33ー2 友誼 2

 気になるのは紅蓮帝が目星をつけているという人物。

「こっちだって紅蠍の被害者だぞ。情報の開示くらいはしても良いんじゃないか」

「貴様らが信用に足るとは言い難いからな。人の口に戸はたてられん。貴様らから情報がれる可能性を考えれば、情報開示などするはずもない」

 アラドと紅蓮帝は別に共同で捜査しているわけではない。

 また、一歩間違えれば敵国のトップ同士である。

 必要以上に馴れ合うことはしないだろうし、相手の不利益になることをする可能性は捨てきれまい。

 現状で容疑者に対し『アンタ、紅蓮帝から怪しまれてまっせ!』とタレこむなんて、最大の利敵行為と言えよう。アラドがそれをしない、という確たる自信は、紅蓮帝にはない。

 紅蓮帝がアラドに情報を与えないのは、道理だろう。

 納得した上でアラドは少し口をとがらせる。

「俺たちは信用してなくても、ベルフヒハムは信用してるみたいだな。すぐに罰を下すんじゃなく、名誉回復が出来るように紅蠍を追うのに参加させてるんだろ?」

「信用? 違うな。利用しているだけだ」

 アラドの言葉に、紅蓮帝は冷笑をこぼす。

「自分の名誉を回復するまではヤツも躍起やっきになるだろう。実際、ヤツがもたらした紅蠍の情報は我が独自で調べたものと合致する。紅蠍が捕まるまでは、せいぜいこき使ってやるさ。その後はどうなるか知らんがな」

「有用なうちはボロボロになるまで使い、用が済んだらすぐにポイ、か。合理的なことだな」 

 実際、手駒として運用するにはその方が良いのだろう。

 何せベルフヒハムは前任者を暗殺した犯罪者である。であれば一切の恩情おんじょうをかけることなく、冷徹に処断する方が正しい。処断する予定の人間が利用できるようなら、出来るだけ使い潰すのも悪くないだろう。

