20ー3 偽りの外套 3
「私が危惧しているのは、古の魔王が復活する事よりも、新たな魔王が誕生してしまわないか、ということだ」
「ルクスくんがそうなるとお考えなのですか!? ありえません!」
龍戴の言葉に、ミーナが珍しく強い反応を示す。
それを見ても龍戴は柔和に笑いながら言葉を継いだ。
「神代の魔王は、千年魔女の魔術によって操られて魔王となった。ルクスくんがそのような悪しき存在に操られることがなければ、その心配はなかろうが……」
先ほどからちょいちょい出てくる固有の単語に、ルクスは首をかしげる。
「千年魔女というのは?」
「それも神代の頃に実在した、悪しき魔術師だ。そうか、君は知らないだろうな」
「千年魔女っていうのはね、昔、神火宗が討伐した、ものすごく悪い魔女なの。魔術を悪いことに使いまくって、魔物すら使役したと言われるわ」
神火宗の歴史において登場する、悪しき魔術師の代名詞とも言える存在、それが千年魔女である。
書物によれば、神火に適合していながら神火宗に従わず、異端を貫き、魔物の軍勢を率いて神火宗と長い間争い続けていたとか。
その名の通り、千年以上も生き続け、その間は悪逆非道の限りを尽くしたと言われる。
だがそれも神代の頃の話。魔王が朽ちていると言うのであれば、魔女だって死んでいるに違いない。そもそも、魔女は明確に『神火宗が討ち取った』とされている。
ならば何も心配する必要はないのではないか、とミーナが首を傾げた。
「でも、千年魔女ももう、生きていないでしょう? それなら、ルクスくんの魔力が悪用される事もないのでは?」
「確かに、千年魔女は神火宗が討ち取った。……だが、困ったことに、千年魔女に匹敵する術師が現れているのだ」
「それって、ボゥアードの事ですか?」
ボゥアードはルクスに禁術を施した張本人である。
竜眼がどのような術であるのか知っていたのだとすれば、ルクスを魔王に仕立て上げて操り、世界を征服しようと考えていた可能性もゼロではない。
しかし、龍戴は眉間にしわを寄せる。
「確かに、ボゥアードとやらのことも懸念事項だ。竜眼をここまで完璧に再現したとなれば、相当の技術と知識、そして魔力量を持っている証左だろう。だが、ボゥアードよりも厄介なのは、自らを現代の千年魔女と称する存在だ」
「そ、そんな人間がいるんですか!?」
「ああ、名を……蓮姫という」
その名前を聞いて、ルクスとミーナは顔を合わせる。
蓮姫というのは、鎮波姫の話に出てきた名前であったのだ。
鎮波姫が罠にはめられ、倭州を脱出しなければならなくなった原因を作った存在、倭州で起こった政変の黒幕、その人物の名前が確か、蓮姫。
「蓮姫……」
「聞いたことがあるのかね?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
説明するには少し具合が悪い。
何せミーナやルクスが聞いたのは、鎮波姫から聞いた話。その中で蓮姫は神火宗側の人間として登場し、倭州を攻撃しているというのだ。
ここでそんな話をすると、神火宗を批判しているようにも聞こえるだろう。
流石に神火宗のトップである龍戴の前で、そんな発言をする度胸はなかった。
変にアワアワするミーナであったが、その様子を気にした様子でもない龍戴は、話を続けた。
「蓮姫というのは、我々も近年になって存在を確認した人物でな。アスラティカのいたるところで活動をしているらしい。詳しいことはまだつかめていないが、どうにも危うい企み事を進めている節がある」
「えっ!?」
それはおかしな話だった。
蓮姫は神火宗の人間であるはず。そうでなければ鎮波姫の話と齟齬が出てくる。
神火宗は倭州への宗教侵略として、倭州で根強い信仰対象となっている鎮波姫を排除しようと行動していた。その裏で暗躍していたのが蓮姫と聞いている。
宗教侵略という一大事業の事を神火宗のトップである龍戴が知らないわけがない。
であれば、龍戴か鎮波姫、どちらかが嘘をついている事になる。
ミーナとしては神火宗のトップである龍戴の事も、今まで旅を共にしてきた鎮波姫のことも疑いたくはない。
だが、ルクスにはわかっていた。
(この人も今は真実を言っている。鎮波姫さんも嘘をついている様子はなかった)
先ほどとは違い、龍戴は嘘をついている様子はない。竜眼の見る色がそれを示している。
