21-2 蓮華の毒 2
神槍領域の中で、魔力の感知に敏感な者が一斉に
その中には当然、顕世権僧である龍戴と、ルクスの姿もあった。
「これは……」
それは龍戴がユキーネィ捜索の指示を出そうとした矢先のことである。
応接室の中で異様な魔力に気が付いたのは、龍戴とルクスのみ。
ミーナはもちろん、龍戴の前で指示待ち状態であった女性権僧もきょとんとした顔で二人を見ていた。
「何かあったんですか?」
「そうだな。ユキーネィ、およびエイサン捜索の指示を各所に渡してくれたまえ。想練の森を重点的に捜索するようにな」
女性権僧に問われ、龍戴は詳細は省いて指示を伝える。
女性は言われた通り、そそくさと応接室を立ち去り、伝令に走ったようだ。
龍戴が振り返ると、ぽかんとしているミーナの隣で険しい顔をしているルクスが目に入った。
「ルクスくんも気付いたようだね。領域内の異様な魔力に」
「は、はい。この感じ……捉えにくいですが、確かに」
「おそらく、結界か何かの中で発生した魔力だろう。下手に隠そうとしているから、抑えきれない魔力が逆に目立ってしまっている。もしや、これがユキーネィか……?」
「いえ、たぶん違います。これは人間のモノとは違っていますから」
「ほぅ……」
ルクスの感知能力は竜眼によってとてつもなく強化されている。
それは微弱な魔力の変化で相手の感情を読み取れる程である。その境地は、現在の総魔権僧でも顕世権僧でも至っていなかった。
ゆえに、ルクスの発言は龍戴のプライドに障ることになったが、しかしそれも竜眼のなせる業なのだと理解できていた。
「ルクスくん、その言葉の真意を聞こう」
「この魔力は、アガールスで似たようなモノ感じたことがあります……。これは、魔物?」
「魔物がこの領域に入り込んだとでもいうのか? ありえん……」
「入り込んだというより、突然現れた感じじゃないでしょうか」
「バカな。魔物は瘴気から自然発生するというが、領域内に瘴気が存在するはずがない」
長年の魔物の研究では、瘴気と呼ばれる尋常ならざる気体が充満している場所では、魔物が自然発生するという。
有名な例はアスラティカの最北の地、暗黒郷と呼ばれる場所だ。
そこは常に瘴気に満ちており、今も多くの魔物が発生しているのだという。
暗黒郷でなくとも、アガールスで起きた魔物発生事件はルクスやミーナも見た通りだ。
アガールスの場合は、西の海に浮く孤島が瘴気の発生源だったようだが、龍戴の言う通り、領域内には魔物が発生するような瘴気は存在しない。
だが、ルクスはもう一つの可能性を考えていた。
「龍戴様のお話にあった通り、僕のように竜眼を施された人間がいたとしたなら……」
「無理に竜眼を施し、魔物化させたというのか! 外道の所業よ……!」
過去に竜眼を施された人間は、そのほとんどが肉体を異形に変貌させたという。
それは竜眼という魔術の完成に向けての実験を行っていた過程だと考えられるが、しかし、今回は違う。
竜眼はすでに禁術に指定され、研究すらも禁止されている。実験で竜眼を使うなど、通常はありえない。そもそも竜眼を他人に施せる人間がほとんど存在していないのだ。そして、使用できる少数の人間は、竜眼がどのような副作用を持つかも熟知しているであろう。
もし今回、竜眼によって人間が魔物に変化したのであれば、それは事故とも言える副産物の効果を人為的に引き起こしたことになる。
それは外道と称されても仕方のない所業であろう。
状況を理解しつつ、それでも冷静にルクスが推論を並べる。
「もしかしたらこの魔力の正体は、竜眼を施され、魔物に変化してしまったユキーネィさんか、もしくはエイサンさんである可能性はあります。しかし、今は魔物として処理するべきかと」
「これがユキーネィであれば、事情聴取は難しい、ということか。領域に侵入して何をしようとしていたのか、知る術もなくなる。情報遮断の策として運用したのであれば、竜眼の術者は人の心を持ち合わせていないようだな」
現在、神火宗では魔物に変化してしまった人間を元に戻す術など存在していない。
そもそも、人間が魔物に変化するという状況が稀なのだ。そんな状況に対応する術など、研究すらされていないのである。
であれば、今しがた発生した謎の魔物からまともに情報を引き出す術はない。
そこから黒幕につながりそうな情報はまず得られないというわけだ。
だが逆に、魔物の発生の原因が竜眼であるとすれば、おのずと黒幕は絞られる。
「竜眼の魔術を使える人間といえば、君たちの話していたボゥアードとやらか。どうやら我々、神火宗と事を構えたいのだと見える」
「これが宣戦布告、ということでしょうか」
「だとすれば、アスラティカの人間ではないのかもしれんな」
龍戴がふむ、と唸って考えを巡らせる。
ルクスも、彼の言いたいことはなんとなくわかる。
現在、アスラティカはルヤーピヤーシャの帝である紅蓮帝の発布した抑戦令によって、あらゆる戦が禁止されている。
これに背けば、ルヤーピヤーシャを敵に回すのと同義。それどころか抑戦令に賛同したアガールスからも顰蹙を買うことになる。下手をすれば、両国から攻撃されてもおかしくはない。
ボゥアードがどこに所属しているのかわからないが、ルヤーピヤーシャ、アガールスのどちらかの国の人間であれば、国の内外から炙り出され、罪人として裁かれるだろう。何せ、現状では両国ともに抑戦令を守り、国力の強化に努めているからだ。
