37-2 海魔 2

 伝声管でんせいかんを伝って、リュハラッシの警告が艦橋へ届く。

「艦長、付近に海魔の気配アリ、だそうです」

「乗客は……確か総魔権僧殿だったか。彼が言うなら信用する価値もあるか。索敵はどうなっている?」

「探査魔術に感は……あ、いえ、あります! 九方向、かなり遠距離ですが、かすかに反応があります!」

「……流石は総魔権僧と言ったところか。迎撃準備!」

 艦長の号令により鉄甲船全体に緊張感が走る。


 ルヤーピヤーシャの所有する鉄甲船三番艦、キバッペの武装は、船体の前面、衝角しょうかくの下部に臼砲きゅうほうが一門。船体の側面に大砲が三門ずつ、計六門。船体後部に投擲とうてき用水雷、甲板に遠距離魔術用の魔法陣がある。

 側面にある大砲で打ち出せるのは通常砲弾に加えて、水中で爆発する用の水雷砲弾、敵の鉄甲船を想定した徹甲弾などがある。

『海魔はまだ水面に顔を見せていない! 波も立っておらず、かなり深い所を泳いでいると推察される! 各員、対水中海魔戦の用意を! 想定深度は中!』

 伝声管から指示が伝わり、砲手は大砲に水雷砲弾を装填する。

 水雷が爆発する深度は海面から十メートルほど。それを海魔の進行する先に打ち込むのだ。

『左側面砲全砲、用意!』

 砲手が全員、砲撃の準備を整える。

 鉄甲船の大砲は特殊なもので、ほぼすべて魔法陣が刻まれており、簡易に魔術を使用出来るようになっている。

 通常は魔術師でなければ使えない魔術だが、魔法陣を用いた詠唱ならばはそこに魔力を流す事によって魔術を使用することが出来る。

 魔法陣を利用した詠唱であれば、実は言葉やジェスチャーによる詠唱よりも必要魔力が少なくて済む。

 小さな魔法陣を用いれば魔術適正を持たない人間であっても簡易魔術が使える程度である。

 そのため、砲手には魔術適正を持たない者でも担当が出来る。

 実際、この鉄甲船の砲手は全て、魔術適正を持っておらず、魔術師は別の部署へと回されている。

『砲撃、開始!』

 伝声管から伝わる声を聞き、砲手は一斉に大砲へと魔力を流し込む。

 流し込む感覚というのは、事前に訓練でもって経験しており、魔術師から教えられていた。

 魔力が枯渇すると即座に気絶してしまうため、砲へと流し込む魔力量には細心の注意が払われる。何せ、魔術師適性を持たないということは、そもそもの魔力発生量も少ないということである。足りないリソースを無駄遣いするわけにはいかない。

