25ー2 展望 2
「まず一つ目、倭州を平定する事ですが、これには金象とやらが率いている、倭州の南部と西部の諸侯連合を打倒するのが一番良いでしょう」
「金象は蓮姫の下で活動しています。金象を挫くことが出来れば、蓮姫の目的は大きく遠のくはずです」
それは鎮波姫と永常が証言できる。
金象は確かに蓮姫の存在を知り、その下で働いていることを明言していた。
であれば、倭州の南部と西部の連合は、ほとんど蓮姫の勢力であると考えてよい。
南西部連合が倭州を平定したなら、それは倭州が蓮姫の領土となった事とほぼ同義である。
そうなれば魔王の封印された場所なんて、すぐに割り出されてしまう。
しかし、それを防ごうとするにも問題がある。
「倭州の人々からは、神火宗は南西部連合に協力する勢力だと思われているらしいですから、私が総魔権僧として兵を率いて倭州へ乗り込むのは難しいでしょう」
「そもそも、神火宗として兵を挙げて倭州の内乱へ介入してしまえば、それこそ神火宗の倭州侵略であると言われてもおかしくありませんから」
「そう、それです!」
話題に出たことをきっかけに、永常が立ち上がる。
「神火宗が倭州へ宗教侵略を行っているというのは、事実なのですか!?」
鎮波姫と永常の苦難は、その情報がもたらされたことから始まっている。
金象を含む、南西部の諸侯から情報が持ち込まれ、神火宗を討伐する目的で出征し、結果、罠にはめられて倭州を脱出することとなった。
罠自体は金象たちが仕組んだものであろう。だが、情報の精査はしたつもりだ。実際に倭州の西部に神火宗が入り込んでいたのは事実である。
神火宗の倭州侵略が事実であれば、いくらリュハラッシと破幻がほぼ同一人物であろうと、手放しで信用することが出来なくなる。
「残念ながら、事実です」
リュハラッシによる返答は、肯定であった。
「神火宗では神の頭環事件からずっと、新たな神の火を探しています。その探索先として倭州が選ばれたのです」
「噂通りだったんですね……」
神の頭環事件を皮切りに、神の祝福がなくなることを恐れ、新たな神の火を探している。
そんな噂は本当だったのだ。
「神火宗内部には、神の火が絶えるのではないかと危惧している人間が多くいます。顕世権僧の龍戴ですら、その一人ですから」
「龍戴様まで……」
「ですので、新たな神の火を探すのは、神火宗全体で行うべき急務、という風潮が流れています。少なくとも、神槍領域では倭州への宗教侵略に否定的な態度の人間はいないかと」
「……では、神火宗は倭州の敵ということですか」
鎮波姫から投げられた、芯を突いた質問。
彼女のまっすぐな視線に対し、リュハラッシも彼女を見据える。
「神火宗の目的はあくまで新たな神の火、もしくはそれに代わる信仰の拠り所です。その足掛かりを得るために、宗教としての足場を作っているにすぎません。もし、神火宗の活動を倭州の人間が止めるのであれば、敵対するでしょう」
嘘偽りのない、過不足もない、全く素直な返答であった。
神火宗の目的を邪魔するのならば敵対する。それは至極当然のこと。
「倭州西部に乗り込み、金象などの有力諸侯……倭州では太守と呼ぶそうですが、彼らを取り込み、神火宗に理解のある人間を使って倭州を平定する。それが神火宗の思想だと思ってくれて間違いないでしょう」
「では、神火宗は金象たちの行動を支援する、と?」
「現在、神火宗が金象と結んでいるのは、彼が利用しやすいからです。彼も神火宗を利用価値のある組織として結んでいます。我々としては金象に代わる誰かが現れれば、そちらでも構わないのですよ」
「例えば、泰でも?」
「かの州が神火宗と結ぶつもりがあるのなら、そう言う道もあるでしょう。……まぁ、当面はなさそうですが」
泰は姫の血筋の熱心な信者である。
姫に対する信仰が宗教に近いのであれば、他宗教となる神火宗になびくことはないだろう。
「このまま状況が動かないのであれば、神火宗は金象を支援し続けるでしょうね」
「なにがあろうとも、ですか?」
「金象と蓮姫の関係を明かせば、神火宗は南西部の太守との連携は断ち切る可能性はあります。しかし、倭州での探索自体は中止することはないでしょう」