 アラドが気に食わないのは、紅蓮帝が何の感情もなくその判断をしているように見える事だ。

「人一人の一生に重大な影響を及ぼす選択だぞ。少しは悩んだりしないのか?」

「我はその『人一人の一生』とやらを何百万という単位で抱えているのだ。そのうちの一つにばかり心を砕いていられない。貴様も人の上に立つ人間ならばそうだろう?」

「俺は違う。犯罪者に対して厳罰を下すのは当然だが、そこで心を痛めないのは最早人間の所業ではない」

「当たり前だ。帝とは人を凌駕りょうがした存在でなくてはならない。そうでなくてはこの位を頂く資格がない」

「崇高な理念は立派だ。だが、どれだけ理想を抱こうとも人間は人間だ。アンタら神人でさえ、神にはなれないんだよ」

「貴様……」

 神になれない。

 それは紅蓮帝、ひいては現代の神人にとっては痛い言葉であった。

 神の血は代を重ねるごとに薄れていっている。

 数千年前の神人はほとんど神と同じような力を持っていた。

 長大な寿命、膨大な魔力、深遠の知恵と無比なる暴力を有していたのだ。

 当時の草人からすれば、神人は現人神あらひとがみそのものであった。

 だが現在に至ってはその力は影が差し、普通の人間よりもちょっと強い、ぐらいのスケールに収まっている。

 これは神の血が薄まっている証拠だとされた。

 神人同士のインブリードを行ったとしても、徐々に寿命は短くなり、魔力も弱くなっている。

 また、神人の出生率も低下傾向にあり、その未来は先細りになるのが明白であった。

 今後、神人は人間に近くなっても、神に近付くことはない。

 いずれ神人はその優位性を失い、普通の人間と全く変わらないスペックとなるだろう。

 しかしそれは、これまで積み重ねた神人の歴史を裏切る理由にはならない。

「貴様はどうにも、本当に主たる器を持たぬようだな。先代は後継者選びを間違ったと見える。貴様が筆頭領主ではアガールスの未来も暗いな」

 紅蓮帝は少し体を乗り出し、アラドを睨みつける。

 アラドの論を認めるわけにはいかない。

 紅蓮帝の敵意にも似た感情が垣間見える態度であったが、アラドはそれに気圧されることもなく、まっすぐに見つめ返した。

「後継者を間違えた、か。実際その通りだろうよ」

「……なに?」

「紅蓮帝は俺の名前を知っているだろう。アラドラド・ワイマ・クレイリウスだ。この名のワイマというのは、古語で『三男』を意味している」

 アスラティカに伝わる、神代に常用されていた言葉、古語。

 それは神代では公用語として使われていたらしいが、現代では土地名や人名などに使われることがある、という程度の言葉である。

 アラドのミドルネームも古語からつけられたモノで、三男を意味する。

 実際、アラドはクレイリウス家に生まれた三番目の男児である。

「俺には兄が二人いた。父上も兄のどちらかに家を継がせるつもりだったんだろう。兄二人には相応の教育が施され、俺は比較的自由に育てられた」

「だが、現に家を継いだのは貴様だ」

「ああ、戦で父と兄二人が急逝しなければ、俺なんかが家を継ぐような事態にはならなかったろうよ」

 アラドの家族は、母親を残して全員が戦死していた。

 そして母親も家族を失った悲しみで心を病み、アラドを残してこの世を去った。

 クレイリアを継ぐ者は、アラド以外にいないのである。

 だが、当のアラドは領主としての教育を全く受けておらず、そのうえ、本人にその才能が全くないと来た。

 領主としての器も才気も持たないアラドにあるのは戦の才能と人望のみ。

 結果、クレイリア領民は一丸となってアラドを支え、アラドが出来るのは彼らに褒賞で報いる事ぐらいであった。

 だからこそ、アラド自身も、自分が領主の器でないことを自覚している。

「俺がクレイリアの領主となっているのは、戦という悲劇の結果だ。だから俺は抑戦令を支持し、出来れば恒久の平和を望む」

「なるほど、貴様は他者より劣った自分を自覚しているのだな。ならばなおさら、統治を別の人間に明け渡すべきだ。神人である我が請け負っても良い」

「それは断る。俺が上に立つことを望む領民がいて、俺が領主になることで発生する抑止力もある。領主としての責任をすべて捨てることは出来ない」

 器も才気もないアラドは、しかし領主の責任を誰よりも強く感じていた。

 また領民からの人気があるのも理解しており、彼らの期待を裏切ることも忌避している。

 そのせいで役者が不足しているのを感じながらも、領主の座に座り続けているのだ。

 そしてアラドの戦人としての能力は自他ともに認めるモノである。

 彼が戦場に立てばある程度の苦境を覆せる、と言われるほどだ。

 アラドが存在するだけで発生する抑止力というものもある。

 それによって戦が未然に防がれている事実があるならば、アラドがその座を退く事はない。

 紅蓮帝に領地を明け渡すなどもってのほかだ。

 アラドの言い分はわかったが、そうなるとなおさら紅蓮帝の中に疑問が残る。

「貴様が領主とやらの責任を理解しているのなら、これまでの軽挙は慎むはずだがな」

「人間には変えられない性格というものもある。いくら理性的になろうと努めても、抑えきれない本能というものがあるのさ」

「恰好をつけて言っているようだが、主張に矛盾があるのを堂々と宣言しているだけだぞ」

 胸を張るアラドに、紅蓮帝は呆れたようにため息をついた。

 アラドの言葉は半分冗談、半分本気なのだろう。

 彼が本当に領主としての自覚を持っているのならば、戦で先陣に立つのも控えるだろうし、今回のルヤーピヤーシャへの来訪も他の人間に任せるだろう。紅蠍を追ってスラム街まで出かけるなんてもってのほかだ。

 だが逆に、アラドでなければ務まらない先陣があり、ルヤーピヤーシャ来訪に関してもアラドが来なければ紅蓮帝本人に直接謁見というのも疑問視された。アラドでなければこなせない仕事であった事も事実。

 アラドは領主としての責任と自分のやりたいことを秤にかけ、ぎりぎりのバランスが保てる部分を攻めていたのである。

 それはおそらく、紅蓮帝には理解しがたい事だっただろうが。

「どうした紅蓮帝。珍妙な動物を見るような目で俺を見るな」

「実際、我にとって貴様は珍妙極まる動物だよ」

 自分を珍獣扱いされたわけだが、アラドは『参ったな』と笑う。

 そんな様子のアラドに、紅蓮帝はなおも感想を深める。

「やはり、貴様はどこか読めんな。ルヤーピヤーシャにはいない人間だ」

「まぁ、俺みたいなやつがそこかしこにいたら、色々困るやつもいるだろう」

 心中でのみ、ワッソンが激しく首肯しゅこうする。

 それに気づかないまま、紅蓮帝は話をつづけた。

「貴様の言動は実直かと思えば、我が予想を易々と外れる。貴様の思考は、何を指標に働いている?」

 アラドの考え方に興味を持った紅蓮帝。

 それはプロファイリングの一環なのだろう。人の上に立つ者ともなれば、下の人間の考え方を知る必要がある。そのためには、あらゆる人間の思考パターンを把握しておくのも重要なのだ。

