23-2 意表を突く珍客 2

『ギョア……!?』

 アミュリアの攻撃をいなし、何とか命をつないでいた魔物。

 だがそれは、戦闘に集中しすぎていた結果でもあった。

 そんな魔物が突如、驚きの声を上げた。

「……これは」

 アミュリアも異変に気付き、一度、魔物と距離をとって鎮波姫の傍へ降り立つ。

「鎮波姫、ここいらが潮時だ。あたしは帰らせてもらう」

「ど、どういうことです!?」

「あとはアンタら、人間たちだけでどうにかしろってことさ」

 それだけ言い残すと、アミュリアの身体は輪郭を失い、大量の水となって崩れ落ちた。

 水は地面に大きなシミだけを作って、アミュリアは影も形もなくなっていた。

「死んだ、わけではなさそうですね」

「しかし、人間たちだけで、というのはどういうことでしょう?」

 首をひねる二人であったが、その答えはすぐに訪れる。

『ギョアア!』

 魔物が一つ、大きく鳴くと、結界の様子が変わった。

 闇が壁を形作っていたような結界は、見る見るうちに色付いていく。いや、それは色付いたのではなく、闇の濃度が激減し、視覚を遮断する程ではなくなっていたのだ。

 結界の内外の様子すらわからなかった壁であったが、瞬く間に透明となり、視界は完全に通るようになっていた。

「これは……!?」

「結界が変質した!?」

「鎮波姫さん、永常さん!」

 驚く二人に対し、声をかける影が一つ。

 そこに立っていたのはルクスであった。

 いや、ルクスだけではなくミーナもその隣におり、周りには多くの神火宗の僧侶が立っていたのだ。

「ルクスくん! まさか私たちを助けるために!?」

「当たり前です! 結界は僕が掌握しました。今は魔物の行き来だけを制限しています!」

「そんなことが可能なのか!?」

 ルクスの言葉に、永常も鎮波姫も驚きを隠せなかった。

 魔術に関しては知識の浅い二人ではあったが、結界を変質させるなどという技術はかなり高いものであるのが窺えたのだ。

 実際、他者が発動した魔術を横取りするなど、通常は考えられない荒業である。

 だが、それを可能にできたのは、この結界が常に術式を変容させる特殊なものであったからというのが大きい。

 術式が変更される際、魔術自体が大きく揺らいでいたのだ。

 揺らいでいる時間はわずかなモノであったが、ルクスが持つ竜眼はそのタイミングを完璧に捉え、そして魔術が不安定な所を狙って大出力の魔力を流し込んで、その主導権を奪い取ったのである。

 現在、結界は全てルクスの手中にあり、魔術の効果内容も主導権を奪った際に書き換え済みとなっている。

 今、この結界の壁を通れるのは魔物以外の存在。つまり、魔物のみを捕らえる籠と化したのだった。

「魔物が動揺している今のうちに、結界の外へ出てください!」

「わ、わかった! 姫様!」

「はい!」

 永常に手を引かれ、二人は結界の外へと脱出する。

 結界の壁は少し波紋を浮かせただけで、二人を悠々と通過させた。

『ギョアア!』

 それは魔物にとっては痛恨だったようで、大きな叫び声と共に二人を追いかけようとしたのだが、結界の壁がそれを阻む。

「自分で作り出した結界だ。その強固さはわかってるだろう!?」

 目の前で壁に阻まれた魔物に向かって、ルクスが勝ち誇る。

 しかし、魔物はそれであきらめる事もなく、すぐに次の手を打っていた。

『ルクス、解呪されるぞ』

(なに!?)

 ルクスの頭の中に魔王の声が聞こえる。

 次の瞬間、ガラスが割れるような大音と共に、結界が粉々に砕け散った。

(こんなに早く解呪された!? 防げなかったのか!?)

『元はヤツの魔術だろうからな。こちらが把握しきれていなかった抜け穴があったのかもしれん。くく、なかなか強かだな』

 楽しそうに笑う魔王であったが、状況は予断を許さなくなった。

 結界が維持できていれば魔物を捕らえつつ、どう料理してやるかを考える時間はあった。

 だが、ここで相手に自由に行動されればそれも叶わなくなる。

「魔物が外へ出たぞ! 術師隊、捕縛にかかれ!」

 そこへすかさず、神火宗の僧侶たちが術を行使し、魔物の捕縛を試みる。

 集まった術師たちは数十名。その全員から魔術を向けられ、しかし魔物はそのすべてに対応して見せる。

 魔物の自由を奪おうと伸びてくる魔術の拘束具を、魔物は全て解呪してのけたのである。

「馬鹿な! これほどの速さで鑑定と解呪をやってのけるだと!?」

 これには神火宗の術師も驚きであった。

 もともとここに集まった術師の練度がトップクラスとは呼べなかったことを考慮の外に置いたとしても、数十の魔術の鑑定と解呪を一瞬でやってのけるのは神業と呼ばれる領域に近い。

 それは現在の顕世権僧である龍戴であっても可能であるかは疑わしい程であった。

『くくく、侮るなよ。姿を見るに、ヤツは天駆てんぐと呼ばれる魔物だろう。人間たちが区分した魔物の中でも最上位の魔術を操る存在だぞ?』

(魔王、あの魔物を知っているのか!?)