 砲手によって魔力が充填された大砲は、即座に砲弾を打ち出す。火薬ではなく、魔術によって発射されるため、その音は驚くほど静かであった。

 また一度砲撃を終えた大砲はその場からどかし、次に控えていた大砲が発射口に設置される。

 鉄甲船の船内には予備も含めて十八門の大砲が搭載されているのだが、それはローテーションで砲撃を行うのだ。

『着水確認。射角修正、下方三、右方十三!』

 伝声管から観測手の声が伝わる。

 それを聞いて、砲手はその通りに大砲の照準を修正していく。

 その間に、辺り一帯に轟音が響く。

 水柱が立ち上がり、水雷の起爆が確認された。ちなみに、あの水雷は別部署の魔術師が操る魔術によって制御されている。

『第二射、用意!』

 伝声管からの指示を聞き、砲手は大砲の準備に移る。


「探査魔術による感知、以前変わりありません!」

「海魔の進行速度変わらず、一直線にこちらへ向かってきています!」

 探査魔術師による報告を受け、艦長は苦い顔をする。

 海魔は水雷砲撃を全く物ともしていないのだ。

 並の海魔であれば、爆発音だけでも嫌がり、進行方向を変えたりスピードを落としたりするものだが、今回の敵はそう簡単にはいかないらしい。

「……第三射は想定深度を深に変更、遠距離魔術の準備もしておけ!」

「了解!」

 艦長の指示が通信手から鉄甲船各所へと渡っていく。


 甲板には観測台や通信機の受信塔の他に、踊り場のように小上がりになった場所があり、そこには大きく魔法陣が描かれている。

 それは強力な魔術を使うための魔法陣であり、魔術師がそこへ魔力を流すことで魔法が発動できるようになっている。

 ベルエナでベルディリーが見せたように、詠唱方法を二重に重ね、より強力な魔術を使うための準備であった。

 その踊り場に魔術師が上がり、魔法陣の中心へと進む。

『遠距離魔術、詠唱開始。目標地点、九方向、距離八』

 伝声管からの指示を聞き、魔術師は詠唱を始める。

 ほぼ同時に大砲の砲撃が始まり、砲弾は着水する。

 ややしばらくして、爆発。轟音と水柱が再現され、鉄甲船にまで衝撃が伝わる。

 大きく揺れる船体の上でも、魔術師は全く動じず、静かに詠唱を続けていた。

 やおら魔法陣が淡く輝き始め、それが全体に行き渡る。

「降下せよ、誅罰ちゅうばつの剣!」

 魔術師が呪文の最後の一節を叫ぶと、魔法陣全体が強く輝き、魔術が発動し始める。

 天高く立ち上った光は空のある一点で収束し始め、その光は巨大な剣を作り出した。

 刀身を海に向けた剣は、自由落下を始めるかのように、海面へと急降下する。

 見かけ通りの質量を伴った剣は、着水と同時に大きく水しぶきをぶちまけ、それによって発生した大波は鉄甲船を強くあおった。

 側面から大波を受けた鉄甲船であったが、しかしそれで転覆することもなく、何とか体勢を立て直し、剣は海中に大きく沈み、やがてはつば、そして柄すらも見えなくなっていく。

 海水の抵抗を受けてもなお勢いを衰えさせない巨大な剣は、もし直下に海魔を捉えているのならば、ある程度のダメージを与えられているはずだが……


「海魔の進行に影響ありません! あ、いえ、進行速度、加速しました!」

 探査魔術師からの報告に、艦長は奥歯を噛む。

「我らの想定よりも上を行くのか、魔物風情が……ッ!」

「か、艦長! 海魔の反応、消失しました! 急速潜行したものと思われます!」

「なに!?」

 探知魔術の範囲外まで潜行したとなると、相当深くまで潜ったことになる。

 そしてそれだけ深く潜れるということは、活動範囲もそれだけ深い場所であることが考えられる。

 深海を活動範囲としているのは、主クラスではなく怪物クラスの可能性がある。

 艦長たちは、ようやくそこに思い至った。

「我々が相手していたのは、主ではなかったのか……ッ!?」

「か、艦長! 探査魔術に感あり! 本船の直下です!」

「総員、衝撃に備えろ!」

 艦長が伝声管に怒鳴りつけるように叫ぶ。

 ほぼ同時に、床に叩きつけられるような重圧――否、船体が突き上げられたのだ。

 巨大な山のようだ、と例えられた規模の鉄甲船が、いともたやすく持ち上げられ、一瞬、海面から船底をのぞかせたぐらいであった。

 次の瞬間、内臓が浮き上がるような浮遊感。

 無重力の一瞬があった後、急激に地面に引き寄せられ、また間を置かずに床に叩きつけられる。

 ザブン、と大波が立ち上がり、鉄甲船全体が揺れる。

 海魔に突き上げられたあと、何とか着水出来たようだ。

「損害報告! 海魔の探査、急げ!」

「りょ、了解!」

魔力 推進炉すいしんろに異常発生! 舵が効きません!」

「応急処置でもいい、回復急げ! 足を止めていれば、すぐに二撃目が来るぞ!」

 魔力推進炉というのは、鉄甲船の心臓部。その名の通り、魔力を使って推進力を得る装置である。エンジンのようなものだ。

 それに異常が発生すれば、鉄甲船は一ミリたりとも動くことが出来ない。波任せに揺蕩たゆたうばかりとなってしまう。

「海魔の位置、把握出来ました! 本船直下、距離十二!」

「くっ、もう一度ぶつかってくるつもりか……!」

 しかし、鉄甲船は今、動くことが出来ない。

 加えて、側面砲も臼砲も水雷投擲も、直下には全く攻撃できない。遠距離魔術であれば辛うじて対応が可能だが、鉄甲船の直下で魔術を発動させれば、船にまでダメージが出てしまうかもしれない。

