余話2-4 守り刀 4
そんなこんなで買い物時間も終わり、宿へ戻った一行は夕食も終えた。
町を包む空気もだんだんと冷え、夜の帳が世界を覆う。
ルヤーピヤーシャの夜はアガールスや倭州よりも冷えるため、夜に出歩く人間は少ない。
一応、酒場などの店が夜間も営業していることもあるが、実入りも少なく、数は少ない。
そのため、昼間は盛況であったリルリンガ・リの町の中も、夜になれば静かなものであった。
「あの、ミーナさん」
「ん?」
夕食の後、みんなが部屋に戻る途中の廊下で、ルクスがミーナを呼び止める。
他の人間がそのまま部屋を目指して歩いて行ってしまったので、自然と廊下には二人きりになった。
「どしたの、ルクスくん」
「いや、えっと、これを渡そうと思って」
そう言ってルクスが取り出したのは、昼間に購入した金属片――流幻鉄の指輪であった。
元々は小汚い金属片であったが、魔力を流すことによって変形するこの金属は、どうやら色の変化も自由自在の様で、現在はルクスによってピカピカの銀色をしている。
「え? これ、どうしたの……?」
「昼間に露店で買ったんです。ミーナさんに日頃の感謝の気持ちを込めて、贈り物をしようと思って」
「でもこれ、凄くお高そうなんだけど……」
「ところが、ものすごく安く買えたんですよ」
「え、じゃあ呪われた品とか?」
「そんなもの、僕がミーナさんに渡すわけないでしょ」
ムッとしたルクスを見て、ミーナはクスクスと笑う。
「ジョーダンだよ。……ふふ、ありがと」
「いえ、こちらこそ、これまでありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
「うん。……それで、ルクスくんはこの指輪、私のどの指にはめてくれるの?」
「え? うーん、中指とか?」
「じゃあ、はい」
そう言って差し出されたミーナの手。
長旅でボロボロではあったが、ルクスはこの手に何度も救われてきた。
大切で、愛しい。
その手を取り、ルクスは彼女の中指に指輪をはめる。
サイズは都度調整出来るので、ピッタリとハマるように変形させつつだ。
「ルクスくん」
「はい?」
慎重な魔力操作を行いつつ、話しかけられたルクスは返事を返す。
だが、彼女の顔を見ている余裕はなかった。
だから、ミーナが悪戯っぽい笑みを浮かべているのには気付かなかっただろう。
「指輪には特別な契約の意味が込められているって知ってる?」
「そうなんですか? 初耳です」
「魔術的に円環っていうのはとても重要な意味を持っていてね。多くの魔法陣が円で描かれているのにもワケがあるのよ」
「例えばどんな?」
「そうね……円には『円満』や『平和』『完全』を意味する他に、『独占』や『隷属』という意味もあるの」
「へぁ!?」
そこでようやく、ルクスは顔を上げる。
彼の真っ赤な顔を見て、ミーナはこの上ない笑顔を見せていた。
「結婚の儀式に指輪が用いられるのは、あなたを私のモノにします、って意味もあるんだよ」
「え、え、え、いや、でも、僕は、べつに、そんな、意味で、これを贈ったわけではわわわわわ」
「はっはっは! ルクスくん、かーわいー」
盛大に慌てるルクスのほっぺを突き、その狼狽する様を堪能するミーナであった。
ルクスが落ち着くのを待ち、二人は階段に腰かけていた。
落ち着いたルクスは、深呼吸を一つ挟み、
「ミーナさんには、もう一つお話があるんです」
と、真剣な表情で向き直る。
「どんな?」
「……僕、魔術が使えるようになったんです」
それは未だにミーナには伏せていた話であった。
ルクスはベルエナを出発してすぐに、魔王と言葉を交わし、魔術が使えるようになった。
それは神火に頼らずに得た力。かなりイレギュラーなものである。
それを打ち明けるべきか否か、凄く迷った。
だが、先日、亡霊の一件でアラドと鎮波姫にはバレてしまった。
そんな状況で、大恩人であるミーナにまでこの事実を伏せておくのは不義理だ。
そう考えて、ルクスは打ち明けることにしたのだ。
「ミーナさんも知っての通り、僕は神火に適応したわけではありません。それでも、何故か魔術が使えるようになったんです」
魔王の事は……まだ伏せておくべきか。
ヤツが何を企んでいるかはわからないし、底も知れない。
魔王が暴走して周りに影響を及ぼすようなことがあれば、きっとルクスは多くの人間に迷惑をかけてしまうだろう。それは本意ではない。
まだしばらくは様子を見るべきだ。
幸い、魔王の方も大人しくしている。
「今まで黙っていてごめんなさい」
「いや、うーん、なんとなく察してはいたよ」
「……え?」