抑戦令が中途半端なタイミングで破られれば、アスラティカはまた、いつ終わるとも知れない戦乱の渦中に叩き落されることとなる。そうなれば最悪、両国が共倒れになるだろう。
それを回避するため、両国は抑戦令を遵守し、それに反するものを許さない。
ボゥアードが抑戦令を破り、神火宗に宣戦布告するとなれば、超ド級の国際指名手配犯の誕生となる。
そんな危険を犯してもなお、生き残ったうえで目標を達成できる自信の表れなのか、もしくはそもそもアスラティカの人間ではないのか。
ルヤーピヤーシャの発令した抑戦令は、対外組織への戦を抑制するものだ。特に国同士の戦を抑制している。
これによってルヤーピヤーシャもアガールスも、お互いに戦をしない事を約束しているし、一応倭州にも話は通してある。
だが、現在でも倭州内部では内戦が継続中である。
そもそも海を隔てた国が勝手に発布した令など、倭州にとってはどうでもよく、形だけ賛同しただけなため、抑戦令を守る意識は低い。アスラティカの二国も、海を隔てた向こうの大陸でどれだけドンパチしてようが、こちらに影響は少ないだろう、と放置している状況だ。
つまり、倭州の人間であれば、抑戦令など知ったことではない、というわけだ。
そしてボゥアードは神火宗の名簿に存在せず、偽名を使い、身分を偽っている可能性がある。
その出自すら偽っているならば、倭州の人間である可能性はゼロではない。それどころか、今回の件でその線が濃厚になったと見ていい。
そこまで推察が進み、龍戴は口元をゆがめる。それまでの柔和な笑みではなく、獲物を目視した猛禽のようであった。
「ボゥアードの正体、少し察しがついた」
「本当ですか!?」
「しかし、今はそれよりも優先することがある。すまないがルクスくん、話は後にしてくれたまえ」
「わ、わかりました」
確かに、今は神槍領域の一大事だ。
ユキーネィという不穏分子の侵入、そして魔物の発生。どちらも緊急を要する案件である。
神槍領域を、ひいては神火宗を率いる顕世権僧として、龍戴は事態の鎮圧に動かねばならないのである。
「私はこれで失礼する。君たちには安全な場所を用意させるので、しばらくはここを動かないようにしてくれたまえ」
「えっと、よくわかりませんけど、承知いたしました!」
龍戴の指示を受け、ミーナは強くうなずく。
事態の把握はできていないが、今が緊急事態なことだけはなんとなく理解している。
ミーナの返事を受けた龍戴は、足早に応接室を出ていき、部屋の中は急に静かになってしまった。
取り残された状況で、ミーナはルクスをうかがう。
「さ、さぁ、私たちは安全な場所で待機しましょう。事態が収拾されれば、さっきのお話の続きが聞けるわ」
「……ミーナさん」
取り繕うような笑顔でルクスを促すミーナであったが、ルクスは首を横に振った。
「僕は行きます」
「ど、どこに……?」
「鎮波姫さんと永常さんを探さないと。お二人が危険にさらされている可能性があります」
「いやいやいや、それは神槍領域の方々に任せましょう? 下手に動いて皆さんの邪魔をするといけないもの」
ミーナの判断は至極当然のモノである。
ルクスやミーナは現在、神槍領域の中ではお客さんである。
神槍領域の僧侶たちは日々修行に励み、寝食を共にしている。そこにチームワークが発生し、高いパフォーマンスを発揮することが出来るだろう。
おそらく、非常事態に対する策についても、日々の訓練の中に組み込まれているはず。
そこに部外者であるルクスたちが混ざりこめば、ノイズになれど助けにはなりにくいだろう。
であれば、どこか安全な場所でおとなしくしておくのが賢い判断だ。
だが、それでもルクスには引けない理由がある。
「いいえ、龍戴様をはじめ、神槍領域の方々はユキーネィさんの方を重要視しています。優先順位でいえば、ユキーネィさんの捜索の方が上。エイサンさんと一緒にどこかへ行った鎮波姫さんたちが危ない」
神槍領域に着いてすぐ、鎮波姫たちとは別行動となった。彼女らを先導していったのはエイサンであった。
ユキーネィが危険分子である可能性が極めて高くなった現状、彼女と行動を共にしていたエイサンもかなり怪しい。
エイサンがユキーネィの企みや正体について気付いていたか否かは定かでないものの、可能性としてはユキーネィの協力者であると考えた方が自然だろう。
であれば、エイサンと一緒にいる鎮波姫たちに危険が及んでいるというのも想像に難くない。
「僕はアラド様からみんなを守るように言われました。その約束を違えたくない」
「で、でも行動しないことがみんなを守ることにつながるってこともあるよ? 神槍領域の人たちを邪魔したら、事態の解決が遅れる可能性だって……」
「それでも、僕は託された責任を放置して、黙って見ているなんて出来ません!」
ルクスにそう言われて、ミーナも閉口してしまう。
何せ、ここまでルクスについてきたミーナ本人が、ルクスの両親に責任を託されているのだ。
自分と同じ状況で行動しようとしているルクスに対し、ミーナが彼を止められる道理などなかった。
「……わかった。じゃあ私もついていくからね」
「はい。ありがとうございます」
そうして二人は、神槍領域の人間に見つからないよう、応接室を後にした。
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