 万事休す、であった。


****


「みなさん、大丈夫ですか?」

 船室では、よろよろとみんなが立ち上がっているところであった。

 全く状況が把握できないアラドや永常などは、先ほどの大きな縦揺れに全く対応が出来なかった。持ち前の体術がなければ、どこかケガをしていたかもしれない。

「なんだってんだ、まったく! こんなんじゃ、倭州につく前に死んじまう!」

「リュハラッシ様、どうにかならないんですか!?」

 ルクスに問われ、リュハラッシは静かに頷き、船室を出た。

 向かう先は隣の部屋。

「鎮波姫様、ミーナ練士、失礼します」

 一声かけてから、リュハラッシはその扉を開く。

 中ではアラドたちと同じように、よろよろと立ち上がる鎮波姫とミーナの姿があった。

「な、なにがあったんですかぁ……?」

 涙目になっているミーナとは違い、鎮波姫はある程度状況を把握しているようで、リュハラッシに対してまっすぐに視線を向ける。

「これは、海魔の襲撃ですね」

「そのようです。鎮波姫様、どうか我々に力をお貸しください」

「無論です。リュハラッシ殿も協力してくださいますね」

「是非もありません」

 短い応答を終え、鎮波姫は戴冠の鉾を掲げる。

「な、何をするつもりなんだ……?」

「静かに。姫様が征流の力をお使いになる」

 動揺するアラドを、永常が制した。

 征流の力は魔術と同じく、精神統一と詠唱を必要とする。

 口を挟むことが鎮波姫の集中力に影響するかもしれない。

 アラドは慌てて口を噤み、周りのみんなも極力物音を立てないように気を付けた。

 静かになった船室の中に、凛とした鎮波姫の祝詞が響く。

「魔海公との契約を、今ここに示せ。大いなる流れを征する戴冠の鉾よ、我らに仇なすものを退けたまえ」

 鎮波姫の祝詞に合わせ、リュハラッシが鎮波姫へと魔力を貸与する。

 それは一度、破幻が見せた業であったが、彼の分身たるリュハラッシも、当然その芸当が可能であった。

 魔力の貸与によって、鎮波姫に足りない魔力が補われ、征流の力はある程度の力をもって発揮される。


****


 鉄甲船の周りを淡い光が包み込む。

 大きな水球のような膜に覆われ、鉄甲船はゆっくりと移動を再開し始めた。

「なんだ、これは……!? 推進炉が復旧したのか!?」

「いえ、推進炉は未だ沈黙しています! ですが……」

「海魔が離れていきます! み、見逃してくれたのでしょうか……?」

「わからん……だが、警戒を怠るな! 探査魔術を最大範囲で使用しつつ、推進炉の復旧を急げ!」

 状況は良くわからないが、どうやら好転したらしい。

 海魔は離れていくし、船体は波に流されているわけではなく、倭州方向へと移動している。

 わけがわからないが、一応命はつないだのだ。

 しかし安堵のため息をつくことも出来ない。この状況が続くとも限らないのだ。また新たな海魔が襲い掛かって来たなら、今度こそ沈められてしまうだろう。

「艦長、総魔権僧様から連絡があります!」

「こんな時になんだ!?」

 伝声管からリュハラッシの言葉が伝わり、通信手がそのままオウム返しのように声に乗せる。

「魔術によって応急処置をいたしました。海魔は退けられ、倭州へ移動もある程度可能です、とのことです」

「この状況は総魔権僧殿の力だというのか……? そんな馬鹿な……」

 本当は鎮波姫の操る征流の力であるが、それは倭州のトップシークレットである。

 ここはリュハラッシがどうにかした、と言っておいた方が色々都合が良い。

 艦長も原因不明の状況ではなく、リュハラッシの助力によって窮地を脱したと思えば、まだ心も穏やかであろう。

 結果的に丸く収まっている。

「総魔権僧殿にはあとで直接礼を言おう。まずは状況の回復からだ!」

