22 天駆ける

22 天駆ける


 闇が壁を形作った結界の中で、所狭しと影が走る。

 それは重力の楔から解き放たれたかのように、三次元的な移動でもって鎮波姫たちを翻弄していた。

「くっ……動きが読めない……ッ!」

 鎮波姫をかばうように立ちながら、永常は敵の動きを観察していたのだが、とてもではないが見切ることは出来なかった。

 何せ相手の魔物は背中に翼があるにもかかわらず、それを羽ばたくこともせずに空中を飛び回れるのである。

 加えて魔物との戦闘など経験したことのない永常にとって、まさに未知との遭遇という状況。

 これまでの戦闘経験がほとんど役に立たないと実感させられた。

「永常、まずは私が征流せいるの力で相手の行動を制限します」

 永常に守られる形で立っていた鎮波姫。

 彼女には戴冠たいかんほこがあり、鉾を依り代として征流の力を操ることが出来る。

 征流の力とはあらゆる水を媒介にして事象を操る能力。それに特化した魔術とも呼べる。

 手近に水場は存在していないが、こんな時のために、鎮波姫は飲料用の水を常に携帯しているのだ。

「鉾に宿る征流の力よ! 我らに恩恵を……」

『ギョア!!』

 携帯用の水袋を取り出し、それに征流の力を使おうとする鎮波姫に対し、魔物の影がとびかかる。

 それはまるで、引き絞られた弓から放たれた矢のごとく、鋭さと速さを兼ねた突撃。

「姫様!」

 殺意を感じ取った永常は、反射的に鎮波姫を抱えてその場を転がるように離脱する。

 直後、小爆発のような衝撃と轟音が響き、二人が立っていた地面が破裂した。

「くそっ、術の邪魔をするつもりか……!」

祝詞のりとがあげられなければ、術は十全に力を発揮しません……。どうにか機を見計らわないと」

 征流の祝詞は魔術における詠唱のようなモノ。詠唱がなければ魔術は成立しにくい。

 詠唱を使わずに魔術を成立させようとすれば、膨大な魔力を必要とするのだが、相手の力量が判然としない現状で、限られたリソースである魔力を無駄遣いするのは避けたい。

 何せ相手はとんでもない魔物である事が、まざまざと誇示こじされたのである。

 先ほどまで二人が立っていた場所をちらりと見れば、穴がぽっかり開いている。あれは先ほどの魔物の一撃によって出来上がったものだ。

「防御するのは難しい、か」

 永常はその状況を視界の端に捉えていた。

 空中を飛んでいた魔物が素早く急降下し、その足にある蹄でもって地面を蹴とばしたのだ。

 魔術などではなく、単純な身体能力だけで、あの威力である。

 もしも受け止めようとしたなら、腕が持っていかれるだけで済めば御の字、最悪腕を貫通して胴体にまで穴が開きかねない。

 当たれば必殺の攻撃を目の当たりにし、背筋に寒い感触を覚えながら視線を上に向ければ、今も魔物は悠々と結界の中を飛び回っている。

 あの程度の攻撃はジャブぐらいの感覚なのだろう。

 軽いジャブ一発で人が殺されてしまってはたまったものではない。

 対してこちらは必殺の攻撃に神経をすり減らし、相手を捕まえる手段すら思いつかない。

 このままではいずれ疲弊し、先に地に伏すのは永常たちであろう。

 打開策を思いつかなければ、そう遠くない未来に二人とも殺られる。

 鎮波姫も永常も、お互いに言葉にはしないながら、同じ考えに至っていた。


****


 一方、ユキーネィの捜索のため、にわかに慌ただしくなった神槍領域の中を、ルクスとミーナは独自の行動を始めていた。

「ルクスくん、鎮波姫さんの魔力は感知できる?」

「いえ、領域内のどこからも感じられません」

 顕世権僧の龍戴すらも凌駕するルクスの魔力感知能力。

 それをもってしても、鎮波姫の魔力が感知できなかった。

 鎮波姫の魔力は、光塵の件で亡霊が標的に定めたことからもわかる通り、弱くはない。

 神槍領域の僧侶を自称していたユキーネィやエイサンを上回る魔力を持った鎮波姫は、むしろ魔力が強いと言ってもいいぐらいであった。

 だが、その魔力が感じられない。

「じゃあ、どうしよう? 手がかりが何もないよ……」

 ミーナは周りをぐるりと眺めて、あきらめのようなため息をつく。

