3ー1 旅は道連れ 1
3 旅は道連れ
フレシュの村からベルエナに向かう道中は、整備された街道がある。
道幅も広く、石畳が敷き詰められたその街道は、アガールスで作られた最初の街道と言われている。
歴史のあるその街道は、交通の要所でもあり、常に多くの往来があった。
フレシュの付近ではアガールス西部の農村や、山を越えた向こうにある漁村から作物などを東へ輸送する荷馬車がほとんどであったが、アガールス中部からは各地へ渡る旅人なども混じり始め、東部ではルヤーピヤーシャへの警戒も含め、兵士の行軍などが見られた。
そんな街道は今、驚くほど
「……あの、助かりました」
「いやいや、こういう時はお互い様、ってね」
赤黒い雲が天空を覆う中、街道に見えるのは一台の馬車。
元々は荷馬車であったのだろう。荷台はそこそこ広く、ある程度の物資が運べるようになっていた。だが、今そこに乗っているのはミーナと、気を失ってしまったルクスのみ。
御者台に座っているのは、見知らぬ女性であった。
「私が偶然通りかかったから良かったけど、あのままじゃアンタたち、あいつらに何されてたかわからないものね」
「は、はい……」
ミーナとルクスはベルエナへ移動中だったのだが、その途中でルクスが急に気を失い、倒れてしまったのである。
急に魔力の覚醒から制御までこなしてしまった反動であろう。通常、神火宗の魔術師ですら長い期間の訓練を行うような技術なのだ。一朝一夕どころか極々短時間で習得出来るようなものではない。
だが、ルクスはそれをやってのけた。それもボゥアードの魔術の影響ということなのだろうか。ミーナにはその詳細はわからないままだ。
とにかく、そんな荒業をやってのけたルクスは、とうとう気力も使い果たして気を失ってしまったのである。
倒れた少年をミーナひとりで担いで移動していては、おそらく瘴気から現れた魔物に襲われてしまうだろう。
そこへ偶然、ベルエナへ逃げる途中であった馬車に助けられたというわけだ。
「それにしても、惨状、だね」
御者の女性は後ろを振り返って呟く。
赤黒い雲から降ってきたような濃い霧が、視界を覆ってしまうほどに広がっている。
この辺りは広い草原であるはずだが、瘴気の霧が壁のように左右に広がり、それより奥の様子はうかがい知れないのだ。
御者の女性もあの中を突っ切って、ようやく逃げてきたのだという。
「まさかこんなことが起こるだなんて……神火宗の僧侶様でも、予知することはは出来なかったのかい?」
「神火宗も万能というわけではないですから……。ですが、
「けんせいごんじょう? 随分偉そうな肩書ね」
「神火宗の最高権力者です。実際偉いんですよ」
「なるほど」
実際、ボゥアードはルクスに魔術をかけた際、今回の事件を仄めかしていた。
アガールスに訪れる未曽有の危機、西より出でる闇の軍勢。
今の状況をぴったりと言い表している。
ボゥアードの神火宗内での地位は権僧。ミーナよりかなり上とは言え、神火宗全体で見れば中盤くらいの権力である。
実力によって階級が定められる神火宗で、ボゥアードよりもさらに強い力を持っているはずの顕世権僧ならば、今回の件も把握していてもおかしくはない。
「じゃあ、きっと顕世権僧さまが手を打ってくださるかもね?」
「そう、願いたいです」
ボゥアードもアガールスのお偉い方と対抗策を講じると言っていた。
それが事実であったとは到底思えないが、顕世権僧が動いていれば、アガールスと協力して事態の早期解決の策を講じているに違いない。
「つい昨日の事なのですが、私たちのいた村に、一人の男性が訪れました。彼はベルエナに向かい、援軍を頼む、と言っていましたから、きっとベルエナでは自警団が魔物討伐の準備を整えているでしょう」
「自警団の援軍ねぇ……あの中を突っ切ってきた身としては、どれほど役に立つやら」
後方に広がる赤黒い霧を見ながら、女性は渋面を浮かべた。
「魔物は確かに統制がとれていたわけではないけど、あの物量で攻められたら、自警団程度でどうにかできるとは思えないけど」
「そんなにすごかったんですか……?」
「フレシュの辺りはまだマシな方よ。もっと西では獣人だけじゃなくて、いろんな種類の魔物が相当数いたわ。正直、あいつらを全員倒すのはアガールスが全力を挙げないと難しいでしょうね」
