29ー2 問答の行方 2

「抑戦令、大事にされているんだな」

「当然だろう、我が勅命である」

「あ、いや、そういうんじゃなくて。ジャルマンドゥ殿も抑戦令に関しては前向きそうじゃないか。アガールスでは少し、ゴタゴタがあったからな」

「ほぅ?」

 アラドの独り言に、紅蓮帝は興味を引かれたようで、続きを話せ、と言わんばかりにこちらに視線を送ってきている。

「知っての通り、アガールスは複数人の領主が領地を分けて統治している国だ。西部と東部では感覚が大きく違う」

「内地で後方支援に当たっていた人間と、前線で戦っていた人間か。その認識の差は埋めがたいだろうな」

「抑戦令が発布された時、東部の人間には反対派が多く、西部の人間には賛成派が多かった。国内はどこも戦で疲弊していたはずなのに、東部の人間は中途半端で戦が切り上げられるのを嫌ったんだな」

 抑戦令とは、実際には停戦協定などではない。

 乱暴に言えば、紅蓮帝が一方的にアスラティカ全土に向けて戦争をやめろ、と言い出しただけなのである。

 アガールス東部の人間からしてみれば、それはルヤーピヤーシャの弱腰に見えたのだ。

 加えて、領主だけでなく、実際に武器を持ち、ルヤーピヤーシャと斬り結んでいた末端の兵卒にまでルヤーピヤーシャに対する恨みつらみは募っていた所に、抑戦令の発布である。

 勝ち負けのハッキリつかなかった戦場を取り上げられれば、恨みの矛先を失う事になる。

 ゆえに、抑戦令を飲む必要などない、攻めるべきだ、という論調が強かった。

 逆に、物資の補給などを一手に担っていた西部の諸領主は、延々と終わらない戦争に疲弊し続け、抑戦令を鶴の一声と捉える人間が多かった。

 お蔭で領主会議は紛糾ふんきゅうし、結論が出るまで相当時間がかかった。

 それを聞いて、紅蓮帝はアラド本人に興味を向ける。

「貴様はどうなのだ? クレイリア領は東部に位置するのであったな?」

「俺は、抑戦令には賛成派だ」

「ほぅ? 武家であるクレイリウス家が、そのような惰弱だじゃくな精神で良いのか?」

「戦の虚しさを知ったからだよ。平和が続くのなら、その方がいい」

「戦馬鹿を自称する男が戦の虚しさを語るとはな。笑う気にもならん」

「紅蓮帝は違うのか? 自ら発布した抑戦令に否定的に聞こえるが」

「我は抑戦令を否定しているのではなく、戦を肯定しているだけだ」

 アスラティカの歴史は、ずっと戦続きであった。

 安定していたのは神代の頃のみであったと伝えられ、神々が異界に移動してからはずっと、人間同士が争い続けているのである。

 その間に休戦期間は存在していたものの、それは次の戦のための準備期間であり、平和とは呼べない短いモノであった。

 そんな長い期間で培われてきた常識で言えば、戦の肯定というのは多数派マジョリティであるのかもしれない。

 だが、だとすれば紅蓮帝が抑戦令を発布した理由がわからなくなる。

「我が考えるに、戦というのは長く続けば続くほど泥沼化する。軍備は消耗し、士気は落ち、その結果として戦線は遅滞する悪循環だ。ついこないだまで続いていたアガールスとの境での戦は、その例として取り上げても申し分ない」

「確かに、雷覇帝らいはていの頃から長く続いていたからな。戦が続きすぎて、地形が少し変わったとまで言われていたぐらいだ」

「あのままではいつまで経っても埒が明かなかっただろう。だから我は抑戦令を発布し、来たる新たな戦のための準備期間を設けたのだ。それがアガールスの利にも繋がるとしてもな」

