23ー1 意表を突く珍客 1

23 意表を突く珍客


 肝の冷える一瞬。

 魔物が鎮波姫へと襲い掛かり、必殺の一撃を見舞うその瞬間。

 永常の目の前が暗転しかけ、全ての音が消え去り、全身から力が抜け落ちる感覚が襲い掛かった。

 何せ、対峙した魔物の蹴りの破壊力はとんでもない。

 あれを華奢な鎮波姫がまともに受けたとなれば、それは無事であろうはずがない。

「ひ、姫様……ッ!」

 辛うじて絞りだした声は震え、涙に滲むようですらあった。

 絶望が心を塗りつぶし、永常の心の芯が折れる音が聞こえ――


「あきらめるのは早いぞ、小僧」


 凛と、暗闇に鈴が鳴るような声。

 鎮波姫のモノではないが、確かに女性の声がした。

 ここには永常と鎮波姫、そして元はエイサンであった魔物しかいない。

 女性は鎮波姫しかいなかったはずだ。

 だが、そこに確かに、存在していた。

「あ、あなたは……」

「横槍を失礼 つかまつる。ここでアンタに死んでもらっちゃ困るんだ」

 鎮波姫と魔物の間に、その女性がいた。

 アガールスでもルヤーピヤーシャでも、当然倭州ですら見ることのなかった、茶色い肌が全身を覆い、長い黒髪をポニーテールに結っている。

 その身体は鍛え上げられ、肌の露出が多い彼女の肉体は、豊満でありながら無駄がない。

 そして、その手に握った直槍で魔物の蹄を押さえていたのである。

 鎮波姫には、傷一つついていない。

「一体、どこから……!?」

「アンタの持っているその水からさ。ここに水気がなけりゃ、ちょっと危うかったね」

 グルンと槍を回す勢いで魔物をはじき飛ばし、安全な距離を取る。

 突如として現れた女性に、魔物も驚いたようで、様子を窺うように空中を旋回し始めた。

「あたしはアミュリア。魔海公の命により、鎮波姫を守るようおおせつかっている」

「アミュリア、さん……?」

「呼び捨てで構わない。こっちもアンタをあおごうとは思っていない」

 謎の女性――アミュリアは旋回する魔物をにらみつけて威圧しながら、片手間に自己紹介を済ませる。

 その態度には、確かに鎮波姫を姫として扱うつもりは微塵も感じられなかった。

「では、アミュリア……あなたは魔海公の命を受けていると言っていましたが……」

「その通りの意味さ。あたしは魔海公の配下。今は陸上で活動するために人間に擬態しているが、元の姿は違う」

「つまり……魔物?」

「アンタたちがそう呼ぶならそうなんだろうさ。だが、あんな奴らと十把一絡じっぱひとからげにされるのは面白くないけれどね」

 アミュリアは頭上を飛び回る魔物を指して言う。

 確かに、意思の疎通すら難しそうな魔物と、アミュリアを一緒くたにするのは失礼な気もする。

 だが、魔海公は海の魔物を司る魔物の王。

 その配下というのならば、それはやはり魔物ということなのだろう。

「アンタら人間は、人間以外のモノを定義する言葉が少なすぎるからね。まぁ、今のところは魔物ってくくりで許容してやるよ」

「では、私たちの味方なのですか……?」

