2-3 破滅から始まる 3
村の様子は、先ほどとは若干旗色を変えたようである。
いくらか判断の早い村人たちが村から逃げ出したのを見て、居残り派も意思が揺らいでいるようである。
村長の呼びかけもあり、すでに半分以上の村人が逃げ出す準備を終え、そのうちのほとんどが実際に東へと移動を開始していたのだ。
「まぁ、これだけの異常現象を見れば、そりゃ逃げ出したくもなるわよね」
「ど、どうなってるんですか?」
肩に担がれているルクスが、ミーナに様子を尋ねる。
目の見えない彼では、外の様子が全くわからないのだ。
「日の光がほとんど差してこないのよ。村中薄暗くて、それで……赤黒い霧が地面近くまで下りてきてる……」
先ほどまで上空を覆っていただけの赤黒い雲が、どうやら地面まで降りてきている様子であった。
周囲の見通しがかなり悪くなっており、村の風景すらほとんど見えなくなっている。
「こんなに風通しのいい低い土地で霧が発生するなんて、やっぱり普通じゃないわ」
「ミーナ様、なんだかこの空気、変なにおいがします」
「変なにおい? ……私は感じないけど」
「いいえ、確かに。いつもの空気のにおいじゃない……なんだか胸が悪くなるにおいです」
ルクスは視力が奪われてから、ずっと他の感覚を頼って生きてきた。
聴覚、触覚、そして嗅覚。それらは他の人間よりも多少なりと鋭敏になっているのである。
だからこそ、彼だけが感じることが出来た異臭。
「赤黒い霧、そして異臭……これがもしかして、伝承に記されていた『
神火宗の残している書物に、瘴気に関する記述があった。
瘴気とは魔物が好む空気であり、瘴気が濃い場所では魔物が自然発生するのだという。
その特徴として赤黒かったり紫がかっていたり、とにかく変な色をした空気であり、また生物の具合を害するような臭いをまとっているそうな。
それらの条件は当てはまっている。
「でも、これが本当に瘴気なのだとしたら、どこから流れてきているの……? こんなものが自然に発生するわけが……」
「きゃああああ!!」
ミーナの思考を叩き割るかのように、辺りに悲鳴が響き渡った。
「なに……!?」
『ぐるるらああああああ!!』
悲鳴の方を振り返ると、村人が一人、その場でへたり込んでいるのが見えた。
そして、その村人の目の前に、
「あれは……魔物!」
シルエットは人間のようにも見える。
しかし、その体毛は獣のように皮膚を覆いつくし、また頭部からは幾本もの角が生えている。
膝の関節は人間のものとは逆に折れ曲がり、足先は獣のように鋭い爪が生えていた。
まさしく異形。それは人ならざる者であった。
そして、その魔物の右手にはボロボロのロングソードが握られて、今まさに振り下ろされようとしていたのだ。
「くっ! 間に合えッ!!」
ミーナはルクスを担ぎつつ、その片手を魔物に向けた。
その手のひらには光が集まり、次の瞬間には弓矢のように射出された。
『ぐるぅ!?』
魔物の後頭部に直撃した光は、小爆発のように弾け、魔物の毛皮を焦がした。
だが、それは大したダメージには至らなかったのである。
「傷が浅すぎる……! 毛皮の所為なの!?」
『ぐらあああああ!!』
攻撃を感知した魔物は、目の前の村人を放ってミーナへと向き直る。
その手に握ったロングソードの切っ先をミーナに向け、牙を向いて
顔面をよく見ると肉食獣のように口がとがり、またその口に並ぶ歯が全て鋭い牙になっていた。
「
ミーナはもう一度、手のひらを獣人へ向け光を集中させる。
もう一度顔面に向けて光をぶつければ、と思ったのだが。
『ぐるるるあああああ!!』
「早――ッ!?」
ミーナが魔術を操るよりも早く、獣人は地面を蹴る。
土埃を巻き上げ、高く跳躍した獣人はロングソードを大上段に構え、ミーナへと降りかかった。
急な動きに対応しようとしたミーナであったが、ルクスを担ぎながらでは狙いを定めることが出来ず、迎撃が間に合わない。
(やられる……せめてルクスくんだけでも……ッ)
このまま剣が振り下ろされれば、ミーナだけではなくルクスにも危害が及ぶ。
それを回避するために、ルクスをかばうようにミーナが盾になろうと身体をひねる。
「ミーナ様!」
「ルクスくん……ッ!」
覚悟を決めたミーナ。
……だが、予期した斬撃は降りかかってこなかった。
代わりに、ミーナの直上で爆発が起きる。
「きゃあああ!」
「うぅぅぅ!!」
直近で起こった爆発によって、ミーナとルクスが小さく悲鳴を上げる。
しかし、二人を強い風が舐めただけで、ほとんど害は被らなかった。
「……な、なにが……?」
「魔術が……でもいったい誰が?」
二人が顔を上げると、獣人は上半身が吹っ飛んだ状態で地面に転がっていた。
高い魔力出力で発揮された魔術が、獣人を殺したのである。
それはわかるのだが、この村にそれほどの魔術の使い手はいないはず。当然だが、ミーナがとっさに発揮した魔術ではない。
ならばいったい誰が魔術を使ったのか?
