる。

「小汚い金属片ですね。こんなものまで売っているんですか?」

「なんだい、売り物にケチをつけるのか?」

 歯に布着せぬ物言いに、店主は目に見えて機嫌を悪くしたようであった。

 だが、ワッソンの言葉ももっともで、パッと見では売り物とは認識できないぐらいの、その辺に転がっている石ころと遜色のない程度の、小汚い金属片であった。

 店主の側もそれを理解しているのだろう。機嫌は悪くしたようだが、強く反論はしてこない。

「ルクスくんはその金属が気になるんですか?」

「えっと……」

 ワッソンに尋ねられ、ルクスは窮する。

 何せ、これを気にしたのはルクスではなく魔王なのだ。

「私は古書店が気になるので、そちらに向かっています。買い物が済んだら合流しましょう」

「え、あ、はい」

 どうやら自分の欲求を満たしたいワッソンは、その場を離れて古書店の方へ向かっていった。

 ワッソンならば一人でも心配ないだろう、と三人はそれを見送る。

「あの男、我らの目付け役だったのでは?」

「はは……ワッソンさんもアラド様の部下って事ですね」

 去っていくワッソンを見ながら永常が毒づくのに、ルクスも苦笑するしかなかった。

「それでルクスくん、その金属片は……?」

 鎮波姫が尋ねたのだが、ルクスは難しそうな顔をしてその金属片を見るばかり。

 ややしばらくして、それを手に取った。

「これ、おいくらですか?」

「え!? これ、買うんですか!?」「少年、買ってくれるのか!?」

 鎮波姫と店員の声がぴったり被る。

 先述の通り、露店に並んでいる金属片は何の加工もなされていない小汚い鉄片だ。

 貴金属にも見えないし、くず鉄と呼んで差し支えない。

 こんなものに金を使うぐらいなら、その辺の石ころを拾ってきた方がまだマシかもしれないと思うレベルだ。

 鎮波姫が考え直すように言う前に、店主はガハハと笑ってルクスの肩を叩く。

「いやー、一応仕入れてみたものの、売れなくて困ってたんだよ。買ってくれるならいくらでもまけてあげるよ!」

 商店には品物を棚に並べているだけでもコストがかかる。

 売れない品物を置きっぱなしでは、売れる可能性の品物を置く場所がなくなる。それは商機を失うリスクとなる。

 廃棄するにしても廃棄コストと仕入れ値が丸々損失となり、結局損なのだ。

 もし売れるのならばはした金だったとしても万々歳ということである。

「じゃあ、下さい」

「まいどぉ!」

 結局、手に入れた金をほとんど使わずに、その金属片を手に入れることが出来た。

 店主はニコニコだったが、ルクスの隣で顛末を見ていた鎮波姫は困り顔だ。

「ど、どうするんですか、その……」

「いえ、どうって……」

 素直な疑問を投げかけられたルクスだが、そこに明確な答えはなかった。

 何せ、ルクスもこの金属片がなんなのか、いまいちわかっていないのである。

(……魔王?)

『……間違いない』

 ルクスの頭の中にいる魔王だけが、その金属片の正体に気付いていた。

 神妙な声の中に、どこか喜色が見えたような気がした。

『ルクス、その金属片に細かい術式が刻まれているのがわかるか?』

(術式……? 本当だ)

 ルクスが額の瞳を凝らしてよく見れば、本当に細かく、言われなくては気付けないほどの術式がそこに刻まれいてるのがわかった。

 感覚が鋭敏である額の瞳があってこそ、ようやく発見できた、と言うレベルの細かさで、通常ならば誰も気付くことはなかっただろう。

 事実、店主も単なる小汚い金属片だと思っているようである。

(これってなんなんだ? 誰かが術式を刻んだって事か?)

『いや、それは自然に刻まれた術式だ。貴様ら人間の感覚で言えば、神から賜った先天的な恩恵といったところか』

 それを聞いて、ルクスに思い当たる節があった。

 それは神代に神から賜ったとされる神具。

 代表的なものと言えば、これから向かう先である神槍領域に安置されていると言われている神の槍、四界軸よんかいじくなどであろうか。

 それらは神が生み出したモノであり、創造されたその瞬間には術式が刻まれており、魔力を込めれば絶大な力を発揮すると言われている。

(これも神具に近いもの、ってことなのか)

『このくず鉄では大した力はないだろうがな。試しに、それを変形させるつもりで魔力を込めてみろ』

(変形? 魔術で変形させるってこと?)

『そうじゃない。魔力は金属片に刻まれた術式に流すだけでいい。しかし気をつけろ。それだけ細かな術式に魔力を流すのは技術がいるぞ?』

(やってみるさ……)

『変形後の形を想像しながらだ。魔力量の調整も忘れるな』

(わかってるよ。小言が多いな……)

 言われた通りに変形する形を思い浮かべながら、金属片に魔力を流す。

 すると、魔力の光を帯びた金属片は、一度液体のように波打った後、見る見るうちに姿を変えた。

 いびつな鉄クズのようだった金属片は、ルクスが思い浮かべたように、小さな環を作り出したのだった。

「おぉ!」

「へぇ、少年、魔術師だったのかい?」

「え、あ……はい」

 露店の店主はどうやらルクスが魔術を使って変形させたと思ったらしい。

 説明も面倒だったし、魔術師のようなものである、というのも間違いではないので、一応ここは肯定だけしておこう。

 ルクスが魔術を使えるというのも、鎮波姫は亡霊の一件で知っているだろうし、永常の方はあまり気にしているようでもない。

 ここで肯定しても大きな影響はなかろう。

 しかし不思議なのはこの金属片である。

(魔力を流すだけで変形するなんて……不思議な金属だね)