 ルヤーピヤーシャでも戦の疲労は強く出ていた。アガールスよりも土地が痩せているのであれば、その深刻さはルヤーピヤーシャの方が上だったかもしれない。

 だからこそ、アガールスが同じく恩恵を受けることを見越していながら、紅蓮帝は自国の休養期間として抑戦令を発布したのである。

「その話だけ聞くと、ルヤーピヤーシャは準備が整えばすぐに戦端を開くつもりなのか?」

「当然だ。アスラティカは全て帝の所有物であるから、反旗を翻すアガールスの者どもを放っておくわけにはいかん」

 二国の戦の理由はそこにあった。

 遥か古より続く戦の歴史。その理由の大本を辿れば一つの答えにたどり着く。

 それはルヤーピヤーシャの歴代帝がアスラティカ全土を我が物にしようとしているから、である。

「アスラティカは古の神々が作り出した大地。その神々が隠れた今、神の血を継いだ正統な後継者である神人、とりわけその血の濃い我ら帝の血族こそが、アスラティカの主であるべきだとは思わんか?」

 ルヤーピヤーシャの意見は、数千年間、ずっとこれである。

 神が作り出した世界、アスラティカ。それを継承するのは神の子孫たる自分たちである。

 故人の所有物が子孫に継承されるのであれば、それは真っ当な意見なのかもしれない。

 だが、アガールス側……というより神人ではない一般の人間である側からしたら、それは承服できない。

 紅蓮帝の暴論を受け、アラドは目を眇める。

「アスラティカが神の土地であるというのであれば、倭州はどう考えている?」

「倭州もアスラティカの一部だ。あの土地も我ら帝が平らげる」

「つい数年前まで認識すらしていなかった、海を隔てた他人の土地だぞ? 彼らには彼らの積み重ねた数千年の歴史がある。それを踏みにじってまで、ルヤーピヤーシャは倭州すら帝のものとするのか?」

「当然だ。聞けば倭州は常に争いが絶えないのだそうだな。我が正統なる王となり、倭州を平らげることにより、かの地にも真の平和が訪れるだろう」

「なるほど、一貫した素晴らしい考えだ」

 アガールスに対してだけでなく、倭州にまでもブレない姿勢を貫く紅蓮帝。

 それは歴代の帝から受け継いだ確固たる考え方であり、彼らにとっては当然の常識なのだ。

 おそらく、アガールスに対しても『帝が治めれば平和が訪れるじゃん。どうして拒否するの?』というスタンスなのだろう。

 実に迷惑なお節介というものだ。

 それに対し、アラドは変わった切り口で返す。

「紅蓮帝はこのアスラティカという大地、どうして作られたものだと思う?」

「……なに?」

「古の神々がこの大地を作り出した理由だよ。神にとってアスラティカは『なんのために』必要だったのだと思う?」

 アラドが投げた質問は、紅蓮帝にとっては初めてのタイプの問いであった。

 これまで、アガールスの人間と何度か問答を交わしたことはあった。

 今回と同じような流れとなり、紅蓮帝がアスラティカの正当な継承権を主張すると、アガールスの人間は当然のように『そんな道理はない』という。

 親が子に所有物を託すのを是としながら、神が神人に遺すのを否定するのは納得がいかない、と思いながら、アガールス人を処刑していた。

 そのため、アラドも同じような反応をするのかと思っていたのだが……。

「アスラティカが作られた目的、か」

 質問を受け、紅蓮帝はふと考え込む。

 言われてみれば、考えたことがなかった。

 アスラティカという大地は当然のように存在し、未来永劫続くものだと思っていた。

 いつでもあるからこそ、その存在理由を問うことなどしてこなかったのである。

 偶然出来上がったのではなく『神が作り出した』という大地であれば、作り出すのに相応の理由が存在したはずである。

 逡巡しゅんじゅんとも言えるほど短い思考時間の後、紅蓮帝が答える。

「……神はアスラティカを捨て、どこか別の異界へ旅立ったという。そこから考えれば、異界へ旅立つための足がかり、休憩所だったのではないか?」

「神がアスラティカ以外のどこからかやってきて、アスラティカを作り、異界へ旅だったと? では、直接異界へ渡らなかった理由は?」

「距離が遠かったのか、障害物があったのか、はたまた我々には及びもつかぬ理由か。……しかし面白いことを問う。貴様はいつもこんなことを考えているのか?」

「考え始めたのはつい最近だよ。……だが、俺のたどり着いた答えは違う」

 紅蓮帝の答えは確かに考えられる案の一つであった。

 アラドもそのような答えに行き着き、一度は納得しかけた。

 だが、それではわからない点がいくつかある。

「もし仮に神が止まり木としてアスラティカを作ったのであれば、そこに生命を誕生させる必要はなかった。神は食べ物や飲み物を必要とせず、いつまでも動き続けられるからだ。それを考えれば、距離の問題というのも納得しがたい」

