21ー1 蓮華の毒 1
21 蓮華の毒
神槍領域が騒がしくなるよりも、少し前の話。
領域の入口でミーナとルクス、鎮波姫と永常は別行動を取ることとなり、鎮波姫と永常はエイサンに連れられて、領域の奥の方へと歩みを進めていた。
「領域というのは、広いものなのですね……」
鎮波姫が周りを見渡しながら、そうつぶやいた。
神槍領域は四つの頂上を持つ連峰を丸々結界内に収めている領域である。
その広さは他の領域とは比べ物にならないほどだ。
今、三人が歩いているのは、二つ目の峰を上る階段の途中。
「この階段を上った先には、何があるのですか?」
「この先は僧侶が瞑想を行う、
先を歩くエイサンが鎮波姫の問いに答えつつ、階段の途中で現れた踊り場から左右に分かれる道を指す。
「頂上には大きな第一想練場、ここから右へ折れると少し小さめの第二想練場になります。そして我々が向かうのは左へ折れた先です」
「そちらには何が?」
「森が広がるばかりです。しかし、そこでは採集が行えたり、静かな雰囲気が広がっており、そちらはそちらで瞑想がはかどるという僧侶もおります」
「私たちはそこへ向かって、何をするのですか?」
「なんというか……言いにくいのですが、どこへ行っても修行の邪魔になりそうですので、人の少ない場所で時間を潰していただこうかと」
それを聞いて永常が目に見えて嫌な顔をしたが、すぐに鎮波姫が目で制す。
確かに、ここは神火宗のお膝元。修行に勤しむ僧侶たちが多く存在しているのだろう。
であれば、外部の人間が茶々を入れるわけにもいかず、現在、来客に対応できるはずの社務所は龍戴が来ており、人払いをしている。
となれば、鎮波姫と永常は、領域内の人気のない場所で時間を潰すしかないというわけだ。
「どこへ行っても、私たちは除け者、ということですね」
「申し訳ありません。何せ、あなたがたの来訪は予定になかったもので」
思い返してみれば、鎮波姫たちが旅に同行したのは、アラドの急な思い付きであった。
ルヤーピヤーシャにたどり着いてから結構な日数が経過していたとしても、神火宗側にも事情やスケジュールというものがある。
それに無理を言って捻じ曲げろ、というのはワガママだ。
「しかし、この先の森はとても静かでいいところですよ。きっとお二人も気に入ってくれると思います」
「……お気遣い、ありがとうございます」
静かな森の中、というのもエイサンが困った末に選んだ行先なのかもしれない。
神火宗は倭州の敵であることを考えても、あまり皮肉を言うのもよろしくないだろう。
エイサンに連れられてしばらく歩くと、道の左右にあった斜面がやおら緩やかになる。
立ち並ぶ木々は軒並み背が高く、頭の遥か上まで枝がなかった。
葉の間から零れ落ちる木漏れ日は、まるで天使の階段のように薄暗い森の中に降り注いでいる。
足元には、いつの間にか道もなく、木の葉と土ばかりで埋めつくされていた。
息をひそめて耳をすませば、遠くからこちらを窺う動物の気配も感じられる。
「ここに人が寄り付かない、というのは、不思議な話ですね」
森の空気を感じながら、鎮波姫が静かにつぶやく。
どうにも、これ以上の声を張るのは憚られた。
それを見ながら、エイサンも苦笑する。
「昔は賑わったそうですが、瞑想する場所として賑わう、というのは本末転倒、といった感じですね」
「なるほど、それは確かに」
「現在でも頂上の第一想練場にはそこそこ人が集まりますから、密集を嫌ってここで瞑想を行うのも悪くはないと思うんですがね」
「しかし、ここにはほかの動物もいます。彼らの生活を脅かしながら、人間の都合で場所を占有するのも瞑想の邪魔になりましょう」
「そうですね。過去の顕世権僧もそう判断したと聞いています。ゆえに、この森も昔の状態のまま、ここに残されているのです」
エイサンの話を聞きながら、鎮波姫は複雑な心境を抱えた。
過去の顕世権僧の判断、この森を残した事は、鎮波姫の考え方と似通っている。
自然を愛し、『そのまま』であること。それはとても美しいと感じる。
倭州の争いに必要以上に介入せず、流れるままに任せる姫としての立ち位置の考え方に似ている気がしたのだ。
神火宗は倭州の敵。それを理解しつつ、そのトップに立つ人間の考え方に親近感を覚えてしまう。それは良い事なのか、悪い事なのか。
今の鎮波姫には判断がつかなかった。
「さて、ここいらで良いでしょう」
前を歩いていたエイサンが足を止めたのに倣い、鎮波姫と永常も止まった。
そこは、本当に何もない場所。森の真ん中であった。
確かに人気は全くなく、森全体に広がっている静かな空気の中心である気がした。
それを確認しつつ、永常はため息をつく。
「ここで時間を潰せ、ってことですか。せめて何かしらの娯楽くらい用意してもらえないものですかね」
「永常……!」
皮肉を言う永常に、鎮波姫が諫めるように睨む。
だが、エイサンは静かに笑っていた。