 神槍領域は連峰を丸々結界で覆った敷地を持っている。

 端的に言って、とんでもなく広大なのだ。

 さらに領域に所属している僧侶は、アスラティカでも最大。万を数えるほどの僧侶が日々修行に励んでいるのである。

 その中からたった二人を探し出すなんて、途方もない仕事であった。

 しかし、ルクスは心配そうなミーナとは違い、自信のある表情をしている。

「いいえ、ミーナさん。あれだけ強い魔力を持った鎮波姫さんが感知出来ないということは、逆に居所を明かしているのと同じです」

「……あ、そうか。さっき言ってた結界!」

「その通り」

 魔力感知に優れたルクスが、鎮波姫の魔力を捉えることが出来ないわけがない。

 であれば、そこにはトリックがあるのだ。

 それは単純明快、先ほど唐突に発生した結界である。

 結界の中からは押し込められた強力な魔力が感じられる。それはおそらく、魔物が発する強い魔力。

 だがその魔力を隠そうとする結界によって不自然に隠蔽されており、それが逆に目立ってしまっている。

 つまり、その結界には魔力を隠そうとする能力も付与されているということ。

 その中に鎮波姫が入っているのだとしたら、彼女の魔力が感知できない事にも説明がつく。

「結界は向こうから感じられます。行きましょう!」

「うん。でも……」

 早速、結界の方向へ移動し始めようとするルクス。

 ミーナもそれに続こうと思ったのだが、一つ懸念点があった。

「神槍領域の人たちも、どうやらそっちに向かってるみたいなんだけど……」

「そりゃ、結界なんて怪しいものが発生したうえ、おそらくその中にいるのは魔物ですから。今回の騒動の原因とも言える結界を放置しておけないでしょう」

「じゃあもしかして、私たち……龍戴様に怒られたりしない?」

 応接室を出ていく寸前、龍戴は二人に『動かないように』と言っていた。

 その言いつけを破り、勝手に外に出てしまった二人は、おそらくバレれば怒られるだろう。

「ミーナさん、偉い人に怒られることに怯えて、仲間を見捨ててはおけませんよ!」

「そ、そうだよね……うん、大丈夫。ちょっと心配だっただけ」

 心なしか青い顔をしているが、そんなミーナを気にせず、ルクスは結界の方へと走り出した。


 二人が結界のある場所、想練の森までやってくる頃には、結界の周りには多くの僧侶が集まっていた。

 中には武僧も混じっていたのだが、そのほとんどが魔術僧であり、どうやら結界の解呪を試みているようである。

「なんなんだこの術式……見たことないぞ」

「変にゆがめられてる形跡がある。魔力が流れた時に変質したのか……?」

 結界の周りの魔術僧たちは、口々に文句を言いながらもあらゆる手段を講じているようである。だが、それでも結界の解呪には至っていないようだ。

 原因の一つは術式がひどく複雑であること。術式を読み解かなければ解呪は不可能であるため、術式を複雑化させることは魔術師がよくやる手法である。

 強力な魔力出力があれば強引に突破することも可能だが、インテリの魔術師はそういうスマートさの欠片もない手法を好まず、また魔力の無駄遣いはどんな状況でも避けるべき行動である。

 そしてもう一つの原因は、ここに神槍領域の誇るトップクラスの魔術師がいない事であった。

「龍戴様がいない……? ユキーネィさんの捜索に出たんじゃなかったのか?」

「ホントだ。見当たらないわ」

 結界の発生は龍戴も確認していたはずだし、そこから発される謎の魔力も把握していたはず。ならばこの場に龍戴がいてもおかしくはないはずだ。

 だが、ルクスとミーナが周りを見回しても、僧侶たちの中に龍戴の姿はない。

 加えて、現在の魔術師のトップである総魔権僧の姿もない。

 その二人のどちらかがいれば、もう少しスムーズに事が進んだだろう。

「龍戴様は私たちより先に、応接室を出て行ったはずよね?」

「どこかで指示を飛ばすのに注力しているのかもしれませんね」

「なるほど、指揮官はどっしり構えてる、って事ね」

 ルクスが魔力を探査しても、神槍領域内に龍戴やそれに比する魔力を持つ人間は見つけられなかった。おそらく、自分の魔力を隠して居場所を悟られないようにしているのだろう。

