33ー1 友誼 1

33 友誼ゆうぎ


 黄金の宮殿に連行されたアラドたちに突きつけられた一枚の書状。

 そこには紅蓮帝のサインが書かれており、正式な命令状であることが窺えた。

 そして、内容とは――

「まさか禁固とはね」

「これはアガールスに対する越権えっけん行為なのでは?」

 書状を睨むワッソンが渋い顔をしていた。

 確かにアガールスの筆頭領主がルヤーピヤーシャの帝の勅命に従う義理はない。

 命令状を突きつける事自体がアガールスを下に見ている証拠だとも言えた。

 だが、紅蓮帝の命令は至極真っ当なのである。

「まぁ、さっきもあわや死にかけたわけだし、ここは従っておくか……」

「……確かに、アラド様が大人しくしてくれれば、私としてもフィムフィリス様に叱られずに済みますけども」

「なんか、納得いかなさそうだな」

「そりゃ、ルヤーピヤーシャにあなどられるのは、良い気分はしませんよ」

 アラドが危険を冒さず、大人しくしていてくれるならば望むところではあるが、ワッソンが気に食わないのは紅蓮帝、ひいてはルヤーピヤーシャの態度だ。

 紅蓮帝のみならず、アラドたちの連行を担っていたベルフヒハムもアガールスを侮っている。

 生粋きっすいのアガールス人であるワッソンからしてみれば、看過できるようなことではない。

 なんならアラドにもいきどおってほしいぐらいだ。

 しかし、これが道理のある沙汰であることも一応理解している。

 紅蓮帝にとってアラドは今、国に迎え入れている賓客ひんきゃくである。

 それが国内の犯罪組織の手にかかり命を落としたとなれば、帝の名折れなのだ。

 そうでなくとも抑戦令が覆されかねない事態となる。それは看過しがたい。

 にもかかわらず、アラドが勝手に宮殿を抜け出して紅蠍と肉薄にくはくしたとなれば、紅蓮帝側からしてみれば強硬手段に出るしかあるまい。

「禁固の期限も一応明記してある。神槍領域から来る鎮波姫たちと合流出来れば、すぐに解放してくれるそうだ」

「それはもう、半分厄介払いでしょう」

「それまでにグンケルには良くなってもらわなきゃ困るな」

 紅蓮帝から出ていけと言われても、毒に伏しているグンケルを置いていけるわけもなく、病床の人間を担いでいくのも大変だ。

 であれば期限までにグンケルには回復してもらわなければならない。

「鎮波姫が来るまで、予測では四日から六日くらいだったか」

「グンケルの様子は以前変わりがないようです。このまま回復するかも怪しい……」

「そこはアイツを信じるしかないな」

 グンケルの回復に関しては、アラドたちが関与できる隙はない。

 紅蓮帝が用意してくれた治癒術師とグンケル本人に任せるしかなかった。

「我が用意した術師が信用ならんか?」

 と、その時、無遠慮に部屋のドアが開けられ、尊大な声が転がってきた。

 まるでそれが当然であるかのように、両開きのドアが全開になって、その人物は足音高らかに部屋の中央まで歩を進める。

 普通、中に誰かいる部屋だと知っていれば、ノックの一つぐらいするだろう。

 だが、その男はそんなことをつゆほども考えていない。

「少なくとも、貴様の連れている魔術師よりは有能なはずだ」

 不敵な笑みを浮かべつつ、その人物はソファの真ん中にどっかりと座り、自然な流れで足を高らかに掲げ、ゆっくりと組む。

 所作しょさの全てが流麗で、どこにもツッコミどころなどないようにすら感じさせた。

 しかし、ワッソンが口をポカンと開け、アラドですら呆れたような表情を浮かべているのは、ツッコミどころがないからではなく、その態度のでかさを見て呆気に取られたからだ。