神火宗でも蓮姫の存在を把握しきれていないのは真実。
そして、同様に鎮波姫が話していた時の感情もまた、その話が真実であると表していた。
であるとすれば、考えられるのは
『蓮姫とやら、どうやら相当な食わせ物のようだな』
ルクスの頭の中で魔王がつぶやく。
蓮姫は神火宗も倭州も騙し、何らかの行動を取っているのだ。
両陣営は小さくなく、弱くない。
その二つを相手取りながら正体を晒さず、手玉に取り続けるのは、神業とも言えるだろう。
考察が進むルクスだったが、ミーナはただただ混乱するばかりであった。
「どうしたね、ミーナ修士?」
「え? あ、いえ、神火宗をもってしても、正体がつかめないのかー、と思いまして……へへっ」
「残念ながら、名前以外はほとんど情報もない」
適当に笑ってごまかすミーナであったが、やはり龍戴は些末を気にしている感じではない。
「各地の領域と連携し、大権僧の位を持つ人間には情報共有しているのだが、未だに所在はおろか、人相書きを作ることすらままならない。足取りを追おうにも、しっぽすらつかめていないのが現状だ」
神火宗はアスラティカの各地に領域と呼ばれる領地を持っている。
アガールスでは馬軍領域、ルヤーピヤーシャでは神槍領域が代表的ではあるが、それほど大きなモノでなくとも複数の領域が存在しており、大きな町には派出所が設置されてもいるのだ。
それだけにネットワークはアガールス、ルヤーピヤーシャの国境を越えて成立している。
そんな神火宗でも、蓮姫の正体についてはつかみきれていない。
神火宗が頼りないというより、蓮姫が
未だ正体不明の敵を相手取るのに疲れているのか、龍戴も自嘲気味に笑いながら話を続ける。
「過去に竜眼を施された人間は、千年魔女に操られて魔王となった。千年魔女の再来を自負する蓮姫がいる限り、ルクスくんが第二の魔王になる可能性は否定しきれない。それにボゥアードとやらの事も気がかりだ」
「どうにか出来ませんか!? ……あ、いっそ、この術を解呪出来ませんか!?」
焦るミーナに、龍戴は難しく唸る。
「解呪は難しい。竜眼は被術者の生命に深く根付く魔術。解呪をする過程で、ルクスくんの生命活動に影響する可能性は高い。……つまり解呪の途中でルクスくんが死亡する可能性が高く、そうでなくとも、重大な後遺症が残ったり寿命を極端に縮める可能性もある」
「では……解呪は不可能に近い、と」
「どれだけ腕利きの魔術師でも、必ず安全に解呪できる、とは言えないだろう」
龍戴は現在の神火宗でもトップクラスの技術を持ち合わせている。
そんな彼が断言するのであれば、どこへ行っても匙を投げられるだろう。
肩を落とすミーナとルクスに、しかし龍戴は笑顔を向ける。
「案ずるな、二人とも。ルクスくんがこの神槍領域にいる限り、蓮姫やボゥアードの干渉は受けないだろう。事態が落ち着くまで、いくらでもここにいるといい」
「良いんですか!? よかったね、ルクスくん!」
「え、あ……はい」
神槍領域は強固な結界に守られた領域である。
確かにここにいれば、外部からの影響はほとんどないと言っていいだろう。
ルクスは一定の安全を手に入れたのだ。
だが、それがいつまで続くかはわからない。
相手は正体不明の人物が二人である。
その脅威が取り除かれない限り、ルクスは神槍領域に閉じ込められたままということだ。
故郷を失ったルクスにとって、外に出られないことの弊害は少ないが、いきなり見ず知らずの土地で暮らせと言われたら、少なからず戸惑うだろう。
困り顔のルクスを見て、ミーナは彼の手を強く握る。
「大丈夫、私も途中で責任は投げ出さないから」
「ミーナさん……?」
「龍戴様。私はルクスくんの親御さんに、彼の身柄を託されました。ルクスくんが神槍領域に住むというなら、私もここで暮らします」
ともすれば強欲な宣言とも取れるミーナの言葉に、龍戴は特に気にした様子もなく大きく頷く。
「君がそれでいいのならば、そうするがいい。幸い、神槍領域の敷地は広く、修行する僧侶も少なくない。君たちにとってよい環境になるだろう。ルクスくんも魔力を持て余すばかりでは心配も募ろう。自らの力とし、有効に活用してほしい」
「あ、ありがとうございます!」
二人がここまで旅してきた中で、落ち着く場所がないというのはとてつもない不安であった。