「瘴気は西の方からやってくると聞きました。……もしかして瘴気が濃い場所の方が、強い魔物が多く発生するということでしょうか?」
「その可能性はあるかもね。西岸の漁村なんかは全滅でしょう」
ボゥアードの預言の通り、西から瘴気と魔物が現れているのだとしたなら、フレシュより西にある人里はほぼ全滅と見ていいだろう。
逃げ延びたのも、昨日フレシュを訪れた男性一人だとしたなら、相当な被害になっている。
この事態が知れれば、アガールスの諸侯も解決のために動くだろう。
「アガールスの貴族たちを動かすためにも、私たちが事実を報告しなくちゃね」
「そうですね……。そのために、まずベルエナへ」
「ベルエナには通信機はあるのかしら?」
「通信機……どうですかね」
通信機とは、神火宗の魔術を利用して遠隔地との交信を行うための装置である。
基本的に魔術師にしか使うことが出来ないため、通信機のある場所には僧侶が常駐することになる。
ベルエナには確かに神火宗の派遣所があり、僧侶が常駐しているはずだが、通信機は結構高価なものでもある。あるかどうかは五分五分ぐらいであろうか。
「私は神火宗でもぺーぺーですので、通信機の有無なんて情報は降りてこないですし」
「まぁ、そこは行ってみてからってことかしらね」
「まずは無事にたどり着かなければ、ですね」
なんにせよ、生きてたどり着かなければお話にならない。
今も瘴気は迫ってきているのだ。あれにもう一度飲み込まれた時、無事に脱出できるかどうかはわからない。
……のだが、ふと気が付く。
「そういえば、瘴気の動きが鈍いですね」
「あら、そう?」
「フレシュを飲み込んだ時には、かなりの速さだったように思えるのですが……」
いくらこちらが馬車で移動しているとはいえ、フレシュを飲み込んだ時のスピードは相当なものだった。
あの勢いのまま、瘴気が東進しているのだとしたら、ベルエナにもすぐに到達してしまいそうだったのだが……後ろを振り返ると、瘴気の霧はだいぶ離れたようにすら思える。
「どういうことでしょう? 瘴気も疲れたりするのでしょうか?」
「さぁてね。……大方、瘴気にも絶対量があるんじゃない?」
「絶対量、ですか?」
「そ。どこから吹き出てるかわからないけど、発生源が枯渇して瘴気の濃度が下がってきてるんじゃない? だから、瘴気の端っこになるにつれて、発生する魔物も弱くなった、とか」
御者の女性があてずっぽうのように言った推測だが、確かに言われてみればそんな気もする。
もし、それが的を射ていたなら、こちらにとってはチャンスだ。
「今のうちに距離を取ってしまいましょう!」
「そうね。……でも、向こうもそう簡単には逃がしてくれなさそうよ」
御者が指さす先、瘴気の霧の奥からいくつか、人影のようなものが見えた。
それが霧の奥からこちらへ踏み出してくる。
「あれは……魔物!」
霧の奥から姿を現したのは、フレシュの村に出現したような獣人。
それが十体ほど、徒党を組んでやってきたのである。
「瘴気の外まで出てこられるんですか!?」
「どうやらそうみたいね。速度を上げるから、しっかりつかまってて!」
御者が馬に鞭を入れると、馬はいななきの後に強く地面を蹴る。
ガタン、と一度大きく揺れた荷馬車。ミーナはルクスを抑えながら後方を窺う。
獣人は荷馬車を認識したようで、ぎゃあぎゃあと耳障りな鳴き声を上げつつ、手に持っているボロボロの武器を掲げていた。
次の瞬間には、一斉にこちらへ向けて駆けだす。
「は、速いですよ、あの獣人たち!」
「見た目は伊達じゃないってことね」
毛むくじゃらの獣人たちは、その脚力も見掛け倒しではないようであった。
肉食獣の後ろ足に似た両足は、鋭い爪で地面をつかみ、思い切り蹴りつけることで、とんでもないスピードを見せつける。
獣人たちは見る見ると荷馬車との距離を詰めてくるのであった。
「せ、迫ってきてます!」
「アンタ、僧侶なんでしょ! 魔術で迎撃しなさいよ!」
「そ、そうでした!」
御者に言われ、ミーナは獣人たちに向けて手を掲げる。
そこから放たれた光の玉は、一直線に獣人たちへと向かって飛んだ。
しかし、
『ぎゃあぅ!』
「かわされた!?」
俊敏な獣人にその光の玉が命中することはなく、軽いステップで回避行動を行った獣人たちは速度をほとんど落とさずに追撃を続ける。
