余話5-2 二人で密談 2

 ほぼ同時刻、宮殿の謁見の間にて。

「今後、神火宗とどう付き合うか、か」

「ええ、私はその返答を領域に持ち帰らねばなりません」

 そこにいたのは紅蓮帝とリュハラッシであった。

 リュハラッシは今回、マハー・パルディアを訪れた理由である仕事を片付けようとしていた。

 つまり、神火宗とルヤーピヤーシャの関係についてだ。

 先帝である雷覇帝は神火宗と袂を分けた。

 では紅蓮帝はどういう腹積もりなのか。神火宗はそれを確かめたがっているのである。

「我は先帝を尊敬している。父親として以上に、帝としての手腕は、今の我でも到底及びもつかないだろう」

「……では、対神火宗の対応も引き継ぎますか?」

「我が疑問に思っているのは、それだ」

 紅蓮帝は記憶を掘り返すように、顎に手を当てて思案する。

「アスラティカにおいて、神火宗と反目して良い事はほとんどない。利用する価値は十二分にあったはずなのだ。それなのに、先帝は神火宗と対立した。合理的とは思えん」

「確かに、神火宗側でも寝耳に水の出来事でしたからね」

 神の頭環事件があったとは言え、そのあとに何とか仲を取り持つことぐらいできたはず。

 強硬姿勢を取って神火宗と敵対するのは、百害あって一利なしだろう。

 雷覇帝の宣言した『人の時代宣言』とは何だったのだろうか。

 紅蓮帝がその真意を確かめる前に、雷覇帝は死んでしまった。

「先帝の遺志を継ぐのは我の役目。だが、人の時代宣言の事は理解も共感も出来ん。これまでの我の治世でも、その事に関してだけはうやむやにし続けている。……正直な所、我もアレに関しては持て余しているのだ」

