2-2 破滅から始まる 2

 明らかな異常現象。凶兆と断じてもよいこの状況を見て、しかし村人の反応は様々であった。

「いや、この程度、ちょっとした雨雲じゃねーか。気にすることはねぇ!」

「雨雲があんな色になるかよ! 絶対悪いことが起きるんだ!」

「気にしすぎなんじゃないの? 私はちょっと前にも、こんな雲を見た気がするよ」

「ありえないって! すぐに逃げようよ!」

 気にするべきではない。すぐに逃げるべきだ。それぞれの意見が錯綜さくそうし、村全体が混乱に陥っているようであった。

「こんな状況になっても、土地の方が大事だっていうの……? 私にはちょっとわからないな……」

 様子を眺めながら、一路ルクスのもとへと走るミーナは、そんな感想を抱いていた。

 十年前に謎の僧侶が残した預言、昨日の男の話、そして目の前で起きている異常現象。ここまで条件が揃えば、一も二もなく逃げ出したくなりそうなものだが、それが価値観の違いというものなのだろうか。

「死んじゃったら何にもならないのに……いえ、他の村人のことは村長様に任せるべきだわ」

 ここでミーナが口をはさんだとしても、いくら僧侶とはいえ他所者の言葉だ。村人にどれだけ響くかはわからない。

 下手に刺激しなければ、不安を煽られた村人たちが逃げの論調を強めるかもしれない。ミーナが介入することで居残り側を強情にさせない方が得策だろう。

 ここは村長を信じるしかない。

 迷える人々を放置しておくことに後ろ髪をひかれながらも、ミーナはルクスの家へとたどり着く。

「皆さん、無事ですか?」

「いい加減にしろ! そいつはおいていく!」

 ミーナが家に入ると、すぐにそんな怒声ともとれる声が聞こえた。

 家の中の様子はある意味で修羅場だったのである。

「あ、あなた……本当にそんなことを言っているんですか?」

「当たり前だ! そんな奴を連れて行けば、俺たちまで逃げ遅れるかもしれないんだ!」

「目の見えないヤツをかばって巻き添えを食うのはごめんだ!」

 どうやらルクスの家族は逃げる方向で意見が固まっているらしい。

 だが、対立しているのはルクスの扱いである。

 母親であるスリネイはルクスと共に逃げるつもりであったのだが、それ以外の父親、そして兄弟二人共にルクスを置いていくというのである。

「あ、ミーナ様! ミーナ様からも何か言ってください! ルクスをおいていくなんて、とんでもないと!」

「口を出さないでくれ、僧侶様! これは俺たち家族の問題だ」

 スリネイと父親、どちらにも乞われ、ミーナはあきれたようにため息をついた。

 正直、予想が出来ていた事である。

 元々、スリネイ以外はルクスを酷く疎んじていた。いや、なんならスリネイすらもルクスの介護に疲れを見せていたくらいである。

 ルクスを置いていくという意見が出るのは、誰にでも予見できたことであろう。

 むしろ、スリネイがルクスをかばっているという状況は、母性のすばらしさの体現ですらあった。

「……お父さんがたは、先に逃げてください。お母さんと私でルクスくんを担ぎましょう」

「ミーナ様……ありがとうございます」

「ダメだ! スリネイは俺たちと一緒に来るんだ! お前までルクスに足を引っ張られるべきじゃない!」

「何を言うんです! 私はルクスのことを思ってこそ! 足を引っ張られるだなんて……!」

「お前が十年前のこと、あの村長や僧侶に騙されてルクスの目を奪われたこと、それを悔やんでいることは知っている! だが、その贖罪しょくざいでルクスと一緒に死ぬべきじゃない!」

 父親に図星を刺され、スリネイは喉を詰まらせたように言葉を失った。

 確かに彼の言う通りだったのである。村長からの要請であったから、と何の疑いもなく、十年前のあの夜、ルクスを村長の家に連れて行ってしまったこと、そのせいでルクスは視力を失い、今も回復の兆しが見えないこと……それら全ての責任はスリネイにあると思っていたのだ。

 だからこそ、ルクスの介護に疲れながらも、スリネイは決して彼を見捨てることはなかったし、それ以上に母親であるからこその愛情を持って、ルクスに接してきたのだ。

 図星を刺されたからと言って、ここでルクスを見捨てるわけには――

「お母さん、僕のことは良いです」

「る、ルクス……いったい何を――」

 言葉をなくしているスリネイを見かねて、ルクスが口を開く。

「お父さんの言う通り、僕に構っていては、お母さんまで危険な目に遭います。それは僕の望むところでもありません」

「で、でも、あなたはどうするの? あなたには見えていないかもしれないけど、今この村はとても怪しい雲に覆われていて……」

「ならなおさら、僕のことは構わず、お父さんたちと一緒に行ってください。……僕なら、大丈夫です」

 何も大丈夫なわけがない。

 それはその場にいる誰もがわかっていた。

 だが、しかし、それを口に出せなかった。

 スリネイ自身も、本当はルクスに構わず逃げ出したい気持ちを抱えていたのである。

 そこにルクスの許しが得られた今、自分の身可愛さが首をもたげても、誰が彼女を責めることが出来よう?

「来い、スリネイ! すぐに逃げるんだ!」

「あ、待って、ルクス……ッ!」

 有無を言わせず、父親がスリネイの腕をつかみ、そのまま家を後にした。

 家族の誰一人としていなくなった家に、ルクスは一人、置いて行かれたのだった。

「……さようなら、みんな。今までありがとう、ごめんね」

 ルクスはその見えない目で、去っていく家族たちを見送る。

 そこには涙も浮いていたが、しかしそれで滲むような視界もない。

 ポロポロと涙をこぼしながらも、ルクスはずっと家のドアの方を見ていた。

「……さて、ルクスくん」

「っ!? あ、ミーナ様!?」

 お別れに一段落ついたな、と思ったところでミーナが口をはさんだ。

「君のご家族の事は残念だけど……私は君を見捨てるつもりはないわよ」

「ど、どうしてですか!? 何の縁もゆかりもないあなたが……」

「私は神火宗の僧侶なの。困っている人を見捨てておけるわけもないわ」

「だ、だからって……僕のことは放っておいてくださって構いませんから! そうでないと、ミーナ様まで危険に――」

「ふん、これでも私は魔術師なのよ? ある程度の危険なら退けられるわ。……それに――」

「それに?」

「ううん、ここで君を見捨てるのは人道に反するからね。私は限界まで君を助けることにする。ちなみに拒否なんかさせないから。力尽くでも君を担いでいくからね」

「そんな……」

 もはや人さらいであるかのような物言いに、ルクスは反論する気も失ってしまった。

 それを見て満足げに笑ったミーナは、本当にルクスを担ぎあげる。

「よっと!」

「うわ! お、重たくないですか?」

「君くらいの歳なら、もっと重たくても良いくらいよ。それに、私は魔術で身体強化も出来るからね。このぐらい余裕余裕。さぁ、急ぐわよ」

「わわわ!!」

 ルクスを肩に担いだまま、ミーナはすぐに家を脱出した。

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