26 ユキーネィの行方

26 ユキーネィの行方


 一行いっこうが社務所でおしゃべりをしている頃合い。

 天駆出現の事後処理でバタバタとする神槍領域内で、静かな場所があった。

 神槍領域の四つ目の峰、知識の殿堂ともされる大書庫である。


 天井は頭上遥か高く、しかし解放感などとは無縁の空間。

 部屋の中には所せましと書棚が並び、窮屈さを逃れるためにその背丈を伸ばす。

 書棚は遥か高い天井に届くほどの高さを持ち、最上段ともなると十メートル近い高さとなっている。

 そこに手を届かせるため、全ての棚に移動梯子が備え付けられており、通路の狭さを更に窮屈にしていた。

 そんな書棚が並ぶスペースとは対照的に、閲覧スペースには机や椅子、書見台しょけんだいがいくつか並び、それぞれに広めの空間が用意されている。おそらく、読書中のパーソナルスペースを近所の人間に邪魔されないようにした配慮なのだろう。

 閲覧スペースとは逆側の出入り口付近にはカウンターがある。通常ならば書架しょかを管理している司書が常駐しているはずなのだが、現在は緊急事態につき、席を外しているようであった。

 当然、利用している僧侶の姿もなく、入口は厳重に施錠されている。いつも静かな大書庫だが、いつにも増して静けさが支配していた。

 そこへ、無粋とも思えるほどに物音を立てる存在が一つ。

「どこ、どこなの……?」

 書棚の陰や閲覧スペース、大書庫のあらゆる場所を調べ、何かを探している人影。今は誰の立ち入りも許していない大書庫でありながら、この人物はどうやってかここへ入り込み、そして本を物色しているようであった。

 神火宗のローブを纏ってはいる。だが、男性の刺繍がされているそのローブに比べ、本人のシルエットは小柄だ。

 そもそもサイズがあっていないようにすら見える。

「場所は間違っていないはずなのに、おかしいわ……」

「おかしいのは貴様の方だろう」

 探し物に夢中になっていた人影は、もう一人、大書庫へ入ってきていた人物に気付くのが遅れた。

 慌てて立ち上がり、顔を隠すように腕を回し、声のした方へと振り返った。

 そこにいたのは、一人の武僧。

「誰……!?」

「この俺を知らんというのも不思議な話だ。貴様は神槍領域の僧侶なのだろう?」

 怪しい人影に声をかけた武僧。背後を取っていながら不意打ちを仕掛けなかったのは、余裕の表れであり、大書庫への配慮でもあった。

 武僧は手に持っていた槍の穂先を人影に向け、静かに言葉を続ける。

「書架に損害を与えたくはない。おとなしく外へ出ろ」

「ふん、どうして私があなたの指示に従うと思ったの? 本が大事なら、私の魔法で燃やし尽くしても――」

「残念だ」

 人影の言葉の途中で、武僧が動く。

 その踏み込みは神速。床板を踏み割らない程度に力を抑えてはいたが、それでも瞬く間に人影との距離を詰め、その槍の間合いに収めていた。

(は、早――)

 当然、神速の踏み込みに対応する事など出来ず、武僧の攻撃をまともに受けてしまう。

 槍の石突が腹部に深々とめり込み、背骨が断ち割られるかと思った。

 大書庫に忍び込むより前に、身体強化の魔術を使っていなければ、実際に行動不能になっていただろう。

 なんとか身体が真っ二つにされるのを免れた人影であったが、次の攻撃に対応することなどまず不可能であった。

「言うことを聞かんのであれば、強引な方法をとるしかないな」

 器用にも、武僧は侵入者を槍でひっかけ、力任せにぶん投げる。

 投げられた方向は本棚スペースとは逆側、閲覧スペースを遥かに超える。

 まるで木の葉が突風に吹き飛ばされるかのように、しかし人間一人分相応の質量をもって、侵入者は窓ガラスをぶち破って外へと放り出された。

 ガラス片や窓枠であった木材をばらまきながら、侵入者は地面をゴロゴロと転がる。

 いくら身体強化をしていたとしても、あの攻撃をまともに受けてすぐに立ち上がることは出来なかった。

「が……はっ……」

「貴様は俺に誰何すいかしたな。知らぬようだから答えてやろう」

 ぶち破られた窓枠をまたぎ、武僧は槍を肩に置きながら余裕の態度を見せる。

 今の一撃で上下関係は明らかとなった。

 まず負けることはない。その絶対的な自信が、その笑みからも見て取れた。

「俺はアシャカ。現在の武威ぶい権僧ごんじょうを担っている」

「ぶ……ぶい、ごんじょう……ッ!?」

 地面を転がっていた侵入者は、体の内側から湧き出る血反吐を吐きつつ、青い顔をしながら武僧を見た。

 武威権僧、アシャカを名乗ったその男は、神火宗の武僧を統べる男。神火宗内でのフィジカルトップの人間であった。

「貴様がユキーネィとやらだな。女子でありながら男子の羽織りを纏う異端者。神火宗の権僧をかたる不届き者……。そして火事場泥棒でもするつもりだったか?」

 未だ立ち上がることすらできない侵入者――ユキーネィを見下ろしながら、アシャカは緩く笑う。

 身分を偽って神火宗の総本山、神槍領域へと侵入した人物の目的が、まさか火事場泥棒などとは、笑うほかなかったのだ。

「確かに、この大書庫には多くの貴重な書架が眠っている。市井しせいで売りさばけば数冊で一生遊んで暮らすだけの金は手に入るだろう。……しかし、それが実現するなどと考えられたのであれば、我々はまだなめられているということなのか」