「……なるほど、貴様はアスラティカに生命が存在している理由について、最大の疑問を抱いているのだな」

 アラドの考えを読み、紅蓮帝が唸る。

 もし紅蓮帝が挙げた理由『異界へ渡る間に障害物があった可能性』についても、アスラティカに生命を作り出す理由にはならない。

 悠久の時を生きる神という存在にとって、生命とは一体どういうものだったのか。

 アラドが疑問に思っているのはそれである。

「俺が思うに、アスラティカが作られた理由は、ズバリ生命なんだよ」

「生命をはぐくむためにアスラティカを作り出した、と? 何のために?」

「はぐくむためではなく、何かしらの実験だったのではないか、と思っている」

「実験、だと?」

 不穏な言葉に紅蓮帝は眉を寄せ、謁見の間にいた神火宗の僧侶が少しざわついた。

 ワッソンにとっても、初めて聞くアラドの見解であったため、内心は心が波立っている。

 それに構わず、アラドは続ける。

「前に学者の施設を訪問させてもらったことがある。そこで研究されていたのは魔術ではなく、科学と呼ばれるものだった。生物学、とか言っていたか」

「生物学……生物の構造や機能、成長や起源などを調べるとかいう、アレか」

「そう。そこではいくつかの箱にアリを飼って、その様子を観察しているようだった」

 アリの観察箱、テラリウムの一種である。

 そこで数十匹のアリを飼い、巣がどのように広がっていくのか、どのように社会が形成されていくのかなどを観察していくモノであるが、アスラティカではいまいちポピュラーなものではない。

 そもそも、アリを研究してどうするのか、とやり玉に挙げられることが多く、趣味としての範囲を超えておらず、アラドが訪問した研究者も研究者としては認められていなかったりするらしい。

「訪問した施設の隅にはいくつか放棄された巣箱があった。聞くに、どうやら研究に失敗した箱を、そのまま破棄したのだという。研究者に見放され、環境の保全すらされなくなった巣箱はやがて朽ち、中にいたアリは全滅していたという」

「貴様はその巣箱がアスラティカであると言いたいのか?」

 状況を置き換えてみれば、両者はよく似ている。

 アリの研究のために作られた巣箱。

 神が作ったアスラティカ。

 巣箱はアリの研究のために作られ、アスラティカは中で生きる生命の実験のために作り出された。

 アリの研究者は巣箱の外側から中の様子を観察し、神はアスラティカを捨て異界へと消えた。

 紅蓮帝の推察を無言で肯定しつつ、アラドは続ける。

「神が何を目的とした実験を行っていたか、ということまでは考えが及ばないが、きっと何かに失敗した。だからアスラティカという巣箱を捨て、異界へと去った……。その失敗を悟ったのが神代の終わりだった、という説だ」

「面白い考え方だが、それとアスラティカが帝の所有物であるという事と、どこが関係している? 話の発端はそこだったはずだ」

「ではもう一度紅蓮帝に尋ねる。神は誰のためにアスラティカを作ったのか」

「それは……なるほど、貴様はアスラティカはそこに住む生命のために作られた、と言いたいのだな」

 アリの巣箱はアリのために作られた箱庭である。

 同じように考えれば、アスラティカは人間やそこに生きる生物のために作られたものだ。

 であれば、アスラティカの正統な後継者とは神人という一つの種族ではなく、そこに生きる生命全てである、というのがアラドの主張であった。

「もちろん、神人もその後継者の一つだ。俺たち人間と同じく、平等にアスラティカを継ぐ権利を持ち合わせる。神人もアスラティカに生きる生命の一つだからな」

「つまり、我ら神人も、貴様らただの人間も分け隔てなく、アスラティカを平等に享受する権利があるというのだな。不遜ふそんなことだ」

「だが紅蓮帝にもこの説を完璧に否定は出来まい? 何せ神は遺言状も残さずに異界へ去ってしまったのだから、その真意を確かめることは誰にも出来ない。俺とアンタが水掛け論をしたところで結論は出ない」

「ならば剣を交えるしかあるまいよ。結局、戦をする未来は変えられん」

「いいや、そうでもない」

 紅蓮帝の言う通り、アスラティカの後継者が判然としないのであれば、どちらかがその権利をもぎ取るしかない。話し合いで解決が見られないのならば、力尽くとなるのも当然の帰結となろう。