旅慣れていたミーナはともかく、故郷をなくし、身寄りもないルクスにとっては、それが強いストレスだったのは想像に難くない。
だが、その不安もある程度は解消できた。
これからは神槍領域がルクスの安住の地となり、彼に憩いを与えてくれるだろう。
新天地での生活というのは大変であろうが、それも初めのうちだけだ。
きっと神槍領域がルクスの第二の故郷になってくれるだろう。
「さて、では二人の部屋を用意しなければならないな。おーい、誰か!」
龍戴が手をたたいて部屋の外へ声をかけると、一人の僧侶が中へ入ってきた。
それは龍戴を連れてきた時の男性とは違い、女性の僧侶であった。
彼女を見て、ミーナが音を立てて立ち上がる。
「す、すみません! ちょっと良いですか!?」
「ど、どうされました?」
すごい勢いで声を掛けられ、女性僧侶は目を丸くする。
その様子を全く気にせず、ミーナは彼女が羽織っていたローブをつかみ、にらみつける。
「やっぱり……すみません、あなたは権僧様ですね?」
「そ、そうです……」
「じゃあ、どうしてユキーネィさんは……」
「どうかしたのかね?」
急に騒ぎ出したミーナを見て、龍戴は苦笑していた。
それを見て、ミーナはすぐに姿勢を正す。
「す、すみません! 取り乱しました……」
「いや、かまわないよ。それより、彼女になにかあったかね?」
「この方がどう、とかではなくて、ここまで道を共にしてきた女性の権僧が、男性用の羽織りを纏っていたので、おかしいなーと思っていたんですよ」
ミーナがユキーネィを初めて見た時、あの港で覚えた違和感というのはそれであった。
神火宗の僧侶がまとうローブは、階級や男女によって刺繍に違いがあり、上位の階級であるほど豪華になる。
階級によるものは一見してわかりやすくされているが、男女の違いはよくよく観察してもわからないぐらいのモノだ。最初に見てミーナがすぐに違和感の正体に気づかないのも無理はない。
なんなら、そんじょそこいらの僧侶であれば違和感にすら気付かなかった可能性すらあるだろう。ミーナが特別、ローブの刺繍に興味関心を持っていたからこそ気付けたレベルの、些細なものだ。
だがローブの支給に不備があるとは思えない。
男女でデザインの差異を作ったのであれば、支給の際にはそれをしっかり確認するはずだ。
ユキーネィが男性用の刺繍が施されたローブを着ているのは不自然であった。
「いやー、でもこの方が女性用の羽織りを着ているとなると、あれはユキーネィさんなりの着こなしだったんですかねぇ。申請したら男性用の羽織りが支給されたりするんですか? アガールスじゃ認められなかったですけど」
「……すまない、少しいいかな?」
早口で喋るミーナの話を聞きながら、龍戴の表情が険しくなる。
「女性の権僧……と言ったかね?」
「は、はい。ユキーネィさんという方でしたが、なぜか男性の羽織りを着ていて、それもルヤーピヤーシャの神火宗なりのおしゃれなのかな、とか。ほら、私、ずっと行脚してましたから、今時のおしゃれとかにはさっぱり……」
「本当ならば由々しき事態だな」
にわかに剣呑な雰囲気の漂ってきた応接間。
わけがわからず、ミーナもルクスも、ついでに入ってきた女性権僧も困惑の色を浮かべる。
「ど、どうしたんですか?」
「ミーナ修士、君は女性の権僧が随行したと言っていたが、我々が君たちに同行させたのは、二人の男性の権僧だ。エイサンとファナヤーラという」
「え、それって……」
全く聞き覚えのない名前が出てきた。
エイサンは確かに、ユキーネィと一緒にいた権僧だ。
だが、ファナヤーラというのは一体誰のことであろう?
そのファナヤーラの代わりに、何食わぬ顔で一行についてきていたユキーネィとは、誰だったのだろうか?
そして、男性のファナヤーラの姿が見えず、なぜか男性のローブを羽織っていたユキーネィ。その行動の意図するところは、なんだったのだろうか?
唐突にこぼれてきた情報が、嫌な予感をあおる。
「そのユキーネィという権僧はどこへ行ったかね?」
「わ、私たちが領域に入った時には、いつの間にか姿が見えなくて……」
「……全僧侶に伝令、すぐにユキーネィとやらを探し出せ!」
穏やかだった神槍領域が、あわただしくなる。
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