「困りますなぁ、せっかくの器に傷をつけようとは」
「だ、誰です!?」
咄嗟にルクスを庇うように立ち上がったミーナ。
前方には神火宗のローブをまとった見知らぬの男性がいた。
「これはこれは、ご同輩ですかな」
「神火宗の……
謎の男性がまとうローブには、特別な刺繍が施されている。
あれは神火宗内においての階級を示すものであった。
ミーナは神火宗内ではペーペーの階級である
「し、失礼いたしました! 私は修士のミーナと申します」
「畏まらなくて結構。私はボゥアード。権僧ではありますが、ここは階級を気にせず、協力して状況を乗り切りましょう」
「は、はい……」
ボゥアードと名乗った僧侶は、ヘラっと笑いながらミーナと握手を交わす。
いろいろと疑問はある。権僧ほどの階級にいる人間が、どうしてこんな僻地を歩いているのか、そもそも本当に権僧なのか、しかし先ほどの魔術の出力は高位の魔術師の証拠……思考はいくつもミーナの頭の中を駆け巡るが、しかしそれはいったん放置しておく。
ボゥアードのいう通り、二人で協力して状況を乗り切らなければ、ルクス一人助けることもできない。
何せ、ミーナだけでは獣人一体すら倒せないのである。
「しかし、どうしましょう、ボゥアード様。この霧が瘴気であるなら、先ほどのような魔物がそこかしこから現れる危険性があります」
「確かに。村人の避難を優先するならば我々が魔物を牽制する必要がありますな。……まずはそこの少年を私が引き受けましょう」
「ルクスくんを……?」
「彼を担いでいては、あなたも十全には戦えますまい?」
確かに、ルクスを担いでいなければミーナももう少し戦えるはずだ。
獣人を倒すには至らずとも、注意を引き付けて村人の安全を買うことは出来るだろう。
ならば、ルクスをボゥアードに預けるのは正解か。
「……この声」
しかし、ルクスを預けようとした時、ルクスが少し顔を上げる。
「聞き覚えがあります。この声、あの時の……」
「どうしたの、ルクスくん?」
「もう一人の僧侶様、あなたはもしかして、十年前にこの村を訪れた僧侶様ではありませんか?」
「……! 本当に!?」
ルクスの記憶の中に刻み込まれた、最後の映像。そしてそこで再生される声。
それと照らし合わせてみれば、ボゥアードの声は、あの時の僧侶の声と酷似しているのである。
十年も前の記憶であるが、ルクスの記憶には深く印象付けられているのだ。
ルクスの中では、無根拠の確信があった。
それを聞いて、ミーナはなおさらボゥアードを警戒する。
「あなたが、ルクスくんの視力を奪った僧侶……ッ!?」
「おやおや、記憶力の良いことだ。まさか私の声を覚えているとは」
ボゥアードがため息をつくように笑うのを聞くと、ルクスは決意を込めて口を開く。
「やっぱり、そうだったんですね……。あなたには聞きたいことがあります」
「質疑応答はまた今度の機会にしてもらえまいか? 今はそんな状況ではない」
気が付くと、村のあちこちから悲鳴が聞こえてくる。
赤黒い霧は濃さを増し、視界は相当悪くなっているため、悲鳴だけが不気味に聞こえてくるのは恐怖心を強くあおった。
もしかしたら見えない場所で魔物が大量発生しているのかもしれない。
しかし、ルクスはここで引き下がれない理由がある。
「十年間、ずっと尋ねたかったんです。あなたならその答えを持っているだろうと」
「ルクスくん、今は……」
「いいえ、ミーナ様。ここで尋ねないと、僕はどこへも行けません」
ルクスはミーナの手を借りて立ち上がり、見えない目でボゥアードを見据える。
このチャンスを逃がせなかったのだ。何せボゥアードと再会したのは十年ぶりである。それまで影すら感じられなかった彼と出会えるタイミングは、この場をおいて他にないかもしれない。
それは自分たちの命の危機を天秤にかけても、なお押し通さねばならないほどである。
その覚悟を見てボゥアードもルクスの言葉を待った。
「よろしい、では手短に」
「わかりました。僕の中に何を……いいえ、誰を埋め込んだんです?」
ルクスの質問は端的であった。それを聞いてミーナは疑問符を浮かべたが、ボゥアードは感心したように声を漏らした。
「ほぅ……誰、と言ったか」
「僕の勘違いでなければ」
「ふふ、自分で魔術をかけておきながら、上出来だったと賞賛したくもなるな。まさかここまで適合しているとは」
「ど、どういう意味なんですか?」
一人、置いてけぼりをくらっているミーナが口をはさむが、しかしボゥアードは低く笑うばかりだった。
ルクスはミーナとつないでいる手に力を込める。
やはり、自分の勘違いではなかったのだ、と。