 しかし、アラドは別の未来を提示する。

「ルヤーピヤーシャがアガールスを対等な国として認めてくれれば、それで戦は終わる」

「なに?」

「俺たちアガールスが戦っている理由は、元をただせばルヤーピヤーシャが攻めて来たからだ。自分たちが拓いた土地を守るために剣を取った。現在は様々な要因が複雑に組み合わさって、お互いにいがみ合い、国境付近で土地を奪い合うようになってしまったがね」

「我らが剣を退けば、そちらも戦をやめると? 信用出来んな」

「どうしてだ? 実際、今はアンタの布いた抑戦令のお蔭で戦が止んでいる」

 現在の状況は、まさに仮定の通りであった。

 紅蓮帝が抑戦令を発布したことによってルヤーピヤーシャが剣を退き、アガールスもそれに呼応して戦をやめた。

 それが出来るのならば、今後もそれを続けるだけで平和となる。

「だが、それは貴様らアガールスが戦に疲弊したからだろう。充分な休養期間を得て、戦に耐えうる力をつければ、また戦端が開かれる」

「それはお互い様だ。だが、アガールスにはそうならない理由がある」

「聞かせてもらおう」

「俺がいることだ」

 アラドはトン、と胸を叩き、臆面もなくそんなことを言い放つ。

 言葉の意味する所はわかる。嫌戦家であるらしいアラドがアガールスの筆頭領主であるから、アガールス内の論調が好戦的になることはない、ということなのだろう。

 しかし、それにはパッと思いつくだけでも複数の問題を抱えている。

「お前が死ねばどうなる? 神人ほどの寿命を持たないただの人間であるお前は、良くてあと二十年かそこらで死ぬだろう? そうなった時、アガールスの論調が変わる可能性は大いにある」

「変わらないかもしれない。現在のアガールスでも、俺の他にも戦に否定的な領主は多数いる。彼らがいれば、戦は再発しない」

「それら全てが死ぬ時が来る。我が治世が終わる前に、アガールスの領主は全て代替わりするだろう」

「だとしても戦の悲惨さを説き、後進にも伝えていけば、戦は再発しない」

「話にならんな……」

 紅蓮帝は失望したように目を伏せた。

 アラドの主張は全く根拠のない希望的観測ばかりだ。

 自分の都合の良い未来だけを信じ、最悪の展開というのを考えていない。

 これが筆頭領主だというのだから、アガールスなど信用に値しない。

「アラドラド・クレイリウス。貴様は我が思っていた以上にお人好しのようだ。人を信用しすぎている。そんなことでは民を束ねる主の器とは言えん」

「それは違う、紅蓮帝。民を、仲間を信用してこそ王たり得る。俺は一人では領主として足りないところばかりだからな」

「だからただの人間にはアスラティカを任せられんのだ」

 足りないところばかりの人間。

 あらゆる面で人間を凌駕する神人。

 その認識の違いが埋めきれず、紅蓮帝はコミュニケーションを断つ。

「もうよい、アガールス側の主張はわかった。どの道、もともとしばらくは抑戦令を反故にするつもりはない。無駄足だったな、太刀雄」

「いや、アンタと言葉を交わせたのは有意義だった」

 会談はそこで終わりを告げられる。

 謁見の間の扉が開けられ、無言ではあっても『お帰りはこちらです』と促されていた。

 アラドの隣でずっと頭を垂れていたグンケルとワッソンが立ち上がり、もう一度礼をしてから踵を返す。

 それに続く形でアラドも背を向けたのだが……

「紅蓮帝、最後にもう一つ聞いていいか?」

「……なんだ?」

 最後の問いに対し、紅蓮帝がちらりと瞼を持ち上げた。

 眼に映るアラドを、どう思っただろうか。

「アンタは雷覇帝が死んだのを、どう思う? 愛する父が亡くなり、何を感じた?」

「どういう意味だ?」

「……何も感じなかったのなら、いい」

 紅蓮帝の返答にアラドは少し笑い、それからは立ち止まることもなく謁見の間を出て行った。

 その後ろ姿を見送りながら、紅蓮帝はもう一度、ふむと唸った。

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