「紅蓮帝ともあろうお方が珍しい」

「いや、失言だった。忘れろ」

 これまで紅蓮帝は確固たる信念を持ち、揺らがぬ姿勢でもって政を執り行っていた。

 そんな彼が、リュハラッシと二人きりというオフレコの場であったとしても、泣き言をいうのは珍しい事であった。

「アラドラドと言葉を交わすことで、我も鈍ったか……」

「くく、確かに彼は不思議な所がありますな」

「総魔権僧を以ってしても、不思議と評するか」

「ええ、私はあまり交流していませんが、どこか落ち着く雰囲気を感じると言いますか……」

「我はどちらかというと、見ていて危なっかしいと思うがな」

 両者で評価は極端であったが、しかし並々ならざるものを感じているという点では共通していた。

 今世の権力者二人にただ者でない、と思わせるアラド。

 不思議と言えば不思議であった。

「奴の話は良い。とにかく、我は神火宗との交流は続けたいと考えている。すぐには難しいだろうが、徐々にでも状況を良くしていこう」

「それは良かった。顕世権僧もお喜びになるでしょう」

 神火宗にとってもルヤーピヤーシャとの絶交は困った事態であった。

 何せ総本山の神槍領域はルヤーピヤーシャ国内にあるのだ。そこでルヤーピヤーシャと反目していてはお互いにやりづらいだろう。

 その状況が改善するとなれば、顕世権僧をはじめ、神火宗は安心するだろう。

「貴様の用件はそれだけか?」

「はい。……あ、いえ、もう一つお耳に入れておこうかと」

「なんだ?」

「蓮姫に関して、です」

 蓮姫という単語を聞いて、紅蓮帝は目を眇める。

「アラドラドからも聞いた名だが……それほどの有名人なのか」

「いえ、むしろ知っている人間は一握りと言ってよいでしょう。……紅蓮帝もすでに知っているものと思っていましたが」

「……アラドラドも貴様も知っているということは、アスラティカの主要な勢力の権力者は全員知っているものと見ていいのだろうな」

 諦めたようにため息をつき、紅蓮帝は頬杖を突いた。

「我がその名を知ったのは、つい数か月前の事だ。アラドラドに対しては警戒して知らぬということにしたが、奴が帝都へ来るより以前に、その存在は認知していた」

「ルヤーピヤーシャにも、やはり被害があったのですね」

「ベルフヒハムの動きが怪しいから調べてみれば、その背後に何者かがいる事が確認できた。そこから蓮姫の名を引き出せたのは、偶然に近い、奇跡的なものだったがな」

 紅蠍の事を考えるに、蓮姫の名を知っている人間は、その存在を秘匿しようとしている。

 おそらくは蓮姫からの指示、もしくは行動を制限する魔術によるものだろう。

 それを突破し、紅蓮帝が蓮姫の名を聞くことが出来たのは、本当に奇跡的な出来事であった。

「ハルビニシヤで起きた暗殺事件、その犯人を捕まえたというベルフヒハム。そしてその時に偶然居合わせた、謎の神人。奴の助力があればこそ、蓮姫の存在を知れた」

「謎の神人ですか?」

「ああ。我が実際に見たわけではないが、帝室の記録にない神人だった。だが、並々ならぬ魔術の力量、外見特徴も神人であった。奴は神人に間違いない」

 その謎の神人について、リュハラッシは思い当たる節がある。

 ルヤーピヤーシャ南部で活動していた神人……破幻である。

 時期的に考えれば、鎮波姫を助ける前後であるはず。その時、破幻は鎮波姫を見つけるため、ルヤーピヤーシャの南部半島に待機していたはずである。

 暗殺事件の起きたハルビニシヤは半島の南東部にある港町。破幻がうろついていても不思議ではない。

 それに蓮姫に繋がる事件であるとわかれば、彼が介入する動機にもなるだろう。

 しかし、破幻の存在はあまり大っぴらにしない方がいい。紅蓮帝にも黙っておこう。

紅蓮帝本人が破幻を見ていないのは幸運だった。本人に出会っていれば、リュハラッシと外見が酷似していることに疑問を持っただろう。

「その神人がなんと?」

「ベルフヒハムを含め、複数人から蓮姫という名を引き出していた。精神を支配する魔術を一時的に解呪し、情報を聴取したらしい。アレがなければ、我も蓮姫という名を知ることはなかっただろう」

「なるほど……」

 解呪をするだけならば、さして魔力を使用しない。そこから他の魔術師に自白の魔術をかけてもらえば、破幻自身が魔術を使う必要もないか。

 リュハラッシを運用するために魔力のほとんどを失っている破幻でも出来そうなことである。

 まず間違いなく、その神人は破幻だろう。

「貴様、何か知っているのか?」

「いえ、その神人について考えていました。ルヤーピヤーシャには在野の神人は数人いると聞いていますが、その一人なのでしょうか?」

「神人の血筋は帝室がある程度把握している。隠し子などがいなければ、ヤツはその中に含まれんな」

 破幻の事は帝室も把握していない。これは破幻にとっては嬉しい事だろう。

 蓮姫から潜伏していなければならないのに、帝に把握されていてはその目標も達成できまい。

 だが、今回姿を現したのは痛い。この件で紅蓮帝には存在を認識されてしまった。

 蓮姫の事を探るチャンスだったとは言っても、最終的な収支で言えば、ギリギリプラマイゼロと言ったところか。

「その神人の事はともかく、蓮姫がアスラティカに影響を及ぼし始めた事は、紅蓮帝もご存知の通りでしょう」

「……ご存知、と言われても、我が裏を取っているのは紅蠍の件のみだ。アガールスで起こった事件に関しても関与しているのかもしれない、という話は聞いているし、ラスマルスクでも不穏な動きがあったことは把握しているが、確信は持てていない」

