倭州横断編

37ー1 海魔 1

37 海魔


 倭州へ向かう途中、鉄甲船内にて。

 一行はジョット・ヨッツに乗った時と同じく、二部屋に押し込められ、行動の自由を奪われていた。

 それは鉄甲船というモノが国のトップシークレットの塊であり、技術の粋であるゆえの措置でもある。

 また、素人にその辺をうろつかれては船員の邪魔になるというのもあるだろう。

 海の上では騎士も魔術師も、姫も守士も関係ない。仕事をしっかりこなせるプロか、そうでないかという線引きのみで判断がなされるのだ。

「しかし、倭州までの四日、ずっとこんな狭い部屋に押し込められっぱなしというのも、難儀なもんだな」

 船窓から海を眺めつつ、アラドがぼやいた。

 窓から見える景色はずっと変わらず、青い海、青い空、白い雲ばかり。

 最初は見慣れない海にテンションも上がったのだが、それが二日も続けば流石に飽きる。景色を眺めるぐらいしかやることがないとなればなおさらだろう。

「倭州までは四日の距離で、今日で二日目。中間地点は過ぎた頃か」

「アガールスとルヤーピヤーシャの間を渡った時とは比べ物にならない距離ですね」

 アラドと同じように外を眺めるルクスが呟く。

 アガールスとルヤーピヤーシャの間を渡った時は丸一日もあれば渡航できたが、倭州へ向かうとそうはいかない。

 ルヤーピヤーシャから倭州まではアガールスの土地がすっぽり入るぐらいの大海原が横たわっているのだ。そこを四日で渡るだけでも、相当短い時間であると言えよう。

「しかし、思ったより静かなものですね。沖へ出ればすぐに海魔が襲ってきて、並の船ならば瞬く間に海の藻屑にされると聞いていたのですが」

 穏やかな航海の中、リュハラッシが独り言のようにつぶやく。

 確かに、聞いていた話では海は恐ろしく、海魔にはまともに太刀打ちも出来ない。ゆえに海洋の開発は全くの手つかずであった、という事であった。

 しかし、今回の航海は出港直後にいくつか海魔からの襲撃があったものの、鉄甲船の武装によって軽々と退け、それからはまるで凪いだように静かである。

「最初に襲ってきたのも相当小振りの海魔であったようですし、噂は所詮噂ということでしょうか?」

「いえ、それは違います」

 リュハラッシの感想に、フィムが首を振った。

「出港してすぐに襲い掛かってきたのは小型の海魔……現在の格付けの名を使うのであれば、群れと呼ばれる格の海魔です。そしてその後に何度か襲撃して来たのは大物とされます」

「海魔に格付けがなされているのですか。初耳だ……」

「海洋研究は最近始まったばかりですし、神火宗の手をあまり借りてませんからね。そちらに情報として伝わるのは遅くなっているのかと」

 海洋の研究開発は、それぞれの国が独自で行っている事であった。

 鉄甲船の運用には魔術師が必要であるため、そこで魔術師を使うにしても神火宗を通さず、自国にいる魔術師のみでまかなっている。それだけ鉄甲船の技術は秘匿する価値があるという事でもあった。

 また、神火宗側も海洋にはあまり興味を示していない。

 現在の神火宗の関心は倭州の探索である。その目的は新たな神火を探すこと。

 流石に海の中に神火があるとは考えづらく、倭州へ渡る術としての鉄甲船に興味はあっても、海自体はどうでもよい、と言ったスタンスであった。

 結果、海に関する情報を要求しない神火宗と、各国が独自に研究を進めている状況が相まって、神火宗に海の情報が伝わっていない、ということになっている。

「現在、アガールスとルヤーピヤーシャの間では、抑戦令の間だけでも協力して海洋研究を行おうという動きがあり、その中で両国の共通認識として海魔の格付けがなされました。それによって、鉄甲船の最低限の耐久強度や武装の積載量などを決めています」

「海を渡るのに必要な最低限を取り決めている、ということですか」

「ええ。その最低限の目安が『主』と呼ばれる格の海魔に、単独で対処出来る程度とされています。これは先日の襲撃を仕掛けてきた群れや大物よりもう一つ上の格とされています」

 アガールス、ルヤーピヤーシャ両国の格付けでは魔物と同じように海魔もランク付けがされている。

 下から、群れ、大物、主、怪物、神話級である。

 まだまだ研究も始まったばかりゆえに細かい分類ではなく、大雑把に区切っただけではあるものの、鉄甲船はこのランク付けを目安にして建造されている。

 すなわち、主クラスの海魔を単独で対処できる程度、である。

「主と呼ばれる格の海魔は、おおよそで大の男を目安として、それが二人分から七人分程度の大きさ、と決められています。陸の魔物の尺度で言えば、猟犬から鬼頭程度と言ったところでしょうか」

「それを聞くと、ずいぶん大雑把な気がしますね。猟犬と鬼頭では対処可能な人数に相当差が出ますよ」

「ええ、ですから鉄甲船の基準はそれを超える魔物、怪鳥を相手取っても勝てるように、とされています。鉄甲船を運用するための最低人数を考えれば、それでも控えめなぐらいですけどね」

 怪鳥を相手にするには地上の安全を最低条件として、魔術師が中隊規模で必要とされている。

 鉄甲船には多くの船員が動員されており、さらに魔術師も複数が運用のために乗り込んでいる。その鉄甲船が鬼頭と呼ばれる魔物相手にてこずるようでは、コストが見合っていないのだ。