「わかりました」
リュハラッシの淡々とした返答を受け、鎮波姫は静かに、その言葉を咀嚼し、じっくりと考えをまとめる。
そして、一つ深呼吸のあと、言葉をつづけた。
「私は、倭州を預かる姫として、倭州東部の有力州である泰と協力し、金象と南西部の太守たち、そして神火宗と敵対します」
「姫様!」
神火宗の重要ポストである総魔権僧、そのリュハラッシに対して、真正面からの敵対宣言。
それは宣戦布告に近いものであったが、しかしほとんど実行力は持たなかった。
何せ、鎮波姫は今、全く何の力も持ち合わせない、単なる放浪者。
そんな小娘が神火宗の総魔権僧に啖呵を切ったところで、天に
しかし、そんな彼女が倭州の東部を支配する太守と手を組めば、大きな勢力となるだろう。
東部は鎮波姫を引き入れれば大義名分を掲げて南西部の太守を打倒できる。
そこには民意もついてくるだろう。
となれば、南西部を支持している神火宗としては黙っておけない。
「そうなった場合、リュハラッシ殿はどちらにつくのですか?」
「それはもちろん、鎮波姫様です」
あっけのない即答。
鎮波姫はリュハラッシを試すつもりであったのだが、リュハラッシの方は『何を当然のことを』と言わんばかりである。
こうなると虚を突かれたのは鎮波姫の方だ。
「ほ、本当によろしいのですか? あなたは総魔権僧なのでしょう?」
「ええ、なんならその地位を利用し、神火宗側の情報をあなたにお教えすることも
「リュハラッシ殿は、今の地位を捨てでも蓮姫を打倒したいと思っているのですね」
「というより、今の地位を得たのも蓮姫を打倒するために便利だと思ったからです。私にとって、いいえ、破幻にとって地位や名誉、他の何よりも蓮姫を倒すという使命の方が重要なのですから」
きっぱりと言い切るリュハラッシ。その言葉には一切の曇りも淀みもなく、彼の本心であることが窺えた。
実際、ルクスの竜眼がとらえている色も、嘘偽りを示していない。
「鎮波姫さん、リュハラッシ様の言葉は信用してもいいと思います」
「ルクスくん……そうですか。わかりました。リュハラッシ殿を信用いたしましょう。もともと破幻様がいなければ、私たちの命運も尽きていたでしょうし、彼の分け身であるあなたならば、信用に足ります」
「ありがたきお言葉、このリュハラッシ、誠心誠意、鎮波姫様に尽くしましょう」
「いいえ、あなたが尽くすのではなく、私たちがあなたの使命の成就のために尽くすのです。結果として蓮姫を討つ、というのは私たちが抱く目標と合致していますから」
鎮波姫と永常の目標は、蓮姫と金象の打倒である。
そしてその目標に対し実行力が高いのはリュハラッシの方だ。
であれば上下の関係はリュハラッシの方が上である方が自然だろう。
「私たちには力もなければ、目標を実現するための策もありません。リュハラッシ殿が知恵をお貸しくださるのであれば、これほど心強いことはありません」
「……わかりました。では、話を戻しましょう」
リュハラッシの立ち位置と考え方を確認できたところで、
「倭州での内乱を平定する手段についての話でしたね。これは、先ほど鎮波姫様がおっしゃったとおりの策が現実的でしょう」
「つまり、泰と結び、南西諸侯を打倒する、と?」
「そうです。聞けば、泰という州は倭州で相当な力を持っているとか」
倭州において泰とは最大勢力であると言っても過言ではない。
連合を組んだ南西部諸侯と拮抗する程度に強大なのである。連合と対立出来る単一勢力であれば、それを強大と称しても過剰ではあるまい。
現在では倭州北部の勢力と同盟を結び、南西部の増強を防ぎつつ、倭州を二分して睨み合っているのだという。
そこに鎮波姫が加われば、泰の勢いはさらに増すだろう。
近く、倭州の平定を実現させるのも夢物語ではない。
「問題は鎮波姫様を泰までお連れする手段です」
「鎮波姫さんが来た時と同じ手段じゃダメなんですか?」
ミーナが首をかしげたのだが、それは幾つもの問題を孕んでいる。
「ミーナさん! 最初に鎮波姫さんに聞いたじゃないですか」
「え? ……あ」
アガールスで鎮波姫と初めて出会った時、彼女は海を渡ってきた時の話を聞かせてくれた。