「何をしに来たんだ、紅蓮帝」

「何をしに? ここは我が宮殿だ。我がどこで何をしようと我の勝手であろう?」

 現れた人物は紅蓮帝であった。

 この国においてこれほど自分勝手にふるまえる人物など、彼をおいて他にあるまい。

 アラドがため息交じりに問いを投げかけ、紅蓮帝が愚問であると言わんばかりの答えを返した所で、ようやく正気を取り戻したワッソンが膝をつき、頭を垂れた。

 それを見て、紅蓮帝は片手を掲げる。

「良い。貴様も楽にせよ。此度は雑談をしに来ただけだ」

 許しを得たものの、ワッソンは緊張気味の面持ちで壁際まで下がり、直立でアラドの顔色を窺った。

 アラドはワッソンを落ち着かせるように一度頷いて見せた後、紅蓮帝の対面に座る。

「それで、紅蓮帝ともあろうお方が、雑談とはどういった風の吹き回しだ?」

「いや、我も驚いたのだよ」

 紅蓮帝は従者を呼び、人数分のお茶を用意させた後、アラドを見やる。

「まさか本当に、貴様が無計画に町中に出ていくとは思わなかった」

「俺は俺で勝手にやらせてもらう、って言ったろ」

「ああ。だから貴様を値踏み損ねていた。これほどの阿呆だとは思わなかったのだ」

 昨日の謁見の場で、アラドは確かに『黙っている気はない』と言っていたし、紅蓮帝も買い言葉のように『やってみろ』と言っていた。

 紅蓮帝はそれをその場の冗談だと思っていたのだろう。

「それで、無謀な散策で、貴様は何を得た?」

「おそらく紅蠍であろう連中と出会った」

「……冗談、ではなさそうだな」

 真顔で話すアラドを見て、紅蓮帝は呆れたように笑った。

 紅蓮帝にはスラム街で起きた一件について、報告が上がっていないようである。

 それは当然、ベルフヒハムも見ていない事件であるし、アラドたちがことさら説明することでもないからだ。

 お蔭で、紅蓮帝にとっては、アラドたちが暗殺者に襲われかけた事は、ここで初耳となる。

 しかも相手が紅蠍と思しき人物だとは、最早笑うしかなかった。

「一度、紅蠍の毒を食らって生き延び、更に対面してもまた生き残るか。貴様はよほど悪運と見える」

「実際、今回は幸運だったと思うよ。相手にはウチのワッソンよりも手練れの魔術師がいた」

「魔術師……? はぐれということか」

 魔術師というのはすなわち、神火宗の僧侶である。

 だが、そんな魔術師が道を外れないよう、神火宗の戒律は厳しい。

 魔術師が犯罪者になれば神火宗の名が落ちてしまうため、神火宗側もそれを防ぐ動きをしているのである。

 しかし魔術が有能であれば有能であるほど、道を外れた使い方をしたくなる人間も出てくる。

 魔術を使うための資格というのは、神火への適合の儀式を終えた時点で得ることが出来る。

 そこから魔術師としての格を上げるには、使える魔術の幅を増やすために術式の研究や開発を行う事になるのだが、それは実は組織に所属する必要はなく、独自でも出来る。

 ただし、資料や施設、道具などがそろっている神火宗の領域以外でやるには効率が極めて悪く、術式の開発中に魔術が暴走し死亡してしまうことも珍しくない。

 それでも裏社会で魔術師の需要は高く、その報酬を目当てに犯罪者に堕ちる魔術師も一定数存在している。

 アラドが出会ったのは、そんな犯罪者となった魔術師、通称『はぐれ』の一人だったのだろう。

 そのはぐれの姿を思い出しつつ、アラドは話をつづける。

「相手の魔術師はワッソンの魔術をあっという間に解呪した。あのままやりあってたら、俺たちが負けていただろう」

「ふむ、戦馬鹿を自称するだけあって、彼我ひがの戦力差を推し量る事は出来るということか」

 魔術師の力量差が局地的な戦局を左右するのは周知の事実。

 アラドがそれを理解し、重視していたことに紅蓮帝が感心したように頷いた。

「しかし、出会った連中が紅蠍だと断ずる根拠がわからんな」

「俺たちが出会ったのは魔術師ともう一人、手練れの剣士だった。明らかに戦働きではない剣術と体捌たいさばき、実際に剣を交えた実感から言わせてもらえば、あれは暗殺のわざだ。そして付け加えれば、魔術師の干渉がなかったとしても、一対一でやりあって勝率は五分くらいだった」

「ほぅ……」

 ルヤーピヤーシャでもアラドの武勇は伝わっている。

 戦場にて将としての指揮能力よりも単騎での武力で勇名をはせるアラド。

 そのアラドがサシでやりあっても勝率五分と言うのであれば、相当な猛者であろう。

 それを聞いて紅蓮帝も顎を抑えて唸る。

「手練れの魔術師と暗殺者、しかもかのアラドラド・クレイリウスをして勝率五分と言わしめる剣士か。なるほど、それほどの人物が徒党ととうを組んでいるとすれば、紅蠍の可能性がある」