「それも言った通り。アンタにここで死なれちゃ、魔海公の名にも傷がつく。それを看過できないんだよ。アンタは一応、魔海公の庇護のもとに置かれているんだからね」

「で、ですが、なぜこんな窮地になるまで……」

「はぁ……」

 鎮波姫の言いたいことはわかる。

 彼女はこれまで、何度も命の危険にさらされてきた。

 倭州で金象に謀られた時、そこから逃げ出す時、最近では光塵によって現れた亡霊に攫われた時もそうだ。

 だが、それらのどのタイミングでも、アミュリアは姿を現さなかった。

 鎮波姫の真っ当な問いに、しかしアミュリアは呆れたようなため息で前置きをした。

「アンタは気付いていないかもしれないけれどね。あたしはアンタが海に落っこちた時も、アンタが亡霊の魔術に囲まれた時も、アンタを守ってやってたんだよ」

「そ、それは本当ですか!?」

「気付いていないならそれはそれで良い。あたしは仕事をまっとうしているだけだし、アンタに感謝されたところで嬉しくもなんともない」

 おかしいとは思っていた。

 倭州から逃げ延びる時、海に落ちた後の事だ。

 倭州からルヤーピヤーシャまでは、最寄りの海岸であったとしてもアガールスを東西の端から端まですっぽり収まってしまうほどの距離が空いている。

 仮に水面を走れる馬が存在して、それにまたがって海を駆けたとしても、倭州からルヤーピヤーシャまでは一か月はかかってしまう距離なのだ。

 いくら征流の力があったとしても、鎮波姫と永常が海を漂いながら渡り切れるはずがないのだ。

 にも拘らず、五体満足で破幻に引き上げられたのは奇跡でなければ、誰かの助けが入ったということ。それが魔海公であり、その部下であるアミュリアであったのなら、少しは信憑性がある。

 何せ魔海公は海を統べる王。アミュリアがその部下であるというのならば、海を自在に渡ることも出来るだろう。

 そして亡霊の件もそうだ。

 亡霊が操る魔術はそこそこ高度なモノであった。

 あれを高度な攻撃魔術ではなく、捕縛魔術にしていたのはどうしてなのか?

 そうしなかったのではなく、出来なかったのだ。

 アミュリアが鎮波姫の事を守り、攻撃魔術から遠ざけていたことにより、亡霊の魔術は捕縛くらいしか出来なかったのである。

「謎に思っていた事が解決した気持ちです……」

「し、しかし! もっとやりようはあったはずです! 倭州においても、金象を討つのに力を貸してくれれば、アスラティカに来ることもなかったし、亡霊の件も撃退を手伝ってくれれば姫様が捕縛されることもなかった!」

 永常の言うことももっともだ。

 今、目の前にいる魔物の攻撃を易々と受け止める事が出来たアミュリアならば、心強い戦力になったはず。

 それをしなかったのは何故か。

 疑問に答える前に、アミュリアは酷くうっとうしそうな表情を浮かべてから口を開く。

「言っておくがね。あたしは命令だから仕方なく、鎮波姫の命を守っている。命令には『命を守ること』以外の追加命令はない。また、アンタたちと慣れあうつもりはサラサラない。そして、魔海公の影響を世間一般に強く知らしめるのも忌避している。……意味が分かるか?」