『これは流幻鉄るげんてつと呼ばれるものだ。含有率は少ないようだが、魔力に反応し、周りの物質を変形させる能力も充分に働いているようだな』

(そんな金属があるんだ……知らなかった)

『かなり珍しいものだからな。お前が知らないのも無理はない。しかし、そんなものがこんな露店に子供が小遣いで買える値段で並んでいるとは……クク、時代も変わったものだな』

 話を聞くに、どうやら超珍品のようだ。世が世ならば、こんなくず鉄のようなモノでもかなり高値で取引されるものであるらしい。

(これって、どの程度変形するんだ?)

『使用者の技術による。また、流幻鉄の質量によっては変形時に巻き込む無機物の量も変わってくるので、多ければ多いほど大規模な変形が行えるだろうな。お前の買ったそれでは、大した変形は出来まい』

 ルクスの買った金属片は、せいぜい彼の手のひらに収まる程度。

 流幻鉄の含有率も低く、大した変形も出来ないだろう。

 だが、それで充分だった。

「鎮波姫さん、僕の買い物は終わりました」

「え? それで良いんですか?」

「ええ、これ以上のものはありませんよ!」

 思いもよらず珍品を見つけてしまって、時間も出費もかなり抑えられた。

 これならば手に入れた金は鎮波姫に全部渡しても良さそうだ。

「鎮波姫さんは買うもの、何か決めたんですか?」

「一応、目星はつけてますけど、良いものが見つけられるかどうか……」

「それって一体――」


 その時、とんでもないプレッシャーがルクスを襲った。

 まるで氷の壁を背中にあてがわれたかのような寒気。

 瞳孔が狭まり、脈拍が早まり、ジワリと汗が浮く。

 呼吸が浅くなり、唇が渇く。

 本能が警鐘を鳴らすのだ。これは『窮地』だ、と。

 旅の途中で盗賊に襲われた時や亡霊に急襲された時などとは比べ物にならない。

 フレシュが瘴気に包まれ、魔物が大挙した時に比肩する。

 それほどまでの窮地。

 弾かれたように背筋を伸ばし、このプレッシャーの発生源を窺おうと首を巡らせる。

 それは、すぐ近くにいた。

 ルクスの額にある瞳が視認する感情。

 それを強く訴えかける存在が、すぐそこにいたのである。

 まるで燃え上がるかのような強烈な感情。

 だがその色は暗く、黒く、冷たい。

 勢いばかりはルクスを物理的に圧倒してしまうほどに強いのに、しかし近づくだけで全身の体温が奪われてしまうかのような錯覚を覚えてしまう。

 こんな感情を、ルクスは今まで見たことがなかった。

(こ、これは……ッ!?)

 異常な状況を把握したのは、発生からコンマ一秒にも満たない、反射の速度であった。

 思考が追いつくより以前に、ルクスは脊髄が訴える電気信号で、その場から後ずさった。

「あら」

 声が、聞こえる。

 その暗い感情の炎の中から。

 すでに額の瞳では光を掴めないほどに闇を孕んだその感情の中から。

「どうしたんですか、ルクスくん?」

 その声はルクスを見ていない。

 視線は全く別の方向を見ながら、ルクスへ声をかけている。

「い……いえ……」

 上手く言葉が紡げなかった。

 しかし、言葉に詰まればその瞬間に首が掻き切られそうな緊張感があった。

 ルクスが返した答えは、果たして相手の感情を逆撫でなかっただろうか?

「な、なんでも、ありません……」

「そう。急に妙な動きをするものだから、驚いてしまいました」

 それはこっちのセリフだ。

 急に『それ』が邪悪な感情を噴出させるから、ルクスは生存本能で挙動不審になってしまった。

(なにが彼女をそうさせたんだ……!?)

 ルクスは『彼女』の視線の先を窺う。

 それは慎重に、細心の注意を払って、出来るだけ彼女を刺激しないように。

 そして、ルクスは見たのである。

 喧噪の向こう、市場の端の方にいる三人組を。


 鎮波姫が見ていたのは見知った三人組、アラドとミーナとユキーネィであった。

 確かに三人はアラドが誘い、買い物に出てきているはずだ。

 市場で出くわす可能性もなくはない。

 だが、実際に目の当たりにしてしまうと……

「あ……」

 にこやかに買い物に興じる三人。

 どうやら露店のアクセサリーを見ながら談笑しているようで、その一つをアラドが手に取り、ユキーネィにあてがって見ている。

 アレを購入し、ユキーネィに贈るのだろうか。

 そう考えると、どうしても腹の奥がグラグラと煮立つ感覚を覚える。

「ルクスくん、向こうに行きましょう」

「え!? でも」

「向こうに私の欲しそうなものがあったんです」

「えっと……」

 有無を言わせずにきびすを返し、鎮波姫は歩いて行ってしまう。

 その様子を見て永常もワッソンも困惑していたようだが、声をかける隙も見当たらなかったので黙って彼女に追従した。

 ルクスも迷っているうちに鎮波姫はツカツカと歩いて行ってしまうので、慌てて追いかけるしかなかったのであった。


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