『ああ、数は少ないだろうが、天駆は過去に人間史にも登場したであろう魔物だ。天駆は知能を持ち、魔術を操る。ヤツが一体いれば、ほかの魔物は統率を持ち、連携でもって人間を苦しめるだろう』

 魔物は神火宗が区分した種族を持つ。

 それは神代にまで遡り、蓄積された歴史の中で発生した魔物との争いの中で、人間たちが魔物と対峙する際に用いた危険度の違いをランク付けしたモノでもある。

 最下位ではルクスの故郷であるフレシュ村にも大挙した獣人、高位ではベルエナを襲った怪鳥も含まれ、天駆は怪鳥のさらに上のランクとなっている。

「くそっ、厄介な! みなさん、気を付けてください! ヤツは天駆と呼ばれる魔物で、魔術を操ります!」

「天駆!? 天駆だと!?」「馬鹿な!」「初めて見た……!」

 ルクスの注意喚起を受け、神火宗の僧侶たちがどよめく。

 魔物の知識があるものならば、その脅威度が実感できたのだろう。

 また、魔物の知識が薄かったとしても、つい先ほど目の当たりにした数十もの魔術を一瞬で解呪する芸当を考えれば、単純に数で勝てる相手ではない事は明白だった。

 しかし、ルクスの言葉に鎮波姫は首を傾げた。

「ルクスくん、おかしいです」

「ど、どうしたんですか? 鎮波姫さん?」

「結界の中で、あの魔物は攻撃魔術を使いませんでした。アレが魔術を使えるなら、今頃私たちは生きてはいないでしょう」

 結界内で天駆は攻撃的な魔術を一切使っていなかった。

 天駆が空を飛んでいるのはおそらく魔術。だが、鎮波姫たちに危害を加えるような魔術は見ていない。もし、それが使えたのならば、鎮波姫たちをもっと早くに殺せただろうし、アミュリアに対抗するにしても魔術を使っていてもおかしくはない。

 一方で、天駆が魔術を解呪したのも事実。あれは魔術が使えなければ不可能な芸当である。

 となれば、そこに何か意味があるのだ。

『魔力の許容量だろうな。天駆の持つ魔力量が、結界の維持と空中移動で手一杯だったのだ』

(そうか、あれだけ強力で複雑な結界を維持するのと、空中移動という高度の魔術を行使し続けるには、相当な魔力が必要になる!)

 魔術の発動や維持には、当然魔力が必要になる。そして発動させる魔術が複雑で高度化するほどに要求される魔力量は比例して膨大になっていく。

 魔力を他所に割くほど余裕がなければ、新しい魔術を使用することは不可能となる。

 つまり、天駆が鎮波姫たちに攻撃魔術を使えなかったのは、魔力の限界だったからだ。

(そこに付け入る隙が無いだろうか? 天駆から空中移動の魔術も維持できないくらいに余裕を奪えば、地面に叩き落せるんじゃないか?)

『だが、それだけ複雑かつ強力な魔術を編むのは、短時間では難しいぞ?』

(一人では難しくても、頭数を揃えれば……)

『神火宗の連中を使うのか? それも難しいと思うがな』

 魔王の言わんとするところは、ルクスにもわかる。

 神火宗の数十人が協力し、複雑かつ高度な魔術を天駆にぶつければ、今考えた策はおそらく成るだろう。

 だがそれには高い統率を必要とし、音頭をとるリーダーが不可欠となるだろう。

 何せ天駆は術師の魔術を数十でぶつけても簡単に解呪してしまうのだ。

 必要なのは天駆を撃ち落とすための高度な術式を編む魔術師と、その術が完成するまで足止めをする役回り、そして完成した魔術を打ち込むタイミングを一定にする合図だ。

 それらをまとめるには、ルクスには役が勝ちすぎているのだ。

 何せルクスは神火宗の人間ではなく、どこの馬の骨とも知れない小僧。

 神火宗で修行を積んだ魔術師たちが、そんな子供のリーダーシップに乗っかるとは考えにくかった。

 また、神火宗の中からリーダー格に足りうる人間を見つけ出し、今の作戦を伝えるには時間がかかりすぎる。

 空を飛ぶことが出来る天駆を放置しておけば、どこへ飛び去るかもしれない。神槍領域が結界で閉じられているとしても、魔力を隠蔽されれば長時間は潜伏されてもおかしくないのだ。

 ユキーネィがどうなったかわからない現状、不安要素を増やすのは避けたい。

(くそ、やっぱり強引に結界を掌握したのは悪手だったか……? 僕がもっと慎重に事を運べば……)

『後悔ならば後にすべきではないか? 神火宗の連中にも動揺が広がっているぞ?』

 見れば、僧侶たちは次の一手が見つからず、どうしようかと手をこまねいている。

 天駆の方はこちらの様子を窺うように旋回を始めた。どうやらすぐに逃げ出すようなことはなさそうだ。だが、状況の主導権はまた天駆が握ったと言ってもいい。

 天駆はこのまま神火宗と事を構えても良いし、逃げ出してもいい。神火宗の僧侶が次の一手を見いだせていない現状では、状況の選択権は完全に天駆に渡っている。

『早く何か行動を起こさねば、天駆の優位は揺るがん』

(わかってる! でも、僕にはどうしたらいいか……)

 手詰まりに近い。天駆が何か行動を起こさない限り、状況の展開は不可能にすら思えた。

 窒息しそうな苦しい時間が流れる。

 それはおそらく、ほんの短い時間だっただろう。

 だが、それでもその時間はひどく長く、永遠にも似た感覚であった。

 混乱と動揺、不安と焦躁が心と頭を埋めつくしていく。


『策を伝えます』


 そんな脳内に、突如として声が流れ込んできた。

(これは……魔王、じゃない!?)

『私ではない誰かがルクスの頭に……いや、この場にいる全員に声を送っているのか』

 ルクスの頭の中に聞こえてきたのは、魔王の声ではなく、どこか落ち着きを持った男性の声であった。

 その声は作戦を言葉ではなく意思として頭の中に送り込んでくる。

 一種のテレパスのような魔術。それによって、この場にいる全員に策が一瞬で共有されたのだった。

「今のは……?」

「術師隊! 用意!」

 困惑するルクスを他所に、神火宗の僧侶たちは一斉に魔術を構える。

 まるで今の声に何の疑問も不安も覚えていないかのようであった。

 すぐさま、魔術は編み上げられ、天駆に向けて発動される。

 それは先ほどと変わらず、天駆を捕縛するための魔術。しかし、先ほどと違うのは、魔術の練度とタイミング。

 脳内に響いた謎の声の力なのか、僧侶たちは一瞬で結束を取り戻し、落ち着いた心で魔術を練り上げることを可能としていた。

 結果、魔術の質が向上し、また発動のタイミングも合わせるだけの余裕が持てたのだ。

『ギョアア!』

 しかし、やはりそれらの魔術は天駆によって解呪される。

 魔術は天駆に届く前に打ち消され、魔力の粒子となって空中へ消えていった。

 僧侶たちの連携を伴った魔術が、儚くも無為に帰した。そう見えた。

 だが、ルクスにはわかっていた。

 これすらも策の一環であると。

「悪を討つ天輪よ。強固なる光鎖を以って、我らが敵を捕縛せん」

 天駆が魔術を打ち消して、一息つく間もなく。

 森の中に染み渡るような声が、まるで波紋のように広がっていく。

 その言葉は間違いなく詠唱。魔術を発動するために必要な文言。

 詠唱は魔力を伴って結実し、空中にまばゆい光の環が出現した。

 その環は天駆を中心に置き、ゆっくりと回転しながら滞空している。

『ギョアアッ!』

 それを見た天駆は、その光の環すらも解呪しようと試みるが、

『ギョッ!?』

 その手が止まる。

 ルクスにも見えていたのだが、光の環を形成する魔術式が、とんでもなく複雑だったのである。

 竜眼をもってしても解読するのに時間を要する。

 それほどまでに高度で複雑な魔術が、ここに展開されたのだ。

 そして、動揺する天駆の周りを回っていた光輪は、一瞬にして無数の鎖へと変形する。

 百本を数えるほどの鎖へと変形した魔術は、天駆を締め上げるように巻きつき、その自由を奪った。

 言葉を発することも叶わなくなった天駆は、そのまま重力にひかれて地面へとたたきつけられる。

「す、すごい……」

 それはルクスが思い描いた、天駆に対抗するための策が成った時のイメージそのものであった。

 そして同時に、ルクスが不可能だと諦めかけた光景でもある。

 これを実現させたのは、頭の中に流れた声の主。

「いや、驚きましたね」

 頭の中に流れた声と同じ声音で、その主が姿を現す。

 彼を見て周りにいた僧侶たちは一様にこうべを垂れ、声の主に畏敬いけいの念を示していた。

「領域内に魔物、しかも発見報告例も極めて稀な天駆が出現するとは」

 声の主は間違いなく神火宗の僧侶。

 細い目は常に笑顔をたたえているように見え、歩く姿も柔らかく優雅であった。

 どこか流水を思わせるほど、美しい所作には、それだけで気品が感じられる。

 そのうえ、彼の纏っているローブには豪華な刺繍が施されており、かなり高位であることが一目でわかった。

「る、ルクスくん! 頭下げて!」

「え!?」

 慌てたミーナに頭を押さえられ、ルクスも周りに倣って頭を垂れる。

「ミーナさん、あの人、誰なんですか?」

「総魔権僧さまだよ! 神火宗で一番魔術に長けた人!」

「あの人が……!」

 道理で、と得心がいった。

 現れた人物こそ、現在の神火宗で最も魔術に精通した人物。

 総魔権僧、リュハラッシ・カンサラールであった。

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