「そのどちらも、蓮姫が関わっているとみて間違いありません」

 アガールスで起きた瘴気発生事件。あの裏で暗躍していたボゥアード、もとい淵儀は蓮姫と結託しているはずである。

 また、ルヤーピヤーシャ北部にある流刑地、ラスマルスクでも蓮姫関連の事件が起きていた。

「ラスマルスクで起きているのは魔物を含んだ暴徒の発生でしょう。魔物を操るというのは、千年魔女を自称している蓮姫にとって、出来て当たり前のことです」

「しかし、魔術師一人が魔物を操るなど、本当に可能なのか? 我はむしろ、魔物が主導となってラスマルスクの人間を操り、いたずらに暴動を繰り返していると思ったがな」

 魔物の中にも魔術を操る者がいる。天駆などはその最たる例だ。

 さらに言えば、ラスマルスクのさらに北に広がる暗黒郷には魔物の長とされる神獣、ドゥハンもいると言われている。

 ドゥハンは詠唱を行わずとも強力な魔術が操れるほどの技量を持ち合わせているらしいと伝えられており、ドゥハンに準ずる力を持つ魔物も、暗黒郷には複数存在しているだろう。

 であれば、暴徒は魔物に操られていると見る方が、まだ可能性は高い。

「蓮姫とやらが千年魔女を自称しているのも、所詮は自称だ。伝説に語られる魔女ほどの実力を備えてるとは思えんがな」

「蓮姫を侮ってはいけません。それほどの実力は持ち合わせている、と考えるべきです」

「必要以上に敵を評価する事も、足をすくわれる原因になる」

「過小評価はより悪い結果を招きます。どうか、総魔権僧の私の言葉を信用してください」

 リュハラッシに頭まで下げられ、紅蓮帝はため息をついた。

 そこまでされては、ある程度考慮に入れる必要が出てくるだろう。

 何せ、アスラティカで一番魔術に長けた人物の言葉だ。無下には出来ない。

「わかった。考慮に入れておこう。……しかし、神火宗は蓮姫に関して、どれほど知っているんだ? ヤツが魔術師ならば、神火宗の手の者かとも思ったが……」

「とんでもない。蓮姫は神火宗にとっても仇敵。先日、神槍領域に敵対行為を仕掛けてきましたからね」

「神槍領域の結界を突破したのか? ますます侮れんな……」

 これまでの歴史において、神槍領域の結界が破られたことはなかった。

 実際、今回の件でも結界を破られたわけではなく、穴をかいくぐられた印象ではあるのだが、しかし領域内に敵対する存在が入り込んだのは事実。

「神火宗でも蓮姫の実態はつかめていませんが、今回の事を重く見ております。ルヤーピヤーシャと交流が戻り、協力体制が取れれば、これほど心強い事はありません」

「ああ、その点は早急に考えておこう」

 ルヤーピヤーシャにとっても謎の敵となった蓮姫。神火宗と協力できるのであれば、紅蓮帝としても歓迎したい状況である。

 雷覇帝の宣言の手前、大っぴらに神火宗との交流を元に戻すことは難しいが、それでも裏で結託するのはさほど難しくない。

 何せ、臣下も民も、神火宗との交流は望むところなのである。

 体面を保つ必要がなければ、すぐにでも交流を正常化させたいぐらいだ。

「私からの用件は以上です。紅蓮帝からは色よい返事がいただけて、喜ばしい限りです」

「ああ……。そういえば貴様はアラドラドたちと共に、倭州へ渡るつもりらしいな」

「はい。倭州で活動している神火宗の信徒に指示を渡すよう、仰せつかっております」

 とは言っても、その話はまだ領域とはしていない。

 今回の紅蓮帝との会談の結果を伝える時に、さりげなくかつ強引に取り決めるつもりだ。

 何せ、リュハラッシの関心は蓮姫打倒であり、そのために重要である鎮波姫の無事である。

 鎮波姫が倭州へ渡るのであれば、そのサポートのためにあらゆる手段を講じて同行するつもりなのだ。

 そのためにルヤーピヤーシャの鉄甲船に乗船するため、一応紅蓮帝には先に話を通しておいたわけである。

「総魔権僧が同行するとなれば、奴らの旅路もある程度は安全になるか」

「おや、ご心配ですか?」

「いや、我が協力して倭州へ渡らせるのだ。早々にかの地の土になったとなれば、徒労に等しいからな」

 そっぽを向きつつ、そんなことを言う紅蓮帝。

 リュハラッシはその真意を確かめることはせず、ただニコニコと笑うだけであった。

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