ミーナは何度も何度も攻撃魔術を操り、獣人の迎撃を試みるが、その
「くっ、当たらない……ッ!」
「当てる必要はないわ! 出来るだけ相手を
「わかりました! じゃあ、威力を重視するよりも……ッ」
御者からの指示を受け、ミーナはとにかく魔術を乱発する。その魔術は先ほどのものとはちょっと違う。
フレシュの村では、ミーナの魔術は獣人の毛皮に防がれ、大したダメージを与えられなかった。それを鑑みて、今回は強力で貫通力高めの魔術を放ったのだが、それはしっかりと命中しなければ意味がない。
獣人の俊敏さと、荷馬車という安定しない足場、またルクスが落ちないように注意しながらとなると、命中率は相当落ちてしまう。
だが、牽制だけを目的とするならば、やりようはある。
「爆ぜなさいッ!」
『ぐぁう!?』
ある程度の狙いを定めた魔術の玉は、獣人たちの付近で弾け、小さな爆発を起こす。
それによって起こる爆風は、確かに獣人たちのバランスを崩しているようだった。
相手に致命傷を負わせることは出来ないが、それでも侵攻の邪魔をすることは出来ている。
「そのまま牽制を続けて、距離を保って! どんなに鞭を入れても、こっちの速度はこれ以上は上がらないわ!」
「出来るだけやってみます!」
「ベルエナは見えてきてる! もう少しの辛抱よ!」
馬車の前方には、ベルエナの外壁と焚火の煙が見えてきている。おそらく、あの煙はベルエナの周りに集まってきた難民がキャンプをしているものだろう。
もうすぐベルエナにたどり着くと思うと、少しは安心できる。
……だが、しかし。
「ですが、獣人を連れたまま、避難所に突入しても良いんでしょうか?」
「そこは不可抗力でしょ! 私たちだけでどうしようもないんだから、自警団とやらに助けてもらうしかないわ!」
「……ここで、どうにかするわけにはいきませんか?」
「聞こえなかったの? 私たちだけじゃどうしようもないって言ってるでしょ!」
ミーナの魔術では獣人の防御力を貫くのは難しい。ルクスは気絶しているし、御者の戦闘技術がどうなのかはわからない。
不安要素しかない状況で、獣人たちと事を構えるのは愚策も愚策である。
そうであるはずなのだが、ミーナは折れない。
「……ルクスくんをお願いします」
「は? あ、アンタ――」
御者が止めるのも聞かず、ミーナは荷台から飛び降りる。
街道の石畳に降り立つと、すかさず魔術を操る。
「来なさい、私が相手よ!」
迫る獣人たちに向け、ミーナは魔術の光弾を放つ。
しかし、獣人たちはそれを易々と回避し、あっという間にミーナを取り囲んだ。
周りに展開した獣人を睨みつけながら、ミーナは護身用の短剣を抜いた。
「フレシュの村をあんなにした魔物たち……こいつらを連れて、避難所になんか入ったら、あの時の二の舞になるわ……ッ!」
ミーナは壊滅したフレシュの様子をフラッシュバックしていた。
瘴気は遠ざかったが、それでも獣人たちの戦闘力は脅威である。
やつらを連れて難民キャンプへ入れば、自警団の到着までにどれほどの被害が出るだろうか。
それならばここで囮を引き受けて獣人の注意をひきつつ、キャンプから距離のある場所で自警団を待つ方が、被害は少なく済むだろう。
だが、それは囮役の被害を度外視した作戦である。
「ここで死ぬつもりはない……けど、ある程度覚悟は決めないとね」
手足の一本や二本は失うかもしれない。いや、それすらもまだ甘く見た被害であろう。
最悪は死ぬこと。その最悪の状況が訪れる可能性は低くない。
だが、それでもやらねばならないことがある。
『ぎゃあう!』
『ぐぁああうッ!!』
ミーナを威嚇するように、獣人たちは鳴き声を上げる。
その手に武器を構えつつ、ジリジリと距離を測るように位置を変えている。
いや、もしくは誰が最初に噛みつくか、その算段をつけているのかもしれない。
「はぁ……はぁ……」
距離を詰められるたび、ミーナの鼓動が激しくなるのを感じる。
死の足音が聞こえてくるようだ。呼吸が速く、浅くなる。
ミーナは死角を潰すようにクルクルと回転しながら獣人への警戒を怠らない。
それでも獣人たちの包囲の輪は、刻一刻と狭まってきていた。
そして、その時が訪れる。
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