「残、念だわ……もう少し、で……大金が、手に、入ると……」

「――この状況でまだ嘘がつけるとは、大した胆力だ」

 負け惜しみに吐いた言葉、そして浮かべた薄ら笑い。

 ユキーネィのその態度を見て、アシャカは一切の笑みを捨て、彼女をまっすぐに見据える。

 アシャカは槍を構えていないのにもかかわらず、確かな殺意と圧倒的なプレッシャーがユキーネィに襲い掛かる。

 凡百の人間であれば、アシャカにすごまれただけで気絶してしまいそうな威圧感であったが、ユキーネィが失神しなかったのはその胆力のお蔭なのだろうか。

「貴様の事は聞き及んでいる。なんでも蓮姫の手の者なのだそうだな。そんな人間が金欲しさに大書庫に侵入するわけがないだろう? 何を探していた?」

「わ、私は……」

 今の状況は、ユキーネィにとって絶体絶命のピンチであった。

 身体に力が入らず、立ち上がる事も出来ない。

 よしんば立ち上がれたとしても、その瞬間にアシャカにもう一撃加えられ、今度こそ心身ともにぶち折られるのがオチだろう。

 逃げることもかなわず、立ち向かうなんてもってのほか。

 そして自分の背後にいる存在のことまで知られている。

 この状況でユキーネィが取れる手段と言えば――

「よい、アシャカ」

 ユキーネィが最後の手段に出ようとしたその時、大書庫を囲う林の中からもう一人、人影が現れた。

 浅黒の肌、キレイな金髪、黒地に金刺繍の豪華なローブ。

 その男は、顕世権僧、龍戴であった。

「これは顕世権僧。お早い到着ですな」

「いや、君に手を煩わせてしまった。本来はもう少し早く来るつもりだったのだがね」

「ははは、顕世権僧に遅れを取ったとなれば、武威権僧の名折れ。その時は私を除名してくださって結構」

 軽い挨拶を交わす二人に挟まれ、ユキーネィは本当に身動きが取れなくなっていた。

 彼女をはさんで存在しているのは、現在の神火宗における魔術と武術のツートップ。

 そんな二人にはさまれてしまっては、最早蛇に睨まれた蛙、もしくはまな板の上の鯉。

 指先を少しでも動かせば、その瞬間に死んでしまうような緊張感であった。

 ……いや、それ以上に。

(う、動けない、言葉も発せない……!)

 心理的な意味合いだけでなく、ユキーネィは全く身体が動かなくなっていた。

 辛うじて呼吸は出来るが、それ以上に身体を動かすことが出来ないのである。

「さて、ユキーネィとか言ったかね」

 ユキーネィの背後から、龍戴が静かに近づく。

「私の術で身体の自由を奪われた気分はどうかね? 今は呼吸を止める程に締めてはいないが、私の心持一つで、お前の命はどちらにも転がる」

 龍戴が現れるより以前、アシャカと対峙しているその時から、すでに龍戴はユキーネィに術を施していたのだ。

 魔術師同士の戦いでは、後手をとった方が相当不利になる。

 龍戴の接近にすら気付けていなかったユキーネィは、戦う前から敗北していたと言えよう。

 ユキーネィの頬に冷や汗がつたう。

 こうなっては自決という最終手段を取ることすらままならなかった。

「……しかし、お前を殺すつもりはないよ。何せ大事な大事な情報源だからね。これからじっくり、お前が知っている事を教えてもらおう」

「……ッ!」

「黙秘が出来るなんて思わないことだ。我ら神火宗はありとあらゆる魔術を編み出している。表に出せないような術も数多あまた存在してる。もちろん、拷問に有効なものもね」

 神火宗は神代から存在している宗教であり、魔術の研究機関である。

 その中には禁術に指定された術も数多くあるが、そのラインスレスレで禁術判定を免れたモノも多くあった。

 例えば相手の精神に影響する術や、生死の境ギリギリの苦痛を与えるようなモノもある。

 それらは『ある側面で有用』という判定を受け、現在も大っぴらにされていないだけで脈々と受け継がれ、研究されて続けているのである。

 もともとは総魔権僧であった龍戴も、当然それらの術の心得があるし、なんならその類のスペシャリストも神槍領域内に存在している。

「時間はたっぷりある。お前の知っていることを洗いざらい喋ってもらおう。耐えれば耐えるほど拷問官が喜ぶだけだがね」

 龍戴の言葉に、表情を変える事も出来ないユキーネィ。

 アシャカによって軽々と担がれるのにも、全く抵抗が出来なかった。

 そのまま三人は林の影へと隠れていき、大書庫の周りには再び静寂が戻った。

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