ルクスの告白に、ミーナはしかしあっけらかんとして受け取る。
「これまでルクスくんと旅をしてきて、幾つかおかしいな、って思うことがあったもの。いくらバカの私でも気付くよ」
「え、でも……」
「何も言わなかったのは、ルクスくんにも何か考えがあるのかな、って思ったから」
ルクスの妙な様子には気付いていた。
だが、それでもルクスを信じ、いつか打ち明けてくれる日を待っていたのである。
無理に聞き出す事も出来ただろうが、ミーナはそれを望まなかったのだ。
「ルクスくん、まだ私に話してない事が幾つもあるでしょ?」
「え、えっと……はい」
「それも、君が話したくなったら話してくれればいい。私はルクスくんの考えを、ある程度は尊重したいと思ってるよ」
「ある程度って、どの程度ですか?」
「私と君に危険が及ばない程度」
それはルクスと同じような考え方であった。
誰かに危険が及ぶのであれば、強引な手段はとらない。
逆に誰かに危険が及ぶのであれば、無理も辞さない。
そういうことだ。
「ルクスくんは、抱えている秘密を打ち明けることに、危険を感じているんでしょ?」
「……正直、よくわかりません。本当はすぐに打ち明けた方が良いのかも」
「君の事は君が一番よくわかっていると思う。だから、今はルクスくんの判断を信じる」
「……ありがとうございます」
ミーナの思いやりが心に沁みた。
同時に、きっといつかは必ず、全てを打ち明けようとも決心した。
「まぁ、私一回、事を急ぎすぎて失敗しちゃったこともあったからねぇ。急いては事を仕損じるとは、よく言ったものだよ!」
「は、はは……」
最後に茶化す感じはいつものミーナであった。
****
一方、鎮波姫は。
「星がキレイ……」
宿のテラスに出てきた鎮波姫は、星の瞬く夜空を見上げてそんなことを呟く。
思えば、あの夜もそうであった。
亡霊に襲われ、アラドとルクスに助けてもらった日の夜。
アラドと何気ない話で時間を潰したあの時。
鎮波姫は懐に忍ばせた、アラドへの贈り物に触れ、小さくため息をついた。
今に至るまで、宿に帰ってきた時や夕食時でも、アラドに贈り物を渡すチャンスはいくらでもあった。
だが、チャンスを見つけるたびに、脳裏には市場で見かけたアラドとミーナ、ユキーネィの楽しそうな光景が浮かび、胸にチクリとした痛みが走ったのだ。
それを考えると、笑えてしまう。
「倭州では信仰の対象であった私が、感情に左右されてしまうなんて……」
いつだって理性的に行動してきたつもりだ。
それは姫という立場に求められた立ち居振る舞いであったし、自分もそうあろうとしてきた。
だからこそ、今もそうあろうとしているのだが、どうしようにも言うことを聞かないのが感情というものであった。
「まるで年端もいかぬ子供のよう……」
自分では手綱も握ることが出来ない感情を内に秘めていることは自覚したが、それに明確な名前をつける事が出来ずにいた。
全く正体不明の化け物を身体の内側に飼っているようで、メンタルばかりが削られていく。
鎮波姫はため息をつき、テラスの手すりに寄りかかった。
「おや、こんなところにいたのか」
「……!?」
急に背後から声を掛けられ、驚いて振り返る。
そこに立っていたのは
「あ、アラド様……」
「探したんだぞ、鎮波姫」
困ったように笑うアラド。
その表情を見て、鎮波姫は逃げ場を探すように視線をそらした。
アラドを見ると、自分の内側の感情が暴走をし始めそうだったのだ。
「な、何かご用でしょうか?」
「ああ。明日で一旦お別れになってしまうからな。話しておこうと思って」
一行は明日から道行を別々にする。
鎮波姫はルクスたちと神槍領域へ。アラドは帝と謁見しに帝都へ。
ゆっくり話をするなら今夜しかなかった。
「寒くないか?」
「え、ええ……」
頭を冷やすならこれぐらいの涼風が良かろう、と思っているところもあったのだが、今の鎮波姫はアラドの登場によってなおさら混乱している。
冷静さを装うのが手いっぱいであった。
ならばここは手早く用事とやらを解決するに限る。
「あの、お話とは……?」
「いや、ミーナやルクスくんから話を聞いてな。……どうやら鎮波姫を勘違いさせてしまったとか」
「勘違い、ですか?」
「ほら、その……昼間にミーナとユキーネィを連れて買い物に出かけただろ? あれがとんでもなく愚行だったことに後になって気付いてな」
アラドはバツの悪そうな顔をしながら頭を掻いていた。
その表情を見て、鎮波姫の心の荒ぶりも幾分か静まったように思える。
そこでようやく、鎮波姫は自分の感情に名前がつけられそうだった。
鎮波姫は単純に、ミーナやユキーネィが羨ましかったのだ。