 そこに現れた珍獣、アラド。その思考パターンは紅蓮帝の出会った人間の中に類似性が見られず、興味を惹かれるのも無理からぬことだった。

「俺の指標か……。そうだな、父上の魂が後悔にさいなまれぬよう、立派に領主の務めを果たすこと、かな」

「父の魂、か」

 アラドの言葉を聞き、紅蓮帝が顎を押さえてふむと唸る。

「そういえば貴様、先日の謁見の去り際、妙なことを口走ったな」

「……何か言ったっけか?」

「雷覇帝が隠れた時、我が何を思ったか、と」

 紅蓮帝は一度、落ち着くようにお茶を一口飲み、ソファに深く座りなおした。

 自分でも思い出したのだろう。今回、ここへ来たのは論争をしに来たのではなく、雑談をしに来たのだと。

「今回、貴様のところに来たのは、これについて尋ねるためだ。あれから数日、心の隅でずっと考えていたのだが、質問の意図を量りかねている。貴様は何が言いたかったのだ?」

「何がって……そのままだよ。アンタは自分の父親が死んだ時、何を感じたのかを尋ねたかった。俺と同じように深い悲しみに包まれていたなら、まだ話し合う余地もあるだろう、と」

 アラドは父親を、そして兄二人を亡くし、追いかけるように母親が死んだ時、とてつもない悲しみに襲われた。

 急に自分が天涯孤独となったような感覚。

 誰一人として寄り添う存在もなく、荒涼とした大地でただ一人、放り出されたような絶望。

 最早再び立ち上がることすら出来ないかと思った。

 だが、アラドを再起させたのは周りの人間と、家族から託された責任であった。

 そして彼が再び立ち上がった理由は、復讐などではなく、自分と同じような悲しみを抱える人間を一人でも少なくするためである。

 手始めとして、ルヤーピヤーシャとのいさかいを終結させることが目標としている。

 もしも紅蓮帝が先帝である雷覇帝を失った時、アラドと同じ感情を抱いていたなら、戦争終結の糸口になるかと思ったのだが……。

「なるほど、悲しみか」

「ん? どうした、紅蓮帝」

「いや、雷覇帝が隠れた時のことを思い出していた」

 紅蓮帝は物憂ものうげに頬杖をつき、記憶の海へ視線を泳がせる。

 おそらくは雷覇帝の国葬を脳裏に映し出しているのだろう。

「確かに喪失感はあった。アレを悲しみと呼ぶのならばそうなのだろう。だがそれ以上に、我は新たなる帝としてやるべきことがあった。それを思えば、あの時の感情など些末さまつなものだ」

「そうだろうよ。アンタの態度を見てればわかる」

「だが……」

 紅蓮帝が記憶に馳せていた視線が捉えたのは、国葬に参列した国民たちであった。

 数日にわたって行われた国葬で、巨大な会場に押し寄せたルヤーピヤーシャ国民は、総人口の半数にも上った。

 そしてその誰もが雷覇帝との死別を惜しみ、悲しみ、涙していた。

 それだけ雷覇帝が国民から愛され、支持されていた帝であったことの証左である。

「あの時見た民草の涙、彼らの抱えた悲しみを考えればこそ、アガールスを討ち、アスラティカを平らげる事が急務だと思った。そのための準備としての抑戦令も布いた。あとは時が満ちるのを待つのみ、と思っていたが……」

「それでは戦が続き、自分のみならず民の家族をも失わせ、悲しみが連続するばかりだ。戦をつづけるのではなく、どこかで断ち切る方向で考えられないか」

「それが貴様の言う、アガールスを対等の国と扱う、という方策か」

 紅蓮帝は深く考え込むように目を伏せ、一つ深呼吸をする。

 彼の深慮しんりょに何が浮かんでいるのか、アラドには推し量る事も出来ないが、ややしばらくしたのち、紅蓮帝が顔を上げる。

「勝利の先に幸福を追及するだけでなく、悲しみを断つこと。アラドラド・クレイリウスよ。貴様の考えはわかった。……しかし、それでも我が方針を変えるに至らん」

「やはり、戦うしかないのか?」

「貴様らがこうべを垂れれば済む話だ。我らが譲歩する理由はない」

 アガールスを対等と認め、矛を収める、というのはアガールス側に都合の良い提案だ。

 アガールスがルヤーピヤーシャに剣を預け、従属すると誓えばそれで戦も収まるだろう。ルヤーピヤーシャが一方的に譲歩する理由はない。

 それにルヤーピヤーシャ側から見れば、アスラティカの正統後継者が神人である、という論を完璧に否定されない限り、アガールスを認めるわけにはいかない。

 だが――

「貴様の考え方は面白いな。我らになかった切り口を見せる」

「そりゃどうも。出来れば俺の考えに賛同してくれないかね」

「貴様がそれなりの提案をして来たなら考慮しよう」

 意地の悪そうな笑みを浮かべた紅蓮帝であったが、その声音にはいくらか柔和な雰囲気が感じて取れた。

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