32-3 望外の釣果 3

 表通りまで戻ってきた二人は、追手がいないことを確認しつつ、ため息をついた。

 アラドは単純に窮地を脱したという安堵のため息のようだったが、ワッソンの方は悲喜ひき交々こもごもを吐き出したかのような感情満載であった。

「申し訳ありません、私が力不足なばかりに……」

「いや、結果的には俺もお前も命を繋ぎ、望外の釣果を得た」

「どういうことです?」

「おそらく、さっきのマントのやつらが紅蠍だ」

 アラドの言葉にワッソンは息を呑む。

「た、確かにあの魔術師の力量は凄まじかったですが、紅蠍だと断定するのは……」

「俺に斬りかかってきたヤツも相当な手練れだ。しかも戦場慣れではなく、あれは暗殺の業と見た。凄腕の暗殺者の組織が二組もあったら、ルヤーピヤーシャはもっと大変なことになっていてもおかしくないだろ?」

 アラドと斬りあった人物は、特殊な技術を身に着けていたように思える。

 機を窺わせぬ立ち振る舞い、正確な投擲とうてき、人を殺める剣術。

 どれをとっても一級品であり、それは戦働きの賜物たまものとは異質であった。

 あの人物が在野の士であるならば驚愕だが、魔術師とはつるんでいたようである。

 あれほどの腕を持った戦士がいるのであれば、スラム街など似合わない。

 理由があるとすれば、それは犯罪者であるから、だ。

 スラム街は犯罪の温床となっており、犯罪者が身を隠すのであれば格好の場所でもある。

 紅蠍という暗殺者が隠れ潜むのにも持ってこいというわけだ。

「それに、あいつら二人だけじゃなく、他にも何人か、隠れて俺たちを窺っていた」

「そんな……気付きませんでした」

「それだけ相手が上手だったって事だな。……もしかしたらあそこで死んでいてもおかしくはなかった」

 技術でワッソンを圧倒する魔術師と、頭数を上回られた状況であれば、いくらアラドでも切り抜けられたかは微妙である。

 相手から没収試合を提案されたのは僥倖ぎょうこうと呼べるものであった。

「向こうもこっちの実力を読みかねているんだろう。毒殺を失敗した事、魔術師の位置を把握していたこと……俺のわけのわからん特技が功を奏したな」

 単純に一人の武人として優れているアラド。その上に理由不明のトンデモスキルが付随したなら、敵として相対した場合に不気味で仕方ないだろう。

 加えて、彼らが紅蠍であったとすれば、アラドたちは一度暗殺に失敗した相手である。次に事を構えるのならば確実に命を奪う状況を選ぶはずだ。

 今回のような突発的な事態で賭けを行うのは、リスクが大きいと判断したのだろう。

「……本当にそれだけでしょうか?」

「ん? どういうことだ?」

「アラド様の特異体質が、撤退を判断するほどの要因であったとは思えません」

 暗殺者にとって姿を見られるということは、相当なリスクのはず。

 それを押してまでアラドたちの前に躍り出て刃を交え、その上言葉まで交わしたとなると、彼らの印象は強く植え付けられる。

 顔はフードなどで隠されてはいたが、背格好や声音までは隠しきれていない。

 太刀筋や奇妙な動き方も一度見ていれば対策を立てる余裕がある。

 紅蠍にとって、今回のエンカウントは不利益なことばかりである。

 だが、紅蠍はその場でアラドを殺さずに見逃した。

 あの場で殺していれば、姿をさらしたリスクは全てチャラだったはずなのに、それをせずに退いたのである。

 それはなぜか。

「先ほどの状況は我々を待ち伏せしていたのではなく、偶発的な事故のようなものであったのは間違いないでしょう。だから、紅蠍側も充分な準備を整えることが出来ていなかった。ゆえに我らも見逃された」

「まぁ、対応から察するにそうだろうな。じゃあ、どうしてその偶発的な事故が起こった?」

「アラド様を偶然見かけたから襲った……いや、準備が出来ていなければ強行する必要がない。陰に隠れてやり過ごせば良かっただけだ」

「あるいは仲間の独断専行、か。一番槍だったあの短剣を投げてきたやつ」

「それは……あるかもしれませんね」

 考えてみれば、毒殺事件だって下調べ不足であった。

 アラドが毒に耐性を持っていることが情報として出回っているかどうかはわからないが、グンケルすら死亡に至っていない。

 手当てが速かったとはいえ、あれほどの即効毒が人を死に追いやられなかったところを見るに、あれもまた準備不足の一つなのかもしれない。

「紅蠍はこれまで数々の暗殺を成功させており、おそらく有力貴族の後ろ盾もあります。そうなれば構成員が浮足立つのも可能性としてはありますか」

「やつらの規模がどの程度かわからんが、末端構成員の統率まで取れていないのかもしれん。……いや、だとするとあの短剣のヤツも末端構成員って事か?」

 先ほどの場面で突っ走ったのは一番槍の人物。あの人物がナイフを投げて先制しなければ、隠れてやり過ごすことは充分可能であった。

 今の話の流れからすると、ナイフの人物が統率の取れていない末端構成員ということになる。

「あんな手練れが末端となると、幹部はどうなってんだ……」

「魔術師の方は幹部ですかね……」

「魔術師の方も木っ端だとしたら、相当恐ろしい組織だぞ、紅蠍ってやつぁ」

 敵はワッソンを超える能力を持った魔術師を有している。

 あれほどの練度の魔術師が複数人いるのだとしたら、勝ち目はかなり薄くなってしまう。

 何せ現状ではアラドの切れる手札は極々少ないのだ。

 護衛であるグンケルは毒に伏し、ワッソンは敵の魔術師の前に手も足も出ない。

 となれば頼りになるのは自分の身一つであった。

「さて……どうしたもんかな」

「見つけたぞ、草人」

 悩むアラドに声をかけてきたのは、かなり高圧的な人物。

 周りに兵を大勢引き連れ、通りを塞がんばかりに展開している様子は、捕り物というよりは討ち入りの様を呈している。

 その中心にいたのがベルフヒハムであった。

「おや、ベルフヒハム卿。こんなところで奇遇だな」

「奇遇ではない。私は貴様を探していたのだ」

「アンタに追われる理由はない」

「馬鹿の頭では及びもつかんかもしれんが、貴様が置かれた状況を少しでも理解しているのなら口を閉じて大人しく連行されろ」

 相変わらず語気が強く、こちらの事を一切考えてくれない物言いであった。

 彼の考え方で言えばそれが当然なのだろうが、言われた側からすればそれに反感を持つなという方が無理である。

 ただ、ここは無闇に反抗するべきではない。

「わかりましたよ。宮殿に帰ればいいんだろ」

「あまり我らに手間をかけさせるな。草人風情に時間を割いていては、人生の浪費以外の何物でもない」

 ベルフヒハムが手を挙げると、周りにいた兵士が一斉にアラドとワッソンを取り囲む。

 これでは隙を見て逃げる事も出来ないだろう。

 二人はそのままの状態で黄金の宮殿まで連行されることとなった。

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