「……つまり、私が最大限の窮地に陥るまで助けるつもりはなく、他所の人間の目が多い場合にはそれもしない、と?」

「ふむ、頭の回転は悪くないようだ」

 上から目線の物言いに、鎮波姫は少し顔をしかめた。

 だが、そんな感情もすぐにかき消してしまおう。曲がりなりにも、彼女には命を救われたのだから。

「その理由を聞いても?」

「答える義理はないね」

 取り付く島もなかった。慣れあう気はないというのは心の底から本心らしい。

「では、質問を変えます。今、私たちの前に現れて下さったということは、この状況を打開する助力を得られると考えてもよろしいのですか?」

「まぁ、出て来ちまったからには、ある程度の仕事はしてやるさ。すぐさま引き返して、またアンタが死にかけたとなれば意味がないからね」

「わかりました。まずは感謝を」

「必要ない。代わりに、邪魔にならないように隅っこに引っ込んでな!」

 言うや否や、鎮波姫の目の前からアミュリアの姿がかき消える。

 ほぼ同時に土煙が舞い上がり、突風のような風が巻き起こったのを考えると、アミュリアが地面を蹴り飛ばし、空中へとジャンプしていったのだろう。

 その速さたるや、空中を飛び回っている魔物のそれと遜色がない。

『ギョア!?』

 その行動、そのスピードに、魔物も驚いたのだろう。

 一つ声を上げたが、しかしそれでも動揺することなく、すぐさまアミュリアの軌道から距離をとる。

 何らかの魔術によって空中を自由に移動できる魔物とは違い、アミュリアは単純な跳躍である。空中でその軌道を変えることは出来ない。

 だが、大きなドーム状の結界のてっぺんに到達するほどに、その跳躍力はすさまじかった。

かわしたつもりかい?」

 天井に着地したアミュリアは、その天井すらも蹴り、なおも魔物に向けて跳躍を再開したのだ。

『ギョアアッ!』

 対する魔物は、回避だけでは対処は不十分だと考えたのだろう。

 鋼鉄のような蹄でもって、空中でアミュリアを迎え撃つ構えを見せた。

 そして、まもなく両者が激突する。

 夜空に花火が打ち上げられたかのように、両者がぶつかった場所で大きな火花が散った。

 瞬く間の閃光の一筋に混じって、アミュリアが地面へと降ってくる。

「はっ! 言葉も喋れない馬鹿のクセに、機転は利きやがる」

 口元をゆがめて皮肉を言うアミュリア。

 今も空中を舞う魔物は、こちらの様子を窺うように旋回していた。

 鎮波姫にはわからなかったが、永常には見えていた。

 魔物はアミュリアとの正面切っての激突を避け、アミュリアの突撃を受け流したのだ。

 アミュリアの脚力は常軌を逸している。あの脚力による突撃の破壊力は、想像するのも難しいほどに大きいだろう。

 魔物はそれをまともに受けてダメージを負うのを嫌い、空中戦では一方的にアドバンテージがあると踏んで、その利点を最大限利用し、アミュリアをいなしたのだ。

(なんて戦い方だ……これが、魔物同士の闘争ということか)

 人間離れしている能力を持ち合わせた両者がぶつかり、目の前で繰り広げられている想像を逸した光景。

 夢うつつの境をさまよっているような感覚に、めまいすら覚えてしまう。

 そして、その剣戟は一合で終わるはずもなかった。

「はぁっ!!」

 魔物を見据え、再びアミュリアが空中へと舞い上がる。

 その手に持っている直槍の穂先は、まっすぐに魔物を捉えていた。

 だが、それをまた、魔物がいなす。

『ギョア!』

 鋼のような硬度を持っているらしい魔物の蹄は、アミュリアの槍をはじいてなお傷一つないようであった。

 二度目の火花が散り、アミュリアの軌道は大きく変えられた。

「まだまだぁッ!」

 それでもなお、アミュリアの突進は止まず、結界の壁を蹴って魔物へと突進を繰り返す。

 傍から見れば、アミュリアもすでに空を自由に飛んでいるようにすら思えてしまうほどであった。

 実際、魔物の方も大きなアドバンテージを失ったように見える。

 敵の優位は猛スピードで三次元に移動できることであった。空中に対して対抗策がなかった鎮波姫と永常では、相手を捉えきることが出来なかったのである。

 それをアミュリアは、暴力的な身体能力でもって克服し、魔物を追いつめていたのだ。

 これは好機である。

「姫様! 今のうちです!」

「……そ、そうですね! 今なら征流の力を発揮できます!」

 魔物はアミュリアの相手で手一杯のようである。

 今ならば祝詞をあげて征流の力を十全に発揮することが出来る……はずであった。

「あっ!」

 しかし、鎮波姫が水袋を確認すると、中身が空であった。

「姫様、これはどういうことですか!? まさか、こぼれたとか!?」

「いいえ、おそらくアミュリアの召喚に、征流の力と同じような力が発揮されたのでしょう。それによって水が消費され、水袋が空に……」

 アミュリアは魔海公の眷属を自称していた。征流の力も魔海公由来の力である。

 征流の力の発動に水気が必要であるのであれば、アミュリアの力を発揮するのにも水が必要であった可能性は高い。

 彼女が全く別の場所から結界すら通り抜けてこの場に参上したのであれば、あの程度の水気で済んだのはむしろ驚きだ。

 なにせ、ここはもともと神槍領域。外からの侵入者を拒む結界が張られており、当然、魔術による侵入も防ぐはず。加えて、魔物が作り出した結界も存在しており、外部からの乱入は二重に阻害されているはずなのである。

 それをこともなげにやってのけたアミュリア。恐るべき存在だと、身が震える。

「では、我々はこのまま指をくわえてみているしかないのか……」

「下手に手を出せば、アミュリアの邪魔をしかねませんから……」

 人外同士の戦いに茶々を入れるような力を、二人は持っていなかった。

 ここは邪魔をしないように隅で待っているしかなさそうであった。

「くそっ、口惜しい!」

 永常は自らの力のなさを隠さず悔しがり、地面を殴った。

 鎮波姫もまた同じ気持ちである。

 金象や蓮姫への復讐を誓いながらも、未だに二人は力不足を嘆くばかりであった。


 そこへもう一つ、人外の力を持ち合わせた第三者が介入してくる。


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