「だろ? だからきっとアイツらが――」

「だが、断ずるには弱いな」

 紅蓮帝の急速手のひら返しを見て、アラドは何とも言えない表情を浮かべる。

 それを見て紅蓮帝は鼻で笑った。

「貴様の感想一つで、この重大な案件の重大な決定を下せるものかよ。だが、意見としては貴重なものだ。あとで何か褒美を取らせよう」

「そりゃどうも。……あと、貧民街のチンピラが何か知ってるようだったぞ」

「貧民街? しばらく前に調べ上げたはずだが、手抜きがあったか」

 マハー・パルディアの貧民街は犯罪者の隠れ蓑となっている。

 紅蠍も暗殺者集団であるなら、貧民街に情報があるであろう事は紅蓮帝も最初に考えており、貧民街の捜索や情報収集などは初手で行っていた。

 それでも紅蓮帝に上がってきた情報の質は芳しくないものであった。

 話を聞いて、紅蓮帝と同じく人を使う立場にあるものとして、アラドも難しい顔を浮かべた。

「紅蠍も隠れるのが上手いのだろうな」

「……そうだな」

 短く答えながら意味深に笑みを浮かべる紅蓮帝を見て、アラドはこの件に突っ込むのはやめておこう、と思った。

 きっと紅蓮帝も気付いている。

 アラドがさほど苦労もせずに得られた情報を、紅蓮帝が見逃すはずはない。

 であれば、情報を意図的に隠匿いんとくした人物がいるのだ。

 それが紅蠍を抱えている貴族であろう。

 そして容疑者として一番怪しいのはスラムの捜索を担当した人物。

「ちなみに、貧民街の捜索を指揮したのは誰なんだ?」

「ベルフヒハム・ヴェダーヤ。貴様とは何度か会っているだろう」

 あのやたら高圧的な男である。

 アガールス人をひたすら見下しているあの男であれば、抑戦令などで空白期間を作らず、一気呵成いっきかせいに攻め滅ぼしても構わない、と考えるかもしれない。

 紅蠍を操って抑戦令を反故にしようとしていると言われれば、すぐに納得できる。

「くく、貴様の考えていることがわかるぞ。ベルフヒハムが怪しいと思っているのだろう?」

「アンタはそう思わないのか?」

「ああ、理由は二つ。まず第一に情報の隠匿をするなら、一番怪しい立場であるベルフヒハムが真っ先に疑われるだろう。ヤツとて頭は悪くない。すぐに自分が怪しまれるような立ち回りはするまい」

 もしベルフヒハムが黒幕であれば、その情報隠匿は下策も下策である。

 まるで子供が親に隠し事をバレないようにするために行った、つたなすぎる証拠隠滅のようなものだ。

 仮にもルヤーピヤーシャの貴族に名を連ねる人間が、それほどの愚行を犯すとなると、国の先行きが心配になる。

「そしてもう一つ、ヤツがこのマハー・パルディアに来ている理由にも関連している」

「ベルフヒハムはマハー・パルディアに住んでいるんじゃないのか?」

「ヤツは南部半島の一部を任せていた。本来は半島東部にある地区を治めているはずだ。ヤツが帝都に来ているのは紅蠍が原因なのだよ」

「……繋がりがわからんな」

「ヤツは紅蠍の暗殺によって、地位を上げた人間だ。現在、ヤツが治めている半島東部は別の人間が治めていたが、紅蠍によって暗殺され、その後釜となったのがベルフヒハムだ」

 ベルフヒハムが治めているのは現在、倭州との取引が盛んにおこなわれている半島東部。

 大きな港町の一つも彼の治める地区に含まれており、ルヤーピヤーシャにとっては至極重要な貿易拠点ともなっている。

 そこで起きた暗殺事件と、その後釜に座ったベルフヒハム。

 むしろ怪しい要素が増えただけのように見える。

「じゃあ、ベルフヒハムが紅蠍を使って前任を殺し、のし上がったって話じゃないのか?」

「それはおそらく事実。だが、他の紅蠍の事件と違うのは、ヤツが犯人を全員捕縛し、処刑を行った点にある。未だに紅蠍は活動をしているのに、不思議なことだ」

「ニセの犯人をでっち上げたのか……。そして、それが続く紅蠍の犯行によってバレた、と」

 半島東部を治めていた貴族が暗殺され、その犯人を捕まえた功績によって後任となったベルフヒハム。

 しかし、彼の捕まえた紅蠍は全く偽物。

 紅蠍は別の場所で貴族を次々に暗殺し、今も活動を続けている。

 ベルフヒハムが自分の悪行を隠すために、偽物まででっち上げて紅蠍を逃がそうとしたにもかかわらず、やつらは勝手に犯行を繰り返したのである。

 その結果、ベルフヒハムには『前任殺し』、もしくは『偽物を捕まえていい気になったアホ』のどちらかの汚名が着せられる事となった。

 前者はどう見ても致命的な汚名になり得るので、どちらかと言えばマシの後者を選び、自らその汚名を雪ぐために紅蠍を追ってマハー・パルディアまでやってきたのである。

「ヤツからすれば、飼い犬に手を嚙まれた気持ちであろうな。ヤツが紅蠍を恨み、血眼になって探すことこそあれ、変に隠し立てをすることはあるまいよ」

「じゃあ、いったい誰が……?」

「そのあたりの目星は我がつけている。貴様が気にすることではない」

 急につっけんどんになる紅蓮帝。

 しかし、この話からわかる事もあった。

 ベルフヒハムはほぼ間違いなく、紅蠍を使って前任者を殺し、のし上がった。

 その後、紅蠍が暗殺を続けていたのは、ベルフヒハムではない別の依頼主がいたからである。

 それが個人なのか複数人なのかはわからないが、抑戦令を反故にしようとしているのは、どちらかというとその容疑者となる。

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