鎮波姫が海を渡る際に使った征流の力は不完全であった。
彼女の望んだ行き先には運んでくれず、ルヤーピヤーシャへ流れ着いてしまったのだ。
「で、でも破幻さんって人と同じ力をリュハラッシ様が持っているんでしょう? だったら、征流の力ってやつもちゃんと使えるんじゃないですか?」
「私の力を使って征流の力を補助したとしても、アスラティカと倭州の間の長距離を渡るには不足しているでしょう。魔力の補填だけではなく、詠唱や魔法陣などの詳細がわかれば良いのですが……」
「征流殿には征流の力を使うための陣がありましたが、それを正確に転写するのは難しいです。かなり複雑だったので」
「そうでなくとも、魔法陣の複製はかなりの技術を要するものですよ。一流芸術家の絵画を模写して誰にもバレないような贋作を作るのと同じ事なのですから」
魔術は暴発の危険性と隣り合わせである。
それは魔術の大きな効果を引き起こす必要経費であり、要求されて当然のハードルである。
声による詠唱、体言語による詠唱、魔法陣による詠唱。どれでも正確無比を求められるのだから、魔法陣の転写も一切の誤りを許さないのだ。
複製に要求される技術は相当高い。
仮に鎮波姫が正確に魔法陣の模様を覚えていたとしても、それと全く同じ陣を敷くのは不可能だろう。
「じゃあ、アラド様にもう一回頼んで、ジョット・ヨッツを出してもらうかぁ」
「ミーナさん、簡単に言いますけど、鉄甲船を動かすのって凄くお金がかかるんですよ」
「あ、そっか」
確認だが、鉄甲船の運用は莫大なコストを要する。
仮にリュハラッシが神火宗を通じて鉄甲船の運用を依頼しても簡単に出港してはくれないだろう。
「一応、ルヤーピヤーシャから定期船として鉄甲船が倭州へ向けて往復していますが……それに同乗するのも難しいでしょうね。定期船は交易以外の目的をほぼ持ちません。旅行者が倭州へ渡る、なんて以ての外なのです」
鉄甲船が機密技術の結晶であるのは、アガールスからルヤーピヤーシャへ渡る時に痛感した。
部屋の行き来以外、船内での行動はほとんど許されなかったのを考えると、ちょっと見物程度すら情報漏洩に繋がりかねない、と警戒されているのだ。
先日、ルクスやミーナと言った一般人から、鎮波姫、永常という身元不明の不審者まで乗船出来たのは、ひとえにアラドと馬軍領域の長であるブルデイムの力によるところが大きい。
彼らの力添えがなければ、一般人は普通、鉄甲船に乗るどころか間近で姿を見る事すらかなわないだろう。
「え、でも、じゃあ神火宗の人たちはどうやって倭州に渡ったんですか?」
「倭州側の船に乗せてもらいました。そちらは割と簡単に乗せてくれましたからね」
「それですよ。私たちも倭州の船に乗せてもらえば……」
「ここしばらくの間、倭州からの船は、何故かほとんど来ていません。鎮波姫様がこちらにいらっしゃる事を考えれば、原因は推察できますが」
今まで鎮波姫が征流の力によって海を穏やかにしていた。それは魔海公と呼ばれる存在との契約の証であり、海魔をも鎮める力を持っている。
鎮波姫が十全に征流の力を使うことが出来れば、海魔は襲ってくることはない。
今まで倭州の船が自由に海を航行出来たのは征流の力によって海魔の活動が抑制されていたからである。
征流の力による加護がなくなった今、倭州の船とて海魔の餌食だ。
「じゃあやっぱり鉄甲船……ってお金の問題は解決できないかぁ」
「仮に鉄甲船が出せたとして海路を往くのだとしても、倭州東部にある泰までたどり着くには途中途中で補給は必要です。鉄甲船での移動はかなり目立ちますから、補給で立ち寄った港でも相応の検査があるでしょう」
「その際に姫様が金象の手勢に見つかれば危険、ということですね」
倭州南西部諸侯連合にとって、アスラティカとの交易路は泰にない優位性である。
倭州内部でどうにかリソースを管理しなければいけない泰とは違い、南西部連合はアスラティカと協力してやりくりすることが出来る。
不足してきたものをアスラティカから取り寄せたり、不必要になったものをアスラティカに売りつけることで金を得て、自勢力内の経済を回す事も出来る。高い有用性を持つ手札であるといえよう。