「ミーナ様、僕は今まで誰にも言えなかったことがあります」
「ルクスくん……?」
「僕はこの十年間、ずっと誰かの声を聞き続けていたんです。それは外側からではなく、僕の内側から」
「内側って……」
「体の中という意味ではなく、もっと精神的な部分……例えば魂のような場所から、ずっと見知らぬ誰かに話しかけられていたんですよ」
十年前のあの日、ルクスがボゥアードに魔術をかけられたその瞬間から、今現在に至るまで、ルクスは耳鳴りとは全く違う何かを感じていた。
実際、耳鳴りなどではないのである。何せ、それは物理的に鼓膜を震わせているわけではないのだから。
どちらかと言えば、頭の中に自分とは別の誰かが考えている内容が、勝手に送り込まれてくる感覚。他人の思考を読んでいるような、そんな錯覚を覚えるのだ。
しかし、その『誰か』が誰だかわからない。
そしてまた、何を考えているのかも詳細はよくわからないのだ。
「僕の中でぼんやりと考え事をしている誰かがいるんです。その考え事が僕の頭の中で混線して、こっちに語り掛けてくるように感じている。……そんな感覚を十年も味わい続けているんです」
それは自覚している二重人格のようなものだろうか。
顕在化しない別の人格が、ずっとルクスに独り言を浴びせ続けているのだ。
対話が出来たとしたならどれだけ楽だっただろうか。そうすることもできなかったルクスは、ずっとよく知らない言語で呟かれ続けていたわけだ。
十年ともなればある程度慣れてくるが、初期のころはストレスが激しかっただろう。幼少のルクスが精神に傷を負わなかったのは奇跡的とも言えた。
しかし、そんなつらい境遇を聞かされて、ボゥアードはうれしそうに笑う。
「くくく、ルクスくん。君は実に良い器となっているようだな」
「器……? どういう意味ですか?」
「知らずともよい。時は満ちたのだ。君はじきに消えてなくなるのだから!」
「ボゥアード様、何を!?」
語気の強い声とともに、ボゥアードはその手をルクスに向けて掲げる。
ミーナがルクスをかばおうとするのも間に合わず、ボゥアードから放たれた光はルクスを包み込んだのであった。
「ルクスくん!」
「う、うわあああ!!」
その瞬間、先ほどの獣人の姿を思い出す。
ボゥアードが放った魔術は、獣人の上半身を木っ端微塵に吹き飛ばした。あれほどの出力があれば、ルクスなど影も残さず消し飛ぶであろう。
ルクスもミーナも、その惨状を予見してしまった……のだが。
「……攻撃魔術じゃ、ない!?」
ミーナが恐る恐るルクスの様子を見ると、魔術の光はルクスを包み込んだままである。
あれが攻撃魔術であれば、ルクスの体に触れた時点で爆発を起こし、ルクスを弾き飛ばしていただろう。
それが起きていないということは、あれは攻撃的な魔術ではないということ。
「でも、だったらさっきの言葉……」
腑に落ちないのはボゥアードの言葉である。、
君はじきに消えてなくなる、その言葉が本当なら――
「消えてなくなる、器……まさか、乗っ取り!?」
「気が付いたか、ミーナ修士。だが、もう遅い!!」
ボゥアードの狙いを察したミーナ。彼の狙いはルクスの肉体を乗っ取ること。
肉体からルクスの精神を抜き出し、その主導権を奪うことで、ルクスの体を意のままに操ることが出来る。
しかし、そうする利点がわからない。
ボゥアードは見たところ、五体満足であり、それほど年老いているようには見えない。
いくらルクスが若い身体であるからと言って、視力を奪われているその身体を乗っ取っても、ハンディがあれど利点は少ないはず。
「……何かたくらみがあるのね! 止めないと!」
「言っただろう、もう遅いと!」
ミーナが解呪を試みようと手を掲げるが、しかしそれよりも早く、ルクスの体を包み込んだ光が強さを増す。
直視できないほどの閃光は突風を伴って、村中へと膨れ上がる。
「きゃああああ!?」
「開眼せよ、魔王の器よ!」
目も明けられない光の中で、ボゥアードの声が聞こえる。
その声を聞いた瞬間、ルクスの中で何かが弾けるのを感じた。
(なんだ、これは……!?)
自分の中で膨れ上がる『何か』。それはルクスの身体を突き破って外まで出てしまいそうになる。
しかもそれはルクスの手に負えないほど暴れまわっており、どうにも御すことすらままならないようであった。
「ぐ、ぐううう……うああああああああ!!」
身体の内側で暴れまわる『それ』は、ついにルクスの殻をぶち破る。
その瞬間、ルクスの身体にも異変が起こった。
『お前では、ない』
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