 そのため、アガールスでは鉄甲船の最低限の戦力として定めたのが、怪鳥レベルの魔物を単独で対処できる程度の戦力である。

 とはいえ、魔物を敵と想定するのは、アガールスではちょっと難しかったために、実際は魔術師中隊が安全に大魔術を行使できる程度の戦力である。

 これはベルエナで怪鳥と戦った時に動員された戦力よりも上だと言える。ベルエナではアラドを含めた優秀なクレイリアの戦士と、天才とも言えるベルディリーの魔術があってこそ、あの窮地を最低限の人数で凌げたと言っても良い。

「つまり、この鉄甲船は、海を泳ぐ怪鳥が現れても大丈夫、ということですね」

「まぁ、ルヤーピヤーシャの鉄甲船がどの程度の戦力を持っているかは、私たちにはわからないところですが……」

 フィムが話したのはアガールスの所有する鉄甲船の話である。

 現在、一行が乗船しているのはルヤーピヤーシャの鉄甲船。それがどのような構造をしているかなど、わかるわけもなかった。

 おそらくアガールスの持つ鉄甲船と同等か、それ以上の戦力を有しているのであろう。

「それで、現在の状況が大人しい理由ですが……我々の研究によれば、海魔は大きくなればなるほど、行動が鈍重であることがわかっています」

「鈍重、ですか?」

「海魔は生息域の水深が深くなればなるほど、その大きさを増します。先ほど言った格付けで言えば、深い場所に生息する海魔ほど強い個体になるわけですね。そういった強力な個体は小さな海魔よりも警戒意識が強く、自分たちの領域……つまり深海から出てくることが稀であるという研究結果が出ているんです」

「つまり、出港直後、まだ浅瀬と呼べる程度の海域にいた小型の海魔は血気盛んで、船と見れば手当たり次第に襲い掛かるが、大型になればなるほどその傾向は大人しくなる、と」

「そういうことです。これまで報告されてきた海での海魔被害の多くは、群れや大物と格付けされる海魔によるものであると推測されます」

 主と呼ばれる海魔よりも弱い、小さいとは言っても、群れや大物と呼ばれる海魔も相当強力である。

 人間は水中に適した身体の構造をしていないため、海上ではほとんど防衛力を持たない。

 そこに海に適した海魔が襲い掛かれば、船を破壊し、落ちてきた人間を食い散らかすのも容易である、というわけだ。

 さらに言えば、群れはもちろん、大物と呼ばれる海魔も数十から百を超える程度の群れで行動していることが多い。

 そんな数の海魔に小舟が襲われたとすれば、手も足も出ないだろう。

「では、ある程度沖合に出てしまえば、小さな船でも安全なのですね」

「それは違います。何かの拍子で主を刺激してしまえば、大物が船を破壊するよりも早く、船は粉々にされてしまうでしょう。そしてその『何かの拍子』というのが何に該当するのか、我々にはわかっていないのです。もしかしたらただ頭の上を通り過ぎようとしただけでも、海魔の癇に障る可能性はあるのです」

 海魔の研究は始まったばかりで、その生態についてはほとんどわかっていない。

 魔物と同じ括りにしているが、海魔は別に瘴気によって生み出されるわけでもなさそうで、体内に多くの魔力を有しているわけでもない。

 死亡した後に魔力が抜け落ち、肉体が消えてしまうこともない。

 最早魔物とは違い、生物と呼称してもおかしくないほどのモノなのだ。

 海洋研究を進めていれば、そういう今まで『常識』だと思っていたことが覆されるばかりである。研究者としては興味深いであろう。だが、航海をするものにとっては、わからないことが一番恐ろしい。

「海魔の事がある程度解明できるまで、鉄甲船以外で沖に出るのは、これまで通りやめておいた方がいいでしょうね」

「暗黒郷をつついて魔物を起こす必要はない、ですか」

 それが賢い者の判断であった。

「大変だ!」

 不意にルクスが大声を出す。

 窓の外を見ながら目を見開いている彼は、確かに海の中を見ていた。

「どうしました、ルクスくん」

「リュハラッシ様! 海魔が!」

 ルクスの指さす先には、凪いだ海があるばかり。

 リュハラッシが見ても、アラドや永常が確認しても、そこには何もない。

 しかし、ルクスには竜眼がある。

「我々には見えない何かがあるのかもしれない。船員に伝えましょう」

「しかし、ルヤーピヤーシャの人間がルクスくんの言うことを信じるか?」

「私かあなたの言葉であれば、ある程度の信憑性が得られるのでは?」

 馬鹿正直に危険を察知した人間を教える必要はない。

 ルクスではなく、リュハラッシやアラドが危険に気づいたということにしておけば、きっと船員も無下にはしまい。

「ルクスくん、ちなみにその海魔の大きさはどれくらいだかわかりますか?」

「えっと……神槍領域にあった社務所と同じくらいです」

 神槍領域にあった社務所は三階建てで、床面積はおよそ九百平方メートルはある。

 概算して全長二十から三十メートルの巨体を持つ海魔となれば……

「その海魔の格は主ではなく、その上……怪獣です」

 フィムが冷や汗を垂らしながら呟く。

 それは鉄甲船が単独で対処できるクラスを逸脱していた。


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