 龍戴は神火宗のトップである。ユキーネィのような不穏分子がいる今、暗殺の可能性も考えて、身を隠している可能性がある。

 この混乱の中ならば、悪漢がはかりごとを企て、実行に移しているというのも考えられる事態だ。

 それならば混乱の渦中に龍戴が現れず、どこかで指示だけ飛ばして防御に徹するのも、悪くはない手段だろう。

 加えて、神火宗にとってみれば結界の解呪などは、早急に解決しなければならない案件などではない。

 むしろ、中に何が入っているのかわからない以上、慎重に対処するべきなのだ。

 下手に結界を解呪し、中から大量の魔物が現れたりしたら、その対処のほうが大変になる。

 であればじっくり時間をかけて中に何が入っているのかまで確認した後に結界の解呪をした方が良い。

 そもそも術式の解呪というのはある程度の技術を必要とする。解呪しようとする魔術が高度であればあるほど、比例して要求技術は高くなってくるのだ。

 今回現れた結界は、特殊で複雑な術式を用いているらしく、要求される技術はかなり高い。

 作業に時間がかかるのは、むしろ当然といえる。

 そうなると中に入っているモノは、かなり重要なモノである事が窺える。頑丈な金庫に強固な錠前がつけられていれば、中身はお宝に違いない。その蓋を安易に開けてしまって、パンドラの箱の解放となってしまえば、神槍領域は大わらわとなるだろう。

 それを避けるため、周りの術師は慎重に慎重を重ねて術式の解読を行っているのだ。

 ルクスやミーナは、中に鎮波姫がいる事が半ば確定しているために早く結界を解きたいのだが、神火宗にとってみれば解決のスピードというのは優先順位が低いのである。

「早くしないと、鎮波姫さんたちが危ないのに……」

「ルクスくんの竜眼とやらなら、術式の鑑定も出来るんじゃない?」

「た、試してみます」

 発動済みの魔術に対し、その術式の鑑定を行うというのは、魔力の道筋を読む事である。

 魔術の発動とは術式に魔力を通す事によって世界に影響する事であって、魔力の道筋を読むことが出来れば、それがそのまま術式の鑑定に繋がる。

 魔術の探知も出来るルクスの竜眼は、確かに魔力の道筋をたどることも可能だ。

 しかし、問題もある。

「よ、読めます……というか、形はなんとなくわかります」

「じゃあ、解呪できそう?」

「いえ、僕は解呪の方法がわからないので……」

 ルクスには解呪の技術がない。

 術式の構築や魔術の発動などは経験しているし、魔王からレクチャーを受けてもいる。

 だが、これまで解呪は試みたことがなかったし、その必要もあまりなかった。

 ただし、それはルクスに限った話だ。

 今のルクスの中にはもう一人いる。

(魔王……出来るか?)

『可能ではある。だが……』

 竜眼が結界を眺めるように感じる。おそらく、魔王が鑑定を行っているのだろう。

 その最中に魔王が『ふむ』と唸る。

『変わった術式を使用している。術式が流動的に変化し、構築している式の大半が一定の形を取っていない。それでいて出力する術自体は安定している。面白いな、最近の魔術師はこういう術式を使っているのか』

(感心してないで、出来るか出来ないかだよ!)

『出来ると言っただろう。だが、相応に時間はかかる。何せ術式の形が一定である時間が短いからな。その時間内に解呪を完遂させなければ成功しない。おそらく、術者が術式を変更させながら結界を維持しているのだ。となれば、変化の法則をある程度予測し、山を張って解呪に当たらなければ、成功率は低いだろう』

(どれくらいかかるんだ?)

『良くて、日が暮れる頃には、だな』

 ルクスが空を見上げると、木々にさえぎられながらも陽光が落ちてきている。つまり、今はまだ昼間である。

 魔王をして日暮れまでかかると言わしめるとなれば、この結界を構築した人間は、相当な術者なのだろう。

 しかし、それほど時間をかけてはいられない。

(どうにかならないか? 鎮波姫さんが中にいるかもしれないんだ!)