自分も、アラドと一緒に買い物がしたかったのである。
その羨望は理性を求められる姫という立場の人間にとっては、相応しくないとされる感情でもあろう。
だが、今の鎮波姫には、それも心地よい。
感情に名前がついた事で、鎮波姫はどうにか冷静さを取り戻すことが出来た。
落ち着いてアラドの顔を見ると、なんだか悪事がバレてしまった少年の様で、どこか可愛らしいとすら思える。
「だからその、一言謝っておこうってのと、誤解を解こうと思って」
「アラド様に、何か言い分があるんですか?」
「まぁ、状況から見れば俺がミーナとユキーネィを誘って、楽しく買い物に興じていたように見えただろうけど、ホントは違うんだよ」
慌てたように言い訳を始めるアラドを見て、鎮波姫の心は完全に平穏を取り戻す。
それどころか、ちょっと楽しくなってきてしまった。
自然と口元がほころぶ。
「
「いや、恥ずかしい話、俺はこれまで女性とは縁がなかったんだ。筆頭領主になってからはいくつか縁談も持ち込まれたけど、それどころではないってのが実情でな」
「へ、へぇ」
アラドに女性の影なし、と聞いて、鎮波姫は少し顔を隠す。
喜色が現れすぎては相手に舐められる。
今は鎮波姫の方がイニシアチブを持っているのだ。この状況を手放すのは惜しい。
小さく咳ばらいをして意識を整えつつ、鎮波姫は話の続きを促す。
「それで?」
「だから、女性に贈り物をするのに、どんなものが適当なのかわからなくてな。ミーナとユキーネィに意見をもらってたんだ」
「女性に贈り物?」
「ああ、これ」
そう言ってアラドが取り出したのは、ペンダントであった。
ペンダントトップには十字……いや、短剣を模した飾りが。
「明日、鎮波姫は神槍領域へ向かうだろ? その間、俺はお前たちを守ってやれない。だから、お前たちの旅路を祈って、お守りを渡そうと思ったんだ」
「これ……首飾りですか?」
「ああ。アガールスでは剣は栄光や勝利を意味する縁起物なんだ。だからこいつを守り刀として持って行ってもらおう、と」
「これを選ぶために、ミーナさんとユキーネィさんを連れて買い物を?」
「まぁ、そうなる。本人に直接聞くのはなんだか気恥ずかしかったし、俺だけじゃどんなもんを贈ればいいのかわからなかったからな。贈り物を首飾りに決めるのにも、相当時間がかかってしまった」
アラドからペンダントを受け取り、鎮波姫はそれをジッと見つめる。
ペンダントのデザインは、倭州で流通しているものとはだいぶ趣が異なる。
だが、それでもこれが何よりも魅力的なアクセサリであると思えてしまうのだから、自分もなんと単純なのだろう、と少し笑ってしまった。
そして、奇妙な偶然に驚きもしている。
「実は、私からもアラド様に贈り物がございます」
「鎮波姫から? どうして?」
「私からも餞別と、そしてこれまで助けていただいた事に感謝の印をと思いまして」
鎮波姫が懐から取り出したのは、まさに短剣であった。
刃先から柄頭まで、ちょうど鎮波姫の前腕ぐらいの長さを持つ短剣は、アラドがメインウェポンにするには心許ないのだが、しかしそれでも鎮波姫はこれを贈るために昼間、市場を徘徊していたのである。
「これ、短剣か?」
「はい。不思議な偶然もあったものですが、倭州では刃物は道を切り開き困難を退けると言われ、縁起物として扱われます」
「へぇ……離れた土地だというのに、似通ったところがあるものだ」
アガールスでも倭州でも、刃物は縁起物として扱われる。
アラドも鎮波姫も知らないことだが、こういった考え方の一致はアガールスと倭州だけでなくルヤーピヤーシャにも存在しており、そこに何か発見があるのではないか、と研究を続けている研究者もいる。
曰く、同じような文化、風習を持つのは、その根底に流れる思想の共通である。つまり、人間は皆、同じようなことを考えるもんだね、という話だ。
アガールスと倭州の風習が一致したこともそうだが、二人が同じように相手にプレゼントを贈ろうとしていたのも、奇妙な一致と言えた。
「アラド様、この刀を私だと思い、お供させていただけますか?」
「……ああ、ありがとう。大事にする」
全く取り繕うこともなく、アラドは喜色満面で短剣を受け取った。
鎮波姫も、受け取ったペンダントを首に下げ、大事に服の中へとしまう。
なんだか、ホッと胸の中が暖かくなるような感じがした。
明日にはしばしの別れが待っているが、それでもこの暖かさを拠り所にして、再会の日を待つことが出来る。
そう信じることが出来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます