2-4 破滅から始まる 4
『お前では、ない』
(……なっ!?)
声が聞こえた。
いつもルクスの中で呟き続けていたあの声。
その声は確かに『お前ではない』と言った。
どういう意味だかはわからない。が、どういうわけかルクスはお気に召さなかったらしい。
「ぶはっ!」
声を認識したと同時、ルクスの身を包んでいた光が、もうひときわ強い光を放つと、パッと消え失せてしまった。
「る、ルクスくん!」
「なに……!?」
それを見て、ミーナとボゥアードは両者それぞれの反応を見せた。
ミーナはルクスに抱きつき、ボゥアードは呆然と様子を眺めているだけであった。
「どういうことだ? 私の魔術は完璧であったはず……」
「よくわからないけど、どうやら目論見が外れたみたいね!」
「くっ、原因はわからん……だが、完全に失敗したわけでもあるまい」
「何を……!?」
「見ろ、ルクス少年を。その身に宿した魔力は、すでに常人を遥かに超えた!」
「えっ……?」
ボゥアードに言われて、改めてルクスを見ると、確かに様子が変わっている。
修士という神火宗の僧侶としては下っ端であるミーナでも、ルクスの身体から湧き上がってくる魔力をひしひしと感じることが出来たのだ。
「る、ルクスくん!? これは、どういうこと!?」
「ぐ……うう……」
ルクスはその場にうずくまり、まともに返答もできないようであった。
ミーナが彼の顔を覗き込むが、しかし、ルクスは苦しそうに脂汗をにじませるばかりだ。
「ボゥアード! 何をしたの!?」
「ふふ、あなたに教える義理はありませんな。……しかし、彼の様子は要観察と言ったところか。経過を見ずには今後の計画も立てられますまい」
「何を言っているの……!?」
「この場は見逃す、と言っているんです。ミーナ修士。せいぜい、彼を守ってやってくださいね」
「待ちなさい、ボゥアード!!」
ミーナが制止するのも聞かず、ボゥアードは懐から魔法陣の描かれた紙を取り出し、そこに魔力を流し込む。すると、魔法陣からはまばゆい光があふれだし、ボゥアードを包み込んだ。
光が消えた後には、ボゥアードの姿はすでに消え失せていた。
「転移魔術……そんな高等な魔術まで……」
転移魔術はかなり高等な魔術である。小さな石ころ一つをちょっと動かすだけでも相当な魔力と卓越した技術が必要となる。それを人間一人、全く別の場所まで移動させるとなれば、権僧という地位ですら役不足である。
攻撃魔力の出力にしてもかなり高かったところを見れば、ボゥアードは肩書を遥かに超越する程の魔術師だと言えるだろう。
今のミーナでは、到底足元にも及ばない。
「くっ……逃げられたッ!! ボゥアード、覚えてなさいよ! きっといつか、この借りは返すんだから……ッ!」
「ぐ、うううう……」
「ルクスくん!」
姿の見えなくなったボゥアードに
彼の顔を見ると、その苦しさが見て取れた。
「大丈夫? 苦しいの? ……ど、どうしよう。私で手に負える状況じゃない……!」
ルクスから放たれる魔力は強力すぎるあまり、すでに可視化されて湯気のように揺らめき、身体全体から立ち上っている。
ルクスが放つオーラのようなそれは、普通は視認できるはずのない魔力そのものだ。それが視認できるとなれば、かなり強力で濃度の高い魔力という事。
これまでのルクスでは考えられない程の魔力が、その身の内から湧き出ていることになる。
「これまで魔力の欠片なんかも感じられなかったのに……これじゃあ、ルクスくんにかけられた魔術の鑑定すらできやしない……」
ルクスの身体にボゥアードの魔術がかけられているのは火を見るより明らかだ。
しかし、ルクスの体を覆っている強力な魔力のせいで、魔術の術式を読み解くことすら出来ないのである。
術式が読み解けなければ、解呪も不可能である。
「ど、どうしよう……どうしたら……!?」
ミーナがうろたえている間にも、ルクスの様子は見る見る悪くなるようであった。
ルクスの体から立ち上る魔力のオーラは、刻一刻と濃度を増し、その魔力量はミーナのそれを遥かに凌駕している。
「このまま魔力を垂れ流していたら、身体に何か異変が起きるかもしれない……どうにか抑えないと」
「ぐ……ぐうう……」
「ルクスくん! 意識をしっかり保って! 何とか魔力を制御するのよ!」
何とか声をかけるミーナだが、何の訓練も行っていないルクスが魔力の制御なんて出来るはずもないのはわかっている。
しかし、こればかりは他人が外側からどうこうするものではない。
ルクス自身がどうにかするしかないのだ。
「ルクスくん! 私の声が聞こえているなら、返事をして!」
苦しそうにうめくルクスの身体を優しくさすりながら、ミーナは辺りの様子を窺う。
瘴気の霧も濃くなってきており、周りの様子はほとんどわからなくなってしまった。
だが、その霧の奥に複数の気配を感じる。
人ならざる何か。魔物だ。
魔物の気配が増えるのに反比例して悲鳴は静まっていく。
霧の奥で行われていることも、想像に難くなかった。
「村人たちが……襲われている……私たちも、早く逃げないと……!」
しかし、逃げるとは言ってもすでに辺り一帯は瘴気の霧に包まれてしまっただろう。
これから人間の足で霧の中を脱出しようとするなら、どれだけ走ればいいのやら。
旅で鍛えた健脚を持つミーナだが、ルクスを担いで走るのには相当体力を使うだろう。
いくら身体強化の魔術を使っても、ちょっとやそっとで魔物たちから逃げおおせられるとは思えない。
「ここまで……なの……!?」
万事休す。ミーナが全てをあきらめ、その頭を垂れたその時であった。
「う、ぐぐ……」
「ルクスくん!?」
焦点の定まらない
身体に帯びたオーラはなおもその淡い輝きを放ちながら立ち上り、しかし数瞬前よりも明らかに勢いを増している。
「お、おおおぉぉ……」
ルクスの口から漏れ出ている声は、獣が低く唸っているようでもあり、もしくは遠雷の轟きのようでもある。
また、彼の纏うオーラが放つ風が強さを増している。
「る、ルクスくん! 私から離れないで!」
慌ててミーナが手を伸ばすも、意識がはっきりしているのかどうかもわからないルクスは、そのまま前方も定かでない場所へと踏み出す。
瘴気の霧はなおも濃さを増しており、ミーナから見れば、すぐそこにいるはずのルクスの姿すらぼやけてしまうほどであった。
その瘴気の濃さもあいまって、ミーナの手はルクスをつかめなかった。
「ルクスくん!」
いくら呼び掛けてもルクスが答えることはなく、彼はまた一歩、前に出る。
彼が進む度、オーラは勢いよく噴出し、それに伴って強風も吹き荒れる。
近くにいるミーナは、目を開けているのもつらいぐらいであった。
「このままじゃ……ルクスくん!」
どうにかルクスに近づこうとするも、彼から放たれる風によって、立ち上がることも困難になってしまった。
まともにルクスの方を見ることすら叶わず、ついにミーナは地に伏して目を閉じた。
もう、ミーナにはどうすることもできなかったのだ。
『我ではない者よ。しかし我に
その時、ルクスは内から湧き出る声を聞いていた。
声の主の事は依然としてわからない。だが、その声には得も言われぬ、威厳ともとれる雰囲気があり、なぜだか妙な説得力を持っている。
『我が器を
(誰だ……あなたは一体……)
『我はかつて魔王と呼ばれし者。我が
声が聞こえなくなったかと思うと、ルクスの意識もはっきりしてくる。
「……あ、あれ……」
呼吸がまともになり、荒くなっていた息が急激に落ち着く。
しかし、その身から立ち上るオーラは未だ勢いが衰えず、そこから巻き起こる強風はすでに突風とまで言えるレベルに達していた。
その中心にあって、ルクスは自分の体の異変にようやく気付く。
「ぼ、僕の身体、どうなってるんだ!?」
自分の身体から湧き出る魔力、そしてそれが伴う突風。
いや、それよりなにより
「僕の目が……見えている!?」
その目はしっかりと、瘴気の濃霧にかすみながらも、自分の体を視認していた。
手が、身体が、足が、見えるのである。
実に十年ぶりに光を正確にとらえたその瞳は、しかし焼けるように熱い。
「ぐ……目、目が……ぐう……うおおおおおお!!」
焼けただれてしまうかと思うほどの熱が、ルクスの目からあふれてくる。
やがてその熱は光を伴い、ルクスの身体から湧き出ていたオーラを束ね上げる。
『顔を上げろ、少年。まがい物とはいえ、魔王にうつむく姿は似合わない』
身体の内側から聞こえる声に、まるで背中を叩かれたようであった。
ルクスはその衝撃で顎を上げ、顔を覆っていた手をどけて、空を見上げる。
同時に、目から放たれていた光は、オーラと共に強風を伴って天へと立ち上った。
「うああああああああああああああああッ!!」
それはまるで光の竜巻。
ルクスから放たれた光は渦を巻いて雲を貫き、辺り一面を覆っていた瘴気を吹き飛ばしていく。
逆巻く強風が赤黒い霧を切り裂き、または飲み込み、または蹴散らす。
なんにせよ、凶暴な魔力の
ごうごうと鳴り響いた風の咆哮は、瘴気を払いきるとピタリと止み、そして次の瞬間には恐ろしいほどの静寂がやってきた。
フレシュの村は再び日の光によって照らされ、――その惨状を白日の下にさらす。
「……はぁ……はぁ……これは……」
魔力の噴出によって体力を奪われたルクスも、その状況を目の当たりにした。
破壊された家屋、踏みつけられた畑、そして惨殺された家畜や人間。
魔物は瘴気とともに吹き飛ばされてしまったのか、その姿を確認できなかったが、しかしそれ以外に残されたのはフレシュの村を廃墟と称して良いほどの光景であった。
「お父さん……お母さん……ハルモ……誰か……いないのか……?」
ルクスの呼びかけに答える声はない。
そこらへんで倒れている人間には、見覚えのある顔はない。何せ、この十年、ルクスは視力を失っていたのだ。人相は当然変わっているだろう。
それは幸か不幸か。今は誰の顔も判別がつかないのだ。
声を聴けばわかるのに、その声はどこからも聞こえてこない。
「誰か……誰か、返事をしてください……ッ!」
懸命に声を張っても、返事は――
「う……ぐっ!」
「……!」
うめき声があった。
それはルクスのすぐ近くからであった。
倒れているのはミーナだ。
「その声、ミーナ様ですか!?」
「る、ルクス……くん……?」
「ミーナ様、大丈夫ですか!?」
「私は、平気……あなたこそ、大丈夫なの……?」
「僕は……わかりません。僕の身体に何が起こったのか……」
ルクスは自分自身の事が全くわからなかった。
どうして目が見えるようになったのか、どうして自分が瘴気を払うことが出来たのか、今も自分の体の中から聞こえてくる声は何者なのか。
ボゥアードは結局、何も答えてくれなかった。
「僕は、あの人に……ボゥアード様は……?」
「あの男は……どこかへ消えたわ。行先は皆目見当もつかないけれど……」
「そうですか……」
ボゥアードに尋ねれば、いろいろと解決するのではないか、と思っていただけに、ルクスの落胆も強かった。
結局、ボゥアードが何をしようとしていたのか、ほとんどわからなかったのである。
「ボゥアード様は、どうして僕にあんな魔術を……?」
「私にもそれはわからない……でも、それを確かめるまで、私もあなたもこんなところで死ねない。そうでしょ?」
ミーナには強い感情がわいていた。
それはこんな状況に対する疑問や不安などではなく、ボゥアードに対する強い怒りであった。
もし、今回の件、瘴気のことも含めてボゥアードが関わっているのならば、自分の持つ全ての疑問に答えてもらってからボコボコになるまで殴りつけてやりたかった。
そんな単純な感情が、ミーナの足に力を籠める。
「ルクスくん、行きましょう。多分、またすぐに瘴気が充満するわ。そうしたらここも安全じゃない」
「で、でもどこへ……?」
「東へ、ベルエナへ行けば、フレシュの村から逃げ延びた人たちと合流できるかもしれないわ。そうでなくとも、この辺では一番安全な場所よ」
「そう……ですね……」
ここにいては危険だということはわかる。ベルエナが比較的安全というのもその通りだろう。
だが、ルクスの不安は募る。
まさかこんな形で、生まれ故郷の村を後にすることになろうとは、夢にも思わなかったのだ。
「ルクスくん、大丈夫。あなたのことは私が守るわ」
「ミーナ様……」
ミーナに強く手を握られ、ルクスもそれに応えるように強くうなずいた。
こうして二人は旅に出たのである。
これが途方もなく長く、つらい旅路になることは知る由もない。
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