そうなった場合、海路の警戒は常に行うはずだ。
海賊行為や密輸品なども厳しく取り締まるだろうし、渡航者のチェックもしっかりと行うだろう。
そこへ鎮波姫が『どーもどーも』と乗り込んでいけば、一発で捕まってしまう。
「私が征流の力を使って航行距離を伸ばしたとしても、南回り、北回りのどちらの航路でも、どこかの州に停泊するのは免れません。確かに、それは問題ですね」
「定期船で運ぶ交易品にまぎれようとしても、ルヤーピヤーシャ内での積み荷の監査は厳しいようですし、密航者は厳罰に処されるとも聞きます」
鉄甲船は機密の宝庫である。そこへ忍び込もうとする人間は後を絶たないだろう。
それらを処罰するに際し、軽く死刑が宣告される事も少なくないのである。
そんなリスクを取るのは危険が過ぎるだろう。
こうなると鎮波姫を倭州へ送り届けるのはかなり難易度が高いように感じられる。このハードルを飛び越えるリスクとリターンが見合っているのかは、若干謎である。
「では、鎮波姫様をアスラティカ側で保護しておき、別の人間が倭州へ渡り、魔王封印の地を先に押さえる策と言えば、こちらもこちらで問題があります」
「どのような?」
「アガールスで起こった事件では、誰も西の離島に魔王の封印があることを知らなかった。言い換えれば、近くを通った神火宗の僧侶ですら、魔王の魔力を感知できなかったのです」
アガールスだけではなく、神火宗の僧侶はあらゆる土地を歩き回っている。
神火に適合する人材の発掘や、魔術の修行のため、地方の村や集落の支援のためなど、理由は様々だが、いついかなる時でも神火宗の僧侶は世界各地で出会うことが出来るのである。
当然、アガールスの西岸も多くの僧侶が歩いただろう。件の離島に近づこうとした僧侶もいたかもしれない。
だが、一切の報告は上がってこなかった。
それは魔王の魔力が感じ取れなかった、すなわち強力な封印が機能している事の
逆に言えば、探そうと思っても、ちょっとやそっとで見つかるようなものではないのである。
「その点では、偶然ではあれどルクスくんという人材を手に入れることが出来たのは
現在の顕世権僧でも捉えきれなかった魔力を、ルクスの竜眼ならば捉えることが出来る。
であれば、誰も気付くことが出来なかった封印された魔力を探知できる可能性もあるだろう。
「ですが、それも先ほどと同じ理由で問題が発生する、ということですね」
「その通り」
ルクスが倭州へ渡ることが出来るなら、鎮波姫も同じように渡れるはずだ。
それが出来ないというのは、先ほど何度も確認した通りである。
仮にルクスが倭州へ渡れたとしても問題は多くある。
現在、内乱の真っ只中である倭州を、少年一人が歩けるわけもなし、護衛をつけるにしても目立ってしまい、金象だけでなく泰からも怪しまれてしまうだろう。
「加えて言えば、ルクスくんには土地勘がない。怪しい場所に目途をつける事も出来なければ、危険な場所を迂回する事も難しいでしょう。可能ならば鎮波姫様や永常殿を供につけ、可能な限りの案内が出来れば良いのですが……」
それが難しいのは先ほど話したばかりだ。
結局、リュハラッシが挙げた二つの策は、難易度が高すぎると言わざるを得なかった。
「どうすればよろしいのですか?」
「……機を待つしかありますまい」
こればかりはリュハラッシもお手上げのようであった。
情けない答えしか返せなかったリュハラッシは、しかし気持ちを切り替えるように言葉を続ける。
「しかし、まだ諦めるには早い。私の占術によれば、近く、ルヤーピヤーシャの都に希望の兆しあり、と出ています」
「ルヤーピヤーシャの都で? 何か起こるのですか?」
「そこまでは何とも……。しかし、破幻も言っていたでしょう」
根拠は薄いが、それでもリュハラッシは力強く笑いかける。
「私の占いを信じて下さったのならば、最後まで信用してください。きっとあなた方を助けることになります」
それは、鎮波姫が破幻と別れる時に言われた文句であった。
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