『どうにかはなるさ。いついかなる時でも、強引な手段というのはある』


****


 もう幾度になるか、影が走る。

 衰えるどころか鋭さを増すばかりの魔物は、空中を自由自在に飛び回り、永常たちが気を抜きそうなタイミングを見計らって急襲を仕掛けてくる。

 此度もまた、紙一重で生死の境であった。

「くっ!」

 永常は鎮波姫をかばいつつ、魔物の急降下をいなし、距離をとる。

 まともに受け止めることはまず不可能である。あの破壊力を受け止めるのならば、鉄甲船の船体に使われているような分厚い鉄板が必要になるだろう。

 しかし、ここまで何度も攻撃を見てきた結果、ある程度触れるようにはなった。

 魔物の攻撃を受け流し、衝撃の方向を逸らす。

 そうすることでこちらのダメージを最小限にしつつ、反撃の糸口を探るのだ。

(実際、相手の速さには目が慣れてきたし、攻撃の癖も掴めてきた。どれだけ速度を上げようと、その軌跡は思ったより直線的で単調、空を飛び回るから翻弄されるだけで、接近戦は不得意と見た!)

 変化する前がエイサンであった影響であろうか。

 彼は魔術師であり、武僧とは違って魔術を操る事のほうが得意であった。

 そのため肉弾戦が得意な立ち回りには見えない。

(人間でなくなったことで、まともに魔術とやらを使えなくなったのが敗因だったな……次で捉えるッ!)

 永常は覚悟を決め、重心を落として構える。

 その仕草に鎮波姫も気が付き、鉾を握る手に力を込めた。

 永常が魔物を止める事が出来れば、そこに征流の力で追撃を加え、少なくとも魔物を戦闘不能にする。

 二人にとって最大の好機が訪れるのだ。


 その機は、すぐにやってきた。

「姫様、来ます!」

 永常の声と共に、魔物の動きに変化が見える。

 こちらを窺うような旋回から、まるで狙いを定めた猛禽もうきんのように、羽を折りたたんで狙いを定める。

 最大限に勢いがつくように、相応の距離からの急降下。

 しかし、それはおおよそ、普通の人間が捉えきれる速度ではない。

 だが、守士である永常ならばこそ、その動きをほぼ完璧に捉えることが出来たのだ。

(相手の攻撃をいなして、掴むッ!)

 永常の狙いは鎮波姫が征流の力を操るまでの時間稼ぎ。

 征流の力さえ発動してしまえば、魔物の自由を奪うことが出来る。そうなれば煮るのも焼くのもこちらの思いのままだ。

 ならばここで相手に打撃を与える必要はない。

 とにかく相手の攻撃を捌いて虚を突き、組み伏せて隙を作る。

(来いッ!)

 目前にまで迫った魔物の蹄。

 永常はそれに対し、臆することなく身構える。

 当たれば必殺であるのは確認した通り。きっと身体に大穴が開いて即死するだろう。

 だが、後ろに守るべき姫がいればこそ、そんな不安に駆られることはない。

『ギョア!!』

 魔物の雄たけびが聞こえる。

 その声と永常が魔物の動きに対応するのは、ほぼ同時であった。

 体軸をずらし、魔物の足を横から叩いて捌きつつ、歩法によって相手の後ろに回る。

 ほぼ同時に相手の翼を掴み、そのまま背中に飛び乗って体重をかけ、地面に叩き落とす。


 それが、出来るはずであった。


「なっ!?」

 想像外の事が起きた。

 永常が魔物の蹴りをいなしたと同時、永常は相手の背後に回るはずであった。

 だが、そこに魔物はいない。

『ギョエアッ!!』

 むしろ、魔物は永常がいなす動作すらも利用し、大きく軌道を変えたのであった。

 大きく、だが速さも鋭さも失わず、弧を描くように旋回し、なおもその蹄を獲物に向けている。

(私の動きを読んだ……いや、あの魔物に誘導されたというのか!?)

 あらかじめ永常の行動を織り込んでいたような魔物の対応。

 明らかに手の上で踊らされていたような感覚。

 魔物は永常が攻撃をいなすように仕向けていたのだ。

 直線的で単調な攻撃も、ここに至るための布石。永常はその罠にまんまと引っかかったのである。

 そのツケは、永常が最も失いたくないものへ降りかかる。

「姫様!」

「えっ……!?」

 すでに術の発動に備えていた鎮波姫は、対応に遅れる。

 そこへ降りかかってくるのは、必殺の一撃。

『ギョエアァッ!!』

 魔物の咆哮と共に、鉄のような蹄が鎮波姫へと襲い掛かった。

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