「なに、お暇はさせませんよ。何せ――」
エイサンの言葉に、何か違和感を覚えた。
声音だろうか。口調だろうか。どこに違和感があったのかは判然としなかったが、しかし、明らかにいつもと違う、と感じる。
これまで一緒に旅をしてきたエイサンとは、別人であるような雰囲気であった。
「エイサン……さん?」
鎮波姫が声をかけても、エイサンは答えない。
不意に、魔力の高まりが感じられた。
静まり返っていた森の中に、張り詰めたような空気が漂い始める。
周りで様子を窺っていたらしい動物たちが、一目散にこの場から離れていくの物音も聞こえてくる。
ただ事ではない。すぐにそれが理解できた。
そしてその『ただ事ではない』という状況を生み出した原因、魔力の高まりは、魔力の流れを感じにくい永常にもわかる形で発現する。
足元にある土や落ち葉を貫いて、淡い光が立ち上ってきたのだ。
「これは……ッ!?」
「エイサン殿!?」
魔力の高まりは確実にエイサンから発されており、そしてその魔力の流れは地面へと向かっている。
地面から立ち上る淡い光は、エイサンを中心に円を描き、三人を包み込んでいった。
これは間違いなく魔術。落ち葉に隠れた地面に刻まれた魔法陣の発動であった。
「姫様! 退避を!」
「……間に合いません」
魔術の成立は思ったよりも早い。鎮波姫たちが退避するよりも早く、その効果が発揮される。
魔法陣に魔力が行き届くと、三人を取り囲むように闇が噴出したのだ。
ドーム状に広がった闇は、確認するまでもなく結界であろう。
エイサンは、鎮波姫と永常の退路を断ったのだった。
「くっ……どういうつもりだ、エイサン!」
鎮波姫を庇うように立ち、エイサンに相対する永常が吠える。
その威圧するような声に、しかし全く動じた様子もなく、エイサンは二人を眺めた。
「貴様らにはここで死んでもらう。我らが姫のためにな」
「姫……蓮姫ですか!?」
「くく、ご明察。聡い鎮波姫様には、冥界への片道手形を進呈しようッ!」
ニィ、と狂気の笑みを浮かべるエイサンの額に、一つ、縦筋が通る。
血が一筋、そこから流れ出したかと思うと、すぐに縦筋がぱっくりと割れる。
奥から現れたのは、血走った瞳。
「額に瞳……!?」
「面妖な! 魔物とやらの類か!?」
「くははは! これは蓮姫様より賜った、俺の新たな力! その身を以ってウグッ!?」
額の眼を開いた途端、エイサンが発する魔力は跳ねるように向上し、その魔力は可視化されて光を放っていた。
それはルクスと同じ『竜眼』である。
龍戴がいうには、それは魔力の発生源。だが、強力すぎるその魔力は、ほとんどの人間には耐えられるものではなかった。
当然、適性を持たなかったエイサンもまた、例に漏れない。
「ウグッ……な、なんだ……これは……ッ!? 体が……ッ!! は、蓮姫……サマ……ッ! ウグオオオオッ!」
「姫様!」
「きゃあ!!」
エイサンが一際激しい光を放つ。
永常はその光から鎮波姫をかばうように飛びつき、鎮波姫は小さな悲鳴を上げて身をこわばらせる。
「……?」
「なにが……?」
しかし、それは攻撃などではなかった。
やがて光が収まり、闇の結界の中に再び静寂が訪れる。
鎮波姫と永常がエイサンの様子を確認すると、そこには――
「あれは……!」
「エイサン……ではない!」
そこにいたモノは、人間の姿をしていなかった。
着ている服装や背丈こそエイサンと変わらなかったが、しかしその顔面からは大きな爪のような突起物が生えており、その切っ先を鎮波姫たちに向けている。
肩からは大きな翼が生えており、それによって羽ばたかずとも足は浮いていた。
その足も人間のものなどではなく、まるで獣のモノのように膝が逆に折れ、足の先は蹄のように硬質化している。
『グ……オオオォォォ……』
顔から生えた突起物は、ガパッと音を立てて開き、そこから怪しげな煙と共にエイサンの呻き声のようなものが聞こえた。
あれは、一瞬してエイサンと入れ替わったのではない。
エイサンがアレに変化したのだ。
「姫様、下がって! あの様子、ただ事ではありません!」
「永常、いけません。尋常ではないこの事態、二人で協力せねば切り抜けられません!」
「しかし……」
「私はあなたまで失いたくないのです!」
窮地にあって、鎮波姫はあの時の様子をフラッシュバックしていた。
夜の森の中。巨躯の男と、それと対峙する白臣。そこから逃げるしかなかった自分たち。
永常にかばわれ、その奥に強敵を見据える構図は、あの時の様子を彷彿とさせる。
今度は永常まで失いかねない。そればかりは看過できなかった。
決意の固い鎮波姫の瞳を見て、永常も頷く。
「わかりました。共に切り抜けましょう!」
二人は各々戦闘態勢を取り、正体不明の敵へと相対した。
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