「了解!」


****


 それから四日ほど経過したあと、鉄甲船はなんとか倭州へとたどり着くことが出来た。

「いや、すまなかった。不慮の事故があったとはいえ、予定通りにいかなかった」

「お気になさらないでください。我々は無事、倭州へたどり着いたのですから」

 甲板に出てきていたリュハラッシは、隣でバツの悪そうにしている艦長に微笑む。

 甲板から眺めれば、倭州の方の港では鉄甲船を見物するために多くの人間が港へ押しかけている様子が見えた。

 彼らはどうやら鉄甲船を歓待かんたいしてくれるらしい。

「我々は喜ばれているのですね」

「ああ、どういうわけか、最近は倭州からの船はめっきり少なくなったからな。こっちから出向かないことには、まともに交易も成り立たないんだとさ」

 倭州西岸の港町は、アスラティカとの交易こうえき特需とくじゅで湧いている。

 この好景気を見逃さないために、商人などはこぞって西岸にやって来ていたのだが、倭州から鎮波姫がいなくなった影響で、倭州の船が海を渡ることが出来ず、能動的に交易が出来なくなってしまっていたのである。

 そのため、鉄甲船の定期便は毎回、大歓迎されるのであった。

「しかし、船の方はどうなのですか?」

「どうもこうも……推進炉がまともに復活しない。このままでは帰ることも出来ん」

「どうなさるおつもりですか?」

「一応、通信機で連絡を取るつもりだが、望み薄だな。本国の方で異常を察知してもらって、救援を待つしかないだろう」

 魔術を利用した通信機は、遥か遠方とも会話を成立させることのできる便利な魔術機械であったのだが、当然射程距離がある。

 魔術は術師の手を離れた直後から、魔術を構成する魔力の拡散が始まり、時間が経過するほど、距離が離れるほどにその効力を失っていく。

 通信機に利用されている魔術もその例を漏れず、ある程度の有効射程があるのだ。

 アガールスがすっぽり入ってしまうような大海原を越えるような通信は、まず不可能であろう。

 となれば、帰りが遅いと気付いたルヤーピヤーシャ側が捜索のために別の鉄甲船を出し、救援に駆けつけてくれることを祈るしかない。

 仮にそれを待つとなると、一か月程度は待機を余儀なくされるだろう。

 この鉄甲船は、それまで倭州で停泊することになる。

「停泊中の費用は、交易品を何とかやりくりすりゃどうにかなるだろう。本国へ帰ってからの損失の補填はあとで考えるとして、まずは食料やなんかを買い足さねぇとな」

「積み荷があったんですね。気付きませんでした」

「せっかく鉄甲船を運用するんだ。定期便の前倒しぐらいするさ」

 何度も確認していることだが、鉄甲船の運用には莫大なコストがかかる。

 定期便を出すのもタダではないのだから、紅蓮帝もアラドとの約束を果たすのと定期便を出すのを同時に行えるなら、それは一緒くたにした方が良い、と考えたのだろう。

「最低でも一か月は滞在することになると、相当出費はかさむが……まぁしゃーねーやな。倭州にも推進炉の修理部品があれば良かったんだが」

「まぁ無理でしょう。鉄甲船はアスラティカでも極秘技術のすいですからね」

 そんな部品があるのなら、どこからか技術の流出がある証拠である。

 部品が倭州に出回っていたなら、アスラティカを挙げての大騒動になるだろう。

「とにかく、そういうわけですぐにアスラティカに戻ることは出来ねぇ。アガールスのお客さんにもそう言っといてくれ」

「まぁ……そうなりますか」

 リュハラッシは別にどうでもよい事であったのだが、それを伝えた時にフィムがどういう反応をするのか、見ものであった。

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